鬼瓦の歴史

時代と鬼瓦 その8

  歴史書は元明天皇の和銅3年(710)平城宮に遷都すると記す。同じ時期、興福寺が飛鳥から奈良に移設されている。
 以下に平城宮跡で出土した鬼瓦を示す。

平城宮鬼瓦1(奈良国立文化財研究所蔵)この獣身紋鬼瓦は外形が裾広がりのアーチ形をしており、獣の正面を描いてその全身像を表現したものである。

 蹲踞(そんきょ)の姿勢をとり、両手を膝の上に置く。円形の腹部を中心に置き、肩を怒らせ、腕は筋骨隆々で、巻き毛が立ち上がって体を覆っている。

 顔は比較的小さく、太い眉の下につり上がった小振りな目がのぞき、上下の歯の間から舌を突き出しているところが特徴である。





平城宮鬼瓦2 平城宮鬼瓦3
二式(奈良国立文化財研究所)   二式(奈良国立文化財研究所)

 平城宮では8世紀後半から顔面のみを表わした鬼面紋鬼瓦に変わる。上下の歯牙をむき出し、舌を噛んだ形が特徴である。眼は杏仁形で、眼尻をつり上げる。鼻は小振りで、鼻翼を丸めて小さな鼻孔を表わす。下顎に放射状のヒゲを配し、周囲に巻き毛をめぐらす。

平城宮鬼瓦4 平城宮鬼瓦5
三式(奈良国立文化財研究所)    四式(奈良国立文化財研究所)

平城宮鬼瓦6 平城宮鬼瓦7
 四式(奈良国立文化財研究所)  五式(奈良国立文化財研究所)

平城宮鬼瓦8
六式(奈良国立文化財研究所)

 平城宮出土の鬼瓦は第1期(708〜721)、第2期(721〜745)二式と四式、第3期(745〜757)五式、第4期(757〜770)六式の4種類に分類されている。


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