なおすが、なおらない



「とりあえず、この書類はなおしときますね」
「あれ、誤字か脱字がありました?」
「い、いや、しまっときます‥‥‥」
 僕の場合、こういった会話が相当な頻度でなされ、東京にお住まいの方々に多大な迷惑をかける。その実、ちっとも迷惑とは思っておらず、どうして通じないのかと腹立たしく感ずるだけであるが。
 標準語での「なおす」は、「正しい状態に戻す」ことであり、「訂正する」「修理する」「治療する」といった意味で使われる言葉である。
 ところが、僕が生まれ育った熊本では、「正しい状態に戻す」ことを拡大解釈して「物の移動を元に戻す」場合にもよく使う。すなわち、「しまう」や「片づける」ことである。
 いや、「しまう」なんて単語はほとんど使わず、「なおす」としか言わなかった。
 阿蘇の伏流水で産湯(うぶゆ)につかり、熊本在住二十年弱の間、親も周囲も一日に五回以上は使い、たっぷりと身に染み付いた言葉である。
 洗濯物をなおせ、食器をなおせ、はさみをなおせ、出したらなおせ‥‥‥。DNAにまで書き込まれているので、そう簡単には戻らないのだ。文字どおり、なおすがなおらない。
 今でも、意識していないと、ぽろりと飛び出し、会話に混乱が生じる。たとえ、「なおすをなおせ」法案が可決され、罰金十万円以下もしくは禁固一年以下の刑となっても、知らずと使ってしまい、金がないので服役するかもしれない。そして、刑務所でも、「歯ブラシをなおす」などとぼろっと言ってしまい、独房に入れられ、そこでも喋ってさらに刑が延び、死ぬまでシャバに出られないだろう。
 
 上京して一ヵ月目、東京で初めてアルバイトを体験した。消火器の中身の詰め替えのバイトである。古くなった消火器の液を捨て、新しいものを充填するのだ。
 その時は、某女子大の校舎の仕事だった。
「うひょー、ここにいるのは、みーんな、女子大生なんですか、先輩」
「女子大だからな」と下宿の先輩もうわずった声であたりまえのことを言い、きょろきょろとしていた。
 何度かこのバイトに携わったことのあるその先輩から仕事の手ほどきを受け、僕は一人で作業にとりかかった。
 女子大‥‥‥、十九歳の健康な男の子にとって、まさに禁断のパラダイスの地である。休み時間ともなると、通路や階段いっぱいにあふれ出る年頃のギャルギャルギャル。それぞれがまばゆい後光を発しながら、キャラキャラと笑い、弾み、スカートをひるがえしている。目がくらみそうだった。いや、事実、目がくらんでしまった。
 汚いジーンズとぼろぼろTシャツ姿の僕は、女子大生たちから好奇の目で見られ、消火器よりも真っ赤になりながら、よろよろと作業を続けた。その時、妙に彼女たちの視線を意識して緊張してしまい、廊下に消火液を噴出してしまったのだ。
 ものすごい光景だった。真っ白い泡が勢い良く噴きだし、悲鳴を上げながらそこから逃げまどう女子大生。
「あわわわわ」と叫ぶが、止まらない。
 全部、出しつくし、あたりは泡だらけとなった。あわててトイレの横の掃除用具入れからモップを取りだし、掃除をし始めた。泣きそうな顔で床を拭っていると、一人のきれいな女子大生が声をかけてきた。
「大変ですね。手伝いましょうか」と。
 まるで、女神のようだった。その時、僕にお金があり、しっかりとした食い扶持もあったならその場でプロポーズしていたかもしれない。それほどうれしかった。
「あ、いえ、おお、あ、ううう、大丈夫です」と、あいうえおとこになって、僕は断った。
 だが、あいうえおとこになっていた間に、いろんなことを想像していた。
 この子は、田舎から一人上京してきたばかりだ。しかし、都会になじめず、まだそれほど親しい友人もできていない。ましてや恋人もいないだろう。わびしい四畳半一間に一人暮らし。裸電球の黄色い明かりの下、田舎の友人や家族のことを思い、毎夜、涙のしずくが落ちたしょっぱいインスタントラーメンを‥‥‥。あ、それは僕のことだ。
「じゃあ、このモップ、片づけときますね」と彼女は微笑んだ。
「あっ、すいません。なおしといてくれますか」
「は? どこか壊れてるんですか?」
 まったく、このばかたれ男は消火液をぶちまけて、おまけにモップまで壊したのか。そう思ったのか、彼女はふいに冷たい目になり、僕を見た。
 この時、「なおす」が通じないという初めての衝撃を受けたのだ。

 東京では、片づけることを「かたす」などという。変な言葉だ。よっぽと「なおす」の方が、理にかなった言葉である。前にも述べたように、元の状態に戻すわけだから。
 最初の頃は、それでけっこうイライラし、またどこに方言が潜んでいるか分からないと疑心暗鬼になってうまく言葉が喋られず、無口になっていた。それほど、「なおす」は標準語だと固く信じていたのだ。
 他に、標準語と固く信じていた言葉に、「あとぜき」(開いたものを閉じること)や「広用紙」(模造紙のこと)、「押しピン」(がびょう)などがある。
 だが、ある時、熊本出身でもない人に、この「なおす」が通じたのである。それは、関西の人だった。しかも、福岡の人にも通じたし、広島の人にも通じた。
 ということは、これは熊本弁ではなく、ほぼ西日本一帯で使われる言葉なのではなかろうか。はっきりとしたことは分からないが、たぶんそうである。東海地域や北陸ではどうなのか判然としないが、もしかすると「なおす」を使う日本人の方が多いのかもしれない。
それなのに、東京で作られるテレビドラマでは、「じゃあ、食器をかたそうか」などと日本全国に向かって喋っている。
 よおし、こうなったら、熊本バッテン人から、西日本を代表した「うどんのだしは透明だもんね人」に昇格し、今後、「なおすを標準語に」運動を繰り広げようか。
 と思ったが、疲れそうなのでやめた。
 やっぱり僕はバッテン人として生きる。そして、全世界を股にかけたこのインターネットの世界で、ゲリラ的バッテン活動を演じ、ビル・ゲイツやローマ法王に熊本弁を教えよう。広い世界で、こまかいことをぼやくのが僕にはお似合いである。
 この性格は、もうなおそうにもなおらない。

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