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ジョン・ボールドリー JOHN BALDRY

 ジョン・ボールドリーは、1941年1月12日に生まれる。御存じエルトン・ジョンの名はこのジョン・ボールドリーからとったものである。ジョンは1966年にスティーム・パケットからブルーソロジーへ加入する。そのため、このバンドには3人のボーカリストがいたことになる。しかし、それでもレグ(EJ)はボーカルを全然タッチすることができなかった。その理由は、当時のR&Bのボーカルは、ハスキー・ボイスでタフでパワフルなほうが良しとされていたからである。レグのような透きとおったハイトーンボイスは不向きとされていたのだ。だから、オルガン奏者としてしか採用されなかったのだ。EJはバンド時代をこう語る。「僕は本気でイライラし始めた。劣等感にも悩まされたよ。本気で歌いたくなっても、オルガンのかげでひたすら鍵盤だけを叩いてなきゃいけない。ストレスが貯まる一方だったよ」。ジョンのブルーソロジー 加入によりバンドはジョン・ボールドリー・バンドの色合いを強くしていく。

 その後、バンドを離れソロ活動に入ったジョンは、1971年、すでにソロで活躍中のEJにソロ・アルバムのプロデュースを依頼する。EJは当時の経緯をこう語る。「僕がニューヨークでツァーをしていた時の事、ボールドリーがロンドンから電話をしてきたんです。今度、アルバムを出すがそのプロデュースをロッド(スチュワート)と僕に頼みたいと言ってきました。それまで僕はプロデュースというものをしたことがなかったので、少々、心細かったけれど、他ならぬジョンの頼みなので引き受けたわけです」。こうしてEJのプロデュース作「IT AIN'T EASY」は出来上がった。


IT AIN'T EASY /JOHN BALDRY(1971年)

 このアルバムはEJとロッド・スチュワートによる両サイド別々の共同プロデュース作である。A面5曲をロッドが、B面4曲をEJが手掛けている。バック・ミュージシャンもロッド・サイドでは、Ron Wood(g)が参加している。

 もう一方のEJサイドは、EJ(p)、Caleb Quaye(g)、Roger Pope(Dr)、Dave Glover(b)、Lesley Duncan(Chor)等、少し前に発表された「エルトン・ジョン3-Tumbleweed Connection」と同じメンバーが参加している。

-EJサイド全4曲の解説-
Let's Burn Down The Cornfield」 - ランディ・ニューマンの作品。R&Bナンバーに似合うEJのピアノとジョンの渋いボーカルが光る。

Mr.Rubin」 - レスリー・ダンカンの作品。私のお気に入り曲で、ここでもEJのピアノとジョンのボーカルがいい味を出したカントリー調のブルースナンバーである。

Rock Me When He's Gone」 - 唯一のEJ&バーニーのコンビ作品。この別バージョンは、EJがジョン用にガイド・トラックとして録音したものが「Rare Masters」(1992年)に収録されている。ここでのEJのピアノ・プレイ、EJとジョンそれぞれのボーカルと、同一曲ながらまったく違った作風になった対比が面白い。

Flying」 - ロッド・スチュワート、ロニー・レーン&ロン・ウッドの共作。これは EJ自身も好きだという曲で、後半よりEJのピアノ・ソロにジョンのボーカルとコーラスが加わってこのアルバムの一番の聴きどころとなっている。

 この作品は、「エルトン・ジョン3-Tumbleweed Connection」の発表後の製作で同一メンバーの参加ということもあり、全体イメージとしてはR&B色が強いながらも、「Tumbleweed Connection」の香りを漂わせている。また、この頃のEJ自身のハイトーンな声を抑制した情感タップリの歌唱法には時折ジョンの影響も伺われる。この作品はジョン・ボールドリーのソロではあるが、ジョンをボーカルに迎えたもう一つの「Tumbleweed Connection」ともいえるのではないだろうか。

 この「IT AIN'T EASY」はビルボードで60位に入り、アメリカでの公演も成功させている。しかし、レコード会社はEJとロッドをプロモート材料に使おうとしていたため、製作にはEJも苦労したようである。(特にロッドは当時すでにアメリカで人気ナンバーワンだった)。EJは「複雑な問題は抜きにして、あのセッションは楽しかった」と後に語るように、EJ自信もこのアルバムの出来には満足しているようだ。


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