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レイ・クーパー Ray Cooper

 レイ・クーパーは、エンターテインメントの世界で30年間に渡り、パーカッション奏者として確固たる地位を築いてきた人物だ。レイは最初、俳優を目指していた。60年代前半では、チョイ役を得ることが多かった。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーや国立劇団のステージで彼とほぼ同期だった役者には、マルコム・マクダウェル、アルバート・フィニーらがいた。レイは、役者としての少ない給料を補うために、ジャズ・クラブでピアノの演奏を始めたが、良いピアニストに比べ良いパーカッション奏者がはるかに不足している現状を知り、パーカッションを志すことにした。

 ジャズ界の重要なコンビ、ジョニー・ダンクワースとクリーオ・レインの夫妻と仲間になったレイは、当時ヒットしていた有名なレコードのバックで演奏していたセッション・プレイヤー達とも知り合いになった。その結果、レイは60年代後半に当時スタジオ・ミュージシャンとして他のアーティスト達のバックで活動していたエルトンとも出会うことになった。

 レイは、EJのアルバム「マッドマン- Madman Across The Water」(1971年)からレコーディングに参加し、それから74年、EJバンドへ正式に加入した。同年2月、EJの2度目の来日公演にも同行する。1977〜79年にかけて断続的に行なわれたEJのピアノ・ソロ・ツアー時にもパーカッション奏者として共演する。そのなかでも特に熱狂的な観客の歓迎を受けたという79年5月の元ソ連公演の模様が、「TO RUSSIA...WITH ELTON」としてビデオ化された。

 レイの舞台俳優としての経歴とビートルズとの関連を知っていたジョージ・ハリスンは、レイを設立したばかりのハンドメイド・フィルムズ社の仲間になるよう勧めた。ちょうどその頃、ハンドメイドはテリー・ギリアムの劇場用監督作品としては二作目にあたる「TIME BANDITS(邦題:バンディットQ)」のポスト・プロダクションに入っていた。ハリスンはこの作品の音楽をプロデュースし、また使われた楽曲の一部も作曲していた。レイはその後、ハンドメイドで(クライング・ゲームの)二一ル・ジョーダン監督作「MONA LISA」や、ブルース・ロビンスンのブラック・コメディ「HOW TO GET AHEAD IN ADVERTISING」、そしてテリー・ギリアムの「THE ADVENTURES OF BARON MUNCHHAUSEN(邦題:バロン)」等をプロデュースしたが、1989年に自らのキャりアの進展を考え独立した。

 その後、プロデューサーとして、そしてパフォーマーとして活躍を続け、エリック・クラプトンとのワールド・ツアーにも参加する。88年11月のエリック・クラプトンの日本公演では、スペシャル・ゲストのEJと共に来日した。そして1992年には、ジョージ・ハリスンの日本公演にも同行した。1993〜94年にかけて、再びEJとの2人だけのツアー(ピアノ&パーカッション)を行なう。95年2月、EJ単独では実に21年振りとなる来日公演では、EJと2人だけの素晴しいパフォーマンスを日本のファンにも披露した。97年9月、ロンドンで開催されたモントセラト島救済コンサートにも参加した。この「救済コンサート」の模様はビデオ&DVD化された。こうした(EJとの共演プロジェクトを含めた)レイの様々な活動が、好評を博していくと共に世界的な評価を得たのだった。

(参考資料:1995年2月、日本公演ツアー・プログラムより一部抜粋


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