2002年8月10日(土曜日)
17:40。神奈川県は保土ケ谷の讃岐うどん屋にロケハンへ行くべく、納車5日目のスズキ、グラストラッカー250にまたがり、中目黒から駒沢通りを環七方面へ向かう。いえーい! 第三京浜に乗るのよランランラン♪ 祐天寺付近の四つ角で、スピードを落とした郵便の集配車の横をすり抜けた、と思ったら「げっ! うそっ!」。そこには右折してきたBMWがいるやんけ! ばーん! ハンドルを右に切ったような気がしたが、ここで意識なくなり、記憶途切れる。
ぼんやり意識が戻ったが「あかん、死ぬかも」。胸を強打したのだろうか、呼吸ができないっ! 寝返りをうとうとしたら、腕がしびれるように痛い。これまでの人生で骨折したことはないけど、骨を折ったらこれくらい痛いんだろうな、などと暢気に考える。何が何やらわからないが、少しずつ呼吸ができるようになった。人がたくさん集まっている。そりゃそーだ、だって道路の真ん中で寝てるし、私。自分もバイク乗りだというオヤジがヘルメットを脱がしてくれる。すると「ヘルメットなんか脱がしちゃだめだよ!」と別のオヤジが怒鳴る。「あんたは、なんの権利があってそんなこと指図する!」「なんだとこのヤロ!」。
……、あのー、私、ケガしてんですけど。つーか、いちおう、この場面では私が主役のはず。それなのに二人のケンカが盛り上がる。ふと横を見ると、新車のバイクが横転している。やーん、買ったばっかなのに、ちえ。そしたら「大丈夫?」とバイクオヤジが声をかけてくれた。「交通の邪魔やろし、バイク起こしといてください」と言うと、「よし!」と二つ返事で、引き起こして路肩に寄せてくれた。すかさず、ケンカ相手のオヤジが「事故現場を動かしたらダメじゃないか! 証拠隠滅だ」と鬼の首を取ったかのように怒鳴り、つかみ合いのケンカに発展す。私は関西人なのでよくわからないが、ときにケンカは江戸の華と聞く、私の存在感も薄れるくらいの華やかな内容に、やじ馬もさぞかし満足したことだろう。しかし、救急車が来ない。体中が痛いせいか、もうずいぶん長い時間、道路に横たわっているような気がする。放置プレイとしてはA級だ。あ、遠くにサイレンが聞こえてきた、やりぃ!
え、なんか心なしか車の色が赤いんですけど……。そう、一番に現場に駆けつけたてきたのは、はしご車だった。たしかにどっちも119番だよな。番号は合ってる、が「出初め式してどないするねん」と、突っ込む私は関西人。続いてパトカーが到着し、救急車が来たのは30分以上たってからだった。
でも、救急車が現場から動かない。なんでだよっ! 腕痛いぞ! 救急隊員のおっちゃんがあちこちの病院に電話をかけているのだが、どうやらことごとく断られているらしい。「ま、ここにずっといるのもナンだし、とりあえず動こうか」って、おっちゃん、2軒目の飲み屋探してるんちゃうんやけど……。「広尾病院が1時間待ちらしいけど、いけるみたい」とおっちゃん。
なんかトコトン週末の二次会の店選びの様相を呈してきた。重傷だったら、死ぬぞ、確実に。「家族に連絡しなくていい?」と私の携帯片手におっちゃんが聞いてきた。そうだ、保土ケ谷の帰りに、溝ノ口のりょーこの家で、もみや美咲ちゃんたちが催している宴に参加する予定だった。「あ、家族はいないですけど、ここに電話して『今、事故して救急車で運ばれてるし、今日は行けない』というてください。私、永浜といいます」と、おっちゃんに電話を託すと、そのまんまの内容を伝書バトよろしく伝えてくれる。ま、いーけど、もすこし内容を救急隊員側の意見として緊迫感あるものにアレンジしてもええと思うぞ。そうこうしているうちに都立広尾病院に到着。
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なんでも、2002年7月30日より東京ER・広尾が開設され、24時間体制での救急患者受入体制をさらに強化。救命救急センター医師を中心に組織し、病院全体でこれをバックアップする診療体制、だそうだ。つまり、できたばっかのERを体験できるわけだ。うーん、ラッキー! ってそうか? |
ここらへんからの記憶はあいまいなのだが、看護婦さんに囲まれて下半身の着衣を脱がされ、おむつをはかされる。いやん恥ずかしいぞ。上着は、腕が折れているので、脱げない。「服、切りますよ!」と婦長らしきナースの声に「あーお気に入りのTシャツやのに」と、唇を噛みながら了承する。「高そうなブラジャーだけど、切りますよ」と婦長。いかん! それってタイアップページのクライアントから借りてるサンプル品やん、「だめーっ!」という声も無視され、まずはCT室へガラガラと運ばれる。おお、なんかドラマのワンシーンみたいだ。緊迫した空気の主役にいる現実にちょっとだけ酔う。しかし、病院に着いたとたん、緊張が緩んだのだろう、腕がむちゃくちゃ痛くなってきた。「痛いよー! 痛いよー!」と大声で泣き叫ぶ。レントゲン技師「最後の食事は何時に摂りましたか?」私「10時」技師「え、まだ9時前」私「だから、朝の10時だってば」技師「そんなに前?」私「ダイエットちう(照)」といいつつ「最近、タバコやめて太ったしぃ、いや、保土ケ谷のうどん屋に讃岐うどんの試食にいかねばならないので、お腹を空かせておいたわけだけど、いずれにしてもそれをここで説明してどないするねん!」 というか、なんでこの状況でそんな気遣いしなければいけないのさ、私。MRIとか撮ったらしいが、痛くて記憶がない。手術室に向かうべく、いったん廊下に出ると、もみやりょーこたちが来てくれていた。うっそ! 遠いのに、すまねー! あーんどうしよう……と思いながら手術室へ。
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後で聞いた話だが「こんなとこで待つのもナンやし、みんなでカラオケでも行ってきて」と言ったらしい。さて、ここでも「痛い痛い」とギャースカわめいたら「子どもじゃないんだから」とナースに冷たく言い放たれる。あの世ともこの世ともはっきりしない意識のなかで「この人、痛みに弱すぎる」とA看護婦(=マスク看護婦)のあきれた声が聞こえた。思ったことをすぐ口にする関西人。だって、ごっつ痛いんやもーん。 |
3時間に渡る手術を終え、全身麻酔から覚めると、主治医、横●医師が何やら話している。痛いし、眠いし聞いちゃいねーよってば。運ばれた病室は6人部屋。右隣から轟音といっていいくらいのイビキが聞こえる。左と斜め右向かいのイビキもかなりのボリュームである。折れた骨の髄まで揺さぶる『イビキ三重奏イ短調マタイ受難曲』。思わずナースコールを押し「イビキがうるさくて眠れないです」と訴える。「イビキをかかない人はいませんっ!」と冷たくマスク看護婦。しかし、しぶしぶどっかの処置室に避難させてくれる。ってゆーか、腕すんげー痛いんですケド。「えーん、いたいよー、いたい〜っ!」と叫んでいると、痛み止めの注射を片手にマスク看護婦が現れた。「注射いたいからやだ〜」と泣くと、「打たなきゃずっと痛いですケド」。ま、そりゃそーなんだけどさ、なんか白衣の天使のイメージが壊れる。歌舞伎町とか池袋西口の街角にいる看護婦さん(はあと)のほうが、ナースっぽいぞ、きっと。しかし、痛みは収まらない。眠剤を飲んでやっと眠る。
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