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クリス・トーマス Chris Thomas

 クリス・トーマスは、プロデューサーとしてガス・ダッジョン、クライヴ・フランクスに続いて、1980年代〜90年代のEJ後期の音楽を大きく支えてきた人物である。クリスの手がけたEJ作品は、1981年の「ザ・フォックス-The Fox」以来、1983年の「トゥ・ロウ・フォー・ゼロ」、1989年の「スリーピング・ウィズ・ザ・パスト」、1992年の「ザ・ワン」と数々の名盤がある。彼はEJとも古くからの友人であり、学友(同窓生)でもあった。クリスはEJについてこう語っている。「ロイヤル・アカデミー・オプ・ミュージック・スクール時代、エルトンがバンドを作ったんです。僕もそのグループの1人でした。11才の時から16才の時までやっていたんですが、僕とエルトンを除くメンバーが大学進学コースへ進み、僕達は特待生(学校が資金を援助してくれる特別待遇生)として工学専門コースヘ進みました。卒業してからロンドンヘ出て来て、エルトンのレコーディング・セッンョンに参加したり、いくつかのことを一緒にやりました。ロンドンヘ出て来た当時、エルトンはスタジオ・セッション・ミュージシャンになったのです。僕はべースをやっていたので、エルトンが声をかけてくれたのです。」

 後にEJはクリスについてこう語る。「プロデューサーを雇うのは、彼等の意見を聞くためなんだ。やはり、第三者の客観的な意見は必要だよ。クリスもガス(・ダッジョン)もとても音楽的な人間だし、僕の曲をさらに良いものにしてくれる。彼等と作業できることはとてもラッキーだね。クリスについて言えることは、彼がすごく効率的だってことだ。」

 クリスはEJ以外にも多くのミュージシャンのプロデュースをしており、プロコル・ハルム、テン・イヤーズ・アフター、バッドフィンガー、ロキシー・ミュージック(ロキシーにはプロデュースだけではなくベースとバック・ヴォーカルでも参加している。)、ポール・マッカートニー、プリテンダーズ等を手がけている。音楽界において70年代当時より最も活動的な名プロデューサーとして、アメリカにリチャード・ペリーあり、イギリスにクリス・トーマスありと云われていた。尊敬するプロデューサーはフィル・スペクターだったというクリスは、ジョージ・マーチン(ビートルズのレコーディング・プロデューサーとして有名)の愛弟子でもあった。クリスは元々ビートルズの大ファンで、ジョージ・マーチンを尊敬していた。何か仕事をするのなら、ビートルズ関係のことをしたいと、ある時ジョージ・マーチンに手紙を送った。そして、ジョージ・マーチンに会い、何かやらせてほしいというと、丁度彼がEMIを離れて自分の会社「エアー」を作ったばかりで、そこで仕事をしてみてはどうかといわれた。1968年、ビートルズの「ホワイト・アルバム」の録音製作時に、ジョージ・マーチンが自分のヴァケイションをとるために、クリスに替りにスタジオへ行ってプロデュースをやるように依頼した。

 クリスは当時をこう語る。「それ迄全くそんな(プロデュースの)経験がなかったのでびっくりしましてね。ともかくスタジオに行ったんです。僕は大変神経過敏になっていました。ポール・マッカートニーに事情を説明したんです。そしたらポールとジョージが「わかったよ。もしお前さんのプロデュースが気にいらなかったら、出て行けってどなるからね」っていいまして。でも、ともかく何とかやり遂げましたよ。技術的なエンジニアとかミキサーは別にいましたし、僕の役割は音楽上のポイントを指摘することでしたから、アドバイザーとして色んなことをいいました。」

 ビートルズ4人のそれぞれの印象について、クリスは「僕はジョンが素晴らしいとずっと思っていました。次はジョージが好きでした。そして会ってみて僕の思っていたことが本当だったってつくづく思いました。ジョージって大変おとなしい人ですね。僕は彼の人柄も好きですが、音楽家としての才能を高く評価しますね。ビートルズが解散してそれぞれソロ・アルパムを出しましたが、ジョージのアルバムが一番いい出来でしょう。ジョンも「イマジン」は良かったけど..。(70年代に噂のあったビートルズ再編成について)あれはメロディ・メイカーがデッチあげたんですよ。リンゴに聞いたらバカバカしいと一笑に付されました。」

 クリス・トーマスによる最新プロデュースEJ作品は、1997年の「ビッグ・ピクチャー」であるが、創作活動がマンネリにならずにクオリティを維持し続けることが最も難しい音楽業界で、EJ、バーニー、クリスの黄金トリオは今後も手を組み、再び名作を創造してくれるのであろうか。


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