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冬の夢

門は閉ざされ、太陽は沈み、美しいものは無くなってしまった。
あるのはただ、あくまでも時の流れに堪え得る灰色をした鋼鉄の美があるばかり。
                ――フィッツジェラルド『冬の夢』


墓場からの帰途は、大体が、同じだ。畑を貫く真っ直ぐな一本道。春には菜花
が黄色い絨毯を敷き詰めるだろう。初夏ならば、それが麦の黄金にとって代わ
り、夏には向日葵の大振りの花が揺れ、秋には葡萄が実っているかもしれない。
冬には、何もない。真っ黒な土ばかりが、しんと、周囲を覆っているはずだ。

ロイ・マスタング大佐は白い息を吐きながら、その道を一人、歩いていた。
(会議には、まだ間に合う。資料は整っているし、あとは、じじい連との化か
 し合いだけだ)
軍人などという職業は、命のやりとりばかりを頻繁にする、因果な商売だ。
上官、同僚、部下――何人の命の行く末を見届けてきただろうか。
何より、今、後にしてきたところには、共にこの道を歩んできた大事な骸が眠
る暗い穴がある。

マース・ヒューズ中佐は、もう、傍らには居ない。

道の両脇には気も遠くなるほど真っ直ぐな糸杉が高く高く聳えていた。田舎の
砂利道は軍靴を白く汚す。ホークアイあたりに、小言を言われるかもしれない。
構うものか――

*****

あの日も、凍るように寒い冬の日だった。誰だったか、もうそれさえ覚えては
いないのだが埋葬の帰り道だった。いつもは、むさい髭面を大きく歪めて笑う
ヒューズが、妙に無口だった。
「どうした?」
「…小さい娘が、いたな…」
「ああ。それでも、生活は保障される」
「そういう事じゃない」
「なら、何だ?」
歩みを、止める。糸杉のてっぺんを見上げて、マスタングの方をつとめて見な
いようにして、告げたのだった。
「身を固めたいんだ。妻を娶って、家庭を持って」
「――好きにすればいい。どうして私に気兼ねすることがある」
「お前はどうする。ロイ」
「どうもしない――上を目指す」
空を仰げば、遥か上空を烏が数羽旋回していた。冬の重い雲を切り裂く黒い十字
の影。
「等価交換だ、ヒューズ。私を捨てて、温かい家庭を掴め。お前にはそっちの方
 がよほど、似合う」
「簡単に、切り捨てられるかよ」
マスタングの肩にヒューズの腕が回った。引き寄せられる。白い息が耳にかかる
ほどの距離にまで。
「お前が何に固執して、地位なんざ求めるのか、それは、俺には解らない。
 お前、本当は温かいものに身を寄せたいだろう?」
「確かなものが欲しい。冷たく硬い、鋼鉄のように確かなものが」
「嘘だ。俺は、知ってるからな――」
肩に置いた手が背を滑り落ちて、腰に回る。びくん、と意志に反して、マスタ
ングの身体が反応を返した。

「お前さんの身の内には、焔が眠ってる」

マスタングは俯いて、笑う。
「午後がデスクワークだけなら、ヒューズ――さぼれよ」


ヒューズの部屋は、乱雑な書類の山と、散らかった什器類、琥珀のモルト、軋
むベッド、そんなもので占められていた。中に入るなり、二人は身を締め付け
ていた軍服を脱ぎ捨て、縺れるように、ベッドへと倒れこんだ。
「気のねえ女といくら浮名を流したって、満たされやしないだろう。お前さん
 は、こうやって抱きしめられるのが、好きなんだから」
「自惚れるな」
その首筋を指が撫で、鎖骨を通って、胸へ。粟だった皮膚、つんと起った乳首。
一々それを惜しんで確かめて、息の逃げ場を唇で塞ぐ。そうすれば、くぐもった
喘ぎ声と刺激に震える身体を捕まえることができる。どうしてマスタングを抱
きたいと思うのか、ヒューズにはよく解らない。
大総統を目指し、確かなものが欲しいと邁進する、自分よりも遥かに強い男を。

「欲しいか、欲しいよな」
「――訊くなっ…つ――」

強いて言うなら、焔だと、そう、思う。
ゆらゆらと青白く揺れる火。全てを燃やし尽くす火。
指で弄ってやるだけで、それは、わかる。先を求め熱く絡め取る内壁。

「ん…ん…」

押し殺した鳴き声、赤く色づく頬。ヒューズは、ずっと、身体を重ねて確かめ
てきたのだ。一時の交わりに哀しいほど真摯に燃える。
何を目的に上り詰めようというのか。
身の内の焔は、こんなにもヒューズを求めて、燃え盛っているというのに。

「俺が、欲しいか、ロイ?」
「……っ…ん…」

強情に口を割らないマスタングの中心を握りこんでやる。突然の刺激に、身体
が大きく反り返った。

「ああっ――止せ…」

制止には取り合わず、手を湿らす涎を相手に意識させてやるかのように、あえ
て音を立てて筒を上下に、扱いた。

「――わたし、を、…捨てる、くせに…」

冷たい、確かなものが欲しいと、マスタングは言った。
熱は一時の夢だ。火は全てを焼き尽くせば、消えるしか、ない。
焔の錬金術師は、その道理が、怖いのだ。
怖いというのに、ヒューズに縋る。なぜなら、本当は欲しいからだ。
熱が見せる夢は、一時でも、この上なく美しいから。

(かわいそうに。お前は焔に、怯えてるんだ。
 お前の属性として、ずっと身の内に抱えていかなければならないものに)

ヒューズは首筋に舌を這わせた。細かく震える項を駆け上がり、耳に唇を寄せる。
息をかければ、くっと、唇を噛んでマスタングは更に赤く染まっていく。

「あいにく、俺は欲張りでね…。捨てるわけ、ねえだろ。ずっと、傍に居る。
 上に行きたいなら行け。俺は、下について、お前を支えてやる。こうして」

耳朶を噛んだ。手の中の陰茎は、はちきれんばかりに、雫を垂らして、その先
を求め続ける。
「ああっ――マース――」
マスタングが助けを求めて、縋る相手の名前を叫んだ。

「俺が欲しいだろ、ロイ」

熱に浮かされて潤んだ瞳で、ヒューズを見つめる。瞳の奥に揺れる、焔。
「…私に、従え…」
ヒューズは思う。やはり、美しいと。
「ふん、強情者」

マスタングの身体にヒューズは自身を沈めた。中で燃え盛る焔。奥へと誘う、
熱を持った身体。むさぼるように、飢えた獣のように、それを味わう。
「…うっ、うっ…」
二人とも言葉を口にするような理性も残っていない。狂ったように腰を揺らし、
高い喘ぎを殺すことさえ忘れてしまった。熱しかない。全てを焼き尽くす焔し
か、今は、見えない――
「うっ、あっ、あああああっ」
一際大きい鳴き声が響いて、二人はほぼ同時に精を吐き出した。

出してしまえば、そこには、幸福な夢の跡しかなかった。
「確かなものが欲しいんだ、マース」
横で満足しきって寝ているヒューズを眺めながら、マスタングはつぶやいた。
ヒューズは、暖かい家庭を持つだろう。優しい妻と子供に囲まれて、不確かで
柔らかな幸せに埋もれて、暮らすだろう。
マスタングには解っていた。自分には、それができないと。身の内の焔を持て
余し、一時共に身を焦がしてくれるヒューズのような男に、身を任すのだろう。
自分が脆いのは、誰よりも知っていた。
柔らかい幸せを引き受けることさえ、できないほどに。
だから、揺るがない地位を、錬金術なら絶対の真理を、追わずにはおれない。

「本当に。本当にずっと傍らに居てくれるのか――」

*****

(夢に過ぎなかったではないか、マース)
あの日のヒューズのように、糸杉のてっぺんを見やった。ヒューズは、埋葬帰
りのヒューズは、とっくに知っていたのだ。熱い美しい幸せは夢に過ぎないと。
それでも、マスタングに、ずっと共に居ると誓わずにはおれなかったのだ。
隅々まで身体を撫でた優しい手指の感触が蘇る。

「私など構わなくてよかったんだ。奥方とエリシアまで置いていくことは――」

最期まで、自分に何かを伝えようとして、胸の内に秘密を抱えたまま、逝って
しまった。マスタングは、それが、許せなかった。

「私などに、最後の最後まで、かまけるんじゃなかったんだ」

ヒューズは暖かな幸せに包まれて暮らせるほど、優しく、強かったではないか。
自分などに、優しさを見せなければ、夢を見せなければ、きっと、まだ――

あの、冬の日が見せた夢の遥か上空には、黒い烏の影があった。
空を切り裂く黒い十字架、冷たい墓場へと続く道。
今日だって、それは同じだ。

「マース。冷たい、死んだものだけが、確かなものなんだ」

だが、マスタングの両目からは涙が伝う。
夢は、一時の熱い幸せは、ヒューズは、二度と還らない。
それでも、自分にとっては、尊く、美しいものだった。

今、マスタングの眼前には、死んだ、鋼のように冷たい前途がただ一筋続いている。