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私の好きなEJベスト10
私の選んだ好きなEJのアルバム、ソング、アルバム&シングルのジャケット・デザイン、ステージ衣裳のベスト10をまとめてみました。
私の好きなEJアルバム.10選 - マッドマン Madman Across The Water(1971年) - ホンキー・シャトゥ HONKY CHATEAU(1972年) 2 ピアニストを撃つな!! Don't Shoot Me I'm Only The Piano Player(1973年) 1 黄昏のレンガ路 Goodbye Yellow Brick Road(1973年) - キャプテン・ファンタスティック・アンド・ザ・ブラウン・ダート・カウボーイ Captain Fantastic And Brown Dirt Cowboy(1975年) - 蒼い肖像 Blue Moves(1976年) - トゥ・ロウ・フォー・ゼロ TOO LOW FOR ZERO(1983年) - スリーピング・ウィズ・ザ・パスト Sleeping With The Past(1989年) - ザ・ワン The One(1992年) - メイド・イン・イングランド Made In England(1995年) - ソングス・フロム・ザ・ウエスト・コースト SONGS FROM THE WEST COAST(2001年) ベスト10なのに、よ〜く見ると全部で11作。これは「ソングス・フロム〜」を追加したためだが、どうしても他の1作を外せなかった。そこのところはどうかご勘弁を!(笑)。この好きなアルバムのなかで、個人的に思い入れのある1位「黄昏の〜」と2位「ピアニストを〜」の順位は不動でしょう。3位以下はそれぞれに味があって、とても順位はつけられなかった。選出にもれたなかで、4枚のライヴ作品「17-11-70」「ヒア・アンド・ゼア」「Live In Australia」「ワン・ナイト・オンリー」や、豪華ゲストとの「デュエット・ソングス」、選曲が絶妙なベスト盤「Love Songs」もできれば入れたかった。
私の好きなEJソング.10選 - Mona Lisas And Mad Hatters(1972年) - High Flying Bird(1973年) 2 グッバイ・イエロー・ブリック・ロード Goodbye Yellow Brick Road(1973年) 1 僕の瞳に小さな太陽 Don't Let The Sun Go Down On Me(1974年) - 恋のデュエット Don't Go Breaking My Heart(1976年) - ヒーリング・ハンズ Healing Hands(1989年) - Long Way From Happiness(1997年) - Written In The Stars(1999年) - エル・ドラド EL DORADO(2000年) - 赤い靴の少年のバラード Ballad Of The Boy In The Red Shoes(2001年) 数多いEJソングの中から選ぶにはかなり苦労した。上位2曲は即決まったが、残りは順位どころか好きな曲がたくさん溢れてしまった。「イエス・イッツ・ミー」「フレンズ」「ブルースはお好き?」「ザ・ワン」「サークル・オブ・ライフ」「プリーズ」「リカヴァー・ユア・ソウル」等、ベスト10に入れておきたい曲はまだまだ挙げたらきりがない。今回の選曲で気づいたのは、好きな曲が全ての年度に渡って選ばれていること。別に各年代ごとに意識して選んだわけでもないが、これはエルトンが長年に渡りムラなくいい曲を書き続けてきたという証しでもあるだろう。しかし、この選曲はその日の気分によってまたガラリと変わるかもしれない。
ジャケット・デザインの10選は比較的すんなり決まった。こうしてみるとやっぱりデザインの良いものは中身も良いということか。10選からもれてしまった「キャプテン・ファンタスティック〜」は内容のあまりの素晴らしさに対して、少し不気味ともいえるイラストのジャケはアルバムのコンセプトに沿うものなのかは疑問に残るところだが、あのジャケは一度見たら忘れないほどインパクトがあるのは確か。近年、95年以降は充実した作品がリリースされていながら、気に入ったジャケットの登場がないのが寂しいところだ。
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最近のEJはすっかりオシャレになってしまったが、かってはご覧のごとく超ど派手だった。70年代当時は、いつもワースト・ドレッサーの上位にも顔を出していた。これらの衣裳には当然の事ながら順位のつけようはないが、エンターティナーたるEJの姿勢がここには溢れていると思う。これもEJ流のファン・サービスといえるもので、彼ほどの実力プレイヤーなら何もここまでしなくてもと思ってしまうが、これほどまでのショーマンに徹してためらわずに実行してしまうところが、長年スーパースターとしての地位を不動にしてきた要因の1つではないだろうか。また、こうしたパフォーマンスが日本では魅力あるエンターティナーとして、どうしても理解されにくい部分なのかもしれない。
1998年の来日公演「Face To Face」にて1曲だけかぶりもの(大阪では各国3人の首脳陣の顔、東京では桜の木の帽子&ゴジラのマスク、名古屋ではスターウォーズのヨーダと日替わりで変わった)で歌ってくれた時は、心から嬉しかった。エンターティナーとしての真の姿を実際に観れたのだから。本当に来てよかったと思える瞬間だった。
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