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デイヴィー・ジョンストン Davey Johnstone

 デイヴィーはエディンバラの出身で、1951年5月6日に生まれる。彼は御存知の通り長年に渡りEJのバック・バンドの中心人物として活躍している。EJの初期作品のバックを努めていたカレブ・クエイに代わって、「ホンキー・シャトゥ」より正式にギタリストとしてEJバンドに参加し、それ以後現在に至るまでEJサウンドには欠かせない存在となり、近年ではEJのバンド編成のツァーにてミュージカル・ディレクターも努めている。

 デイヴィーは、7才よりヴァイオリンを習い始めたのをきっかけとして、音楽の道を進むようになる。学生時代に友人ティック・フライアーと共にフォーク・デュオを結成。その後、ファイフ・レイヴァース、ノエル・マーフィーのグループ、マグナ・カルタと在籍する。彼はマグナ・カルタの頃には、すでにギター、ピアノ、バンジョー、マンドリン、シタール等あらゆる楽器をマスターし、マルチ・プレイヤーとして活躍していた。そして、マグナ・カルタのプロデューサーだったガス・ダッジョンと親交を持った彼は、1971年にバーニーのソロ・アルバム「Bernie Taupin」にセッション参加した。それがきっかけで、EJの「マッドマン」にもセッション参加するようになった。

 彼は自身のソロ・アルバムを作ろうと思い多くのレーベル会社と交渉した。しかし、どこも彼の納得できる契約をしたがらなかった。そこで仲間達は「どうしようか」と思案の末、EJは言った。「自分達の会社を作ろう。」「イェイ!」。こうして1973年5月、EJ達は夢見ていた自らのレーベル「ロケット・レコーズ」を設立した。EJもデビュー前に自身のレコード・リリースに苦労した経験から、才能のあるミュージシャンにも活躍の場を提供したかったのだ。「ロケット・レコーズ」のスタッフは、EJ、バーニー、スティーヴ・ブラウン、ジョン・リード、ガス・ダッジョンの5人が選ばれた。

 「ロケット・レコーズ」の第1弾作品として、1973年にデイヴィーの初ソロ・アルバム「Smiling Face」がリリースされた。この作品にて、彼が最も影響を受けたと思われるイギリスのトラディショナル・フォークを基盤として、ここではマルチ・プレイヤーとして様々なサウンド・アプローチを見せる。こうした彼の器用さが、EJ作品中においては一見地味な存在ながら、EJの多彩な音楽に対してもバックの中心的な存在として支えてこれたのだろう。


デイヴィー・ジョンストン Smiling Face(1973年)

 EJの「ロケット・レコーズ」初リリース作品であり、デイヴィーにとっても初のソロ作。ここでは全曲に渡ってデイヴィーがソングライティング(カヴァーの1曲を除く)し、ギター(アコースティック&エレクトリック)、ピアノ、バンジョー、マンドリン、シタール、ハーモニウムとマルチ・プレイヤーぶりを発揮している。デイヴィーの妻のディー・ジョンストンも3曲の詞を書いている。参加メンバーも、EJ(ハーモニウム)、ディー・マレイ(ベース)、ナイジェル・オルスン(ドラム)、レイ・クーパー(パーカッション)、ガス・ダッジョン(プロデュース)、デル・ニューマン(アレンジ)とEJファミリー総動員で全12曲、手作りの温もりと暖かさを感じさせる作品集となった。

 全編に渡るデイヴィーのソフトなボーカルと演奏ぶりに彼の人間的な優しさを感じさせる。本作のトップを飾る一番のお気に入り曲「Keep Right On」は、デイヴィーのボーカルとギターにEJのハーモニウムが絡む幻想的なアコースティック・ ナンバーだ。軽快なデイヴィーのピアノとマンドリンに導かれるように自身のボーカルが被さる「Janine」。フォーク・ロック調の「The Boatman」では、珍しくガス・ダッジョンが叩くタンバリンとデイヴィーの弾く楽器群が徐々にダイナミックで奥行きのある世界をかもし出していく。インド風の神秘的なムード漂うインストゥルメンタル・ナンバーの「Island」。カントリー風のメロディーにデイヴィーの優しいギターとボーカルが印象的な「You Are I Am」。アルバム・タイトル曲「微笑-Smiling Face」は、デイヴィーの子供(アルバム・ジャケットにも登場している)に捧げられた歌だという。「A Lovely Day」では、この曲のみ妻ディーがリード・ボーカルを取り、歌の最後には笑い声まで収録されてなんだかとっても微笑ましい雰囲気だ。

 デイヴィーにとって唯一のソロ・アルバムとなる本作は、彼自身の音楽の原点でもあるイギリスのトラディショナル・フォーク・ロックの世界を垣間見せたのだった。


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