生まれて初めて作った
味噌汁には、
何かが足りなかったの話

                              
 そう、何かが足りないのである。
 東京に出てきて、初めて自炊をした時のことだ。鍋に味噌を投入して味見をした僕は顔をしかめ、髪をかきむしった。当時、十九才。まだ顔にはニキビがあり、髪はフサフサとしていた。
 湯気を上げながら、炊き立ての御飯が僕に食べられるのを待っている。その隣の皿には惣菜屋で買ってきたコロッケがちょこんと正座している。
「早く食べてやらねば」
 僕は彼らを一瞥し、問題の味噌汁をじっと見つめた。
 具は味噌汁の定番、豆腐とワカメ。それに、ネギもちゃんと入れた。
 何だろう、醤油を入れるのかと思い、少したらしてみた。
『悠久なる流れ、大黄河』のような色をした鍋の中に、キッコーマン醤油が渦を巻く。プカプカと浮かぶ豆腐達がなんとなく迷惑そうな顔をした。
 もう一度、味見をする。
「‥‥‥」
 状況はさらに悪化していた。
 僕は考えた。いったい、何が足りないのだろうかと。そして、これまで何千杯も飲んだ実家の味噌汁を思い浮かべた。
 しかし、愚かな僕は、結局足りないものの正体に気付かず、友人に電話で聞いた。彼も僕同様、その年の春から東京の大学に入り、一人暮しをしていた。
「もしもし、俺だ。元気か?」
「俺は元気だ、ありがとう。お前は?」
「俺も元気だ」
 と言うような英会話風の挨拶を済ませ、本題に入る。
「味噌汁の作り方が分からんのだけど、教えてくれ」
「あっ、ダシを入れとらんのだろ」
「ダシ?」
「鰹節とか、いりことか最初に入れて、ダシをとらんといかんぞ」
 そう、賢明な皆さんは、タイトルを見ただけで既にお気付きだったとは思うが、ダシの存在をコロッと忘れていたのである。しかし、なぜ彼はこちらが状況を説明する前に分かったのであろう。そこのところを聞いてみた。
 すると、「俺も同じ失敗をした」ということであった。そして彼は、「味噌を入れる時は、いったん火を止めねばならない」とか、「豆腐は煮過たらだめ、最後に入れるんだぞ」などと講義を始めた。
「よく知ってるね」と感心すると、「彼女から習った」と得意気に言われ、おまけに「彼女は料理がうまいとぞ」とのろけまで聞かされた。僕は、食事の前なのに「ごちそうさま」を言う羽目になった。電話を切り、慌てて鰹節を買ってきて、最初からやりなおす。そして、何とか味噌汁が完成したのである。
 その後も、ざるそばを作った時、『恐怖、醤油の水割り』をつゆにしたり、惣菜屋でとんかつを買ってきて、さてカツ丼に挑戦しようかなという時、『必殺、いり卵アンドとんかつ』が出来上がったりした。
 総てに、偉大なるダシの存在を忘れていた(知らなかった)のである。崇高なるミリンの存在に気が付くのは、ずっと後になってからだった。
 料理というものは奥が深いものだと、底の浅い僕はカルチャーショックを覚えたのである。


 僕はまめな方ではなく、ほとんど外食か、金が無いときはカップラーメンが食事の主流を占め、自炊は気が向いたときにしかやらなかった。それでも、だんだんと料理を作る楽しさを覚え、いろいろとチャレンジした。まずは手頃な炒め物シリーズから挑戦し、手当り次第フライパンに乗っけて炒めてみた。(トマトはおいしかったけれど、スイカは参った。アパートの敷地に生えていた雑草を炒めたら、結構、食えた)
 炒め物に飽きると、次は煮物シリーズ。洋風煮物の入門編とも言うべきカレーとシチューは、「腕がなるぜ」と言う程に凝り(ルー自体は即席だったけど)、無差別攻撃で台所にあるものを片っ端から投入した。この時、お酢やインスタントコーヒーを少量入れるとコクが出ることに気付き、キャラメルを入れても溶けないことが判明した。
 ここで思い出されるのが、漫画家泉昌之の『男の無限料理』の話である。以下、あらすじ。

 奇抜な『男の料理』を作ろうと思い、スパゲッティにかけるミートソースを御飯にかけてみる。これがまずい。捨てるのも悔しいから、それをそのままフライパンで炒め、ピラフにする。これも食えない。今度はそれを油揚げに包む。五目いなりの発想である。これまた食い物と呼べる代物ではない。その後も、それをおじやにしたり、ホワイトソースをかけてレンジに入れ、ドリアにしたり、擦り鉢で練って餅にしたり、焼いて煎餅にしたりと無限に続いていくのである。笑いながら読んだが、自分もそれに近い状況であった。

 自炊の経験を持つ周囲の者にダシ抜きの味噌汁の話をしてみると、結構、同類が居た。
 男の一人暮し。自炊をしようとすれば、一寸先は闇なのである。しかし今では『男子にも家庭科を』が叫ばれ、僕のようなトンマは少なくなってきたであろう。と、ここまで書き、はっとした。そうだ、僕も小学校で御飯と味噌汁の作り方を習ったではないか。
 今、自分の愚かさを再認識すると共に、タイトルも嘘であるということに気付いた。



戻る