ダイ エド   ニッキ  *ダイと発音してください。

実験! 大江戸日記

「笑点」や「萩本欽一」の芸の面白さがまったく理解できない、
根っからの関西人である店主が、江戸で巻き起こす数々の騒動を綴った日記。
遵法精神が根づく東京で、アナーキーな関西気質を持って挑むと、どんな反応をされるか。
その実験をライブ収録。東西比較文化論になるか、否か?
 たぶんならない、と思う。

●1月10日 「えべっさん」
自動車教習所の教官に「今日は何の日ですか?」と聞かれた。迷うことなく私は「えべっさんです」と答えた。そう、元気よく。教官はしばし、ポカンとした顔をしたが、すぐに威厳を持った表情で「110番の日です!」と声を荒げ、オートバイによる事故率の話などをした。ええっ? 1月10日といえば、関西では「商売繁盛でササもって来い!」の十日戎の日と決まっていいるやんけ。中村美津子の「大阪情話」(作詞・もず唱平)にも「〜飛田のお店に出るという〜♪ 十日戎の前の晩〜(しかし、すごい歌詞だ)」という台詞がある。東京でのカルチャーショック・ベスト5に入る事件であった。

●11月16日 「おのぼりさん」
田舎ものの私だが、たまに東京で道を聞かれることがある。特に近所を歩くときは、小汚いカッコをしているので、地元民と思われるのだろう、よく道を尋ねられる。我が家の近所は、おしゃれなスポットとして雑誌等で紹介されていることが多いせいか、休日などはちょい訛りの入った若人たちが、わんさかやってくる。「すみません、ハリウッドランチマーケットはどこですか?」「あ、こっちちゃいます。ほな、そこの広い道出て、左に曲がらはったら、右側にあるし」と、思いっきり関西弁で答えてあげると、すごく嫌そうな顔をするので楽しい。

●10月30日 「京都慕情」
東京の人って京都が好きだ。「どこらへんが?」と返すと「うっ」と言葉に詰まる人が大半だが、とにかく、私が京都出身だというと必ず「いいですね〜」と言われる。なかにはすごく京都に詳しい人もいて、ずらずらと名所・旧跡をあげられると、今度はこちらが「うっ」と言葉に詰まるのだが、私は、今まで清水寺にも、三十三間堂にも、平等院にも行ったことがない。いもぼうも、手桶弁当も食ったことがない。私が好きな京都は、今はなき、曙会館のバターリングラムだったり、千本のどらっくすとあだったり、京大西部講堂拾得だったり、ラーメンは天下一品がディフォルトだったりするので、京都好きさんたちとは、どうも相容れないようだ。誰か、私を京都に連れてって。そして京都を案内してください。

●9月9日 「青空球児・好児ファッション 」
東京の下町でよく見かけるオヤジファッションに、紺ブレザー&金ボタンに、白のハイネックという、まるでオリンピックのラインズマンのようなファッションがある。名付けて『青空球児・好児ファッション』。商店街のオヤジが、組合の会合の際のちょっとおしゃれしてみましたっ! という感覚。あるいは、現役リタイアオヤジのお出かけ着なのだろう。関西では、往年のやすし・きよし以外、あまり見かけないファッションその1。

●7月24日 「東西南北」
聞くところによると、東京人は、道に迷っても人に尋ねないらしいが、私は官庁の前で警備する警察官であろうと、信号で隣り合わせたバイク便のにーちゃんだろうと、ちょっとでもわからないことがあれば、どしどし質問する。関西では「次の角を西に曲がって、南へ2筋目を東」というような教え方なのだが、東京は道が曲がりくねっているせいか、東西南北で道路を示さない。常に「右か左」だ。東西南北だと、頭の中に地図も描きやすいが、右と左だけでは、どうもイメージしにくい。そして、僕は途方に暮れる。

●4月6日 「どこでも漫才」
大阪から引っ越してきて8ヶ月。未だ住民票を移してない私。これはいかんと大阪市中央区役所戸籍登録課に電話をした。係のオヤジ(以下係)「中央区から何区へ〜?」私「東京です」係「トウキョウ! ははは〜! そーですか〜、そらえらい遠いとこに(笑)。ほなら便せんに、なんで登録遅れたか理由書いてください。そやね、忘れてたとか、じゃまくさかったとか……、なんでもよろしわ」私「そ、そんな理由でいいんすか? 忘れてたいうても(ワンテンポ間をあける)、もう8ヶ月ですやん!」係「ま、それもそやね〜。ほな、忙しかったよってにとかにしといてくださいな。たのんます〜」。実際はもっと長い会話なのだが、オヤジのテンポのよすぎるしゃべくりに、自然とボケて突っ込む私。最初から最後まで、漫才のようなやり取りが続いたが、おっちゃん、あんたはたしか、公務員……。転入届をする目黒区役所では、こうはいかないだろうなぁ、つまんない。

●3月5日 「『け』の男」
中目黒にベーグルとカプチーノのおいしい店を見つけた。窓際に陣取り、ずずっとカプチーノをすする私。な〜んかおっしゃれじゃ〜ん! 隣のテーブルには、いかにも業界風のカッコいいカップルが「買い物途中にちょっと寄りました……」てな普段着でベーグルを食べている。しばし、でき過ぎたシーンに浸っていると、カッコいい男は言った。「俺、もおええわ。おまえ食えや」。げ! 大阪弁やんけ! さらに男は「しゃーから、行けへんかってんや」とか「かめへんで」etc……。関西人ならおわかりかと思うが、これは大阪でもかなりディープな大阪弁である。おそらく出身は、河内か泉州……。いずれにしても北摂ではない。そうこうしているうちに彼は「おう、ほな、行こけ」と席を立った。いや、彼は万人が認めるカッコいい人なのだ。だけど、だけど……ディープ大阪な物言いが素直にそれを認めさせない。語尾の「け」は、ハレからいきなり「ケ」に陥れてくれる。などと、べたな韻を踏んでしまうほど、それはカッコよくないのだ。でも、、そう考えるのは、関西人である私だけで、東京の人にとっては違うのかもしれない。東京の皆さん、関西弁を話す女をいかが思われますか?

●2月28日 「おととい来やがれ」
先日、ロケの移動中にまずいラーメン屋が多いという話題のなかで、江戸っ子カメラマンは言った。「しょっぱいラーメンなんて、あんなのおととい来やがれって感じだよ」。おお! 江戸だっ! 感動!!! 感動!「ついでに“てやんでぃ! べらぼうめ!”もお願いします」とリクエストしたのだが、こちらのほうは日常会話にはあまり登場しないとのこと。ところで、この「おととい来やがれっ」を関西弁に翻訳しようとしたのだが、ジャストな言葉がみつからない。今後の研究課題として、がっぷり取り組みたいと思う次第である。

●2月17日 「ヒロシ亜種」
麻布十番の老舗の豆屋で豆菓子を選んでいた。そこで頭の上にサングラスを乗せ(つまり漫画『ド根性ガエル』のヒロシ状態)さらに、サングラスをかけているオバサンを発見。いずれのサングラスも、フレームの太い、グラデ系のいわゆる“おしゃれサングラス”。頭に乗ってることを忘れているのか、はたまた東京流のおしゃれなのか? あるいは、用途、状況に応じて2種類をかけかえるのか? 目が4つあるのか? 関西でも大阪の大和川以南でよく見受けられるスパッツ&パチもんブランドロングTシャツ、モヘアにラメを編み込んだセーターをお揃いで着用する二卵性母子(東神戸)など、地域によってトレンドから独立した特有のファッションがあるが、ヒロシ流サングラスは、麻布十番ジモティーオバサンを主張するおしゃれなのだろう、きっと。知らんけど。

●1月30日 「関西ビジネス用語」
東京で関西弁で声高に話していると、よくじろじろ見られる。特に関西人の目上の人と話すときに用いる、関西弁の敬語を使うとそれは、よりいっそう顕著になる。吉本芸人の功績で、関西弁のタメ口は、よく広報されているのだが「どないしゃはりますのん」とか「そら、ええですやん」「いや、あきませんて、やめときはったほうがよろしいて」「ほな、そうさしてもらいますわ」「おおきに、すんません」といった、関西ビジネス用語は、江戸ではかなり珍しいらしい。でも、ふと己を省みると、街や電車の中で関西弁を耳にすると、ついつい振り返ってしまう自分がいる。そうか! 私の関西弁に敏感に反応して、凝視するのは、もしかして関西人? 

●1月6日 「東京の笑い」
関西と東京の笑いの違いについて書きだすと、最大75MBのHPにはとても入りきらないが、わかりやすい部分でいえば、東京はダジャレがひとつの礎になっているようだ。「春はみんなまじめになるんですよ。『春は申告(深刻)の季節』なーんて」。「金属学科だったんですか?」「そうそう、金属(勤続)30年」。「あっ、流し目になってますよ、茂雄さんですか? 『ナガシメシゲオ』なんちゃって」、「傘をなくしたときは、赤坂見附(あ、かさ見つけ)に行ってください」。「ホンダはH.ホンダポルノ(プリオ)」……私は、まじで死ぬかと思いました。これらの話を聞いた関西人は、どうリアクションすればいいのか? 東京在住4ヶ月。未だその術を見つけられず! もしかしてこれは、こちらの戦意を喪失させる戦法か? はたまた確信犯なのか? 

●12月27日 「関西人DNA」
いまさらではあるが、東京はとにかく人が多い。たとえば、地下鉄の地上にあがる通路などで、人が横に2人しか並べないケースがままあるのだが、みんなじっと通路に並んで、地上まで牛歩状態で進む。この日使った虎ノ門の3番出口も細かった。当然、みんな階段と平行に立っているのだが、私はこういう場合、いつでも体が斜めに傾き、左肩が前のオヤジの右腕より前に出ている。そんなことしても、決して早く進めるわけがないのは重々承知だ。しかし、これも悲しき関西人イラチDNAの仕業なのである。

●12月22日 「なめとんか」
ある代理店で打ちあわせをしていた。デザイナー、ディレクター、そして営業部長。大阪から単身赴任をしているというその部長は、私と同じく東京人の前では、関西タレントがテレビで使っている、いわゆる標準語イントネーションを織り交ぜた翻訳関西弁を使っていた。そこに、クライアントからアポの10分前にドタキャンの電話。その知らせを聞いた部長「なめとんか」。くわえていたタバコを差し上げ「火ぃつけるぞ」。「家燃やしにいったろか!」。そう、これが関西人。ムカッときたとき、最初に口をついて出てくる言葉は「なめとんか」である。流ちょうな標準語が使えるようになっても、腹が立ったら「なめとんか」。口に出さないまでも、心の中では「なめとんか」。正しい発音で聞きたい方がおられたら、ケンカ売ってみてください。「なめとんか、コラ!(コはゴに近い発音)、しゃーきあげんど(しばきあげる=殴る)ボケ!」と返してもらえます。

●12月15日 「東の恵比寿と西の恵美須」
京橋、日本橋、谷町、梅田、本町……。大阪と同じ地名って、東京にもけっこうあるもんだ。しかし、東西のコントラストが一番きっついのは、なんといっても「えびす」である。東の「えびす」のランドマークが恵比寿ガーデンプレイスならば西は通天閣。東の駅前ショッピングがアトレならば西は3階建てなのに、なぜかの「五階百貨店」。東がウエスティンホテル東京ならば、西は素泊まり1000円(テレビ付きなら1500円)。でも「えべっさん」がキャラクターなのはどっちも一緒。大阪府民よ、私が「うち、恵比寿からも10分くらいやねん」といっても、そこには、道路で寝ている(暮らしている?)おっちゃんもアニオタもいません。誤解しないでね(笑)。しかし、かくいう私も「えびす」という響きを聞けば、あの「来た! 見た! 買うた! の喜多商店〜♪」の超ベタなCMが頭をよぎります。もちろん「京橋」という文字を見ただけで「きょうばっしは〜ええとこだっせ〜グランシャトーがおまっせ」と歌っています。擦り込みとは恐ろしいものである。

●11月11日 「大阪はじめ」
大阪の古いものまね芸人に『大阪はじめ』という人がいる。この人は開口一番「ものまねの大阪はじめです」というのがお約束らしいが、悲しいかな私は本物はもちろん、テレビでも彼を見たことがない。それなのに、歯医者で治療中、突然「ものまねの大阪はじめです」というセリフが頭の中でリフレインするではないか! バキュームを口に突っ込まれた姿のまま、笑いが止まらなくなり、呼吸ができないっ!ああ、それなのに頭の中は大阪はじめでいっぱい。もちろん、歯科医は、そんなこととは露知らず、治療を続ける。さ、さ、酸素をぉ〜! 手が痙攣しはじめ、気が遠くなりかけたが、それでも大阪はじめ。まじで、死ぬかと思った

●11月1日 「京都人のケンカ」
フレッツ・アイつなぎ放題はじめちゃんにしたはよかったが、これが全然つながらない! NTT、プロバイダにたらい回しにされたあげく、どうやらMacではスムーズに使いこなせないらしいことが判明。フレッツ開設と同時に、テレホを解約したもんだから、ネットをつなぐたびに、ドキドキしてしまう私は、悲しき貧乏人。みんなビンボが悪いんや。チューリップのアップリケ♪ とまれ、連日NTTと戦いの日々を送っていたが、とうとうキレた私。影ではボロクソ言うくせに、人前に出ると小心者という典型的な京都人である私は、顔の見えない相手とのケンカはめっぽう強い。「オノレのとこの説明不足と事前調査の不備で、おもくそ迷惑被ったあげく、料金が発生するとは、どないな了見やねん。しばくど、コラ! いてもたろか!」という主旨を丁寧な言葉で交渉した結果、フレッツの料金をチャラにすることをNTTに認めさせた。やりぃ!

●10月25日 「宵越しの金」
五反田へ出かけた。帰りに「中目黒までならバスが便利ですよ」と聞いて、こりゃラッキ! とばかりにバスに乗り込んだ。バスは走るヤッホー。大崎、南馬場、青物市場……? おいおい、なんやそれ? げっ、逆向きやんけ! と気づいたが、時すでに遅し。ああ、ここは大井町。( ̄▽ ̄)V いえーい! トゥインクル・レース♪ って競馬してる場合ではない。とりあえずバスから降りたものの、とたんに心細くなる。だって財布の中身は2000と小銭が少し。ううっ河内音頭と高橋竹山「津軽三味線のすべて」のCDを買ったばっかりに……。世に江戸っ子は宵越しの金を持たないと聞く。が、しかし私は関西人。バス代を残し、バス停前のパチンコ屋で勝負を挑んだ。1500円目できた『777』。おお神よ! そこからなんと10連チャン(2箱減らし)。神様ありがとう! 

●10月22日 「悲しき関西魂」
東京では、関西人だというだけで、嫌われたりバカにされたりすることが少なからずある(腹の底で思ってる人含)。しかし、圧倒的に多いのは“何かおもしろいことを言うこと”を期待されることだ。でも、黒人にもリズム感が悪い人が、京都人にも性格のいい人がいるように、関西人すべてが漫才師ではない。とはいうものの、期待されると過剰にサービスしてしまうのも、是、関西人の悲しい性。「おもろない」と言われるのが、最大の屈辱である。「いい人」とか「仕事ができる」とか「きれい」とか「賢い」とか「可愛い」とか、世に賛辞のセリフは多々あるが、悲しいかな! 私は何より『おもろいヤツ』が一番うれしい。血が少し憎い(笑)。

●10月15日 「罪を憎んで」
鎌倉に出かける。おやつどきに甘いものが欲しくなり、茶房でところてんをオーダーした。運ばれてきたところてんは、なにやら蜜が薄い。顔を近づけるとツーンと酢の臭い。ズズっとすすると「げげげっ! 酸っぱいやんケ!」。そう、京都生まれの私にとって、ところてんは黒蜜で食べるのが常。こんなのおやつじゃないよぅ、(涙)。しかし、辛子を混ぜて食べるとそれなりに味がシマリ、それはそれで悪くはない。だが、調子に乗ったのが悪かった。夕刻、先日大阪に帰った際に、食べそこねたお好み焼きを食べてしまったのである。ああああああああ、驚愕! 味については、もう何も言うまい。罪を憎んで犬を憎まず。ただ、ただ、私が悪かった。

●10月10日 「横列乗車」
大阪に帰った。地下鉄堺筋本町駅で、電車を待っていたのだが、線路対して90度の角度で、縦列に並んで整列する東京とは異なり、大阪ではホームに添って、いわば横列に並ぶ。電車が入ってきた。電車が停まると、ドア付近にわらわらと人が集まり扇状を形成する。もちろん、大阪では降りる人と同時にホームで待っていた人も電車に乗る。つまりドアの両わきからそれぞれ一人ずつ乗り、その真ん中から降客が降りてくるのだ。これはこれでシステマティックで、待ち時間が短く、イラチな私にはピッタリ。また、横列乗車の場合、たまにドアが停止位置からズレて自分の前に停まると「当たりっ!」てな具合で、ギャンブルっぽくってよいものだ。

●10月6日  「中華思想」 
東京に住んでほぼ1ヶ月が過ぎた。順応性に富むというか、こだわりがないというか、魂がないというか、3日ですっかり江戸の空気に馴染んでしまった私。東京って、いちおう表向きはみんな親切だし、マナーもいいから住みやすさ抜群。しかし、ひとつきっついカウンターパンチをくらったことがあった。和気あいあいと盛り上がっていた酒の席で、ある東京人は言った。「ところで、まだ標準語に直さないの?」。おいおい、ワレさっきまで、わしの関西弁マシンガントークに大笑いしとったんちゃうんかぃ! 親切にもその人は、アクセントの矯正までしてくれた。前にも述べたが、そこそこ郷に従うことに抵抗はない私だが、関西弁(私の場合は京都弁)は、標準語とことごとくイントネーションが逆になるため、ほかの地方出身者より標準語に矯正することが難しい。つまり直さないのではなく、直せないのだ。また、東北や九州の一部、沖縄など、単語からして標準語と異なる方言なら、コミュニケーションそのものが困難になるため、バイリンガルにならざるを得ないが、関西弁は吉本興業の営業力のおかげか、なまじっか通じるから不都合を感じないことも理由のひとつ。でも「標準語に直す」って、なんやねん!「直す」ってさっ! 嗚呼中華思想!

●10月1日  「捨て身ネタ」
前にも述べたが東京人は歩くのが遅い。気がつけばいつも、アメフトでボールを持って突進するような動きをしている私。この日、年がいもなく厚底サンダルで走っていた私は石畳ですって〜ん! と景気よく転んだ。そういや、以前、有楽町の駅の階段を上から下まで正座の姿勢で、ずずずっとすべり落ちたこともある。そのときもそうだったが東京の人は、皆「大丈夫?」と心より心配そうな声で安否を気遣ってくれる。有り難いことだ。しかし、そう言われるとなんだか照れ臭い。大阪では、まず大笑いされた後に「大丈夫かぁ?」だ。笑ってもらうと「ダイジョブ、ダイジョブ」と言いながら、もう一度、ワザと転んで「なんでやねん」とボケ、「どこが大丈夫やね〜ん!」と突っ込んでもらう。こうして、転んだ恥ずかしさを払拭するのであった。

●9月26日  「ドライビング・マナー」
四谷に出かけた。時間があったので界隈をブラブラしながら、ふと車の流れに目をやった。なんと! 東京の車は、ウインカーを出すと親切に合流させてくれるではないか! それも合流する側も、前の車を合流させた本線の車を見送ってから、次の車の前で合流する。大阪ではひとたびウインカーを出すと「誰が入れたるかい!」と、テール・トゥ・ノーズ状態になるのが常である。また割り込む側も、前が割り込んだら「オレもワシもウチも」と、人の弱みにつけこむごとく、なだれ込む。おお!東京、素晴らしき遵法スピリッツ! ところで信号の黄色は、関西人の大半が「注意して渡れ」だと認識しているが、東京では「止まれ」の意味らしい。

●9月24日  「商人(あきんど)とは」
歌舞伎町で、友人たちとカラオケ屋を探していたら客引きのにーちゃんに声をかけられた。「私ら今、ここの店(目の前の店)に行こうと9割思ってたんや。あんたとこ行くなら、行くだけの付加価値がないとなぁー」というと、3時間利用するなら、平日料金にしてくれるという。「私ら、2時間でええねん。しゃーないなぁ、3時間にするし、飲み放題つけて!」「うーん、それは……」「ほな、やめようかなぁ」ということで、3時間飲み放題付き3000円に。「もうひと声いっとこ!」とさらに2500円までの値引きに成功! カラオケ屋に向かう道で「商売いうのは損して得取れ。最初は赤でもリピーター育てることが大事!」とにーちゃんに説教をたれて、さらに嫌な関西人を演出。この一連の話を聞いた東京人は言った。「それって、値引きに成功したというより向こうが単にじゃまくさくなったんじゃない?」。ちなみに私がカラオケ屋に滞在した時間は5時間であった。

●9月22日  「既成概念」
都営新宿線に乗って西大島の友人宅へ行く。ここでも驚かれたが、ディスカウントショップで値切りした話は、東京人にとって驚愕の話らしい。「すでにディスカウントされているのに、値切るなんて!」というのが東京人にとっての共通意見。つまり東京のディスカウントショップは「もうディスカウントしている店」。対して大阪のそれは「さらにディスカウントする店」なのである。賢さが1アップした。

●9月21日  「郷に入れば……」
ゆりかもめに乗って、国際展示場に出かけた。新橋の駅は、乗り場までちょい長いエスカレーターがあるのだが、東京では右側がいわば追い越し車線。急ぐ人用に右側を空け、止まったまんまエスカレーターに身をゆだねる人は左側に立つのがルールである。ちなみに関西は、海外と同じくこれの逆。これまでの習慣で、つい右側に乗ってしまう私は、仕方がないのでそのまんま、ずんずんエスカレーターを階段のように昇るのが常である。まぁ、元来イラチ体質なので、大義はない。郷に入れば、そこそこ郷に従うことはやぶさかではない素直な私だが、昨日、パチンコ屋で、いつものようにハンドルを握っていたら「10円玉をはさむと楽だよ」と教えてくれた親切なおっちゃん。おおきに。せやけど、すまんの、ワシ、それだけは右腕がふたつに折れても、江戸流に従うつもりはないんや。そんな横着かましたら、博打の神様に怒られる。台に真摯な態度で挑む私に、必ず栄光はある……いや、きっとあるはず。おそらく……たぶん、ある……と信じたい……。

●9月15日  「玉砕!」
ふらりとディスカウントショップの前を通ると、欲しかったパイプユニットのワゴンがあった。私「これナンボになるの?」、店員「6800円です」、私「いや、それは見たらわかる。で、いくらで売るの?」、店員「ですから、6800円」、私「組み立てるの面倒やし、この展示もんでいいから、安くならんの?」店員「いえ、決まってる値段ですから」私「ほな、この電子レンジも買うから、ふたつでいくら?」。店員の差し出した値段は、単純にふたつの合計。ここはディスカウントショップちゃうんか〜い! 私「決まってる値段って、誰が決めてんのん!」店員「それは社長が……」。その社長とやらに掛け合ったのだが、ただひたすら「決まってる値段です」を繰り返すばかり。商売って、買い物って店と客とのかけ引き・コミュニケーションではないのか? 大阪なら当然、値引き交渉の後「いや、この端数がいややなー、これ取って」「殺生やで、ねーちゃん」「ほな、消費税まけてぇな」「ギリギリでっせ〜首くくれいいまんのか」などと、話が進むのが常であった。配送費ひとつ500円×2=1000円のところを「手間一緒やん!」とふたつで500円にするのがぜいぜいの私。完敗! 玉砕! 砂漠で生きて行く私。うなだれる首。東京で暮らすことに大きな挫折を感じた。

●9月13日  「江戸文化」
寿司、うなぎに並び、関西人にとって、メシの三大難関である、蕎麦屋の暖簾をくぐる。麹町にあるこの蕎麦屋は、東京でも筆頭に上げられるほど、ストイックな店らしい。シンプル(質素)で静かな店内には、金と時間に余裕のありそげな客がお行儀よく蕎麦をすすっている。メニューはない。席に付くとお通しと日本酒が出てくる。おいおい、昼やで。そうか、これが“江戸”なのね! なーんとなーく手持ちぶさた……という頃合いに、ざる蕎麦が出てきた。量、少ねーじゃん!「コレハ、わんこ蕎麦デスカ?」とフィリピーナのフリをして尋ねたかった。それだけではとても足りないのでもう一枚追加する。次に漬物の盛り合わせと蕎麦湯が登場。い、いかん! のどが渇いてきた。「お茶くださーい」とオーダーすると、橋田壽賀子のドラマに出てくるような、純朴だが薄幸そうな女主人は「お茶は最後に出てきます」、私「はあ、そうすか、でも、のどが渇いて……」、女主人「では、お水を」。わ! 京都の老舗並のイケズやん! そうか、江戸では蕎麦を食べるときにお茶を飲むのはセオリー違反なのね。でも、蕎麦はおいしく、満足、満足。しっかし! 3人で1万8000円也! 地面に額をつけて「お許しください」と泣きたい気分(自分で払ってないけど)だった。まっこと江戸の文化は難しい。

●9月11日  「デブ」
両国に行く。駅の東口と西口を間違えて、キョロキョロしていたら「どん!」と何かにぶつかった。振り返ると「わっ! デブ!」。そう、その巨大な物体はお相撲さんだった。大阪時代は、タニマチの語源ともなった谷町九丁目に住んでいた私にとって、力士はそれほどめずらしくもない(大阪場所時期の谷九界隈の夜中のコンビニは力士の宝庫)のだが、さすが両国! 力士がうようよ。ちゃんこ屋もわんさか。ところで両国は、サラリーマンは別として、地元民と思われる人々もなぜかデブが多い。でも、この街なら「ああ、相撲関係者かなぁ〜」と善意の解釈をしてしまう。そうか! 私もデブになったら両国に住もう。

●9月8日  「民度の差」
引っ越し以来、たまりにたまったゴミを捨てるべく、マンションの管理人のおじさんにゴミ捨て場を案内してもらい、ゴミの捨て方のレクチャーを受ける。燃えないゴミもいろいろ分別があり、飲料水と缶詰めの空き缶も種別が違うらしい。東京人って民度が高いのか? 大阪では、なんでもかんでも黒いゴミ袋に入れて「うりゃっ!」と捨てていたアナーキーな私。ゴミの分別だけで、すでに東京で生活していくことに軽い挫折を感じる。おまけにゴミ袋は、みんな東京都指定の白い袋を使っている。私「あれ使わなあきませんの?」、管理人「まっ、原則としてはねー」、私「原則っすね!」、管理人「そうそう原則」、私「原則は……、ですよね」(しつこい)、管理人「うんうん原則」。お互い顔を見合わせてニッコリ! ええおっちゃんや!

●9月7日  「異邦人」
大阪より後輩のデザイナーUくんが就職活動のため上京。ふたりで中目黒のおっされ〜なカフェに行く。大阪は住之江区在住の彼と私の関西弁機関銃トークの威力は、両わきのテーブルに座る、きれーなおねーちゃん方のカップを持つ指の動きを止めるに十分すぎたようだ。会話を止めて私たちのしゃべりに耳をすましている様が視界の端っこに入ってくる。そして、クスクス……、時に爆笑。悪かったの、ボケ。見せもんちゃうで。

●9月2日  「牛歩」
新宿までパチスロに出かけた。パチスロのことはさておき、東京人は歩くのが遅い! 大阪のつもりで歩くと、必ずや人にぶつかる。細い通路など、前の人がなかなか進まないので、まるでバスケのディフェンスのような動作で体を右に左にふって、敵のすき間をみつけようとするのだが、いかんせん、誰も後ろの苛立ちを理解してくれないようだ。交差点でも皆、自分が渡る前方の信号を見ている……。信じられない光景だ。イラチ度の高い関西では、横を向いて車側の信号が黄色になればGO! また黄色の信号で車も人も止まる光景も初めて経験した。

●9月1日  「横着パチンコ」
中目黒の駅前にはパチンコ屋が3軒ある。1軒は昨日偵察済み(収支トントン)。今日は残り2軒を襲撃だ! 12500発で、38500円也。噂には聞いていたが、東京の換金率の高さに狂喜する。怒れ、大阪府民よ! しか〜し、確変に気を良くして、ふと周囲を見回すと、なんと、ハンドルを握っているのは私だけ。皆、ハンドルにコインを差し込んで固定し、腕組みをしたり、タバコを吸ったり、果ては競馬新聞を読んでいる輩までいるではないか。東京のパチ・ファン、あなたたち、お行儀が悪すぎます! ハンドルを己の手で握って、こそ、パチンコの愉しみなのではないのか? 保留玉が満杯になれば、打つのをやめて出玉を稼いでこそ、博打じゅあないのか? 台に打たせたまま、中座するなんて……。それじゃあ、寝て果報を待つ、宝くじと一緒やんケ! プンプン! おまけに、パチンコ屋でナンパしてこないでよね。私にとって、パチンコ屋は、真摯な態度で台と対峙し、イチかバチかの勝負をかける神聖な鉄火場なのだ。

●8月31日  「元気ハツラツ ジャイアンツ」
東京へお引っ越し! 段ボールの解体作業に性も根も尽き果てる。夕方、朝から何も食べてないことに気がつき、近くの定食屋へ。銀だらの煮付けは、なかなかおいしく、大満足。店のテレビは阪神・巨人戦をつけていたのだが、阪神のチャンスに「おっ!」と歓喜の声を上げた私に、客どもの冷たい視線が突き刺さる。うっ、これが東京砂漠の悲しさなのね。胸の奥で「どっからでもかかってこんかい!」と、思わず拳を握ってしまった。

●8月15日  「難解な幹線道路」
東京の道はわかりにくい。道路が碁盤の目のように整然と敷かれている京都に生まれた店主にとって、道が湾曲していると三半規管がまともに働かない。中目黒の駅から新居まで、線路に沿ってまっすぐ歩いているのに、なぜとんでもない場所に出てしまうのか? 太い幹線道路がいきなり細くなったり、くねくね曲がるのはなぜ? 大阪の御堂筋も、京都の河原町も、神戸のフラワーロードだって、太い道はみんなみんな太いまま、どこまでもまっすぐである。目的地はすぐそこに見えているのに、いつまでたってもたどりつけない。もしかして、見えているように思うレンガ色のマンションは、砂上の楼閣? 蜃気楼? うーむ、不条理だ……。

●8月14日  「恥の沸点」
代官山で、大阪の泉佐野在住、本町勤務の大学時代の友人と10年ぶりにバッタリ。「難波の駅でなんぼでも会えるちゅーに! なんでこんなとこで会うね〜ん!」と、関西弁丸出しで、しゃべっていたら、周囲から珍しい生き物を見るような視線をあびた。ふんだ! 夜、友達夫婦と錦糸町でうまいプルコギを食した後、秋葉原から日比谷線に乗ったのだが、なんと前の座席に座っていたサラリーマン風の男性が、いきなり指を鼻の穴に突っ込んで、ホジホジし始めた。そして、指で何かを丸め始めるではないか! 「おいおい、うそやろ〜」と思っていたら、その指をそのまま口へ!!!! ぎゃあああああああ! 整理整頓が大嫌いで、足の踏み場を探すのに困難を極めるほど、散らかり放題の部屋に住んでいる超アバウトな性格の店主だが、学生時代、歯医者の助手のアルバイトをしていたとき、一度も患者の唾液に触れたことがないことを自慢(?)にしていたほどの潔癖症でもある。耐えきれず車両を替えた。すると、また斜め前に座っていた学生風のにいちゃんが、鼻の穴に指を! げげげげ! 酸っぱいものがこみあげてきそうになり、顔をそむけると、またしてもドアの付近に立っていたオヤジが、鼻をホジホジ……。 うそっ! 東京人にとって、公衆の面前で鼻の穴をほじるのは、ごく当たり前のことなのだろうか? 少しだけ、この街で生活していくことに不安を感じた。

●7月31日  「NOと言える関西人」
渋谷の不動産屋から電話があった。「麻布十番のお部屋の件はいかがですか?」。一瞬意味がわからなかった。「だって、断ったのに……?」。そう、昨日、ある物件の家賃を「で、これナンボになりますのん?」と値切ったのだが、1円もまけられないというので、「ほな、まっ、考えときますわ」と返したのだ。関西で「考えときまっさ」はNOの意である。あまりのわかりやすいオチに笑ってしまった。

●7月30日  「親切(?)な東京人」
渋谷にて。東京の駅前では、やたらと「アンケートに答えてください」「今、お時間よろしいか?」と声をかけられる。関西では、ほとんど無視を決め込む人が多いが、東京の人は親切に答えている人がけっこういる。店主も「生活に関するアンケートですが」と、若いねーちゃんに声をかけられたが、先方の質問の声にかぶせるように「あー、JRの改札どこ?」と返したら、一瞬ひるみながらも、ていねいに教えてくれた。もちろん店主は、アンケートには答えず、「ありがと〜!」と爽やかに立ち去った。東京の人って親切? かと思えば渋谷東口の駅前で雑誌や新聞を売ってたオバは、「東急プラザはどこですか?」と極めて常識的に尋ねたのに「知らない!」と冷たく言い放たれた。「ワレ。喧嘩売っとんか!」と言いかけたが、ダメダメここは東京。大阪のオバなら、「さあ、知らんわ〜。すまんなぁ。あそこで聞いてみぃ」と言うてくれるだろうに、くすん。

●7月29日 「整列乗車」
山手線のホームで生まれて初めてライブな東北弁を聞いた。伊奈かっぺいか吉幾三の東北弁しか知らなかったのでいたく感動す。そう、関西で東北人に遭遇するのは至難の業。ホームでは皆きちんと整列している。電車が入ってきた。いつものように、ささっと横入りしてみる。が、しかし、大阪のように誰も後ろに続かない、そしてどこからも「ちょっとウチ並んでんねんで」と罵声が聞こえない。なぜだ! そして電車内では我先に座席に突進する人もいない。そして車内はとても静かだ! 有楽町からチューリップハットに「滋賀県」とシールを貼ったオバちゃん団体が入ってきた。「はよ、はよ。ここ空いてるでぇ〜」と、オバ。「ちょっと、どこで降りたらええねんや?」「次ちゃうか〜」「ウチ、この地図わからへんわぁ」と、一気に車内は、弦楽四重奏ショパンの夕べから往年のスターリンのライブ会場のようなケタタマシサになった。しかし、他の乗客は「やかましいわ! ボケ!」と怒鳴るオヤジもなく、皆、何事もなかったかのような涼しげな顔をしていた。