犬が吠えれば桶屋がもうかる



 日本じゃワンワン、アメリカじゃバウワウ、ロシアやアルゼンチンじゃ何と吠えているのか知らないけれど、世の中、犬が好きな人とそうでない人といったいどっちが多いのであろう。
 大昔から人と犬とは仲が良く、猟犬や番犬として絶妙のコンビネーションを築き上げてきた。
 盲導犬や警察犬など人間の役にたつばかりでなく、時には寂しさをまぎらす相手として、時には八つ当たりの対象として、また時にはソースのラベルとして、みんなに可愛がられ、愛玩動物の中では猫と双璧であろう。
 しかし、犬嫌いの人も多い。好きな人から言わせると、どうしてこんなに可愛いものが嫌いなのかと理解できないようだが、嫌いな人からしてみれば、犬好きな人が宇宙人に見える。ペロペロと犬に手をなめさせているところなどを見ると、卒倒しそうになる。
 と、ここまで書けば、僕が犬好きなのか嫌いなのかはもうお分かりでしょう。
 そう、昔から犬はどうも苦手なのです。
 情け無い話ですけど‥‥‥。
 どんなにちっちゃい犬でも、道で出合うとビクッと緊張してしまう。緊張すると体はこわばり、総毛立ち、瞳孔は開き、脈拍は速くなり、汗が流れ、全身をアドレナリンホルモンがかけ巡る。
 犬はその汗とアドレナリンの臭いをかぎつけ、たちまち僕をにらみつけて、ワンワン、キャンキャンと吠えはじめる。(犬が、犬嫌いの人間を見分けると言うのは、こういうことらしい。)
 吠えられると、こちらはますます緊張してしまい、アドレナリンはさらに分泌され、汗びっしょりになる。
 そうなると、犬はよりいっそう狂ったように吠え出す。
 すると、こちらはさらにどんどんアドナリンを分泌し、犬は吠え、汗は流れ、犬は吠え、汗は流れ‥‥‥無限地獄がいつまでも続く。
 そこに飼い主がいれば、「しっ、ポチ、やめなさい。こらっ、ポチ、ポチったら、おやめ!」と叱り飛ばし、犬はふいに「叱られたじゃないか。けっ、おまえなんて相手にした俺が馬鹿だったぜ」的な目でこっちをにらみつけ、その辺の電柱におしっこをして、なんとかその場はおさまる。
 もちろん、飼い主からは「ははーん、あんた、犬が怖いんだろ」的な目で見られ、馬鹿にされるが。
 しかし、もしそれがノラ犬や放し飼いの犬だったら、その無限地獄は、犬が飽きて吠えなくなるか、こっちが尻尾を巻いて逃げ出すか気を失うかまで続けられることになるのだ。
 たいていの犬嫌いの人はこの無限地獄のワナにおちいり、何も悪いことはしていないのにさんざん吠えられ、全身汗びっし
ょりになって、「犬の馬鹿野郎、自分の尻噛んで死ね!」とますます犬を嫌うようになる。
 そして、ぎくしゃくと左右の手足を同時に動かし、犬から最大限の距離を保ちながら離れ、やっとその地獄から抜け出す。
 だが、極度の疲労のため、たいていの犬嫌いの人は足元がふらついて、止まれの標識やレンガ塀にぶつかり、頭にたんこぶを作る。それを冷やす水を用意するために桶屋に桶を買いにいくのである。
 犬が吠えれば桶屋がもうかるのです。

 なぜ、僕は犬が苦手なのか、自己分析をした。

1 十八年間過ごした実家では犬や猫などの生き物を飼ったことがなく、なれていない。

2 小さいころ、熊本駅のそばでチワワに足首をかまれた。

3 これも小さいころ、のら犬が肥溜めに落っこち、自力で這い上がり、ずっと僕を追っかけ回した。

4 小学校の国語の授業で、先生が教科書を読みながら突然、「ウー、ワンワン!」と大声で吠えた。
 (そういう文章だった。)
 ボケーッと空を眺めていた僕は、先生の頭がおかしくなったと思い、びっくりして「ワーッ!」と叫んだ。 
 それ以来、先生やクラスのみんなからは気が小さいと言わ れるようになったというイヤ な思い出がある。
 (実際、小心者ですが)

5 仕事場の隣の家の犬がしょっちゅう吠え、その間、思考が中断してしまう。

6 犬は何を考えているのか僕にはよくわからない。 以上。 

 ちっとも分析にならなかったけれど、犬に関してはあまりいい思い出がなかったということと、どうやら、小さいころから犬に対して恐怖心しか持てなかったということ、それで、犬や犬好きの人を理解しようとしなかったこと、それらが混じり合い、こんなふうになってしまったのだろう。
 ちなみに、猫は嫌いではない。化け猫は苦手だけれど。
 この前のアルベールビルオリンピックでは、夜になると警備の為、施設の中に犬を放していたらしい。良からぬ侵入者が犬を見てあせり、冷や汗を流すと、警備犬がするどくその匂いをかぎ、追いつめていたということだが、犬嫌いの選手も何人か吠えたてられたのではなかろうかといらぬ心配をしてしまう。
 とにかく、僕は怖いものが多い。
 虫(第8話参照)、地震、幽霊、道を聞いてくる外人、○○○○(怖くて名前も書けない)などなど‥‥。
 でも、一番怖いのはやっぱり人間だなと、新聞の三面記事に出てくる凶悪犯罪を見るたびに思う。
 今、これを書いていたら、突然、隣の家の犬が吠え出し、ドキッとした。
 そして、緊張し、汗が流れ、アドレナリンが全身をかけ巡った。ひょっとしてその匂いが感じられたのか、犬はさらに狂ったように吠え、僕は汗を流し、犬は吠え‥‥‥‥。

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