都立広尾病院で繰り広げたお笑い白い巨塔

おサルの闘病(院)
(病院と闘うサルの日記の意)

交通事故で意識を失うほどのケガをしたにもかかわらず、明るく楽しく、思いっきりわがままな入院生活を送った店主・ナガハマ。迷惑を被った人、病院内外合わせて30名は下らないともいわれる9日間の顛末を詳細にリポートしちゃいます。

8月10〜11日
●10日。バイク事故で意識失う、広尾病院にて3時間に渡る緊急手術。
●11日。両腕骨折お手上げ状態。入院生活スタート。夜中にケンカ!

8月12日
●12日。外出許可をぶん取り、取材にgo!。病院で大げんか勃発!

8月13日
●13日。感動秘話。点滴の針が運命を変えた? 留置針挿入成功!

8月14〜15日
●14日。お見舞いラッシュで華やかなウエンズデイ。
●15日。万事休す! 留置針にトラブル発生!!

8月16〜17日
●16日。520病棟、整形外科患者、談話コーナーの集い結束固まる。
●17日。手術室の前でショッキングなシーンに遭遇。

8月18〜19日
●18日。退院前夜。なんとなく寂しくなる。キックの練習開始!
●19日。退院した足で一路、川越へ取材に行く。じゃがりこが旨い。

退院後
●ギプス切断からリハビリまで。

2002年8月10日(土曜日)

バイクで、ドン! グラトラ・クラッシュ

17:40。神奈川県は保土ケ谷の讃岐うどん屋にロケハンへ行くべく、納車5日目のスズキ、グラストラッカー250にまたがり、中目黒から駒沢通りを環七方面へ向かう。いえーい! 第三京浜に乗るのよランランラン♪ 祐天寺付近の四つ角で、スピードを落とした郵便の集配車の横をすり抜けた、と思ったら「げっ! うそっ!」。そこには右折してきたBMWがいるやんけ! ばーん! ハンドルを右に切ったような気がしたが、ここで意識なくなり、記憶途切れる。

ぼんやり意識が戻ったが「あかん、死ぬかも」。胸を強打したのだろうか、呼吸ができないっ! 寝返りをうとうとしたら、腕がしびれるように痛い。これまでの人生で骨折したことはないけど、骨を折ったらこれくらい痛いんだろうな、などと暢気に考える。何が何やらわからないが、少しずつ呼吸ができるようになった。人がたくさん集まっている。そりゃそーだ、だって道路の真ん中で寝てるし、私。自分もバイク乗りだというオヤジがヘルメットを脱がしてくれる。すると「ヘルメットなんか脱がしちゃだめだよ!」と別のオヤジが怒鳴る。「あんたは、なんの権利があってそんなこと指図する!」「なんだとこのヤロ!」。

……、あのー、私、ケガしてんですけど。つーか、いちおう、この場面では私が主役のはず。それなのに二人のケンカが盛り上がる。ふと横を見ると、新車のバイクが横転している。やーん、買ったばっかなのに、ちえ。そしたら「大丈夫?」とバイクオヤジが声をかけてくれた。「交通の邪魔やろし、バイク起こしといてください」と言うと、「よし!」と二つ返事で、引き起こして路肩に寄せてくれた。すかさず、ケンカ相手のオヤジが「事故現場を動かしたらダメじゃないか! 証拠隠滅だ」と鬼の首を取ったかのように怒鳴り、つかみ合いのケンカに発展す。私は関西人なのでよくわからないが、ときにケンカは江戸の華と聞く、私の存在感も薄れるくらいの華やかな内容に、やじ馬もさぞかし満足したことだろう。しかし、救急車が来ない。体中が痛いせいか、もうずいぶん長い時間、道路に横たわっているような気がする。放置プレイとしてはA級だ。あ、遠くにサイレンが聞こえてきた、やりぃ!

やってきたのは 『め組のひと』、真っ赤な消防車


え、なんか心なしか車の色が赤いんですけど……。そう、一番に現場に駆けつけたてきたのは、はしご車だった。たしかにどっちも119番だよな。番号は合ってる、が「出初め式してどないするねん」と、突っ込む私は関西人。続いてパトカーが到着し、救急車が来たのは30分以上たってからだった。
でも、救急車が現場から動かない。なんでだよっ! 腕痛いぞ! 救急隊員のおっちゃんがあちこちの病院に電話をかけているのだが、どうやらことごとく断られているらしい。「ま、ここにずっといるのもナンだし、とりあえず動こうか」って、おっちゃん、2軒目の飲み屋探してるんちゃうんやけど……。「広尾病院が1時間待ちらしいけど、いけるみたい」とおっちゃん。
なんかトコトン週末の二次会の店選びの様相を呈してきた。重傷だったら、死ぬぞ、確実に。「家族に連絡しなくていい?」と私の携帯片手におっちゃんが聞いてきた。そうだ、保土ケ谷の帰りに、溝ノ口のりょーこの家で、もみや美咲ちゃんたちが催している宴に参加する予定だった。「あ、家族はいないですけど、ここに電話して『今、事故して救急車で運ばれてるし、今日は行けない』というてください。私、永浜といいます」と、おっちゃんに電話を託すと、そのまんまの内容を伝書バトよろしく伝えてくれる。ま、いーけど、もすこし内容を救急隊員側の意見として緊迫感あるものにアレンジしてもええと思うぞ。そうこうしているうちに都立広尾病院に到着。

広尾病院にて3時間に渡る緊急手術

なんでも、2002年7月30日より東京ER・広尾が開設され、24時間体制での救急患者受入体制をさらに強化。救命救急センター医師を中心に組織し、病院全体でこれをバックアップする診療体制、だそうだ。つまり、できたばっかのERを体験できるわけだ。うーん、ラッキー! ってそうか?

ここらへんからの記憶はあいまいなのだが、看護婦さんに囲まれて下半身の着衣を脱がされ、おむつをはかされる。いやん恥ずかしいぞ。上着は、腕が折れているので、脱げない。「服、切りますよ!」と婦長らしきナースの声に「あーお気に入りのTシャツやのに」と、唇を噛みながら了承する。「高そうなブラジャーだけど、切りますよ」と婦長。いかん! それってタイアップページのクライアントから借りてるサンプル品やん、「だめーっ!」という声も無視され、まずはCT室へガラガラと運ばれる。おお、なんかドラマのワンシーンみたいだ。緊迫した空気の主役にいる現実にちょっとだけ酔う。しかし、病院に着いたとたん、緊張が緩んだのだろう、腕がむちゃくちゃ痛くなってきた。「痛いよー! 痛いよー!」と大声で泣き叫ぶ。レントゲン技師「最後の食事は何時に摂りましたか?」私「10時」技師「え、まだ9時前」私「だから、朝の10時だってば」技師「そんなに前?」私「ダイエットちう(照)」といいつつ「最近、タバコやめて太ったしぃ、いや、保土ケ谷のうどん屋に讃岐うどんの試食にいかねばならないので、お腹を空かせておいたわけだけど、いずれにしてもそれをここで説明してどないするねん!」 というか、なんでこの状況でそんな気遣いしなければいけないのさ、私。MRIとか撮ったらしいが、痛くて記憶がない。手術室に向かうべく、いったん廊下に出ると、もみやりょーこたちが来てくれていた。うっそ! 遠いのに、すまねー! あーんどうしよう……と思いながら手術室へ。

後で聞いた話だが「こんなとこで待つのもナンやし、みんなでカラオケでも行ってきて」と言ったらしい。さて、ここでも「痛い痛い」とギャースカわめいたら「子どもじゃないんだから」とナースに冷たく言い放たれる。あの世ともこの世ともはっきりしない意識のなかで「この人、痛みに弱すぎる」とA看護婦(=マスク看護婦)のあきれた声が聞こえた。思ったことをすぐ口にする関西人。だって、ごっつ痛いんやもーん。

3時間に渡る手術を終え、全身麻酔から覚めると、主治医、横●医師が何やら話している。痛いし、眠いし聞いちゃいねーよってば。運ばれた病室は6人部屋。右隣から轟音といっていいくらいのイビキが聞こえる。左と斜め右向かいのイビキもかなりのボリュームである。折れた骨の髄まで揺さぶる『イビキ三重奏イ短調マタイ受難曲』。思わずナースコールを押し「イビキがうるさくて眠れないです」と訴える。「イビキをかかない人はいませんっ!」と冷たくマスク看護婦。しかし、しぶしぶどっかの処置室に避難させてくれる。ってゆーか、腕すんげー痛いんですケド。「えーん、いたいよー、いたい〜っ!」と叫んでいると、痛み止めの注射を片手にマスク看護婦が現れた。「注射いたいからやだ〜」と泣くと、「打たなきゃずっと痛いですケド」。ま、そりゃそーなんだけどさ、なんか白衣の天使のイメージが壊れる。歌舞伎町とか池袋西口の街角にいる看護婦さん(はあと)のほうが、ナースっぽいぞ、きっと。しかし、痛みは収まらない。眠剤を飲んでやっと眠る。

2002年8月11日(日曜日)

両腕骨折。諸手を上げてふられてバンザイ!

朝8時。食事が運ばれる音で目が覚めた。うっそ、右手が吊られている。左手もギプスやん。あ、そか、きのう事故に遭ったんだ、私。なんでも『右尺骨骨幹部開放骨折、左橈骨遠位端骨折』なのだそうだ。特に右は骨が折れて、骨が皮膚を突き破ったので、支えとなるチタン製の支柱(創外固定器)で骨折を固定し、ボルト6本でとめているらしい。うわっ! 右の手のひらは、「皮膚の張力、もうこれでめいっぱいっです」というくらい、パンパンに腫れている。おまけに痺れているし、さわってもまったく感覚はない。なにより指が動かないっ! まじすか? 左手は人さし指と中指、薬指がピロピロとかろうじて動くのみ。しゃれならんよなー、どないしてご飯食べるねん! そしたら看護婦の石栗さん(勝手に栗ちゃんと命名)が、おしぼりで顔をふいてパンにジャムを塗ってくれた。眠たそうなしゃべりとは裏腹に、ちゃんとした医療知識に基づいた的確なアドバイスがあったりして、栗ちゃんなかなかあなどれない。メシはまずかったが、初めてホスピタリティーにふれた気がしてやっと人心地がついた。

イソジンで消毒されまくった右手は、黄疸末期のようなダークイエローで、最初はびっくり。パンパンに腫れて痛い。つーか、両腕使えないのはけっこう不便。看護婦さんからマニキュアを落とせとしつこく怒られたが、除光液ないしーとか、あ、忘れてた〜とかを繰り返し、ボケに徹していたら諦めてくれたようだ。吉本新喜劇で、ニッカーボッカー姿の全盛期の花紀京の芸を見て育った世代には「人生、ボケたが勝ち」という価値観が、どこかに潜んでいるような気がしてならない。


でも、トイレはどうするのだ? そういやずっとトイレに行ってないぞ……。なんとなく下半身に違和感が……というか、正直、すんごく気持ち悪い。そう、私の下半身には導尿カテーテルが備え付けられていたのだ。いやだよぅ〜。取り外して欲しいと告げると看護婦さんは「ちょっとヘンな感じしますよ」と言いながら抜いてくれた。“ちょっと”じゃないってば、ヘンな感じは。なんだか強姦された気分。されたことないけどさ。ともあれ、祝・尿道プレイ初体験の巻。

点滴の恐怖。極細血管の特異体質に涙


そうこうしていると点滴の時間がやってきた。 セフェム系抗生物質「ハロスポア」を1日2回注射する。これは創外固定部に細菌が感染し、骨が化膿して骨髄炎を生じるのを防ぐためだそうだ。ここで発覚したのだが、私の血管は、神経とは対極に、人並み外れて細いらしい。おまけにほとんどの血管が表皮から遠いところにあるというか、内側に集まっているので注射の針が入らないのだ。
「あ、これはダメだわ」「あれっ? おかしいな」と、点滴を打つ看護婦さんたちは、口々に『悪いのはテメエの極細血管で、私のスキル云々によるものではないのよ』という意味を端的に表すような独り言をつぶやいては去っていく。いっとくけど、私は子どもの頃から注射が大嫌いなのだ。健康診断の採血でさえ「いたいよーいたいよー」と大騒ぎするほどなのだ。だから、何? と聞かれると困るけど。とまれ、腕だが、針が入る(かもしれない)血管は皆つぶれ、もれた点滴液でパンパンに膨れ上がっている。両足にも失敗した注射の痕が点々と残る。点滴の針が入ったのは、3人目、8回目の針だった。ぐったり。
昼過ぎ、もみが私のマンションから取材ノートやパソコン等を持ってきてくれた。おニューの甚平テイストのパジャマに着替えさせらてもらう。なんか遠目には田舎のガキみたいでまぬけに可愛い。おっ、足はだいじょぶじゃん。歩けるぞ! 「これなら明日の取材もいけるカモ」、なんて話をしていたらプレジデントの大内さんがお見舞いにきてくれた。手術室に入る前に、もみに月曜にアポ入れしているクライアントに電話してもらってたのだった。いのうえ画伯も「どうよ?」とやってきた。3人で和気あいあいとしばし過ごした後、大内さんは、ごく当たり前に「じゃ、明日の取材よろしく」とにこやかに帰っていった。

左は不自由な両腕で、バナナがむけずにむずがるサル。右・まるで新生児のように足に名前と生年月日入りのバンドをまかれる。年齢ばれるじゃんかよ!注射の痕が痛々しい足。


振り返れば、彼女の普段通りのニュアンスの「明日よろしく」で、腹をくくったような気がする。謝謝。今回、「いい機会だし、ちょっと(しばらく)休んだら?」と、優しい言葉をかけてくれた人もたくさんいた。まっことありがたいことだ。でも、フリーランスの悪いくせで『ちょっと(しばらく)』の部分が『ずっと』に聞こえてしまう、というか、勝手に差し替えてしまうのだ。世間から忘れ去られる寂寥感ったら、骨折の痛みの比ではない。こういう風に考えるのは、概ね私の性格の悪さに由来するものなのだが、関西人気質も大いに関係するように思う。話はそれるが今回の私の事故&入院についての皆さんの第一声を集めてみた。

関東人

関西人
だっだいじょうぶっ!!! ほっんまに、アホかいな(笑)
大変だったわね、大丈夫? なにやってまんねん(笑)
お体のお加減はいかが? 電話に出れるんや(笑)。なんや、どーもないやん。
だっせー! ほんまに、笑わしてくれるわ。
どうしたんですか? 大丈夫なんですか? ネタですか?
いったい何があったんですか? 生きとるようやな。大げさやっちゅーねん。


笑われてナンボの関西人は、心配されれば、されるほどだんだん不安が募る。笑われたり、ボケられたり、コケにされると元気になってくる不思議な生き物なのだ。ああん、血が恨めしい(笑)。

電脳BOX設置完了。永浜商店臨時分室稼働す


もみが「ファクスきてたよ」と手渡してくれたのは、某誌のレイアウトだった。私の体は、レイアウト用紙を見ると、すぐ書くかどうかという問題は別として、反射的にパソコンの電源を入れる仕様になっている。レイアウトには『月曜日のお昼までにいただけると幸いです』なんて書き添えてある。そうか、幸いなのか。人の不幸は蜜の味。「人の不幸は大好きさ」とBOOWYも唄ってたけど、人間、弱っている(体だけ)ときは、人に優しくなれる。よーし、幸せにしてやるぜ、Satoko(注・担当編集者の名前)。iBookの電源を入れて遊んでいると、看護婦さんに見つかった。「病室の電源は医療器具を使うためのものです」。そっか、じゃ充電したものならよいのだな。蓄電分は今夜の原稿書きにおいておこう。とりあえず明日の取材のための外出許可をもらう。
夜の点滴の時間だ。やっぱり針が入らない。看護婦2人、医師1人を以てしてもダメ。「いたいよー」と泣き叫ぶ私。ようやく4人目のちょっと男前な伊藤先生(計11針目)がむこうずねに針を入れてくれた。でも、むちゃ痛いんだ、これが。点滴が終わって、ふと尿意を感じる。って、おい、両手動かないじゃんよ。どーしよー! と案ずるままにトイレにいく。足で便座のふたをあける。キックボクシングをやってるせいか、片足を安定させたままもう一方の足を高くあげて自由に動かすことができるのね、私。おお、芸は身を助ける。そしてギプスの先にパジャマをひっかけ、かなりまぬけな動きではあるが、足をもじもじさせて下に下ろすと!!! なんじゃこりゃあぁ。私の下半身には、T字帯というふんどしみたいな下着が着けられていた。おお、『兄貴!』って感じ。なるほど、この構造なら比較的簡単に用が足せる。
で、おしっこする。……が、しかし。拭けないっ! えーってことは看護婦さんに拭いてもらうわけ? 男子なら萌え萌えなシーンだろうが、女の私としてはできれば越えたくはない一線だ。せめても、と、ウォシュレットのスイッチを入れ腰をふりふり動かしてまんべんなく洗う。かなり、笑える動作である。トホホな気分で看護婦さんを呼び、トイレットペーパーで拭いてもらってT字帯を着けてもらったが、なんか大切なものを喪失したような気分がした。

消灯後、こっそりパソコン電源を入れやっと動く左の3本の指で原稿を書く。ネット接続はエッジを使用。『PHSの電波は医療機器の電波を妨げない』をエクスキューズに、こっそり病室備え付けの引出に設営したナガハマ電脳BOX。足音がするたび、引出を蹴飛ばし、ふとんを被ってインチキなイビキをかいてごまかすという、まんま猿芝居を退院まで繰り返す。

夜中、シタタタシタタと、キーボードを打っていたら看護婦さんに見つかってしまった。

ナース「パソコンは禁止です!」
私「えーだってほかの看護婦さんは充電してたらいいってゆったもん」
ナース「『入院のご案内』に書いてあるはずですっ」
私「そんなん知らん」
ナース「昨日、渡しているはずです」
私「昨日って、私、手術の後、麻酔効いて寝てたし、読んでないもん」
ナース「とにかくルールは守ってくださいっ!」
私「あーわかりましたっ! これ書いたら消すし。あーもう、こんなとこいてられへん」
ナース「退院しますか?」
私「はい、明日、しますっ!」 続く