鳥人ベビー

岡崎 弘明


(半漁人 by 狩汝ササ)

「新婚旅行用ですか?」
 ペットショップでじっと小鳥を見つめる僕と雛子に、店員がにこやかに話しかけてきた。
「ええ」
 僕はぼりぼりと脇腹をかきながら、照れ笑いをした。この時期、夏毛に抜け代わるので体中がかゆくてたまらない。
 汚い羽根が床にぼろぼろと落ちている。雛子の足元にも虹色に染められた羽根が散らかっていた。
「当店は子作り用ペット専門店です。うちのペットを月旅行に連れていけば、そりゃもう立派なスーパーベビーができますよ」
 かごの中の小鳥たちがさかんにさえずり、店は喧噪に包まれている。奥の方では熱帯魚が優雅に泳ぎまわっていた。魚人ベビー用だ。
「もちろん、鳥人ベビーをお望みなんでしょ」
「はあ、まあ‥‥」
 そんなこと聞くまでもないだろと言いたかった。僕も雛子も見ての通り、半鳥人だ。これで、魚人ベビーを欲しがってるわけがないじゃないか。
「最近はインコがはやってますね。このセキセイインコなんてどうです。月旅行のお供にはぴったりですよ。これをそばに置いて愛を交わせば、鳥人ベビーのできる確率は八十%以上です」
 店員はすけべそうな笑いを見せた。
「翔吾、これにしましょうよ。かわいいわ」
 雛子はうっとりとした顔でインコを見ている。
「えっと、おいくらですか」
「無重力仕様のかごつきで、三十五万円です」
 それを聞き、呆然とした。月給より高い。超進化時代に突入してからというもの、小鳥やペットの値段は天井知らずなのだ。うぐいすなんて百万円以上もする。
 人類が手軽に月旅行を楽しめるようになってから、鳥人や魚人などの超進化ベビーが続々と誕生し始めていた。月面で妊娠すると、低重力と降りそそぐ宇宙放射線のためにスーパーベビーが生まれるのである。
 人類第一号は、新潟県魚沼郡に住む高橋さん夫婦が月面新婚旅行でさずかった鳥人ベビー、飛一郎ちゃんだった。体は美しい羽根でおおわれ、腕には大きな翼がついていたのだ。
 超進化には一つの法則があり、両親の願いが形となって子供に現れる。鳥人を生んだ高橋さんは、いつも空を見上げながら「鳥って、いいなあ。空を飛べたらどんなに気持ちいいことか」と夫婦そろって思っていたそうだ。
 七つの海を自由に泳ぎ回る無国籍の魚人もしかりである。
 他に、愛くるしいうさぎ人やうるわしき蝶々人、気ままな猫人、警察官のなり手が多い犬人など多種多様の超進化人がいた。
 風変わりなところでは、火とん水とん分身の術など忍法を駆使する忍者人というのもいた。いったい、両親は何を願ったというのだろう。
 今では世界中に五億人あまりの超進化人が生まれているが、みんな空を飛びたいのか、鳥人が一番多く、次に魚人も多いが、進化に失敗してみじめな『半魚人』が生まれる場合があるので、最近は人気が下がっている。
 超進化は百パーセント成功するわけではないのだ。両親の願いが中途半端だと、半分の進化にとどまってしまう。僕達のような飛べない半鳥人や、泳げない半魚人なども大勢いた。それら半進化人達は次の世代へと夢をつなぐのだ。
 その時、五百万円という表示の鳥かごが見え、目をこすった。大きな鷹だ。馬鹿にしたような目でこっちをにらんでいる。
「なんで、こんなに高いんですか」
 鷹に襲われそうな気がして、後ずさりしながら聞いた。
「これは、超進化鷹です。とんびを月面に連れていったら、鷹を産んだんですよ」
「なあるほど、霊験あらたかだ。でも、本当ですか」
「血統書もありますよ。ご覧になりますか」
 店員はこちらのサイフの中身を見透かすような、いやな目つきをした。
「いや、いいです。どうせ買えませんから」
「早く決めましょうよ」
 雛子が口をはさむ。
「やっぱり、すずめにしようか」
 僕は安っぽい鳥かごに目をやった。
「すずめねえ‥‥」
「九百八十円だ。安いぞ。それに、鳥人出生率は七十%以上だ。インコと大差ないさ」
 価格表の下に書かれたその確率に僕は満足した。だが、その数字に何の根拠がないことも知っている。
 子作り旅行に小鳥を連れていくと鳥人が生まれやすいと言うのは、しょせん迷信なのだ。とはいえ、子供を作る前から僕達はすでに親馬鹿になっている。やはり小鳥を連れてハネムーンに行き、青い空をはばたく夢を見ながら彼女と愛を交わし、立派な鳥人ベビーを作りたい。
「あんまり、かわいくないわ」
 雛子が不満そうにくちばしをすぼめる。完全なくちばしではなく、くちびるの先っぽが少し固くなっただけのものだ。
「だけど、安いぞ」
「もう、変なところでけちらないでよ。すずめなんて恥ずかしいわ」
「何を言う。立派な鳥じゃないか」
「いやよ! すずめみたいな平凡な子が生まれてきてもいいの!」
 昨日、挙式を終えたばかりなのに、ずっとこんな調子で、言い合いばかりしている。僕は苦々しい顔で雛子を見た。ひよこのようにあどけない顔をしているが、けっこう気が強い。これからうまくやっていけるのだろうか。
「飛べりゃいいんだよ」
 そうつぶやき、自分の中途半端な翼を寂しげに見つめる。翼と言うより、まだらに羽根の生えた単なる腕だ。もちろん飛べはしない。
 もう少し両親に上昇思考があれば、生まれてきた僕は完璧な鳥人だったのかもしれないが、万年ヒラ社員のうだつの上がらない父と、高所恐怖症の母とじゃ、わざわざ月まで子作り旅行をしてもこんな中途半端な進化がせきの山だったのだろう。
 雛子も半鳥人だが、彼女の妹は立派な鳥人である。きっと次の世代、すなわち僕たちの子供は鳥人のはずだ。僕はそう信じていた。
 店の窓から初夏の青空が見える。そこを気持ち良さそうに鳥人の群れが飛んでいく。翼の先の小さな手で書類を持ち、太い首にはネクタイを巻いていた。丸の内のエリートサラリーマン達だろう。われら下々の者を見くだすような顔つきをしている。
 くそっ、たかが一世代じゃないか。二、三十年進化が早かっただけでえらそうにしやがって。いまいましげに空を見ていると、店員が口を開いた。
「すずめはあまりお勧めしませんね。まれに進化失敗で、百才まで踊り続けるダンシングベビーができる場合が」
「ねえ、あそこの鳥は?」
 雛子が店員の言葉をさえぎり、僕の腕を引っ張る。
「あの白い変な奴か。なんて鳥だろう」
 二人とも半鳥人なのに、鳥の名前にはうとかった。
「ははっ、お目が高い。ペット用の小型アルバトロスですよ。あまりスマートじゃないんで人気がなく、価格も安いんですが、鳥人出生率は八十%以上ですよ。それに、昔は天然記念物にも指定されていた貴重な鳥です。お買い得ですよ」
 店員が両手をこすりあわせた。
「アルバトロスか‥‥。プロゴルファー鳥が生まれそうだな。だけど、小型と言ってもずいぶんとでかいなあ」
「かわいいじゃない。あっ、こっち向いて首をかたむけてる。いっぺんで気に入ったわ」
「雛子も変な趣味だなあ。げてもの好みだぞ」
「そうよ、わたしはげてものと結婚してしまったのよ。あーあ、鳥人と結婚してたらなあ。わざわざ月面になんて行かなくても鳥人の子供が生まれるのにな」
 げてもの扱いされた僕は憮然とした。だいたい雛子の言うことには無理がある。半鳥人は鳥人から相手にしてもらえないのだ。
 超進化時代に入り、歴然とした身分制度が暗黙のうちにできていた。鳥人、半鳥人、旧人の順であり、魚系統の進化では、魚人、旧人、半魚人の順だ。単に、語呂が悪いだけで、半魚人はみじめな存在となっていた。
 値切ったあげく、消費税込みで一万七百円で済んだ。大きな鳥のわりには、安い買い物だった。
 鳥かごをぶら下げて店を出ようとすると、半象人の店員が中途半端な長さの鼻を地面につけながらぺこりとおじぎする。
「ありがとうございました。立派な鳥人をお産み下さい」
 それにしても、彼の両親はどうして象を生みたいなんて思ったのだろう。
 まぶしく照りつける初夏の太陽の下を、みじめな半魚人たちがえらをヒイヒイ言わせながら歩いていた。
 青空のかなたには、ぼんやりと輝く月が見えている。今宵、あそこへと旅立つのだ。二人とも初めての宇宙旅行である。丸く突き出た僕の胸は高鳴った。

 羽田沖の宇宙港には、何隻もの宇宙船が夕日を浴びて波にゆれていた。いや、正確に言えば宇宙船ではなく時空船だ。
 忍法『時空ゆがめの術』が忍者人達によって開発され、たったの一時間で月に行けるようになった。僕の両親の時代には、片道五日もかかったのに。
 忍術の進歩は目覚ましいものがある。時空旅行には空気抵抗も何も関係ないので、円すい形やこんぺい糖形など独特な形が多い。
 僕達を乗せた海上バスは、沖合のらくだの形をした宇宙船に向かって走っていく。時間ぎりぎりだったので僕達が最後の乗客らしく、そのバスには二人しか乗っていなかった。
「あのらくだかしら」
 雛子がつぶやいた。その宇宙船の胴体には『月の砂漠号』と日本語で書かれている。
「アラビアンキャメル航空だものな。なるほど、きっとあれだよ」
「だけど、アラビアンキャメル航空だなんて、聞いたこともないわね」
 雛子が首をかしげた。
「格安チケットの中でも、一番安かったんだ」
「いつもいつも、けちってばっかり。一度きりの新婚旅行よ。もう少し、パッといきましょうよ。どうせ、月旅行のチケット代金分は、税金が控除になるんでしょう」
「ああ、政府の超進化ベビー奨励政策で、子作り月旅行はいろいろと優遇されるからな」
「ちゃんと、領収書とってる?」
「もちろんさ。でも、立派な鳥人が生まれたらの話だよ」
「できるかしら‥‥」
 二人とも急に不安になった。アルバトロスが落ち着かなく羽根をばたつかせている。僕はバスのガラスに映っている自分を見た。まるで鳥のぬいぐるみを着ているようだ。これで、翼さえあれば、立派な鳥人なのに。
 雛子も僕の視線に気づき、同じように自分の姿を見ていた。流行の小さな銀の冠を頭に載せ、くちばしには情熱的なルージュを引き、全身の羽根は見事な虹色に染めあげ、腰には黒く短いスカートを巻き付けている。精一杯のおしゃれだ。
「子供に僕らのような苦労をかけさせたくない。半鳥人という苦労をね」
 僕はつぶやいた。
「でも、わたしはそんなに苦労してないわよ」
「知ってるかい。鳥人が半鳥人のことを、飛べないにわとり人間と陰で呼んでることを。チキンと言って、馬鹿にしてるんだぞ」
 まじまじと雛子を見つめ、さらに言う。
「半進化人や旧人はこれからもっと差別されるようになるさ。でも、逆のことを言えば、進化人というだけで得をする世の中なんだ。それだけで幸せになれるんだよ。だったら、立派な鳥人を何としてでも作らないと」
「そうね‥‥」
 雛子はくちばしの先で脇の下の羽根をつくろった。
 やがて、らくだの腹の部分に大きな入り口が見えてきた。そこからタラップが下ろされている。
「あのお腹の中に入るのね。なんだか、トロイの木馬みたい。ロマンチックね」
 雛子は機嫌よく笑った。
 日が沈みかけ、涼しい海風が彼女の羽根をなでている。しかし、海上バスはその腹の下をくぐり、その先に停泊している宇宙船へと向かっていった。
「あら、ちがったわ」
「ま、まさか、あれじゃ!」
 僕はすっとんきょうな声を出した。海の上に一枚のだだっ広いじゅうたんが漂っているのだ。そこに、大勢の人間が座り込んでいた。じゅうたんの真中に立てられたマストの旗には、『フライングカーペット号』と書かれている。
「冗談でしょ。あれに乗って月に行くの!」
「冗談じゃないみたいだな」
 海上バスがその横で止まり、僕はがっくりと肩を落とした。
 キーッ! 
 極彩色の南方の鳥が鳴くような声で叫んだ雛子は、激しく怒っていた。全身の羽根を逆立て、銀の冠が頭の上でぐらぐらと揺れている。とさかに来ているのだ。それを見て、僕はまさに鳥肌をたててしまった。
 海に落ちそうになりながら、じゅうたんに飛び移ると、スピーカーからコーランが鳴り響いていた。まわりを見ると、みんなアラブの国の人達のようだ。彼らは、空の月に向かって祈りを捧げている。
 もしや、この船は、イスラム教徒の人々が月に作り上げたという新メッカへの巡礼船ではなかろうか‥‥。冷や汗が流れ始めた。
「安いチケットを買うからよ! この分だと、機内食のサービスもないわ。この人たち、きっと断食中よ」
 雛子は大きな鳥かごを抱え、顔を膨らませた。それにしても、混んでいる。周りの人たちがつめてくれ、少しだけ隙間があいたところに雛子はぺたりと座り込んだ。
「ごめんよ」
 ひたすら謝り、僕も膝をかかえて座った。
「おっ、ペルシャじゅうたんだ」
 僕は指先でじゅうたんの毛をつまんでみた。
 夕空を海外出張帰りのエリートサラリーマン、別名渡り鳥たちが飛んでいる。巡礼者に囲まれてじゅうたんの上で所在なげに座っている僕たちを指さし、あざ笑っていた。
「みじめだわ」
 雛子がぽつりとつぶやいた。
「ああ、たしかに半鳥人はみじめな存在だ」
「ちがうわよ。こんなみじめな新婚旅行なんてある!」
 雛子は涙ぐんでいた。丸い大きな目からじわりと涙がこぼれ落ち、羽根を濡らす。僕は何も言えなかった。
 やがて、二人組の操縦士がボートに乗ってやってきた。その時、周囲のアラブの人たちが宇宙服に着替え始めたのに気づいた。やはり、このまま宇宙を飛んでいくのだ。しかも、シートベルトも何もついていない。じゅうたんにしがみついたままで月まで行くのだろうか‥‥。僕はぞっとした。
「翔吾、宇宙服は‥‥」
「そんなの、持ってるわけないじゃないか!」
「下りましょうよ。別の船にしましょう」
 だが、操縦士を乗せてきたボートはすぐさま反転し、岸に戻っていった。
「海に飛び込むか」
「あ、あれ見てよ!」
 雛子は海面を指さす。そこには大勢の魚人達がぽこりと顔を出し、こっちを見ていた。
 最近、羽田沖で不良魚人達が旅行客相手に恐喝をするというのを聞いたことがある。僕達はおろおろとした。
 操縦士が、じゅうたんにぬいつけてある機械をいじっている。その機械の中には、忍法『時空ゆがめの術』を封じ込めた黄金の玉が入っているのだろう。
「い、いかん、もう出発するぞ!」
「どうするのよ」
「宇宙で死ぬよりはましさ!」
 僕は雛子の手を取り、二人で海に飛び込んだ。
 五月とは言え、心臓が止まりそうなほど海水は冷たかった。ごぼごぼと水を飲みながら必死でもがいていると、水面下に大きな客室が見えた。光の漏れる丸い窓から、たくさんの乗客がこっちを見て騒いでいる。じゅうたんの下には客室がぬいつけてあったのだ。
 ぶざまな格好で泳ぎ、何とか宇宙船の上に這いあがった。寒さと怒りのためか、雛子は青くなったくちばしをぶるぶると震わせている。マストの横に丸いハッチがあり、そこから客室にいた人々があわてて飛び出してきた。
「おい、大丈夫か」と心配してくれる人たちはみんな日本人だった。雛子はぶるっと大きく身震いし、ぐっしょりと濡れた羽根からしぶきを飛ばした。虹色に染めていた彼女の羽根は色落ちし、元の栗色に戻っている。それに気づいた雛子は恥ずかしげにうつむいた。
「もう、すっぴんになっちゃったじゃない」と僕を責め立て、さらに大声を上げた。
「あっ、冠がないわ!」
「あきらめろよ」
「いやよ、高かったんだから。翔吾、責任とってよ。海にもぐって拾ってきてよ!」
 あながち冗談ではなさそうだ。
「だめだ。海の中はもう真っ暗だよ。僕は鳥目なんだ」
 そう言うと、雛子は大声で泣き始めた。それを見て、僕も悲しくなった。雛子の言うように、みじめな最低の新婚旅行になりつつある。泣きじゃくる雛子をなすすべもなく見ていると、海面から声がした。一人の魚人が銀の冠を頭に乗せてこっちを見ている。僕達は、この世のありとあらゆる感謝の言葉を使いまくって、心優しき魚人から銀の冠を受け取った。
「魚人もいいわね」
 雛子がつぶやく。
「飛び魚ベビーでも作るか」
 ふんっと言い、雛子は鳥かごを抱えあげて、さっさと客室に下りていった。

 いよいよ出発である。海面下の客室に座った僕は、揺れる海草を見ながらその時を待つ。
 月の宝石『ルナダイヤ』を買ってあげると言ったら、雛子はいっぺんで機嫌が良くなっていた。鼻歌までうたって、羽根を染めている。
 客室内には半鳥人、半魚人をはじめ様々な半進化人がいた。そして、わずかではあるが旧人らしきカップルが居心地悪そうにしている。僕達の隣は、黒い装束を身にまとった半忍者人らしき新婚カップルだった。座席の前の小さな画面で、古い忍者物の映画を見ている。今から気分を高めているのだろう。僕も負けじと空と雲の映像を画面に出した。
「わたしのいとこに半忍者人がいるのよ」
 雛子がルージュを引き、にっと笑ってみせた。
「知らなかったなあ。結婚式に来てたかい?」
「進化が別系統だから、表だって出てこないのよ。だからわたしもね、少しだけ忍者人の素質があるの。進化医から『くのよん』と診断されたのよ。『くのいち』の四分の一よ」
「くのいちの四分の一なら、三十六の一じゃないのか?」
「もう、そんなことどうだっていいじゃない。忍法だって使えるんだからね」
 雛子のその言葉に、隣の半忍者人がぴくりと眉を動かした。
「本当か。それで、どんな忍法なんだ」
「忍法百葉箱よ」
「なんだいそれは」
「気温と湿度をぴたりと言い当てることができるの」
「ははっ、何の役にも立ちはしないな」
「そんなことないわよ。自分の体温だってすぐに分かるんだから」
「体温?」
 僕はきょとんとした。
「今日、明日あたりが一番妊娠可能よ。毎日ずっと基礎体温を計ってるんだからね」
 そう言って雛子は照れくさそうに笑った。
「鳥人が欲しい、鳥人が欲しい、ほら、願いをかけろよ。今から気分を盛り上げるんだ」
「アルちゃん、立派な鳥人を産ませてね」
 雛子がアルバトロスに向かってつぶやくと、周囲の人たちがにやにやと笑った。
 どうもさっきから、まわりの半鳥人のカップル達がその鳥を見て、変な含み笑いをしている。その時、スチュワードがやってきて、みんなのシートベルトの点検をし始めた。やっと出発だ。それにしても、じゅうたんの上の巡礼者達のことが気になるので、聞いてみた。
「あのまま、じゅうたんにへばりついて月まで行くんですよ」
 スチュワードはこともなげにそう答える。そして、僕達の鳥かごを見て、くすりと笑った。
「何がおかしいんです」
「いえ、その、珍しい鳥をお供にしていらっしゃるんで‥‥。それ、アホウドリでしょ」
「アホウドリ? ち、ちがいます。アルバトロスですよ」
「同じですよ。さあ、もう出発です。良い旅を」
 スチュワードは、小走りで席に戻っていった。その時、アホウドリがギャアと一声鳴き、船内は笑いの渦に包まれた。僕は真っ赤になって鳥をにらんだ。
「くそっ、あの店員め、とんでもないものを売りつけやがって。アホウドリなんてお供にしたら、それこそあほうが生まれるぞ。まったく、おまえが、かわいいなんて言うから」
「だって、かわいいじゃない」
「月に着いたら、焼鳥にして食ってしまおう」
 そう言うと、おびえたような目でアホウドリが僕を見た。
「でも、この鳥、なんとなく翔吾に似てるわよ」
 雛子はそう言って笑った。
 ふいに船体ががたがたと震え始めた。出発だ。内蔵が揺さぶられる思いがする。
 あわてて外を見ると、すでに宇宙船は空に浮いていた。それどころか、地表はかなり下に見えた。時空をゆがめて一秒間で約百キロずつ、コマ送りのように進んでいくのである。最初の一秒で成層圏をはるかに超え、五秒もたてば外気圏へと突入するのだ。どんどん地球から離れていくのが、窓にこびりついているワカメのすきまから見える。
 やがて、黄金にきらめく地球のリングが目に入り、あまりの美しさにため息をついた。たくさんの浮遊都市や人工衛星が環状に密集していて、まるで土星のリングのように見えるのだ。
 スーパーベビーを夢見た人々と巡礼者を乗せたフライングカーペット号は一路、月を目ざし、宝石箱をひっくりかえしたような星の大海を飛翔していった。

「あっという間だったわね」
 雛子はいくつかの星を吸い込んだように瞳を輝かせていた。よろよろと宇宙船から下りると、そこは月世界だった。
 アポロ十一号が着陸したことで有名な静かの海だ。当時の月着陸船の下半身を中心に広がった、月面最大の観光都市『アポロシティ』である。
 宇宙港の大きな時計を見ると、すでに二十三時だった。その月面標準時に腕時計を合わせた雛子は大きなあくびをした。
「さあ、ホテルに行きましょう。早く休みたいわ」
「ちょっと待って」
 僕は足を止め、透明なドームの中から月世界の景色を楽しんだ。あちこちに立てられたハンバーガー屋や清涼飲料水の広告塔が気にはなるが、それにしても美しい世界だ。数多の星のきらめきをバックに、荒々しいクレーターがたおやかな宇宙の歌をつむぎ出している。
「あっ、ラーメン屋よ。隕石ラーメンだって、ふふっ、おいしいかしら」
 雛子が騒いだ。
「まったく、情緒がない女だなあ」
「星より団子よ。ほら、見て見て、あそこのクレーターの横のたこ焼き屋」
「なんだよ」
 不機嫌な声を出し、雛子の指さすほうを見た。たこ焼き屋が二軒並んでいる。『宇宙一おいしい店』と『隣よりうまい店』の看板が立てられていた。
「ほら、見て見て!」
 雛子がまた叫ぶ。
「何だよ、今度はお好み焼き屋か」
 そう言った僕は、上空を見上げる雛子の視線を追って、一瞬言葉を失った。月面ばかり見ていて気がつかなかったが、上空には金色のリングを身にまとった青い地球がぽっかりと浮いていたのだ。
 あまりの唐突な美しさに、不覚にも涙を流してしまった。雛子も無言で、いつまでも地球に見とれていた。
 さかんにギャアギャアと鳴くアホウドリを抱え、ムーンモービルでホテルへと向かう。でこぼこの月面をバッタのように飛び跳ねていく車内で低重力を味わい、僕達ははしゃいだ。窓の外にたくさんの月面桜の木々が見える。花が咲き乱れ、あたりのクレーターはピンク色に染まっていた。
「月見と花見を一緒にやりたいと考えた酔狂な日本の学者が、ああして見事に月面に桜を咲かせたのです」
 観光ガイドの女の子がしゃべっている。完璧な超進化のうさぎ人だ。
 その時、遠くの神殿に向かって、宇宙服を着た大勢の巡礼者達が歩いていくのが見えた。
「右手をご覧ください。『宇宙一の神』と書かれた神殿がイスラム教の新メッカです。その横の『隣よりもっと神』と書かれたのがユダヤ教のメシア宮です‥‥」
 段々とその声が遠くなっていく。僕達の泊まる『ホテル青い鳥』のネオンが見え、雛子との初夜のことで頭がいっぱいになったからだ。

 そこは、鳥人ベビーを夢見る子作り旅行者専用のホテルである。放し飼いにされた小鳥がロビーを飛び交い、壁には大空を飛翔するかわいらしい鳥人ベビーの絵が描かれていた。
「いいホテルね」
 雛子は満足したようだった。
「ここは、けちってないからね。最高級とまではいかなかったけど、一応スイートルームだよ。素敵な景色を見ながら、その‥‥」
「‥‥‥」
 雛子はひよこのような顔を赤らめた。僕も赤くなり、そして興奮した。月面までお預けにされた初夜である。昨夜もむらむらとしたが、なんとか情欲を抑えていた。この五泊六日の月世界旅行に総てをかける為に。
「部屋に行こうか」
 とぼけたような声でそう言った時、背中を誰かにつつかれた。振り向くと孔雀のような見事な鳥人女が立っていた。
「当ホテル専属の鳥人ベビーカウンセラー、鳥羽さえずりと申します」
 そのあまりにも鳥人らしい名前に驚くと、彼女は名刺を七色の翼の下から差し出した。
「ご滞在の期間中、各種カウンセリングを行なうことができますが、いかがですか。ここにお泊まりの九割の方はご契約なさいますよ。それに、わたしは進化医の免許も持ってます」
「でも、高いんでしょう」と聞くと、彼女は素晴らしい鳥人スマイルを浮かべて、金額を言った。思ったほど高くはなく、月賦でもいいそうだ。雛子を見るとうなずいたので、契約することにした。
「ありがとうございます。それではルームナンバーを教えてください。えーと、ほおじろの間ですね。それでは、わたしはあそこの部屋にいますから、いつでも気軽にお越しください」と言って指さした先には『鳥人の館』と書かれた部屋があった。
「あっ、とりあえず、ひとつうかがっていいですか。このペットのことですけど」
「あら、かわいらしいアホウドリね。趣味がいいわ」
「あほうが生まれません?」
「いいえ、アホウドリは賢い鳥ですよ。きれいな羽毛の為に乱獲され、おまけに簡単に捕まえられるので不名誉な名前までつけられましたが、儀式化された優雅な求愛ダンスをすることで有名です。それに、一度つがいになったら、一生離れないんですよ。まさに、新婚旅行のお供としてはぴったりの鳥です」
 僕は感心して、まじまじとアホウドリを見つめた。孔雀女からお墨付きを得たためかもしれないが、なんとなくその鳥がいとおしく思えてきた。雛子が得意気に微笑む。
「ほらね。この鳥にして良かったでしょう」
「ようし、賢い鳥人ベビーを作るぞ!」
 雛子の腕を取って部屋に向かっていった。
 部屋は鳥かごを模して作られていた。天井からは、止まり木がぶら下がっている。
「わあ、面白い部屋ね」
 雛子は楽しげな声を上げ、羽毛ベッドにふわりと転がった。それを見て、たまらず僕は突進した。
「雛子!」
 彼女を抱き、くちばしにキスをする。雛子もぎゅっと僕を抱きしめた。その時、ノックの音が。
「だ、誰だ。いったい!」
 あわてて頭の羽根をなでつけ、ドアを開けると、カウンセラーの鳥人女が立っていた。
「まさか、もう交尾を始めてるんではないでしょうね」
 彼女は小さな首をくいっと曲げて、部屋の中をのぞきこむ。
「いったい、何ですか」
 交尾という言葉が気にさわり、僕は不機嫌な声を出した。
「いえ、鳥人ベビー体操のことを言い忘れてしまって。交尾の前に必ず体操をして下さい」
「どんな体操です」
「ジャンプして羽ばたくのですよ。そして、空を飛びたいと願うのです。それを何度も繰り返してください。これは大事なことです」
 ドアを閉め、言われた通り羽ばたきながらジャンプしてみた。月面の低重力下では半鳥人と言えどもかなりの高さまで飛べる。頭上の止まり木に飛び移り、雛子を見下ろすと、馬鹿にしたような目でこっちを見ていた。
「おい、雛子もやれよ。ほら、楽しいぞ」
 止まり木から飛び降り、またジャンプする。雛子はしぶしぶちょっとだけ飛んだ。しかし、それが意外に面白かったようで、段々と調子に乗り、げらげらと笑いながら何度もジャンプした。やがて疲れ果て、荒い息をつき、二人でベッドに寝転がった。
「雛子‥‥」
「翔吾‥‥」と見つめあった時、またしてもノックの音が。ドアを開けると、案の定、孔雀女だった。
「体操が終わりましたら、今度は瞑想をしてください。もちろん、大空を羽ばたく鳥のことを考えながらですよ」
「はいはい、分かりました。でも、いっぺんに言って下さい。他にやることはありますか」
「特にありません。それでは、ご幸運を」
 やれやれと言いながらベッドに腰掛けると、雛子はもう目を閉じてすやすやと眠っていた。どっと疲れが出たのだろう。
 愛くるしい寝顔にキスをし、彼女の羽根をそっとなでてやった。やがて僕もいつしか眠り込んでしまった。

 翌日、起きるやいなや、ねぼけまなこの雛子を抱こうとした。しかし、妙に寒い。キスをした瞬間、雛子は大きなくしゃみをした。
「寒いわよ、この部屋。気温は摂氏七度二分。それに湿度は四十三・二%しかないわよ」
「空調が壊れているのかもしれないな。うわっ、あちちっ!」
 壁のスイッチをいじった途端、今度は熱い蒸気が噴き出したのだ。従業員を呼んだが故障は直らず、結局、ホテル側が隣の部屋を用意してくれることになった。少し時間がかかるというので、僕達は月面半日観光コースのバスに乗り込んだ。
 まず、子宝を授かるというコペルニクス神社を参拝した。虹の入り江を通ってのかなりの長旅となり、ついでに長さ三キロのシーソーと月面ブランコで遊んだ。ホテルに帰った時はくたくたになっていたが、こんなことでへこたれてなるものか。
「さあ、体操をしよう」
 最上階の『閑古鳥の間』で僕はぴょんぴょんと飛び跳ねた。そこは、最高級のスイートルームだった。天井はガラス張りで、美しい地球が見える。その地球に向かって大きくジャンプした。
「それじゃまるでカエル飛びよ。ほら、こうしてくるりと回って」
 雛子は見事な月面宙返りを演じた。僕も真似したが、どうあがいてもカエル飛びにしかならなかった。
 しかし、飛んでいる間中、上空の美しい地球ばかりが目につき、鳥のことを考えるのを忘れていた。そのことを雛子に話すと、彼女もそうだと言った。
「どうしよう。地球が生まれてくるかもしれないぞ」
「生まれるわけないじゃない」
「よし、鳥のことを考えて瞑想しよう」
「‥‥‥」
「‥‥?」
「‥‥‥」
「おい、寝るな!」
 またしても初夜はお預けとなった。

 翌朝、アホウドリの鳴く声で目が覚めた。空飛ぶ夢を見ていたので、気分よく起き上がれた。しかし雛子が青い顔をしてベッドのへりに座っている。泣いているようだ。
「どうしたんだい」
「月面に着いてから、基礎体温がどうも変だったの。それで、もしやと思ったら」
「まさか、生理か!」
 驚いて大声を上げると、雛子はうなずいた。彼女に怒っても仕方のないことだが、僕は八つ当たりした。
「まったく、こんな時に!」
「しかたないじゃない!」
 雛子は目に涙をためて、怒鳴り返す。
 僕たちはうちひしがれた。これで、この旅行での子作りは無理だろう。
「でも、こんなに早く始まるわけがないのよ」
 雛子がそう言うので、カウンセラーのところに行き、聞いてみた。
「月では生理不順になりやすいんです」
 孔雀女は淡々と答え、「月のものと言うくらいですからね」と冗談とも本気とも分からないようなことを言った。
「はあ‥‥」
 深々とため息をついた僕達を見て、彼女はにっこりと微笑んだ。
「でも、大丈夫です。この薬を飲めば、明日から妊娠可能になりますよ。かなりの高確率で当たりとなります。でも、今夜はだめですからね。ふふっ」
 鳥人は赤い錠剤を手渡す。僕と雛子は見つめ合い、にんまりと笑った。
 そして次の日、やっとのことで初夜をすませた。誰にも邪魔されず、素晴らしい夜だった。枕元のアホウドリの視線は気になったが。
 さっそく雛子は『予知能力付き妊娠判定紙』をぺろりとなめた。そしてがっくりと肩を落とした。そこには、スカの二文字が浮かび上がっていたのだ。
「だめだったわ‥‥」
「よし、もう一回だ。体力の限界までやるぞ」
 僕は目の下にくまを作り、精魂尽き果てるまで頑張った。だが、ことごとくスカだった。二人とも羽根はぼろぼろと抜け落ち、これから丸焼きにでもされるような姿になっていた。アホウドリが悲しげな目で見ていた。
 しかたなくカウンセラーと相談する。
「ご主人の精子に異状があるのかもしれません。ちょっと調べてみましょう」
 鳥人はそう言い、恥ずかしがる僕にビーカーを手渡した。
「それに、精子を入れて持ってきてください」
「はあ‥‥」
「ほら、ぐすぐすしないでよ! わたしたちにあんまり時間は残されてないのよ」
 雛子がヒステリックに叫ぶ。そう、明日には地球に帰らなければならないのだ。僕は情けない思いでトイレに行き、ビーカーを構えた。
 やがて、検査が終わり、僕達は鳥人の館に呼ばれた。
「すごいですよ! これを見てください!」
 孔雀女は興奮していた。僕は言われた通り、顕微鏡をのぞき込む。そこには自分の精子が泳いでいた。初めて見る、僕の種だ。しかし、何がすごいのだろう。
「まさに変わり種です。よく見てください。ほら、おたまじゃくしの形じゃないでしょう。精子に手足がはえて、ぴょんぴょん飛び跳ねてるでしょう」
「はあ、言われてみるとそうですね」
「精子自体が超進化して、カエルになっているんです」
「カ、カエル!」
「カエル飛びばかりしていたからよ。もう!」
 雛子が大声を上げて、僕をののしった。
「これじゃ、子供は無理ですね‥‥」
「いいえ、大丈夫ですよ。たぶん、元気が良過ぎてあっちこっちに飛び跳ねているんでしょう。さあ、頑張ってください。きっと、ものすごいスーパーベビーができますよ!」
「本当ですか!」
 僕も雛子もぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
「ひょっとすると、これまでなかったようなまったく別系統の進化人が生まれるかもしれませんよ」

 部屋に戻り、ガラス張りの天井の向こうにぽっかりと浮かぶ地球を見上げた。彼女と愛を交わしている間、空からずっと見つめられていた気がする。
「よし、頑張るぞ。絶対に鳥人ベビーを作ってやる。カウンセラーも言ってただろう。ものすごい子供が生まれるんだ。そうだ、忍術も使えるスーパー鳥人だ!」
 拳を握りしめると、雛子が真剣な顔で僕を見つめた。
「本当に、そんな赤ちゃんを望んでるの?」
「‥‥‥」
「ねえ、翔吾。どんな赤ちゃんでも、たとえ半魚人が生まれても、わたしたちにとっては天使なのよ」
 僕はふたたび地球を見上げた。そのあまりに美しい地球を見ていると、鳥人にこだわっている自分がとても小さな存在に思えた。
「そうだな。健康な赤ちゃんならそれでいいよ」
 そう言うと、雛子は微笑んだ。その頬にキスをする。
 その時、きらりと地球の黄金のリングが輝いた。 
 そして、雛子は見事に妊娠した。

 地球での出産の日、赤ちゃんを一目見た僕は腰を抜かしてしまった。立派な翼をはやしていたが、鳥人ではなかった。それは、頭に金のリングをつけたかわいい天使だったのだ。
 人類初のエンゼルベビーの誕生である。


(これは、ホームページのために書き下ろしたものです)
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