第七話


 
バッテン人 タイに行く

その1「タイに行く前、○屋に行く」





 ことの起こりは、一通のメールであった。
 タイに住む見知らぬ日本人から、このエッセイを見ての感想のメールが来たのだ。
「ほうほう、国際的になったもんだな」とメールを開くと、UEKAWAさんと言う方からの励ましのお便りで、いたく感激した。
 それが上河なのか、植川なのか、はたまた飢皮なのか、そして、男なのか女なのかも分からなかったが、律儀な僕は返事を書いた。
 送信のボタンを押した途端、「たった今、僕の元から一通のメールが旅立ち、太平洋を越えてフィリピンの脇あたりを通り、南シナ海を抜け、タイに行くんだなあ」と考え、奇妙な感動を覚えた。
 二、三日後に、返事の返事が来て、どうやら女性であることが分かり、また、ご主人の仕事の都合でバンコクにずっと住んでいるらしいことも判明した。しかも、その人はバッテン人でもないのに、バッテン語に大変興味を持っていると言うではないか。
 なかなか奇特な人だと思い、返事の返事の返事を出し、ついでにバッテン語のテストをしてみた。

 テスト 以下のバッテン語を日本語に訳しなさい
『今日は、あつうして、のううっだすごたっ。もう、のさん!』

 またもやすぐに返事が来て、タイについての楽しい話と、テストの答えが書いてあった。

 解答 『今日は、脳みそが飛び出すほど強烈に暑くて、もう、たまらない!』

 完璧である。
 100点満点だ。
 けっこうディープなバッテン語を試してみたわけだが、どうやらただ者ではないらしい。『のううっだす=脳みそが飛び出す』などというバッテン語は、本国バッテン王国でも、もはや死語に近いのではなかろうか。
 老人と、一部のバッテンミーハー青少年が使うぐらいだ。気温にもよるが、王国内で一夏に十回使われるかどうかの幻の言葉である。それを知っていたのだ。
 だが、これはまだまだバッテン語検定3級レベルである。
 ここは一つレベルを上げて、バッテン語作文を試してみよう。そう思い、次のテストを試みた。

 テスト2 以下の日本語をバッテン語になおしなさい
『ちゃんと、ドアを閉めなさい。すきま風が入って寒いです』

 バッテン人なら、これを見ただけで、出題者の意図が分かるだろう。
「ははーん、あの言葉と、あの言葉がポイントだな」と。
 果たして、彼女はこれに答えられるか。
 すぐに、返事が来た。

 解答2 『ちゃんと、あとぜきばしとらんと、すきま風の入ってすーすーすっ』
 
 惜しかった。
 ここでのポイントは、『開けたらドアを閉める=あとぜき』と『すきま風が入って寒い=すーすーすっ』である。
 それを見事に答えてのけたのだが、『すーすーすっ』で、すきま風が入ることまで意味しているので、重複している。

 模範解答 『ちゃんと、あとぜきばしとらんと、すーすーすっ』

 だが、しかし、バッテン人でもないのに、これほどバッテン語を操れる人はあまりいない。
 もはや、バッテン語検定の準1級レベルである。
 もちろん、バッテン語検定などはこの世に存在しないのだが、冗談で、『年に一度、バッテン王国の首都熊本で検定試験が行われています。ここ数年、合格率は30%を割り、厳しい状況です。参考書と問題集を送りましょうか?』と書いたら、返事が来て、『ぜひ、受けてみたいと思います』とまじめに受け取られてしまった。
 おお、なんということ。彼女はまともに信じ込んでしまったのだ。僕は、自己嫌悪に陥ると共に、なんとまあ純粋な人なのだろうと、心洗われる思いもした。
 精いっぱいのお詫びの手紙をしたため、あれは冗談だったのですよと正直に書きながら、胸が痛んでしまった。

 それで、なんだかんだ文通しているうちに、タイという国に惹かれ、いつしか行きたいと思うようになった。
 なんと言っても、タイである。なんでも、アジア諸国で、他国の植民地にならなかったのは、日本とタイとバッテン王国だけだそうである。まあ、それはいいとして、タイである。仏教の国である。黄色い袈裟を着たお坊さんがいて、みんな悟りを開いているタイである。ノラ象もうろつくタイである。トムヤムクンのタイである。僕はタイ料理が大好きである。『良かたい、良かたい』のタイである。
 ん? 待てよ。バッテン語の『良かたい(いいじゃんかよ〜)』の、末尾二文字の『たい』は、ひょっとして、タイから来ておるのではなかろうか。となると、バッテン王国とタイとは、深い繋がりがあるのかもしれない。なにせ、タイも王国である。やはり、これは一度行ってみるしかない。と、どんどん気持ちを盛り上げ、気付いたら、航空券を買っていた。

 そして、タイには行かずに、床屋に行ったのである。

 なんという、突拍子もない展開!
 椅子に座るなり、一言、「丸刈りにしてね」と言ってしまった僕はどうなる。
 以下、次回、『怒涛のバンコク空港編、あれー、いないよー』へ続く。
(すぐに書きますタイ!)。

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