鎌倉にいる鬼瓦

1. 高徳院(こうとくいん)

高徳院 高徳院

 鎌倉といえば大仏さんである。鎌倉大仏は奈良東大寺の大仏の10分の7に相当する大きさで鎌倉時代の代表的な彫刻像の一つといわれる。この大仏のうしろ三方に寺務所を含めて回廊様の塀がある。
 塀の屋根に鬼がいる。国宝の大仏に眼を取られて誰も気がつかない。
 高徳院は開山・開基とも不詳である。

鎌倉大仏鬼瓦 鎌倉大仏鬼瓦

鎌倉大仏鬼瓦 鎌倉大仏鬼瓦

鎌倉大仏鬼瓦 鎌倉大仏鬼瓦

鎌倉大仏鬼瓦 


 寺務所の壁に次のような由来が書いてあった。
「国宝鎌倉大仏因由
この大仏像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。
初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し六年間で完成したが、宝治二年(1248)大風で倒れたので、再び資金を集め建長四年(1252)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。原形作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右ェ門や丹治久友の名が伝へられる。
大仏殿は建武二年(1335)と慶安二年(1369)とに大風で倒れ、その都度復興したが、明應四年(1495)の海潮に流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正12年(1923)の大震災には台座が崩れ仏像は前に傾いたが倒れなかった。
大正15年(1926)台座を補強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。昭和34年、35年(1959-60)の修理では、前傾している頭部を支える頚部の力を強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座と佛体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。
総高(台座共)   13.35米
青銅佛身高     11.312米
面長        2.35米
眼長        1.00米
眉長        1.24米
口長        0.82米
耳長        1.90米
眉間白毫径     0.18米
眉間白毫高     0.15米
螺髪高       0.18米
螺髪径       0.24米
螺髪数       656ヶ
佛体重量      121トン」

 大異山高徳院清浄泉寺の宗旨は浄土宗。光明寺の末寺。
 住所は神奈川県鎌倉市長谷