国宝の鬼瓦

国宝の鬼瓦シリーズ

国宝の鬼瓦シリーズは、国宝建造物の屋根を対象にそこにいる鬼瓦を見ていきます。
国宝に指定されている建造物は全国に131ケ所。寺院が97ケ所、神社が25ケ所、城が5ケ所、その他4ケ所となっています。

当日本鬼面瓦保存会の調査によればその中で鬼瓦がいる国宝建造物は寺院で50ケ所、神社で3ケ所、その他で1ケ所。

鬼瓦は撮影する角度によって大きくその顔かたちは変わってきます。
もちろん季節によっても時間帯によってもかなり受ける感じが違います。
皆様も国宝寺院にお参りした時は是非カメラを屋根の上の鬼瓦に向けてみて下さい。


7 国宝 浄土寺浄土堂 の鬼瓦

浄土堂

 浄土堂(1195建立)は、東大寺南門とともに天竺様の建築を代表する貴重な建物です。本瓦葺き、正面三間、側面三間の宝形(ほうぎょう)造り。
 宝形造りは隅棟の中央が一点に合い、そこを露盤と宝珠でまとめたもの。

 天竺様(てんじくよう)とは大仏様(だいぶつよう)ともいわれ重源が東大寺再建に当り中国の宋の様式を採り入れて創始した建築様式。
 昭和32〜34年に解体修理工事が行われました。

 浄土寺は鎌倉時代建久3年(1192)に俊乗房重源が創建したという。重源は源平の戦いで焼失した奈良東大寺を再興したことで有名。
 もともとこの地は東大寺の荘園であり播磨での仏教文化の中心であった。

 重源は13歳の時京都醍醐寺に入り真言の修行をし、次いで法然上人の教えに接して浄土門に転じた。阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏という念仏をひたすら唱え、死後、西方浄土へ往生することを願う仏教の一派である。

浄土堂の前の立札には次のような言葉がある。
『国宝指定 昭和27年3月29日
浄土寺は、俊乗房重源により東大寺領大部之荘(小野市の中心部で加古川東岸地帯)内に建てられた。 この堂は浄土堂という。建久年間(1190年代)の建立で、中国から伝来の「天竺様」という建築技法を用いている。天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に挿し込まれた肘木、それにかかる紅梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴がうかがえる。東大寺南大門とともに「天竺様」と伝える建物で、お堂としてはわが国で唯一のものである。

阿弥陀如来及び両脇侍立像
国宝指定 昭和39年5月26日
浄土堂の本尊で、観音/勢至菩薩を両脇侍として立つ、丈六の巨大な木像である。 三尊とも名仏師快慶の作で、堂背面の蔀戸(しとみど)から差し込む夕日を背景に西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀如来を目の前に表現しようとしている。』

浄土堂鬼瓦 浄土堂鬼瓦

浄土堂鬼瓦 浄土堂鬼瓦

浄土堂鬼瓦

 浄土堂の鬼は一の鬼よりも二の鬼の方が大きい。天竺様式の特徴なのか。二の鬼のほうが目線に入りやすい気もします。いずれも昭和34年の解体修理時の作品である。創建時の鬼面を模しているものと思われます。

 浄土寺には国宝浄土堂の他に本堂(重要文化財)、八幡神社拝殿および本殿(重要文化財)、開山堂(県指定文化財)、鐘楼(県指定文化財)、不動堂、収蔵、経蔵、文殊堂、鐘楼堂があります。

本堂(薬師堂)

本堂 本堂鬼瓦

本堂鬼瓦 本堂鬼瓦

八幡神社拝殿

八幡神社拝殿 八幡鬼瓦

八幡鬼瓦 八幡鬼瓦

八幡鬼瓦 八幡鬼瓦

八幡鬼瓦

 神社の屋根に鬼瓦がある数少ない例です。格調高い顔つきの鬼ですが、二の鬼に仏の宝珠がついているのも鎌倉期建築の特徴でしょうか。

 極楽山浄土寺 高野山真言宗
 兵庫県小野市浄谷町  神戸電鉄小野駅からタクシーで約10分。
 小野市は全国の80%を占め伝統的工芸品に指定されているそろばんや、全国生産の過半を占める鋏、鎌などの刃物、釣り針や播州織といった地場産業がさかんです。また播磨中部丘陵県立自然公園にある鴨池には冬、シベリヤから数万羽のカモが飛来します。