大江戸ばってん日記 −岡崎弘明−

第5話 「里帰り」

 上京したバッテン人(熊本国粋主義者)にとって、夏休みは大イベントが待ち受けている。それは、いとしの故郷、熊本への帰省だ。
 大都会で疲れ切ったバッテン人たちは、いつも夕陽が沈む方角を見ては、その先にある熊本に想いをはせている。それは異様に美化されており、金峰山はいつしか富士山のようにでっかくなって頂上のテレビ塔は記憶から消去され、白川は陽光きらめく揚子江のような大河にすりかわっている。いとしの故郷と言うよりは、聖地と化しているのだ。
 しかし、当たり前の話だが、里帰りにはそれなりの金がかかる。私が学生時代、周りの貧乏バッテン人たちは、親にねだっていた。
「おれおれ、おれたい。あんたの息子たい」と、今流行の『おれおれ詐欺』みたいに実家に電話して帰省代を送ってもらうのだ。ある友人は、電話では言い出しづらく、電報という離れ技を使ったことがあった。
「カネガナイカラカエレヌ、カネオクレ」と出したのだが、親もさるもの、「カネオクラヌカラ、カエッテクルナ」と電報で返事が来た。また、ある男は、一度は送ってもらった飛行機代を、帰省前祝いという訳の分からぬ宴会ばかりやって、使い込んでしまった。仕方なく、財布を落としたことにして、もう一度、親にねだったが、「歩いて帰ってこい!」と怒られてしまった。しかし、そこであきらめる男ではなかった。「歩いて帰るほど丈夫な靴ば持たんケン、靴代ば送って」と言ってのけたのだ。数日後、実家から小包が送ってきて、開けてみると丈夫な靴だったそうだ。

 自転車でチャレンジするという豪快な男もいた。しかも十段変速などのスポーツタイプではなく、カゴ付きのぼろい自転車である。彼は東京人なので、帰省ではないのだが、我らバッテン人と親しくなり、一度も足を踏み入れたことのない熊本に、異様に興味を持つようになったのだ。母親のおつかいで自転車に乗って八百屋に行く途中、突如『熊本行き』を思い立ったのである。そのまま国道一号に出て、西へと向かってばく進していった。何の準備もせず、持ち金も小銭程度だ。野宿をし、公園で水を飲み、食料は冒険旅行の定番、チョコレートだけである。どこまで本当の話か分からないが、空腹を感じても体力の限界まで自転車をこいでいくと、やがてまったく足が動かなくなり、ばたりと倒れる。そしてチョコを一口かじると、体が動くようになり、次のガス欠状態まで走り続ける。それを繰り返してひたすら西へと進んでいったそうだ。
「おれの燃費(チョコ何グラムで、何キロ走れるか)が分かったぞ」と自慢していた。だが、その彼も、関門海峡を目前にして、旅を終えることとなる。山口で、台風による大水害に巻き込まれ、自衛隊に保護されたのだ。
 夏になるたび、こういった昔の話を思い出し、また、暑い熊本に想いをはせる。このところ帰省していないので、私の頭の中の熊本は、そうとう美化されているはずだ。


イラスト: 村井健太郎


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