大江戸ばってん日記 −岡崎弘明−

第1話 「春の宵の匂い」

 いずれの季節にも特有の匂いがあるが、春から初夏にかけての宵、やさしげな南風と共に漂ってくる甘い香りは極上である。
 オゾンとかイオンとか科学的に説明のつくものかもしれないが、天然文系の私は春の草花や木々から醸し出されるものだろうと思っている。そこに、気温が上がって開放的になった恋人達の甘い吐息が混じっているのかもしれない。
 熊本に住んでいた当時、この香りに誘われてふらふらと宵闇の町を散歩することもあった。それぐらい好きな匂いであり、また熊本では強く匂っていた覚えがある。しかし、今住んでいる東京では、子豚一頭吸い込むほど大きく深呼吸して、なんとなく香る程度だ。自然が少ないせいであろうか。
 大江戸バッテン人の私は東京に対する熊本の優位性としてそんなことを周囲に話したりする。だが、ほとんど相手にされない。上京して二十年以上経つが、この繰り返しである。
 東京は焼鳥屋に豚バラと生キャベツがない、ラーメンのつゆが茶色だ、水がまずい、山がない、お城がない、水前寺公園がない、などと文句ばかり言う。山があるのは熊本だけではないが、それでも大江戸バッテン人としては、お国自慢のネタとする。

 
大江戸バッテン人とは私の造語であり、「東京在住だが、魂は熊本人であり、お国自慢に余念がない人々」のことだ。バッテンを使うのは熊本だけではないが、ややこしくなるし、「グジャッペ人」、「ウーバンギャア人」などと純熊本弁にすると、宇宙怪人のようになってしまうので、乱暴だがバッテンは熊本の象徴としたい。
 おそらく、「なにわバッテン人」や「奥飛騨バッテン人」など、他の地域にもいることだろう。そこまで言い切れるのは、他県の出身者に比べ、熊本県人はふるさと自慢をしたがる者が明らかに多いからだ。私の周囲にも、ことあるごとに熊本を主張するバッテン人が少なからずいる。

 
イラスト: 村井健太郎


 彼らは、「熊本の水は霊験あらたかな阿蘇の伏流水で、毎日飲むと百三十歳は生きられる」とたわごとを吐いたり、飲み屋で、「さしより、ビールば」とお茶目な顔をして方言を使ったりする。私も、なにかにつけて「熊本! 熊本!」と吠えたてている。
 なぜ、こうなってしまったのであろう。よくよく考えると、地元にいた頃はさほど熊本を意識していなかった。だからこそ東京へ飛び出していったのであるが、離れてみてその良さが分かり、また都会の冷たさが郷土愛の感情を盛り立てたのかもしれない。
 いずれにしても、もう止まらない。たぶん死ぬまでバッテン人である。熊本親善大使として、県知事さんに任命してもらいたいぐらいだ。
 逆に「肥後の江戸っ子」というのがいるのだろうか。熊本に住んでいないので分からないが、「肥後なにわ人」はいそうである。
 春の宵の匂いに飢えた都会のバッテン人は多いはずだ。熊本の大気を缶詰にすると売れるかもしれない。
 商売が上手そうな「肥後なにわ人」さん、一緒にビジネスばせんですか?

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