背中に、触れてきた身体。
自分の名前を叫ぶ、声。
何かがぶつかり合う音。



そのどれもが、一瞬のうちに自分の背後で展開されて。


振り返った時に見えたのは、広がった藍色の髪が、静かに
崩れ落ちていく姿だった。







                an oath of blood







撃って。撃って。撃って。




目の前を塞ぐものは、全部排除して進む。
肩に人一人を担いでいる酷く不利な状態であるにも拘らず、目の前に
見えた人間は悉く、その手に持つ銃を発砲する暇も無く、崩折れて
いった。邪魔さえしてこなければ、死んでいようが未だ生きていようが、
どちらでもいい。

そうやって傍らの身体を引き摺って進み続け、道に倒れた人間の
手足を蹴散らし、ようやく、辿り着いた安全と思われる場所は建物と
建物の細い隙間だった。薄暗く、人がふたり、並んで歩けるかどうかと
いうような場所だ。

転がるようにその間に入り込み、肩に担いでいた、小さく荒い息をする
身体を地面に下ろす。



「おいアスラン、しっかりしろッ」



自分の呼び掛けに、擦れた息に混じって「だいじょうぶ」という言葉が
聞こえた気がした。けれど、もしかしたら自分の錯覚かもしれない。

俯いた顔は藍の髪に隠されてよく見えず、薄暗く狭い路地の中で響く
乱れた息が、焦燥を後押ししてくる。


ばっさりと裂かれた目の前の紅い軍服の右肩の布地に、尚その色を
深くするような染みが広がり、止まらずに、その面積を増やしていく。


軍服を脱がせ、その下の、やはり切り裂かれたインナーをそのまま手で
裂いて取り除き、傷を見た。
右肩から胸元にかけて、斜めに、下に行くほど先細るような紅い線が入っている。
裂かれた皮膚の下から、紅い血が溢れ落ちて白い肌を鮮やかに染めていた。



傷はそれほど深くない。しかし、出血が多い。



舌打ちひとつして、イザークは自分の軍服の裾をナイフで切り裂き、
その布をアスランの傷口に押し当てる。傷に触れた瞬間、ビクリと彼の
身体が震えたが、その後は又、荒い息をして建物の壁に身体を預けて、
大きく間隔の短い息を繰り返す。
額から滲み出た汗が、顔を濡らせて行った。


傷口を押さえながら、イザークは内心で、自分の迂闊さに歯噛みする。
目の前の敵に、気を取られ過ぎた。背後に迫っていた、倒したと思っていた
相手に気付かなかった。銃を弾かれ、足を撃たれながらも、最後の力で
自分へと刃物を振り翳して来た相手に。


アスランは、そんな自分を庇った。まともにその肩にナイフの刃を受け、
それでも刃を向けてきた相手を蹴り飛ばして倒し、其処で崩れ落ちた。

振り返った瞬間に見た、砂埃に塗れた藍の髪の鮮やかさが、
未だ脳裏に鮮明にちらつく。ちらつく度に、喉をギリギリと締め付けられる
ような息苦しさを覚える。


白い軍服の布地が、見る見るうちに紅く染め抜かれて行く。
しかし押し当てた布地が重くなるにつれ、少しずつ、流れ出てくる血が
少なくなってきた。耳に聞こえてくる大きな呼吸音もペースを落ち着かせ
始めていて、その事に思わず、安堵の息が漏れる。

そうして適当な所で、新たに裂いた布地で、傷口を覆うようにして縛った。
相手が左利きだった事がせめてもの幸いだろう。この傷がもし左側に
有ったらと、想像すると微かに薄ら寒いものを覚えて、
イザークは小さく首を振った。


「・・・取り合えず、止血は出来た。傷自体は浅い。
 暫く大人しくしてれば大事無いだろ」

「ああ・・・有り難う」

「・・・礼を言われる筋合いは無い」



礼を言わなければならないのは、自分の方だ。
しかし、そう思って再び口を開こうとしたイザークに「待った」という
声が掛かる。


「・・・こっちだって、礼を言われる筋合い、無いからな」


痛みで顰めた顔にそれでも尚小さく笑みを浮かべて、
アスランが言う。


「お前に礼を言われるなんて、気味が、悪い・・・」

「・・・言ってろ」



この期に及んでこんなにも可愛げのない台詞をよくも吐ける
ものだと思いながら、その生意気な口調に少し気持ちが和らいだ
のも確かだった。


全く、何処までも他人の事しか考えない奴だと彼には見えないように
一瞬だけ苦笑いを漏らして、立ち上がる。先ほどから絶える事無く
聞こえ続けてきている発砲音と雑多な物音のする方へと
目を向けると、しっかりと、地面に置いていた銃を握り直した。



「俺は、戻る」



短く、それだけ言った。
何処へなど、言わずとも知れる。
一歩この路地を出れば、否応無くその場所に出る。


傷ひとつ負っていない自分が、何時までもこんな所に居る訳には
いかない。
自分を庇った彼の分まで、戦うことが今の自分がすべきことだ。
いち早く戦場を落ち着かせないことには、彼を自分達の陣地に担いで
行くことすら出来ない。



「後一時間もすれば、一応はどうにか、片が着くだろうからな・・・お前は
 それまで此処で・・・」

「俺も、行く」


聞こえてきた声に、言葉に、耳を疑った。
振り返ると、自分の方を見上げてくる碧の眸とかち合う。


強い線で結ばれた唇が微かに隙間を空けて、言葉を零す。



「未だ・・・左手が、残ってる・・・治療も満足に出来ないこんな、処で・・・
 ひとりで倒れているのは、嫌だ」

「冗談なら、後で嫌と言うほど聞いてやる。だから」

「冗談なんかじゃ、ない・・・俺も、もう一度戦場に、出る」

「・・・ッ死にたいのか!?貴様はッ!!」



堪らず身を翻してそちらに行き、薄暗い中でも解るほどに白く、色を
失った顔に向かって叫んだ。


動けば動くほど、血は失われる。血を失うことは、生命活動の低下を意味する。
血を多く失った、安定感を欠いた状態で戦場に出るなど莫迦げているとしか
言いようが無い。目は翳み、足元は覚束無くなるだろう。

平時でも死と隣り合わせの戦場に、今の彼のような状態で出て行くことは
そのまま、死を意味するようなものだ。そんな選択は、愚か者か自殺志願者の
すること。そして、自分が見て来た限りでは、彼はそのどちらでも無い。


それなのに未だ戦場に立てる、等という彼に、思わず激昂し、
声を荒らげる事を抑えられなかった。
そしてそれは、自分自身への苛立ちを含めた激昂だった。


今、彼がこんな状態で居るのは、紛れも無く、自分の迂闊さが招いた
事態だった。冷静さを欠いて、一瞬、気を緩めて。


その結果が、これだ。
はっきり言って、自分が切られるよりも、怪我を負うよりも、それは
許せない事だった。彼にこんな怪我を負わせることになった、あの一瞬の
自分が許せない。


彼の目の前にしゃがみ込み、痛みの為だろうか、再び軽く目を閉じている
藍色の髪が張り付いた白い顔を睨みつけて、怒鳴る。



「今のそんな状態で・・・戦場に出て何が出来る!?
 的にでもなりに行く気か!?いいから、貴様は此処で大人しく、」


「・・・守らせろ」



爪が、食い込んでくるほどの強い力で。

自分の肩を掴み、睨み上げて来た緑の眸に息を呑んだ。



「こんな・・・中途半端は嫌なんだ・・・最後まで守り切らなきゃ、
 意味なんか、無い・・・」



青白く震え、しかし気丈に引き結ばれた唇の間から、こんな戦場には
場違いと感じるほどの凛とした声が漏れる。



「お前の背中を、守り切るまで・・・俺は、死んだりしない」



何を根拠に、という言葉は、その強い視線に形にならず、喉の奥で消える。



「約束・・・しただろ・・・お願いだ・・・イザーク」



荒い息と共に、否定など許さないという口調で、イザークの耳にだけ
その声が響く。

碧の眸が、イザークだけを、映す。




約束。




     『戦場に出た時は、最後まで互いが、互いの背中を守る』




それを交わしたのは何時だったか。随分昔のことだ。
もう覚えていない。

けれど、今まで幾度も、その約束を守って、戦場に立ってきた。
MS戦で有っても、今この時のような、白兵戦で有っても。
いちいち口に出して確認しあうことなど無く、当たり前のように。



それは暗に、『最後まで、ふたりとも死なない』事を誓うもので。



何時だってその誓いの下、戦場に立って来た。ふたりで。




「こんな所で・・・俺に、無様な想い・・・させないでくれ」



自分ひとり、倒れ、動けずに。


戦友ひとり、目の前の戦場へと見送り、その背を守れない、
約束ひとつ守れないなどという、無様な想いは。




撃たれるより、切り裂かれるより、死ぬよりも辛い、そんな想いは。







「・・・途中でくたばったら、承知しないからな」



立ち上がり、背を向けながら吐き捨てる。
あの碧の眸を見て、言える事はそれだけだった。



「心配してもらわなくても大丈夫・・・ナイフ戦も・・・射撃も、
 本気出せば俺の方が強いんだから」



その言葉と共に、背後で微笑みが作られた気配を感じる。
何処までも生意気な奴だと、しかしそう思いながら自分の口元に
浮かんだのは笑みだった。



それに、と背後の声が続ける。



「お前が・・・俺の背中、守ってくれるだろ?悪いけど、大いに期待するよ」

「当たり前だ」



今更、そんなことを言われなくとも解っている。
そう、解っていなければならない、それは当たり前の事。
自分達ふたりの、常識。



この、背後の存在にはもう一ミリだって、傷をつけさせはしない。
血を流させはしない。



自分達は、生き残る。



その為なら、この戦場の敵総て、自分が殺すことも厭わない。
幾らでも、この手を、身体を、血で染める。
既に自分自身の血で濡れた彼以上に、他人の血に染まって構わない。


倒させはしない。倒れはしない。
でなければ、何の為にふたり、共にこの戦場に立つ?


背中を合わせて、又、彼が立とうとしているのは、そんな愚かな選択を
しようとしているのは、総て自分達が生き残る為。
ふたりで、生き残る為。



その為に交わした約束であり、誓い。



振り返った先には、紅い軍服を羽織り直して傷口を隠し、壁に手を付いて
立ち上がった、アスランの姿が在った。しっかりと、その左手には銃が
握られている。


目が合うと、彼は汗の滲んだ顔にふっと、不敵とも言える笑みを浮かべた。
碧の眸が、戦場と言う場所に似つかわしい強さで、光る。



「・・・行こうか」

「ああ」



彼の言葉に、頷き。


その手に銃を握り直して、光と喧騒の差し込む、路地の入り口へと
目を戻す。


砂埃に煙る戦場。
血の流れ続ける戦場が、目の先に映る。


今も誰かが撃たれ、誰かが倒れているのだろう、その場所に。
誰かの命が消えていく、場所に。




けれど、自分達は倒れない、決して。
此処で倒れることは、死ぬことは許されない。彼に、自分自身に。







最後まで、立ち続けよう。




あの約束、誓いの下に。











お前と、ふたりで。











                                     終



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