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ディー・マレー Dee Murray

 ディーは、70年代全盛期のEJバンド(デイヴィー、ディー、ナイジェル、レイ)のベーシストとして主要メンバーの1人だった。彼は1946年4月3日、英国ケント州のギリンハムで生まれる。ナイジェル・オルソン(Dr)と共にスペンサー・デイヴィス・グループに在籍し、脱退後はEJバンドに加わるまで、オフィシャルな活動はしていなかった。

 レオン・ラッセルをして「いつでも加入して欲しいと思っている」といわしめるディーのベースは、コード展開とフィンガリング、ピッキングが完全にまとまった素晴しいラインを持つベースで、その高度なテクニックは英米で賞讃の的だった。仲間から「スマイリー・ディー」と呼ばれる彼は陽気な性格で、ディーの周囲には絶えずグルーピーが後をたたなかったという。

 1970年、EJのツアーにナイジェル(Dr)と共に参加し、1971年にこのメンバーで初来日公演も行なう。EJのアルバムには、「Tumbleweed Connection」(1970年)から「Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy」(1975年)まで70年代黄金期の作品に立て続けに参加し、EJバンドの中では地味な存在ながらもベーシスト&コーラスワークの面で大きく貢献した。EJバンドにて世界的な名声を得たディーだが、75年にEJは突然新バンドを結成すると発表し、ナイジェルと共にバンドを去ることとなる。

 しかし、80年代に入ると再びディーはナイジェルと共にEJのアルバム&ツアーに参加し、コンビネーションの良さでは定評のあったナイジェル(Dr)との絶妙なプレイを見せた。これからの更なる活躍も期待されたが、惜しくも1992年1月に45才で病気(ガン)により他界した。ディーの勇姿は、ビデオ「IN CENTRAL PARK」(1981年)、「The Afternoon Concert」&「The Night Time Concert」(1985年)にて観ることができる。

 1998年アメリカにて、ナイジェルはもう昔のようにEJとは一緒にプレイしないのかというEJファンの問いかけに対し、ナイジェルは「ディーなしで昔のプレイができると思うかい?」と答えている。EJのライヴ盤「17-11-70」(1971年)で聴かれるようなEJ、ディー、ナイジェルのトリオによる熱く躍動的なプレイはもう二度とは再現されないのだ。なんとも残念な話しである。70〜80年代のEJサウンドを縁の下から支えてきた彼のプレイは、今後も忘れることはできないだろう。

ディーが参加したEJアルバム全作品 「Tumbleweed Connection」(1970年)、「17-11-70」-ライヴ盤-(1971年)、「Madman Across the Water」(1971年)、「Honky Chateau」(1972年)、「Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player」(1973年)、「Goodbye Yellow Brick Road」(1973年)、「Caribou」(1974年)、「Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy」(1975年)、「Here And There」-ライヴ盤-(1976年)、「21 at 33」(1980年)、「The Fox」(1981年)、「Jump Up!」(1982年)、「Too Low for Zero」(1983年)、「Breaking Hearts」(1984年)、「Reg Strikes Back」(1988年)。


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