フェアリーランド王国とは? |
ようこそフェアリーランド王国へ。
ここはM.WOLVERINEが建国した架空の国家、フェアリーランド王国のページです。
※この項目はまだ書きかけです。随時更新して行きます。
最終更新日:2019年07月22日 18:24
↓王国軍ミリタリーページへショートカットしたい方は以下のリンクからGO!
●フェアリーランド王国 ”FAIRYLAND QUEENDOM”
大西洋に面した北方の、ヒベルニア島に興った王国。西暦1100年頃、ブリテン島やヨーロッパ各地から追われた人々
により建国された王朝と言われている。国民はケルト系亜人間が大多数を占める。多種族国家のため、人種的偏見が
無く、この国民性が後に領土を拡張するのに非常に貢献することとなった。
政治的には古くから立憲君主制を採用しており、国内の安定化に一役買っている。また長期に渡る英国との戦争の影
響により完全な兵役制度が敷かれており、国民は老若男女を問わず誰もが兵士としての訓練を受けている。
この国はかなりの福祉国家であり、国民の多くは高額な税金を徴収されてはいるが、その代わり医療と学校はタダも
同然であり、また兵役により一部の税金が免除されるため、軍に入りたがる人は多い。ちなみにこの制度は各領土に
おいても平等に採用されている。なお土地は全て国有化されており、王国本土は君主が所有権を保持している。
関係の深い国はゴーラ帝国、ヴァラキア連合帝国、ゴッドランド王国。
■国旗
※緑は「大地」、白は「調和」、青は「高潔」、紋章は「ダヌ神族の使い」を表す。
■国の標語
フェアリーランドよ、永遠に
■国歌
■国花
シャムロック
■言語
ゲール語、英語、中東諸国言語
■通貨
アイリッシュ・ポンド、アイリッシュ・ディナール(後にユーロ)
■政治
立憲君主制
■首都
サルファランド(ダブリン)
■王都
アースポート、パルミラ
■人口(1939年当時)
本土(ヒベルニア島)約400万人
ラ・デューン州(レバノン)約350万人
モクスター州(キプロス島)約120万人
タバス州(モザンビーク)約1200万人
カビアン州(シリア北西部)約800万人
デポープル州(シリア北東部)約300万人
アポカル州(シリア中部)約300万人
ドーンダスク州(シリア南部)600万人
■宗教
フェアリーランド国教
ダヌ神族を崇める宗教である。王族は神の遠い血族として信仰するものであるが、王族を絶対的なものとはせずに
あくまで神と人々とを結びつける存在として扱っている。このため、キリスト教圏の国々からは異端扱いを受けており
外交面等に若干の影を落としている。
当初王国では王国民となるためにはフェアリーランド国教に入信することが必須条件とされていた。しかし国土の拡張
と共にその条件が統治の妨げとなることが分かり、近年主に本土から遠く離れた領土においては宗教を強制すること
はなかった。王国はそもそもがダヌ神族の信託により興った国家だったが、立憲君主制を採用していたこともあり国政
そのものには宗教色は現れず、議会に対し2票の権限を持つ王は神々の末裔と言われつつも、多分に象徴的な存在
に過ぎなかった。国教ですらその程度の扱いであるが故に他の全ての宗教も信仰は自由だが国政に干渉することは
認められていなかった。
■君主
フェアリーランド王国の君主は先にも述べた通り、国を興したユンケ帝を初代とした、ダヌ神族の血を引いた者がなる。
歴代ほとんどの君主が女王であったが稀に王もいた。代々フェアリーランド王国の君主は外交力に富み、強力なカリ
スマを有している。ちなみに君主は議会に対して2票の権利を持っている。1939年当時のフェアリーランド国王は、
第27代目フェアリアン・エータ。
王族については未だ謎を多く残すが、この王の血筋に関しては現在ふたつの流れがあることが明らかにされている。
ひとつはダヌ神の直系と云われている血筋で、主にこちらが王となることが多い。もうひとつは腹違いもしくは種違い
と云われる血筋で、どちらもダヌ神の血筋に違いは無いが、こちらは主に王国を陰から支える役割を果たしてきた。
特に王国が危機に瀕した局面で度々彼女(彼)等は表舞台に上がって来たのだった(この時期での代表的な例は、
フェアリアンの異父姉と言われている、南アフリカ自治領領主を務めるマリア・フリッガである)。王国の紋章が何故
白と黒に塗り分けられた鳥(ダヌ神の使い)を使っているのかといえば、その理由はこのふたつの血筋の存在を暗に
示すためであると言われている。
■国民
伝承によるものか、ダヌ神族の影響かは定かでないが、この国は男女の出生比率が極端に違っており、女性が全人
口の約70%を占める。そのために女性の社会進出の割合はどの国にも例を見ないものがある。また、先にも述べた
通りこの国は亜人間を中心に構成される特異な多種族国家のために人種的偏見が無く、差別などによる社会問題は
特に見られない。
1840年代後半に起こった飢饉により700万人近くまで増えていた人口は激減し、また多くの民が中東各地やアメ
リカ大陸などに移住した関係で本土の人口は多くないが、その代わりフェアリーランド系移民の数は各地で増加し、
1939年頃には世界各地合計で約5000万人近くの王国系移民がいたと言われている。
■人種
先にも記した通り、この国は世界各地から流入した人々とケルト系亜人間により構成されている。このため、この国
特有の人種というものは存在しない。全人口の50%近くを亜人間が占めているが、その亜人間も種族が雑多であり
混血・融合も激しいために、どの系統の亜人間が最も多いかというのも調査のしようがない。ただ、猫系の亜人間は
少数であることが最近の調査で判明している。
実はフェアリーランド王国は、この特異な人種構成のため、国際競技の大半に参加できていない。特に陸上などの
スポーツ関連の競技が顕著で、これは王国の亜人間が身体能力的に通常の人類を上回っており、世界で大多数を
占める通常の人類側の「公式記録にならない」という言い分がまかり通っているためである。オリンピックなどの公式
競技でも未だ上記理由で差別を受け、ミレ人と呼ばれる通常の容姿をした選手以外の参加を認められていないのが
現状である。それ以外の集団競技や球技、モータースポーツなどに関しては、若干の差別は受けつつも参加は容認
されている。
■思想
王族を崇める「王宮崇拝者」と国土そのものを尊いものと考える「蚯蚓者」に大別できる。前者は後に国防軍を創設した
サー・トーマス・ラビット卿がいわゆるガチガチのユーゲント的な集団を集める際に利用された。独立戦争時から脈々と
国土の解放を願った者たちの思想を受け継いだ人々は後者にあたる。違いは前者は血が大事、後者は国土が大事、
というところで、立憲君主制を取り入れている王国にとり王はあくまで象徴のような存在なので、どちらかと言えば後者
の方が一般的な思想であるように思われるが、先にも記した通りフェアリーランド王国の土地は全て国有化されている
ため、王族を守る=国土を守る、ということになり、国民もどちらかを蔑ろにするという気持ちは無かったようだ。
■国体の維持
王国の国体の維持について重要な役割を果たす国家が複数存在する。一つめは元宗主国であった大英帝国で、彼ら
に受けた仕打ちを糧に、王国人は不屈の精神を養ったのだ。二つめは王国系移民が多く暮らすアメリカ合衆国であり、
英語が通じる王国にはアメリカ企業からの参入が盛んだった(現在に至ってもフェアリーランド王国は法人税が比較的
安価であり、海外からの企業参入が多い)。三つめが東欧にあるヴァラキア連合帝国と中東にあるゴーラ帝国並びに
ゴッドランド王国であり、これら三国とは血縁関係があり、工業力の低い王国が高度な技術や精度の高い機材、そして
膨大な資源を得て国内外のインフラ整備を充実させ、戦争に使う道具までを充分に揃えることができたのは、これらの
国々からの支援によるところが大きかった。
■領土(〜1939年)
本土(ヒベルニア島)
|
モクスター州(キプロス島)
|
ラ・デューン州(レバノン)
|
タバス州(モザンビーク)
|
(〜1942年)上記4つの領土に以下の領域(この4つを合わせて「暫定領シリア地区」と呼んでいた)が正式に追加された
カビアン州(シリア北西部)
|
デポープル州(シリア北東部)
|
アポカル州(シリア中部)
|
ドーンダスク州(シリア南部)
|
■管区(〜1939年)
サルファ州(ヒベルニア島レンスター地方にあたるエリア) 州都はサルファランド(首都)
プラリーフ州(ヒベルニア島コノハト地方南部にあたるエリア) 州都はゴールゥエイ、古王都はアースポート
ポーラリア州(ヒベルニア島アルスター地方東部にあたるエリア) 州都はベルファスト
ポカリアス州(ヒベルニア島アルスター地方西部+コノハト地方北部にあたるエリア) 州都はスライゴー
ドリミッカ州(ヒベルニア島マンスター地方中部〜南部にあたるエリア) 州都はコーク
モクスター州(キプロス島にあたるエリア) 州都はモクスターランド
ラ・デユーン州(レバノン全域にあたるエリア) 州都はラデューンランド
タバス州(モザンビーク全土にあたるエリア) 州都はモザンビーク
(〜1942年に公式に領有を宣言。暫定的には1940年中旬には事実上の王国領となっていた)
カビアン州(タルトゥース、ラタキア、ハマー、イドリブ、アレッポ県にあたるエリア)州都はカビアンランド
デポープル州(ハサカ、デリゾール県にあたるエリア) 州都はデポープルランド
アポカル州(ホムス県にあたるエリア) 州都はアポカルランド 新王都はパルミラ
ドーンダスク州(ダマスカス、リーフ・ディマシュク、クネイトゥラ、ダルアー、スワイダー県にあたるエリア) 州都はダマスカス
■王国本土図
○本土概要 フェアリーランド王国本土は概ね左図の通り、5つの管区に分かれている(首都、王都、各州都については上記管区の説明を参照)。地名については大半が英国領時代のまま使われているが、一部変更されているものもある。本土はメキシコ湾暖流の影響により、寒暖の差が少なく、全王国領土中最も過ごし易い国土となっている。 ○各地方(州)の特色 ・サルファ州 ・プラリーフ州 ・ポカリアス州 ・ドリミッカ州 ・ポーラリア州 |
●フェアリーランド王国歴史
年代
|
内容
|
先史時代 | 現フェアリーランド王国の神々であるダヌ神族がこの地を平定する。 |
紀元前265年頃 | ヨーロッパ大陸よりケルト人の渡来が始まる。ダヌ神族は国を追われ、人間の時代が始まる。 |
5世紀頃 | 聖パトリックらによるキリスト教の布教。 |
8世紀終わり頃 | ノルマン人(俗に言うヴァイキング)が侵入する。 |
1014年 | アイルランド上王であるブライアン・ボルーがクロンターフでヴァイキングを撃破、これ以降ヴァイキングの侵入が収束し、短い平和が訪れる。 |
1100年頃 | イングランドやヨーロッパ各地を追われた人々の移民が増える。この頃、ダヌ神族の神託を受けた王国の開祖であるユンケ帝が生まれる。 |
1169年 | ノルマン人による侵攻が始まる。この頃の戦闘によりユンケ帝戦死。1171年には諸豪族が一時的にイングランド王ヘンリー2世の支配下に下る。 |
1542年 | イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。これ以降イングランドからの入植者が激増。しかしアイルランドの部族はこれを認めず、ユンケ帝の血を受け継ぐ幼帝を立てヘンリー8世と対立。イングランドとの激しい争いが開始される。この頃から国名をフェアリーランドと呼ぶようになる。 |
1588年 | イギリスがスペイン海軍を破る。これによりイギリスの海上帝国の時代が始る。 |
1652年 | クロムウェルがダブリン及び各地を制圧。植民地化を進めるが、激しい抵抗を受け内戦状態に陥り、フェアリーランドの国土は荒れる。 |
1660年 |
クロムウェルの死去後、イギリス長老派がチャールズ2世を国王に迎えて王政復古を行う。この辺りからフェアリーランド人民は再び反撃を開始する。 |
1700年頃 | 背後を気にするイギリスはついにフェアリーランドとの戦闘を終結させる。 |
1700年後半 | フェアリーランドはイギリスに対して対等な関係を要求。しかし交渉は難航する。 |
1801年 | グレートブリテン王国(イギリス)とフェアリーランドはようやく同盟を締結する。 |
1829年 | 新憲法により正式に認められた立憲君主制度を開始。 |
1840年代後半 | 主な食料であるジャガイモの不作が発生し、大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果、多数のフェアリーランド人がアメリカ大陸や南アフリカ、キプロス、レバノンなどの中東方面各地に移住していき、彼らが後の領土拡張の礎となる。 |
1850年頃 | 正式にフェアリーランド王国を名乗り、世界に対して独立を宣言する。 |
1914年 | 第一次世界大戦勃発。しかし、この頃宗教問題等でイギリス各国と摩擦が起こり、フェアリーランド王国は政治的理由から参戦せず。 |
1916年 | 第一次大戦による物資の生産・輸出等の特需によりフェアリーランド王国は膨大な利益を上げる。 |
1922年 | 第一次大戦で疲弊したイギリスに対する借款の代償として北部アルスター地方の完全な返還を実現する。またこの頃、既に移民により利権を掌握していたモザンビーク、キプロス、レバノンの各領土を国連の合意を得てフェアリーランド王国領と認めさせる。他にこの頃、中東シリア地区の管理を暫定的に移譲される。 |
1937年 | 新領土も含めた形での新憲法が施行される。ロマーニャ・オリュンポス両共和国との間で既に揉めていた領土問題が更に悪化する。この頃、第27代女王フェアリアンが即位する。 |
1939年 | 第二次世界大戦が勃発。フェアリーランド王国はイギリスからの圧力と、飛び地になっている各領土(主に地中海方面)の防衛のため限定的に連合国側に協力する形で軍を派遣した。 |
1940年 | 血縁関係にあるアナトリア半島の大国ゴッドランドの王が崩御(ゴッドランド危機)。これにより中東方面の士気を回復すべくストラッター作戦が決行される。同年、ロマーニャ共和国軍が英領エジプトへ侵攻を開始。暫定領シリア地区防衛のため、王国は北アフリカ戦線へ軍の派遣を決定する。同年9月、第6軍団の戦車連隊と歩兵連隊は英軍のコンパス作戦に参加、ロマーニャ軍をエジプトから追い出すことに成功する。 |
1941年 | 北アフリカに派遣された第6軍配下の第6軍団は境界線から西へ初めての侵攻作戦を実施する。 |
1942年 | 北アフリカに派遣された第6軍団は約2年に渡る戦闘の結果、戦力の大半を失い後退する。同年7月王国はシリアの領有を宣言する。 |
●フェアリーランド軍(暫定公開中。徐々に拡充しつつあります)
フェアリーランド王国軍全般に言える特長として、古風で堅実、平均的に二流といったものが挙げられる。
が、これらには考え抜かれた結果そうなったものが多い。一つのものを極力流用しようとする考え方は国力の
小さい国家組織が一定数戦力を揃えるためには効果的な方法であり、王国軍は単品においては決して一流
では無いが、平均的な性能のものを、そこそこの数を揃え、それらを最善の努力により運用することによって
戦争を乗り切ることに一応の成功を収めている。
ところでフェアリーランド王国では、戦争は4年程で終わるという推測のもとに戦争計画を練っていたが、残念
ながらこれは見事に外れた。ただし、主戦場が戦争後半にはヨーロッパへと移ったため、王国の戦争が元々
領土防衛という目的から始められたことに絞って見れば、概ね目標は達せられたのだ。戦争後半王国軍は
二次的な戦場を担当させられたため、極端に大きな被害を出すことも無く、英国のように疲弊しきってしまう
ことも無かった。
※単一のものを有効に活用することで頑張った王国軍の代表的存在。戦争中使った戦車の種類は大きく
分けると巡航戦車1種類、歩兵戦車1種類、中戦車1種類だけ。歩兵の銃器も基本2種類。戦争は
単純に兵器の性能よりも、それ以外の所で決まることが多い。
※用兵思想や設計思想は決して一流では無かったが、時代の動向をある程度見抜いていた王国軍の代表
的存在。性能は良くなかったが、特に空母や潜水艦はコツコツと頑張った。
※王国軍中最も異色の存在であり、結果一流レベルのものも持っていた。ただし、ハデなパフォーマンスや
ハデなカラーリングなどを好む所はまさにお洒落で飾り物好きで、やかましいケルト戦士の伝統に倣った
ものであった。
●フェアリーランド軍の階級(2010.09.19追加)
左の図はフェアリーランド王国軍の階級を示すものである。王国軍では、陸海空全軍を通して混乱を避けるため基本的に階級を統一していた。違いがあるとすれば呼称に若干の差があるだけでランキングに違いは無い。なお、元首はこの国にただ一人しか存在しない階級であるが、軍においては扱い上元帥と同格なものとして金5本線プラスの権限を与えられている。 正章は兵はピンク、下士官はカッパー、将校はゴールドの線で、他国では★マークを使うことが多いが王国軍では銀色の逆三角形。略章のデザインはこちらも他国と違った異様なものであるが、これには相手側に階級を分かり難くするための措置という説が有力である。 ※年少兵、年長兵は16歳未満の見習い志願兵である。2段階あるのは読んで字の如く、年少組と年長組に分けられているためである(幼稚園のようなもの)。 ※軍曹、曹長に2種類(二等/一等)段階があるが、これは近年急遽追加されたもので、下士官でも重要な存在であるこの階級にある兵を長らくこの位置に留めておくための措置である。また、上級大将という階級も、事情により近年になって追加された。 ※なお、王国海軍においては一等曹長がよく言われる「兵曹長」に該当する階級のようである(王国海軍には准尉の階級があるが、それと兵曹長は別物としておく)。 ※よく見ると尉官と佐官は略章の上下を色分けしてあるが、これは階級章がひっくり返すと尉官か佐官か分からなくなるという欠点を持ったデザインであったため、混乱を避けるべく採用された。しかし、長く戦場にいると階級章の退色により、これまた見分けが付き難くなることが判明し、後に佐官の略章の下には太い線が入るようになった(図は線を入れた後のもの)。 ※基本的に略章は兵科章と共に軍服の右腕上腕部に付けられていたようだ。正章は正装時の襟などに付けられたようだが、元首の正章については使用された痕跡が無い(後日あったことが判明)。 …何か設定上不具合があったら、更新します(´・ω・`) |
●スペシャルステージ(2011.07.02追加)
砂漠のウサギ 序文集 NEW