国宝の鬼瓦

国宝の鬼瓦シリーズ

 国宝の鬼瓦シリーズは、国宝建造物の屋根を対象にそこに鎮座まします鬼瓦をとりあげます。
 国宝に指定されている建造物は全国に131ケ所。寺院が97ケ所、神社が25ケ所、城が5ケ所、その他4ケ所となっています。
 当会の調査によればその中で鬼瓦がいる国宝建造物は寺院で50ケ所、神社で3ケ所、その他で1ケ所です。

 鬼瓦の姿はさまざまです。時代、屋根の形、作者(鬼師)などの違いでいろいろな形があらわれます。
また鬼瓦は撮影する角度によって大きくその顔かたちは変わってきます。もちろん季節によっても時間帯によってもかなり受ける感じが違います。
 皆様も神社仏閣にお参りした節は、是非カメラを屋根の鬼瓦に向けてみて下さい。きっと新しい発見があるでしょう。

16. 国宝 浄土寺本堂・多宝塔 の鬼瓦

浄土寺本堂


 国宝浄土寺本堂です。浄土寺は飛鳥時代、推古天皇24年(616)、聖徳太子の開基と伝えられ、正式名称は転法輪山大乗律院荘厳浄土寺といいます。広島県尾道市にあります。

 鎌倉時代の末期、後醍醐天皇は天皇親政の狙いで鎌倉幕府の倒幕を企てられ、建武の新政が成立します(1336)。いわゆる南北朝の動乱すなわち「太平記」の時代です。そのとき足利尊氏はいったん西走し九州で兵をととのえたうえで東上して「湊川の戦い」で楠木正成を破り室町幕府を成立させます。足利尊氏が西走しまた東上した際に立寄って祈願したのが瀬戸内海の良港尾道にあるこの浄土寺なのです。それゆえ足利尊氏に関する多くの古文書が遺されています。

 浄土寺の建物は国宝の本堂、多宝塔のほかに重要文化財の阿弥陀堂、山門、庫裏・客殿、方丈、唐門、裏門、宝庫、露滴庵、石造納経塔、石造宝篋印塔があります。仏像では木造十一面観音菩薩立像、木造聖徳太子立像が重要文化財。その他の重要文化財として絹本着色両界曼陀羅図、絹本着色仏涅槃図、孔雀分沈金経箱、紺紙金銀交書法華経、紙本墨書定証起請文、紙本墨書観世音法楽和歌(尊氏の花押と7首の詠歌がある)があります。

 国宝の本堂は正面5間側面5間向拝1間の入母屋造で本尊の十一面観音菩薩が安置され、建武3年(1336)に足利尊氏が戦勝祈願した。その入母屋造本堂のの大棟、降棟、隅棟の鬼瓦です。

浄土寺本堂大棟鬼瓦 浄土寺本堂大棟鬼瓦
本堂大棟鬼瓦
浄土寺本堂降棟鬼瓦 浄土寺本堂降棟鬼瓦 浄土寺本堂降棟鬼瓦
本堂降棟鬼瓦
浄土寺本堂隅棟鬼瓦 浄土寺本堂隅棟鬼瓦
本堂隅棟鬼瓦
浄土寺本堂隅棟鬼瓦 浄土寺本堂隅棟鬼瓦
本堂隅棟鬼瓦
浄土寺本堂隅棟鬼瓦 浄土寺本堂隅棟鬼瓦
本堂隅棟鬼瓦
浄土寺本堂隅棟二の鬼鬼瓦 浄土寺本堂隅棟二の鬼鬼瓦 浄土寺本堂隅棟二の鬼鬼瓦
本堂隅棟二の鬼鬼瓦
浄土寺本堂妻降棟鬼瓦 浄土寺本堂妻降棟鬼瓦
本堂妻降棟鬼瓦
浄土寺本堂妻降棟鬼瓦 浄土寺本堂妻降棟鬼瓦
本堂妻降棟鬼瓦


 国宝の多宝塔は方3間、高さが19.8mあります。屋根が二つありますが一重の宝塔のまわりに裳階がついた形で、二重塔ではない。滋賀・石山寺多宝塔や和歌山・金剛三昧院多宝塔と並ぶ鎌倉時代の代表作である。内部は天井を中心に一面に彩色を施してあり、須弥壇上には大日如来及び両脇侍釈迦如来、薬師如来が祀られ四周壁面には真言八祖の画像が配されています。

浄土寺多宝塔 浄土寺多宝塔
浄土寺多宝塔

浄土寺多宝塔鬼瓦 浄土寺多宝塔鬼瓦
浄土寺多宝塔鬼瓦
浄土寺多宝塔鬼瓦 浄土寺多宝塔鬼瓦 浄土寺多宝塔鬼瓦
浄土寺多宝塔鬼瓦


 山門は南北朝時代に再建されたもので重要文化財。側面の妻の装飾に組まれた板かえる股にある「二引両」の家紋は足利氏の家紋であると同時に浄土寺の寺紋でもあります。右側の画像は境内から外に向かって撮ったもので瀬戸内海の海が見えています。

浄土寺山門 浄土寺山門
浄土寺山門
浄土寺山門鬼瓦 浄土寺山門鬼瓦
浄土寺山門大棟鬼瓦
浄土寺山門鬼瓦 浄土寺山門鬼瓦
浄土寺山門降棟鬼瓦


 重要文化財の阿弥陀堂。正面5間、側面4間の寄棟造。内部の須弥壇上には阿弥陀三尊像が安置されています。

浄土寺阿弥陀堂
浄土寺阿弥陀堂
浄土寺阿弥陀堂大棟鬼瓦 浄土寺阿弥陀堂大棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂大棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦 浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦 浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦 浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦
浄土寺阿弥陀堂隅棟鬼瓦