安眠パンツ


「出身はどこですか?」
「はあ、熊本です」
「ほほお、九州ですか」
「ええ、熊本です」
「九州男児ですね」
「‥‥‥‥」

 上京して何度も交わされたこの会話は実際、まったく噛み合っていない。
 こちらが意固地に熊本を主張すればするほど、相手は不思議そうな顔になる。
 東京の人は九州という言葉ですべてを片付けようとしたがるのだ。福岡だろうが、宮崎だろうが関係ない。彼らから見れば、みんな同じ九州なのである。
「おやまあ、熊本ですか。いやあ、あそこのラーメンはおいしいなあ」とか「阿蘇山はすごいですね」とか言われれば、こちらもうれしくなり、会話がはずむものだが、九州と一言で済ませられると、やはり寂しい。
東京出身の人に対して「ほお、関東ですか。いやあ、関東平野は広いですなあ、はっはっはっ」と言うのと大差ないのだ。
 要するに熊本というところは熊本人が思ってるほどには東京の人(と言っても地方出身者がたくさんいるが)から興味を持たれていないのである。
 まあ、中には詳しい人もいて、「交通センターってあるでしょう」とか「布田保之助(ふたやすのすけ)の作った通潤橋(つうじゅんきょう)はたいしたもんだ」などと言われると頬ずりしたくなるのだが、これはまれである。
「蜂楽饅頭(ほうらくまんじゅう)は白あんの方が好きだね」とか「昔、川尻という町で買った包丁は良く切れるんだよ、これが」などと言う人に万が一出会えたら、すぐに仲良くなれるだろう。
 僕も含めて、熊本出身者は他県の人に比べ、ことさらに地元を主張したがる風潮があるようだ。特に男性は。
 女性はどちらかと言うとすっと東京に溶け込んでいき、なじんでいくが、男性は東京を意識し過ぎて、ことあるごとに熊本の名誉を守ろうとする。
 田舎と言われるとむっとして言い返す。それが逆に田舎者の印象を強める結果になるのだが。
「田舎、田舎と馬鹿にするけど、電話の局番は三ケタなんです。東京と一緒なんですよ」とつまらないことで見栄をはっていたが、これも今年から東京は四ケタになり、破壊力は失せた。

 十数年前、夢と希望を重たいバッグにつめてあこがれの東京に着いた時、目指す下宿が分からなくなり、道に迷ってしまった。もう夜更けである。
 地図を見ながらふらふらと広い通りを横断すると、目の前に交番があった。お巡りさんがじっと僕を見ている。道を聞こうと思い、近付くと、「信号無視だぞ!」と叱られた。
 振り向くと確かに信号は赤であった。
「すんまっせん。今日、東京に出てきたばっかりで、信号の見方が分からんだったもんですから」と冗談を言うと、お巡りさんはふいに真顔になり、「田舎はどこだ」と訪ねた。
 少し警戒しながら熊本と答えると「君、ちょっと来なさい」と交番の中まで僕を引きずり込んだ。
「な、なんですか」
「そこへ座れ」
「はあ」
「いいか、しっかり覚えておけよ」と言い、お巡りさんは引き出しから十二色入りの色鉛筆を取り出すと、紙にいびつな信号機の絵を書き、赤、青、黄色と色を塗った。
「これが進めだ。これが点滅すると注意、そしてこの赤色で止まれだ。これを頭の中に叩き込むように。知らないと車にひかれるぞ」
「どうもごていねいに‥‥‥」
「よし、じゃあ、東京でしっかり頑張るんだ! 青で進めだぞ」
 からかっているようには見えず、真剣な顔で教えてくれた。熊本には信号機がないとでも本当に思ったのだろうか。親切なお巡りさんではあったが‥‥‥。


「熊本の夏は暑いでしょう」とよく言われる。
「ノウウッダスと言って、脳味噌が飛び出すほど強烈に暑いという言い方があるんですよ」と熊本弁を教えてやると、英語みたいだとみんなははしゃいで喜ぶ。
「でも、冬は寒いんです。底冷えするんですよ」と続けて言うと驚く。そして、ついでに「スースースー」(スースーとする、寒いよーの意)という熊本弁を教えると、たいていうける。
 実際、手元の理科年表を見ると、一年間のうち真夏日は東京が平均四十五日ある。熊本は六十九日もあり、確かに熊本の方が暑い日が多い。
 しかし、冬日は東京が二十八日、熊本は四十七日(新潟と同じくらい)である。熊本は寒い日も多いのだ。
 僕は長年熊本を離れているうちに、この底冷えと言うものをすっかり忘れていた。
 今年の正月に帰省し、久し振りに実家で真冬の夜を過ごすことになり、大地の下を氷河が流れているような底冷えのすごさに驚いた。寒くて眠れないのだ。何枚蒲団をかけても冷えて冷えてしょうがない。特に頭と顔だ。脳天はジンジンとしびれ、ほっぺたはパリパリとなっている。
 頭から毛布をかぶったが、そうすると息ができない。仕方なく、ごそごそと起き上がり、セーターを頭に巻き付けたがこれもうまくいかなかった。
 そこではたと思い付いたのが、その日デパートで買ったパンツである。背に腹はかえられない。新品のパンツを頭からすっぽりかぶり、正面の穴から鼻を出してまことに情けない格好でなんとか眠ることができたのである。
 翌朝、目を開けた時、失明したかと思ったが。
 この話を東京の人達に読まれると、「熊本の人は、冬のあまりの寒さに脳味噌が固まるから、みんなパンツをかぶって寝るそうだ」などと誤解されそうで恐い。


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