虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、彼の白い脳髄のひだを、無数の群虫が、ウジャウジャはい回った。あらゆるものをくらいつくす、それらの徴生物のムチムチという咀嚼の音が、耳鳴りのよう鳴り渡った。
 これは、かの江戸川乱歩の「虫」なる短編に出てくる一節。どうです、気持ち悪いでしょう。

 僕は虫のたぐいがまったく駄目で、毛虫、蜘蛛、むかで、ゴキブリ、サナダ虫‥‥、とにかく、手足が四本より多い奴や、どう見てもグロテスクとしか言いようのないものに対しては気絶するほどの恐怖感を覚える。
 まあ、そんな人の方が多いに決まっているのだが(中には、あの薄気味悪いところがいいのよ、ゲジゲジ君と一度つき合ってみたいわという特殊な人もいるかもしれないが)。僕のダメさ加減は人一倍だという妙な自信がある。
 朝、目が覚めて、頬の上をムカデがはっていたら、きっとショック死するだろう。そんな事を想像しただけでもぞっとする。
 エサにさわることができないため、釣りも苦手である。仮に僕がスパイで、敵に捕まったとしたら、毛虫一匹で簡単に口を割るだろう。
 オカルトやホラー小説を読むよりは、昆虫図鑑を見たほうが数倍も怖い。しかし、怖いもの見たさで、つい原色昆虫図鑑に手が伸び、黄緑マダラアシナガオニゴキブリ・体長三十センチなんて出たらどうしようと思いながら恐る恐る見てしまう。そして、毒蜘蛛なんかに目がいき、卒倒しそうになる。
 数ある虫の中でも、嫌い度ナンバーワンはやはりゴキブリ。
 まず名前がひどい。ビリモラでもブキプキでもよかったのかもしれないが、やはり名は体を表わすで、ゴキブリというなんともおぞましい名前がピッタリである(グケゴゲやグジョボゴでもいいかもしれない)。
 それに、あの触覚をフルフルと震わせているところなんか、こちらも鳥肌をフルフルと震わせるほど怖い。そして、色つやのよさ。とてもこの世の物とは思えない。きっとエイリアンだ。
 しかも、なんといってもあのすばしっこさには参ってしまう。追い詰めたりすると逆に向かってくる。そのうえ、空中戦という奥の手も用意している。もし、四、五匹もいっぺんに現われたら、あっさりと部屋を明け渡し、しばらくはどこか知人宅に身をよせるかもしれない。


 とにかく、ゴキブリは嫌いだ。狡猾そうで、しぶとくて、繁殖力はものすごく、そして、最悪なのは唐突なその登場の仕方。平和な家庭のだんらんもいっぺんで阿鼻叫喚地獄絵巻と化す。どんな化け物でもゴキブリにはかなわない(と思う)。
 これを書いていて、段々と気持ち悪くなってきた。
 まあ虫たちには罪がなく、僕が勝手におびえているだけだが(ゴキブリだけは絶対に悪意を持っている)、子供の頃はそんなに虫嫌いでもなかった。平気で芋虫をつまんでいたし、ゴキブリだってそれほど怖くはなかった。
 いつごろから、虫におびえはじめたのであろう。おそらく、能本を難れ、上京してからのことだと思う。
 熊本にいた頃は、しょっちゅういろんな虫たちが遊びにきていた。そのせいである程度なれっこになっていたのだろう。しかしこっちでは虫の来訪は珍しい。ゴキブリさえもそんなには登場しない(ほう酸だんごを部屋中、まるで地雷のように仕掛けているせいもあるが)。そのため、たまに登場されるとビビッてしまうのだ。
 もう一つ虫嫌いになった原因がある。何度か、虫を食べそうになったのだ。
 一度は居酒屋で頼んだお茶づけにショウジョウバエが乗っかっていた。ばうっとした馬鹿なハエで、僕の箸につままれ(これまたぼうっとして馬鹿な僕は,それを具の一種だと思った)、そのまま口の中に入ってしまった。妙に舌の上が騒がしいと思い、口を開けると、ブーンと飛んでいった。
 次は、コーンフレーク。ザラザラッと皿に人れ、ミルクをかけると、妙に黒っぼいフレークが目についた。こげたのが入っているのかと思いながらスプーンですくうと、天便の羽の色をした白いミルクの中に、悪魔の乾燥ゴキブリが浮かんでんでいた。
 そして、枝豆。ビールを飲みながらゆでたての枝豆を噛むと、苦い味がした。あわてて吐き出すと、僕の歯で半分にちぎれたピンク色の正体不用の虫が‥‥。
 とどめは、立ち食いそぱ。ほとんど食べ終わり、最後のクライマックス、どんぶりを待ち上げて天カスとつゆをぐぐっとすすっていると、何やら巨大な具が鼻先に近付いてきた。その暖間、血の気が失せていくのを感じた。具にギザギザの手足が生え、触覚も見えたのである。それはゴキプリだった。侯はゴキブリの煮汁を飲んでしまったのだ。その時はパニック状態におちいり、うわあ、うわあで、後どうなったかは書かない。

 世の中、昆虫図鑑に載っていない様々な虫がいる。浮気の虫、勉強の虫、本の虫‥‥。
 今回、この原稿を書いている時にも、一匹の虫に襲われた。バグと言う名の虫が、パソコンで現れたのである。コンピュータ虫は、別な意味でゴキブリ以上に恐ろしい。このエッセイの結末を変えたのも、そいつのおかげである。

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