飛鳥路にいる鬼瓦

2. 岡寺(おかでら)

岡寺仁王門

 岡寺は地名による名で、法名は龍蓋寺、院号を真珠院、山号を東光山といいます。東光山真珠院龍蓋寺が正式な寺号。奈良県高市郡明日香村大字岡にあり、新義真言宗豊山派総本山長谷寺に属しています。マップはここをクリックして下さい。
 西国三十三所観音霊場巡礼の第七番札所として有名です。ご本尊は如意輪観世音菩薩(重要文化財)。塑像の大仏で座像です(日本最大の塑像)。胎内仏の金銅如意輪観音半跏思惟像*は国宝です。
 岡寺は飛鳥時代、天智天皇の勅願によって義淵僧正が創立したと云われています。

 寺伝に『天智天皇の御代、大和国高市郡に夫婦が住んでいた。夫は津守氏、婦は阿刀氏であったが、多年子がなく、常に観音菩薩に子を祈っていたが、ある夜、家の外に幼児の泣声がした。出てみると、柴垣の上に白帳に包んだ嬰児が置かれてあり、薫香を放っていた。夫婦はこの子こそ観音菩薩から授かったものと大切に育てていたが、この奇瑞を当時岡宮にあられた天智天皇が聞かれて、これを宮中に引き取り、弟君大海人皇子の皇子草壁皇子と共に岡宮で養育せられた。この子は後僧となり、学徳を積んで、義淵僧正と呼ばれたが、、ついに岡宮を賜って寺とした。』とある。

 義淵僧正は広辞苑によると「奈良前期の法相宗僧。大和の人。元興寺の智鳳に師事。吉野に龍門寺を開いて法相宗を弘め、僧正まで進む。また岡寺を開き、聖武天皇から岡連(おかのむらじ)の姓を授けられた。門下から行基・良弁・道鏡などを輩出」とある。智鳳は新羅の僧で文武天皇の勅命により入唐し法相宗を学び帰り706年(慶雲3年)藤原不比等の維摩会(ゆいまえ)復興にあたり講師を勤めた。
 天智・天武・持統・文武・元明・元正・聖武の時代に活躍した人で百済からの渡来人系の僧である。
 義淵僧正は官大寺であり学問寺である岡寺を法相宗の本拠として、門下にはおよそ奈良時代の高僧といわれている人は皆僧正の教えを受けたのであります。玄坊、行基、宣教、良敏、行達、隆尊、良弁、道慈、定照などがそうである。道慈の系列には弘法大師空海がいる。

 *平安時代の初め、弘法大師空海は天竺(インド)、震旦(中国)、日本、三国の土をもって巨大な如意輪観世音菩薩座像(塑像)を造顕され、義淵僧正の念持仏金銅如意輪観世音菩薩半跏思惟像を胎内に籠められました。
 この如意輪観音の塑像は日本三大仏の一つであります。銅像は東大寺大仏、木像は長谷寺十一面観世音菩薩、塑像は岡寺如意輪観世音菩薩。
 平安末期から観音霊場三十三所の一つとなり、近世には門前町としてにぎわい、今も信仰を集めています。 鎌倉時代、1283年(弘安6)に多武峰(とうのみね)の僧兵の焼き打ちを受け伽藍は全焼しました。

 仁王門(重要文化財)。入母屋造本瓦葺、三間一戸の楼門。桃山時代の建築。飛鳥古京唯一の重文建造物です。
 次の画像は仁王門の鬼瓦です。

岡寺仁王門鬼瓦 岡寺仁王門鬼瓦

岡寺仁王門鬼瓦 岡寺仁王門鬼瓦

岡寺仁王門鬼瓦 岡寺仁王門鬼瓦

岡寺仁王門鬼瓦 岡寺仁王門鬼瓦

 開山堂。本堂の左側にあります。大棟には鬼瓦がなく隅棟に鬼瓦がおさまっています。
岡寺開山堂     岡寺開山堂鬼瓦

岡寺開山堂鬼瓦 岡寺開山堂鬼瓦

 寺務所。

岡寺寺務所    岡寺寺務所鬼瓦

岡寺寺務所鬼瓦 岡寺寺務所鬼瓦

 岡寺本堂と開山堂。奥が本堂、手前が開山堂です。本堂には鬼瓦がいません。

岡寺開山堂/本堂