グー・チョキ・パー



 

   
 大人になると、ジャンケンから縁遠くなってしまう。最後にジャンケンをしたのはいつのことだろう。

 小・中学生のころは、何かあるたびにジャンケンをしていた。最低でも一日に三回はしていたような気がする。

 目を血走らせ、肩を怒らせて気合いを入れ、勝負していたものだ。

 絶対に勝ちたいという時、僕は力が入ってしまい、思わずグーを出していた。

 けっこうそういう人間が多くて、大勝負の際、四、五人がいっせいにグーを出して、それぞれの堅く握り締められたげんこつから湯気が出るようなケースが良くあったような気がする。

 少し賢い子は、そのジャンケン心理を覚え、ひょうひょうとパーを出して勝っていた。

 そして、ついグーを出してしまった単純な人間(僕を含めて)はゲンコツを握り締めたまま、まさにぐうの音も出ずに間抜けな顔をして、自分の出したグーを恨めしそうにながめ、あぐあぐとそのゲンコツにかじりついていた。

 学習機能がないのか、グー人間は大勝負のたびに(特に食い物がからむと冷静さをなくし)、懲りずにグーを出して、そのつど、こざかしいパー野郎に負けて後悔していた。

 しかし、そのうちにみんなは賢くなり、やがてパー野郎が増え始める。

 そこでついにチョキ君が登場するのである。

 だけど、最初の勝負でチョキを出すのは非常に危険な賭けでもある。

 相手がいつまでたってもグーを出すことしか知らないような間抜けなグー人間だった場合、当たり前の話だけど、負けてしまうのである。

 そう、深読みがあだになるのだ。

 単純グー人間は、相手の手を読むことなどせず、ただ勢いでグーを出しただけである。

 そんなやつらに負けてしまうとはと思い、チョキ君は深い悲しみの中に沈んでいく。

 しかし、グー人間の中にも、実は相手の裏の裏のそのまた裏を読んでグーを出した奴もいて、そうなると何が何だか良く分からない混とんとした世界になっていく。

 そこで、後に一世を風びしたルールが出現することになる。(と言っても、僕の周りだけかもしれないが)

 それは「最初はグー」というルールである。

「とにかく、最初はグーですよ。それを出して、とりあえず単純グー人間も、ちょっと賢いパー野郎の人も、チョキ君もみんな冷静になりましょうね。そのあとが勝負ですよ。その時は、よおく考えて出しましょう」というものである。

 これにより、ジャンケンの公平さを高め、円滑な友達関係を維持させるのである。

 しかし、中には、「最初はグー」と言ったにもかかわらず、パーやチョキを出す大間抜けな奴もいて、ルール上、その時点で負けとなってしまう。

 僕も何度か「最初はグー」モードの時にパーを出して、「おまえは本当にくるくるパーね」としみじみと言われたりした。

「最初はグー」がはやりだし、数学的にはみんなほぼ同じ勝率という世界になっても、必ず負けるやつがいる。

 いわゆるジャンケンに弱いと言われる悲しい人々である。

 運がないのか、前世の因縁を引きずっているのか、はたまた何かの呪いか、気迫が足りないのか、とにかくジャンケンに弱い人間はいるものである。

 そうこうしているうち、そういった人間達がある日クーデターを起こした。

 後に、「ジャンケンプロレタリアートの乱」と呼ばれる無血革命である。

 なんと、「負けたほうが勝ち」というとんでもないルールを考え出したのだ。

 ところが‥‥。

 そういうルールでも、負けるやつはやっぱり負けるのである。

 すなわち今までジャンケンに負けていたクーデター組が、そんなルールを立ち上げたとたんに、今度はジャンケンで勝ち始めるのである。

 ということは、ルール上、負けなのだ。これはジャンケンに弱いと言うよりは、勝負に弱いと言ったほうがいいだろう。

 世の中にはクリエイティブな人間もけっこういるもので、また別のルールがある日突然にはやりだしたりする。

 その中で面白かったのは、大勢でジャンケンをする場合のルール、「グーとチョキとで少ないほうが勝ち」というものだった。

 パーを出さずに、グーとチョキとを出して、少なかった方の全員が勝ちになるのである。

 良く出来たルールであった。

 でも、そんな中でも、思わずパーを出して場を乱すやつが出て来てくる。

 当然、まわりから「くるくるパー」と言われて、その時点で負けとなってしまうのであった。

 僕も、よくパーを出して馬鹿にされていた。

 このように、いろんなルールが出てくるに連れ、みんなはジャンケンに対して日増しに賢くなっていく。

 相手の手を読むことにやっきになってくるのだ。

 そして、子供たちのジャンケンの世界は戦国時代を迎えるのである。

 ここで、怪しげな黒魔術を身に付けたものや、占い師や、妖術使いなどが出現することになる。

 勝負の前に運動場の土や砂を指先に付け、それをじっと見つめて次の手を読むのである。

 僕もやってみたけれど、次の手は見えず、汚れた指先しか見えなかった。他にも、両手の指をからめて太陽に向け、その指のすき間を覗いてみるものや、手の甲をつねり、そのシワに何かを読み取る者など、色々な黒魔術・妖術がはやった。

「俺はパーを出すぞ」と宣言してグーを出してしまう詐欺師や、鉄砲みたいな形のチョキを出し、「ここはチョキでここはグーでこの部分はパー」という万能グーチョキパー一斉出しを演じる者など、怪しげな子供らも登場した。(下の絵参照)

 
 子どもの時は、ジャンケン一つで運命が大きく変わってしまう。

 覚えているのは、小学六年生の時、市の博物館の主催する「化石採集の旅」に、僕の小学校から五人行けることになった時のこと。

 応募者は、僕を含めて六人であった。

 昼休みに運命のジャンケンが行われるということで、僕は授業中、先生の鼻の穴をにらみつけながら、グー・チョキ・パー、どれを出そうかとずっと悩んでいた。

 結果、グーを出そうと決意したのである。

 そして、たった一度の勝負で、決まってしまった。

 他の全員が、なんとパーを出したのである。

 化石採集の当日、僕は近所の河原で一人トンカチを持ち、ぷうっと頬を膨らませて寂しく石を割っていた。

 化石なんか出るはずもないのに‥‥。

 ジャンケンで一番悔しかった思い出である。

 大人になれば、たとえばまんじゅうを二つに割って、その大きさがいちじるしく違っても、「いいよ、大きいほうを食べろよ」と相手に譲ったりする。

 心の奥底では、「うーむ、大きいほうを食べたい」と思っていてもだ。

 そうなれば、ジャンケンの出る幕はない。

 ウルトラクイズの成田決戦や、ジャンケンに勝って炊飯器を当てようなどと言った地元商店街の催し物でもないかぎり、日常的にはジャンケンをやらなくなってしまう。

 もし、大人がその辺の子どもとジャンケンをしたら、たぶんいとも簡単に負けてしまうであろう。

 子どもにとってのジャンケンは、生きていくうえでの大事なものなのだから。

 まさに、死活問題なのである。

 それに、彼らは黒魔術を使う。

 そんな子供らに勝てるわけがない。

 ジャンケンのエピソードをもう一つ。

 上京して初めてジャンケンをした時のこと、時は十ン年前、所は新宿の飲み屋である。

 なんだか恒例のジャンケン大会というものをやっていて、従業員に勝つとボトルが只になるというのだ。

 僕は飲み仲間の代表として前に出た。

 そこで、僕は人さし指と親指を立ててチョキを出してしまった。

 それが、いなかチョキと言われるものだとも知らずに。

「あらあら、この人は田舎チョキを出しました。あははは、出身はどこですか」と、飲み屋のステージで、司会者から笑われた。

「く、熊本です」

「あはは、やっぱり田舎ものでした。あはは」

 仲間からもさんざん馬鹿にされ、おまけにそれで負けて、以来、チョキを出すのが苦手な体質となった。

 今でも、深く考えずにジャンケンをする時には、たいていグーかパーを出す。

 もし、これをお読みの皆さんの中で、何かの縁で僕とジャンケンをする機会があったら、パーを出せば良い。

 きっと、勝つかあいこで、負けはないであろう。


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