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1974年のEJ2度目の来日公演時のインタビュー&コンサート・レポート

 1974年2月にEJは2度目の来日を果たした。2/1の初日のコンサートはアクシデントが重なり、当日のファンには気の毒でしたが、2日目以降全国で行なわれたコンサートは素晴らしいものだったという。EJの衣裳ケースも、エレベーターが一杯になる大きさのものを2つも持参していたそうで、ステージ衣裳も、宝塚レビュー風、宇宙服、夜光付きボール服ありと、毎日着替えていたそうです。また、トレード・マークのメガネも25個も持って来ており、すべて自分でデザインした特注品で、電球付きネオン・メガネや、ワイパー付きなど奇抜なデザインのものばかりだったそうです。

 また、来日前から音楽雑誌には特集が組まれ、雑誌の表紙にもEJが登場し、曲がラジオのポップス・ベストテン番組の第1位を飾る等、日本での人気もこの来日の頃が一番のピークを迎えていました。私はこの来日公演は残念ながら行っていませんが、その時の雑誌の特集記事を取り上げてみました。


来日時のインタビュー

 おなじみのハイ・ヒール・シューズに鳥打帽と黒い細縁ち眼鏡のエルトンが全身を豪華な毛皮コートに包んで、2年半ぷりに羽田空港に降り立ったのが1月29日の夕刻。そのままホテルの自室(プレジデンシャル・スウィーツはザ・ビートルズが泊ったのと同じ部屋)でべッドに入ってしまったエルトンだったが、翌30日は牛後から銀座へ出かけてまとめて数10万円の買物を、ほんの2〜3時間のうちに完了して、この日もまたたく間にベッド・インしてしまった。時差ぽけの為か、体調が思わしくないのか、とにかく初めの2日間は寝で過ごしたようである。

 31日は午後1時から、東京公演の初日を翌日にひかえて記者会見にいどんだが、地味なスーツのエルトンは心なしか精彩がない。バンドのメンバー以外のスタッフが殆どアメリカ経由の連中で固められ、気心の知れたマネージャーのジョン・リードや同行を噂されていたバーニー・トゥピンらの仲間が離ればなれになっているからだったのだろうか?ともあれ、会見後、自室にもどって着替えをすませたEJを待ってこのインタビューが始まった。

つい先日までバー二一があなたといっしょに来る予定だったそうですね?

EJ「バーニーはロサンジェルスで<ハドスン>というグループのアルバムをプロデュースしていて、それが長びいちゃって遂に来れなくなっちゃったんです。」

あなたも来日直前までアメリカで新作のレコーディングをしていたと閣きましたがすべて完了ですか?

EJ「ええ、あとはイギリスにもどってミックスするだけです。全部で40曲ほど吹込んだけど、アルバムに選ぶのはその中から、たぶん8曲。いや、残った曲をその次のアルバムに使うなんてことはしません。ダプル・アルバムも今度は2度と作らない。アルバム・タイトルは未定です。」

タイトルはバーニーが決めるのかなと思ってました。だって、インストゥルメンタルの「葬送」など詞はないのに『John-Taupin』とクレジットされてるでしょう。だから、これはバーニーがタイトルつけたんだな、と思った。

EJ「いや、いや。あれも僕のタイトル。レノン&マッカートニーを気どって、ジョン&トゥピンって感じでクレジットをつけたわけ。」(同席のギクリスト、デイヴィ・ジョンストンもこれには気づいていなかったらしく)

デイヴィ「ほんと!?バーニーの名が出てるなんて僕も今まで知らなかったよ。」

『黄昏のレンガ路』のアルバムではこれまでになくメロトロンやシンセサイザーが導入されてたけれど、今度の新作では?

EJ「全然!少なくともダビング前の今の段階では全く使ってません。オーケストラ?うん、ストリングスも今回は絶対に使わない。前回はポール・バックマスターの代りにデル・ニューマンを起用したけれど、特別の理由なんかなくて彼にとっても僕にとっても、とにかくちょっと変化があった方がお互いの為に良いと思ったからなの。何しろ彼には5枚もアルバムにつき合ってもらったから。でもバックマスターとは近い将来、必ずまた一緒の仕事をしたいと思ってます。」

エレクトロニクスの話にもどりますが、あなたの使うシンセサイザーはいつもムーグじゃなくてARP(メーカーの名前)ばかりですね?特に理由があるのかしら?

EJ「ムーグというのはとても複雑で扱い難いうえにイギリスには良いものがないのと、良いプレーヤーもいない。その点、ARPの方がとってもわかりやすいんです。

デイヴィ「僕達のエンジニアがARPの演奏の名人で『黄昏のレンガ路』で大活躍...。」

デイヴィッド・ヘンシェルでしょ?初めてARPを導入したのは確か『マッドマン』のアルバムからでしたね?

EJ「いや、『エルトン・ジョンの肖像』でとっくに使っていて、ダイアナ・ルイス(バックマスター夫人)が演奏した。ええと、「ハイアントンの思い出」と、それからもう1曲...そう「艦の中に住みたくない」。トライデント・スタジオには良いARPが設備されているんです。」

ところで、何でまたシカゴのプロデューサのJ・W・ガルシオのスタジオを今度選んだんですか?

EJ「デンバーから30マイルの所にあるカリブ・ランチというのがそのスタジオだけれど、とにかく僕達、今度はアメリカでやろうと思っていたの。フランスのシャトーでは4枚もレコーディングした後だし。去年のアメリカ公演中にそこを見て、いっべんで決めちゃった。すごく調子良くいきました。」

ゲスト・プレイヤーはいますか?

EJ「まずタワー・オプ・パワーのブラス・セクション、それからビリー・プレストン、バッキング・ヴォーカルにはダスティー・スプリングフィールドとクライディー・キング。

この前、空港からホテルに来るクルマの中であなたはもっとすごい逮中の名前をあげてたと思ったけれど。

EJ「ああ!あれは先週の日曜日のことなんだけど「Don't Let The Sun Go Down On Me」の歌のバックに、キャット・スティーヴンス、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、スリー・ドッグ・ナイトのダニー、アメリカのジェリー、ダスティー、ブルース・ジョンストン、クライディー、それにシャーリー・マシウスをそろえようとして、もうちょっとのところで実現しなかったの。残念だった...。これだけの顔ぶれがマイクを囲んでる光景を想像しただけですごいと思わない?(笑)」

あなたはシングルを出すときは必ずお母さんに相談するとかいう話があるけれど。

EJ「Oh!No!!ロケット・レコードの連中とガス・ダッジョンと僕と、みんなで話し合って決めます。ふつう、3〜4曲の中から選び出すんです。God!母に相談するだなんて!(苦笑)」

「ダニエル」をシングルにするときはDJMと対立して大変らしかったけれど、本当にディック・ジェイムズと喧嘩したの?

EJ「それは本当です。だって会社は「ダニエル」を嫌って、広告に金を出さない、っていうから。そもそも僕達が『ピアニストを撃つな!』をレコーディングしている頃から、今度のシングルは絶対に“ダニエル”だ、って確信していたの。もっとも「クロコダイル・ロック」がたまたまあんな気違いじみたヒットになっちゃったけれど..。今はDJMとも仲良くやってます。」

DJMをやめてロケット・レコードに移るつもりは?

EJ「どうしたら良いと思う?(笑)実は、まだ1年半もDJMと契約が残ってるし。その頃までにはロケットも成長してると思うんだ。キキ・ディーや他の連中も大物になってね。たぶん、ぼくはロケットのアーティストにはならない。ぽくがロケットのトップ・スターになっても意味ないし、大体ロケットは新しい人達の為に作ったレコード会社だから。あまり暇がないけれど僕とクライヴ・フランクスとでキキ・ディーを、ガス・ダッジョンがデイヴィを、それにガスとイアン・マシューズが<ロング・ダンサー>を、バーニーが<ハドスン>を、それからデイヴィッド・コスタが<カサブランカ>を各々プロデュースしていまナ。ビニール不足にめげず、僕達は頑張ってます。」

新メンバーになったレイ・クーパーについて聞かせてください。

EJ「彼はパーカッションの他にヴァイプとキーボードも得意で、ステージでもゆくゆくはキーポードを担当します。ステージで彼のアクションは目立つし、彼のタイミングのセンスが抜群でバンド全体がぐっと引締るんです。」

ということは、あなたが前に欲しいといってたキーポードの追加も必要なくなったわけですね?

EJ「そう、その通りです。」

となればいよいよロキシー・ミュージックのプライアン・フェリーみたいにピアノから立ち上って舞台中央のマイクヘかっこ良く歩み寄って歌う、というスタイルを...。

EJ「いや、いや、僕はブライアンみたいにスマートじゃないもの。それに僕はピアノの上で跳びはねるのがあまりにも好き過ぎるから(大笑)でも、ロキシー・ミュージックって本当に素晴らしいね!」

ニュー・アーティストで好きなのは?

EJ「コックニー・レベル(Cockney Rebel)それから...え?ジョブライアス?あのPRは嫌いだけどアルバムは良いね。レオ・セイヤー?彼も良い。歌声が僕に似てるんだよね。」

ところで第1作めから『マッドマン』までを第1期としてドラマティック路線とすると、『黄昏のレンガ路』は第2期のポップ・ノスタルジア路線の終りではないか、という予感がしましたが、どうですか?

EJ「まさしくその通りです。この次のアルバムはいわば新しい第3期の始まりになるけれど、もっとへヴィで、もっともっとファンキーな世界になるでしょう。」(1月31日)

1974年の来日コンサート・レポート

演奏曲目(2月1日、武道館)
1. 葬送〜血まみれの恋はおしまい
2. キャンドル・イン・ザ・ウィンド
3. ハーキュリーズ
4. ロケット・マン
5. ベニ一とジェッツ
6. ダニエル
7. こんな歌にタイトルはいらない
8. ホンキー・キャット
9. ダニー・ベイリーのバラード
10. グッバイ・イエロー・ブリック・ロード
11. にわとこのワイン
12. ユア・ソング

 EJは、現代のミュージシャンの中では稀にみる天才の1人だと確信している。その天才にありがちな神経の細かさ、完璧さを要求する心、むら気等が、今度の公演のすぺてに遺憾なく発揮されて、聴衆は厳冬の郊外に1時間余りさらされたわけだ。

 初めに天才といったのは決して皮肉のつもりではない。これまでのエルトン・ジョンのどのアルバムを聴いてみても、どの曲に針を落としても、キラッとした天分がかい間みられるからだ。作曲者としてのエルトン・ジョンの作り出す曲には、実に才能があふれている。メロディーというものを知っているように思える。それと、アルバムの構成の上手さだ。勿論、作詞者のバーニー・トウピン、プロデューサーのガス・ダッジョンの協力あってのことだろうが、「マッドマン・アクロス・ザ・ウォーター」「ホンキー・シャトウ」「ピアニストを射つな!」「グッバイ・イエロー・プリック・ロード」の4枚におけるレコード作りは、見事としかいいようがない。実のところ、エルトンが4年前に来日した時は、彼の才能に全く気付いてはいなかった。ステージを観た時でさえ、そのオーバーなステージ・アクションと、大真面目な道化ぷりの方にばかり気をとられて、曲そのものの印象は全く薄かった。しかし今回のステージに接してつくづく感じたのは、歌のうまさ一実に感情豊かな表現力を持っている一とやはり曲の良さである。加えて、ギター(デイヴィ・ジョンストン)とパーカッション(レイ・クーパー)を加え、ドラムス(ナイジェル・オルソン)、ベース(ディー・マレイ)といったバック・アップ・ミュージシャンを強化することによって、ドラマチックに盛上げた点にも細かい計算がうかがえる。更にテープを便用して「べニー&ジェッツ」レコードと同じ効果を発揮したり、音を左右にうまく分けたりという精一杯の工夫がこらしてあった。

 今回の演奏曲目の大半は、新しいアルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」からであったが、エルトン・ジョンが単なる音楽の天才だけではなく商売人としてもなかなかぬけ目がない人物であることに気がつく。つまりこのコンサートは「グッバイ〜」の販売促進をもちゃんと兼ねているからだ。

 開演が6時30分のはずなのに、7時を時計が回っても客は寒い外に長蛇の列を成して待たされてしまった。何事が起こったのかも知らされないままやっと入場が許され、まだ自分の席も確認出来ないうちに場内は暗くなり観客はしばらく右往左往させられ、何となく1曲目「血まみれの恋はおしまい」が始まった。ステージの見事さは、待たされた腹立しさを回復させてはくれたが、7時45分頃から始まり、ラスト・ナンバーの(と思われた)「ユア・ソング」が終ったのが8時45分頃で、当然アンコールがあるものと予想していた私達は、又もや裏切られてしまった。「土曜の夜は僕の生きがい」や「クロコダイル・ロック」(この曲が楽しみだったのに...)はやってくれるものとばかり思っていたから、アンコールを期待して座っていたが、エルトン・ジョンの具合が悪いということを理由に場内は明るくなってしまった。何とも欲求不満のかたまりになって出て来たが、一体何がどうなったというのだろう。

 後で聞いたところによると、入場と開演が遅れたのは、PAが故障してリハーサルの時間がくり下ったためということだったが、(日本公演のために用意したという衣裳の到着が遅れたことも災したとか...)エンディングのしり切れトンボぶりは、天才エルトン・ジョンの気分のせいであろうか?ステージの間中、さかんに自分の後にあるPAを気にしていて、その都度ローディー達がウロチョロしていたが、これが気に障ったとしか思えない。完壁さを求める余り、入場時間を遅らせてもリハーサルをするエルトンである。しかし、私のような気狂いじみたエルトンのファンなら、一夜明ければまたレコードに針を落とし、昨夜の不満なんかさっぱりと忘れて、やっぱり天才だとオメデタくニヤついてしまうのである。最後にパーカッションのレイ・クーパーに拍手を贈ろう。(2月1日武道館にて)

EJ公演日程1974年2月)

1・2日(東京)武道館、 3・4・5日(大阪)厚生年金、 7日(福岡)九電体育館、

8日(広島)郵便貯金ホール、 9日(京都)京都会館、 10日(名古屋)市公会堂、

12・13日(札幌)厚生年金。

(参考資料:ミュージック・ライフ/MUSIC LIFE-1974年-)


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