関島岳郎のヨーロッパ便り



ベルンの部屋
ベルンで最初に泊めてもらった部屋

  関島岳郎のヨーロッパ便り その1


 皆さん、お元気ですか?僕は今ベルギーのブリュッセルからドイツのケルンに向かう車の中です。今朝7時前にロンドンをブリュッセル行きのユーロスターで出発し、先ほどレンタカーに乗り換えました。

 私の参加しているバンド、シカラムータは1か月半の長いヨーロッパツアーが始まったところです。6月30日に成田を出発して、今朝までロンドンに滞在していました。その間に、ロイヤルフェスティバルホールでのBlurのオープニングアクトとBBCラジオの収録がありました。ロイヤルフェスティバルホールは築50年くらいの大きなホールで、キャパは2500人くらいでしょうか。私達の演奏はそれなりに受けてはいたようです。演奏中静かだったので不安だったのですが、Blurの演奏中もお客さんの大半は静かに座ってじっと聴いていました。もちろん手を振ったり体を動かしている人もいるのですが、最後まで全員座っていました。イギリスでのロックの聴かれ方がこういうものなのか、この日が伝統あるホールでのコンサートだったから特別なのかはわかりません。Bulrは、私を含めシカラムータの全員が聴いた事がなかったのですが、田舎のローカルバンドみたいな感じで、私は好感をもちました。ま、向こうもずいぶん珍妙なバンドがオープニングアクトだなと思った事でしょう。

 その翌日はBBCラジオの収録で、BBCのスタジオに行きました。このスタジオはスケートリンクだったところを70年前に改装したそうです。ロンドンは古い建物が多い。中は迷路のようになっていて、ちょっと歩くと迷子になりそうでした。渋谷のNHKもややこしいけど、やはり放送局というのはテロ対策などでわざと複雑にしてあるのか?スタジオは、落ち着いた雰囲気で部屋の音も素直でした。エンジニアもてきぱきと仕事をする。これは上品なブリティッシュサウンドで録音出来るな、と思って3曲ほど録音。ミックスが終わってみると、なぜかガレージパンク風の音になっていました。まあ、これもブリティッシュサウンドでしょう。

 イギリスの食事はおいしくないと言われていますが、確かにレストランなどで食べると味と価格のバランスが悪いです。でも、ケータリングはおいしかったし、駅のパン屋で買ったパンはすごくおいしかった。BBCの食堂もまあまあの味で安かったです。あと、ビールは結構安いです。いたるところにパブがあり、昼間から酒を飲んでいても大丈夫な国のようでした。それだけでイギリスに対する好感度がかなりアップしました。

 さて、車はドイツ国境を越え、今日の目的地ケルンに近づいてきました。また近いうちに続きを送ります。まだまだ旅は始まったばかりです。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その2

 皆さん、お元気ですか?僕は今ケルンからブレーメンに向かう車の中です。おとといにケルンでコンサート、昨日はオフでした。おとといコンサートをやったKantineというライブハウスは、鉄道の車両工場だったところを改装したライブハウスで、とても良い小屋でした。ロック系のコンサートが多いようです。楽屋の壁にたくさん貼ってある過去のコンサートのポスターの中にはピチカートファイブもありました。PAのエンジニアも熱心にやってくれたし、ケータリングも美味しかったし、良い環境ではあったのですが、ひとつだけ困った事がありました。小屋が大きすぎたのです。公称キャパ1000人!本番の客席は、かなりの人口密度の低さでした。でも、少ないながらもお客さんの反応は良かったです。2度目のアンコールでは、ギターの桜井芳樹がボーカルを披露。また、数年前に来日して大熊や坂本と共演の経験のあるケルン在住のバイオリニストのクラウスが飛び入りする場面もありました。

 次の日はオフでした。散歩がてらケルンの大聖堂に行ってみました。完成するまでに600年くらいかかった巨大な建造物で、世界遺産にも指定されています。建物の中の空間もすごかったのですが、いちばんびっくりしたのはケルン駅のすぐ目の前にあるということ。江古田駅がケルン駅だとすると、バディが大聖堂にあたるくらい目の前なのです。鉄道でケルンに来て駅から外に出たらびっくりするだろうなあ。

 その日の夕方、クラウスの家をたずねました。静かな住宅街の中の古いアパートで、天井が高くゆったりした空間になっていました。いろいろテープやCDを聴かせてもらいましたが、どれも音が良く聞こえたのは、部屋が良く鳴るせいもあるのでしょう。窓際に見た事も無い変わった植物の鉢植えがたくさんあったのが印象的でした。

 クラウスの家から帰る途中、駅の中のマーケットでありったけの種類のビールを買い、ソーセージやチーズを買って、ホテルの部屋で飲み比べをしました。駅のスタンドで買ってきたソーセージはすごくおいしかった。ビールはおいしいのや癖の強すぎるのやいろいろ。

 今日ブレーメンに前乗りして、明日がブレーメンでコンサート、その後デュイスブルグ、ルドルスタッド、ベルリンと毎日移動してコンサートになります。ツアー前半の山場です。それでは、また近いうちに。



  関島岳郎のヨーロッパ便り その3

 皆さん、お元気ですか?僕は今ブレーメンからデュースブルグ(読みはこれで良いのでしょうか?つづりは Duisburg )に向かう車の中です。ブレーメンは古い町並みが保存されていて、ある一角は本当に中世の町に迷い込んだようでした。それに新しい建物も古い建築物と調和が計られて、都市のデザインが一貫していると思いました。それはブレーメンに限った事ではないようです。もっとも、こういう町に住みたいかどうかは別ですけど。

 ブレーメンのライブはBreminaleというイベントで、 川沿いに並ぶサーカスのようなテントが演奏会場でした。出店がたくさんあって入場料は無料、お祭りのようでした。4つくらいあるテントは、それぞれ日替わりでいろいろなプログラムが組まれていたようです。シカラムータの出たテントのプログラムは、最初がシカラムータ、次にテューバとパーカッションをやる人のソロパフォーマンス、そしてブレーメンの朗読と音楽の劇団(?)、トゥバのロックバンド、アイルランドのバンドと続きました。僕はトゥバのバンドまで聴いてホテルに戻りましたが、どの演奏も素晴らしかった。シカラムータの次にやったソロパフォーマンスの人は、机にナイフや包丁をたくさん固定した巨大カリンバや、ブリキで作ったベルをホースで3つつけたサラウンドテューバにびっくりしましたが、確かなテクニックと音楽性で見事な演奏でした。客席で親子連れや年配の人など普通の人が普通にフリーインプロヴィゼイションを楽しんでいるのも印象的でした。地元ブレーメンのバンド(?)は、朗読の男女2人とミュージシャンが3人。そのミュージシャンが皆マルチプレイヤーでいろいろな楽器を達者に演奏していました。ラジオ劇のようであったけれど、ドイツ語がまったくわからないので内容は不明です。タイトルは「素晴らしき妊娠中の男達」のような感じでしたが、これもよくわからない。最後に見たトゥバのバンドは、ドラム、ベース、ギターに馬頭琴2人と女性ボーカルという編成。馬頭琴の男性とリーダーらしいギターの男性もボーカルを取るのですが、3人のボーカリストは皆声が素晴らしい。女性のハイトーンボーカル、ギタリストの超低音ボーカル、馬頭琴奏者のホーメイを駆使したボーカルとそれぞれ個性的。会場はとても盛り上がり、アンコールの拍手が鳴り止みませんでした。ちなみにシカラムータもそれなりに受けていたのですが、出番が最初だったためお客さんがまだ少なかったのが残念でした。この日の演奏は、ラジオブレーメンで生放送されていました。

 ヨーロッパに来て1週間以上過ぎました。そろそろ日本食が恋しくなってきましたが、まだ1か月以上あります。やっとメール環境も安定しました。コンピュサーブからニフティの乗り入れではなぜかメールの送信が出来ないので、結局GRICのローミングサービスを使う事にしました。それは最近のコンピュサーブの仕様なのか?誰か詳しい人教えて下さい。HP200LX という非力なマシンで通信しているので、インターネットメールは少々荷が思いのです。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その4

 皆さん、お元気ですか?僕は今デュースブルグ(読みはこれで良いのでしょうか?つづりは Duisburg )からルドルスタッド(読みはこれで良いのでしょうか?つづりは Rudolstadt )に向かう車の中です。なぜいつも車の中で書いているかというと、移動中が一番ひまなのです。アウトバーンの景色はずっと同じですし、しりとり歌合戦で盛り上がるようなバンドでもありません。なぜいつも車で移動しているかというと、安くて便利だからです。今回のツアーのギャラは大体マルクでもらうのですが、今マルクを円に両替すると46円位にしかなりません。これは大変です。数年前は80円を超えていた様な気がするのですけど。なるべく、経費をおさえる必要があります。1ヶ月半も旅に出ている訳ですから、それに見合う利益を計上したいものです。

 昨日はデュースブルグのジャズとワールドミュージックのフェスティバルでした。会場に着いてびっくりしました。巨大な製鉄工場の廃墟なのです。今は公園として開放されているのですが、赤錆びた施設や機械が連なる様は壮観でした。日本でこのようなものを作るのはまず無理でしょう。公園としては必要最低限しか手が入っていないので、土建屋が儲かりません。それでは日本では公共事業として成り立ちませんからね。

 この日のステージは、Okey TemizとMaria Ochoa y Corazon de sonの後のトリでした。トルコのOkey Temizのグループのステージを見ましたが、すごかった。ダルブッカなど4人のパーカッションと2人のズルナ(ダブルリードの楽器)という編成なのですが、とにかくパーカッション陣がうまい。なのに楽屋でも延々合奏の練習をしていました。いや、だからこそうまいのか?

 今日は朝6時半にホテルのロビーに集合して出発でした。少々眠いです。今日のルドルスタッドでのフェスティバルは、ドイツ最大のワールドミュージックのフェスティバルのようです。ステージと別に、大熊亘のチンドンに関するレクチャーもセッティングされているようですが、どうなることやら。

 それでは、また書きます。栗コーダー本、進んでいるかなあ‥‥。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その5

 皆さん、お元気ですか。僕は今ルドルスタッドからベルリンに向かう車の中です。このあたりは旧東ドイツだったところで、地平線まで麦畑が続いています。昨日のTanz & Folk Fest Rudolstadtは、ドイツ最大のワールドミュージックフェスティバルというだけあって、かなり規模の大きいもののようでした。ルドルスタッド自体は小さな田舎町なのですが、町のあちこちに会場があってとても全貌は把握出来ませんでした。何しろフェステイバルのパンフレットが栗コーダー本より多い170ページもあるのですから。

 12:30頃会場に着いて、13:00から大熊亘のチンドンに関するレクチャー。会場は映画館でした。木暮美和のチンドンと大熊のクラリネットによる実演付きのレクチャーは、司会兼通訳のポールの名調子が冴えていました。あ、ポールのことは今まで書きませんでしたね。ポール・フィッシャー氏は今回のツアーの日本側のオーガナイザーで、旅の前半のロードマネージャー兼運転手もやってもらっています。頼りになる存在です。いろいろな音楽ビジネスをやっている人で、ラジオのDJもやっているので実によどみくしゃべっていました。客席からソウルフラワーユニオンやコンポステラに関する質問があったのには驚きました。

 シカラムータのライブは16:00から、普段は演劇に使われていそうな劇場でやりました。シカラムータの前に出ていたのは、ハワイのギタリスト。客席はほぼ満席。バンドの演奏も安定してきました。その後20:00頃からメインステージで演奏。この日の夕方からのメインステージは、いろいろな出演者が顔見せ的にセッティング5分演奏15分くらいのサイクルで次々に演奏していました。ステージは町の中央にある広場に作られていて、広場は数千人の人で埋め尽くされています。そこにいれば世界中のいろいろな音楽を次々に聞く事ができるお得な場所なのです。。シカラムータの前にやっていたのは、カナダのイヌイットの女性2人の歌。2人で顔を寄せてお互いの声を共鳴させるような独特の歌唱法でした。シカラムータの後に出たのはポーランドの弦楽器と打楽器のアンサンブル。弦楽器の女性達の歌がとても良かった。シカラムータのドロドロの演奏の後、心を洗われました‥‥。さて、シカラムータは勢い重視の選曲で3曲演奏しました。すべて坂本さんに持っていかれたような気もしますが、今までのツアー中で一番熱い演奏だったのではないでしょうか。「東洋の変なバンド」の印象は残せたと思います。

 演奏が終わって町のレストランで食事をしましたが、店の人が英語を話せなくて注文に手間取りました。メニューもすべてドイツ語でよくわからない。でも、僕が適当に注文したら、それはあまりおすすめしない、と一生懸命説明してくれて、調理場から実物を持ってきて試食までさせてくれました。それは、にしんの塩漬けにサワークリームをかけたものだったのですが、にしんに火が入っていなくて生だったので勧めなかったようです。でも結局それを注文して美味しくいただきました。

 夜22:30から全体打ち上げ的なパーティーがありました。ステージに楽器がセッティングしてあったので何か出しものがあるのだろうなと思っていましたが、司会者の紹介で登場したのはキューバの老人ラテンバンド。いや、しびれました。全員スーツにソフト帽のおしゃれな格好で40分くらい最高な演奏を聴かせてくれました。会場は大ダンス大会。会場中央にやけに空きスペースがあるなと思っていたのですが、そういうことだったのですね。桜井芳樹いわく「やっぱり、じいさんにはかなわないよな。」。演奏が終わって帰って行く時には、さすがに足取りがふらふらしていましたけど。

 さて、そろそろベルリンが近づいてきました。ベルリンでは3泊ほどしますので、多少のんびりできると思います。ただ、今日の宿はアパートなのでネット接続ができるか不安ではあります。

それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その6

 皆さん、お元気ですか?僕は今ベルリンからオランダのアイントホーヘンに向かう車の中です。後部座席に座っているのですが、しっかり安全ベルトを締めています。なぜなら、今運転席に座っているのは大熊亘だからです。今日レンタカーを借りてからアウトバーンに入るまでに10回くらいエンストしました。車はベンツの9人乗りのワゴンで、大きいのです。ときどき右車線にはみだします。今160kmくらいの速度で走っているのですが、すごい速さで追い越していく車がいます。ポールが帰国したので、この後オランダとフランスはメンバーの運転になります。またドイツに戻って来られるのだろうか。

 ベルリンには3泊しました。大熊、木暮、坂本は、今回ツアーの後半でお世話になる松並えりかさんのアパートに泊まりました。そこは住人が共同管理しているアパートなので、空き部屋を提供してもらったのです。築100年くらいの古い建物でした。僕と桜井、植村は、アパートメントホテルに泊まりました。そこは1日単位で借りられるアパートで、日本で言えばウイークリーマンションのようなものでしょうか。ゆったりしたきれいな部屋で、かなり快適にすごせました。大家のおばさんも親切でした。地球の歩き方には教えたくない。

 ベルリンに着いた初日は、タイ料理屋でポールとお別れディナー。ツアー前半のロードマネージャー兼運転手をしてくれていたポールは、そのままブリュッセルのレンタカー屋に車を返しに行き、パリから日本へ帰るのです。かなり大変な行程です。こちらはこちらで、今後いろいろ起きるであろうアクシデントを自力で解決していかなければなりません。どうなるんだろうなあ。ちなみに、このタイ料理屋は安くて美味しかったです。今のレートだと、トムヤンクンが200円前後、カレーライスは400円くらい、ビールは150円くらいでした。次の日も行ってしまいました。しかし、ドイツにいると、だんだんマルクの感覚に慣れてきます。そうすると、1マルク80円くらいで考えるのが妥当なような気がしてきます。

 ベルリン2日目は、スタジオで次の日のテレビ収録用のリハーサルをしました。古いビルの中にあるリハーサルスタジオだったのですが、建物の中にプレハブの建物が並んでいるような作りになっていました。

 そして、ベルリン3日目にアクシデントが起きました。当日になって突然ライブをキャンセルされたのです。いわく「天気が良くないので、27日に延期する」。確かに会場を見て、その日の天気を考えると、仕方ないのかなとも思いますが、日本人の常識では考えられません。野外のステージを使うとは言え、ライブハウスなのですから。お客さんへのインフォメーションも間に合いませんから、当日会場に来て初めて知る事になってしまいます。植村、坂本は、自分で招待した人への連絡がつかなかったので、ライブのあるはずだった時間に会場の前に立っていて、知らずに来た人達に頭を下げていました。一方桜井、関島はのんきにブランデンブルク門から戦勝記念塔を経てツオー周辺まで散策。夜はえりかさんのアパートの住人達が歓迎パーティーを催してくれました。調子に乗って散々演奏しましたが、夜中の1時過ぎまでテューバやチンドンを鳴らしても大丈夫とは、日本とは住宅事情が違うようです。

 今日から謎の中盤戦に突入します。シカラムータは解散。植村は一時帰国。坂本はベルリンに残り地元のミュージシャンとのライブが2本あります。そして、大熊、桜井、木暮、関島は、オランダのアイントホーヘンへ。このメンバーでライブを2回やります。その後坂本と合流(待ち合せ場所はケルンの大聖堂前)、南仏プロバンスの小さな町でライブ。何日かの休暇のあと、フランクフルト空港で植村と合流してシカラムータ再結成となり、ハーゲンでのライブに臨みます。この後いったいどうなることやら。はあ(ためいき)。それにしても今日が7月13日。帰国予定日が8月14日。まだ1か月もあるとは。はあ(ためいき)。

 これから中盤戦は接続出来る可能性がかなり低いです。この文書もいつ送れる事やら。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その7

 皆さん、お元気ですか?僕は今アイントホーヘンからアムステルダムに向かう汽車の中です。7月13日は無事アイントホーヘンに着きました。アイントホーヘン在住のサックス奏者、アド・ペイネンブルグ氏の家に泊めてもらっています。14日と15日にライブをやりまして、16日から18日までオフ。昨日16日は近所にあるゴッホの描いた水車小屋を見に行ったり散歩して過ごしていたのですが、今日はアムステルダムに出稼ぎに行く事にしました。路上演奏で稼ごうという魂胆です。ついでに楽器屋やレコード屋も見て回ろうと思っているのですが、もうお昼過ぎです。アムステルダムに着くのは1時過ぎになるでしょう。うまく充実したアムステルダムの半日が過ごせるでしょうか。川口君がいればなあ‥‥。

 アイントホーヘンは旅行者がまず来ないような小さな町ですが、商業施設が充実していて暮らしやすい町です。町の人も何となくのびのび暮らしているような気がします。アイントホーヘンでは2本ライブをやりました。どちらもアド氏がセッティングしてくれたものです。14日は2Bというライブスペースで、パーカッション奏者のスティーブ氏(スティーブ衛藤氏ではない)とDJの人のイベントに出演。2Bは、前は工場だったと思われるがらんとした広い建物で、ライブハウスというよりは地元の若者の遊び場という雰囲気でした。ステージ後方には大きなスクリーンがあって、VJの女性が金属をテーマにした映像を流していました。イベントのタイトルは「METAL MOVES」。ステージ上にはスティーブ氏のパーカッション群が並んでいましたが、自作の曲線を多用した金属製のスタンドにセッティングされたゴングやシンバルや自作楽器はまるでアンティーク家具のようでした。アド氏とスティーブ氏のデュオ(これがなかなか良かった)に続いて大熊+桜井+関島+こぐれみわの小シカラムータで30分ほど演奏しました。モニターが無い上に会場がかなり広くて強力なリバーブがかかるので、けっこうやりにくかったです。でも、会場の雰囲気は良かったのでそれなりにリラックスして演奏できました。会場でなぜか日本酒を売っていて、やかんに入れた日本酒を直接火にかけて燗をつけていました‥‥。

 翌日はKraaij&Balderという小さなクラブでワンマンのライブ。静かな住宅街の中にある、パブのようなレストランでした。昨日と違ってお客さんの年令層はぐっと高めで、アメリカ風に感じる内装とあいまって、カントリーパブに迷い込んだブルースブラザーズを思い出しました。お客さんもじっくり聴くというよりは、他の客とおしゃべりを楽しみながら聴いているようで、いまひとつ反応がわかりませんでした。終演後に地元のジャズフェスティバルの主催者が「来年私達のフェスティバルは40周年なので、君達も来なさい。」と言ってきました。そうか、来年も来なくちゃいけないのか。とほほ。

 さて、アムステルダムが近づいてきました。路上演奏はどうなりますことやら。

 あっという間に9時間過ぎまして、今アムステルダムからアイントホーヘンに帰る列車の中です。いや、いろいろ欲張りすぎました。結局路上演奏は4回ほど。結構お金を入れてもらったのですが、それでも4人で割るとアムステルダムまでの往復の電車賃に届きませんでした。アムステルダムに着いて、まず駅前で演奏。アンプが無いと音の出ない桜井は記録係。そして、場所を移動して2度目の演奏。昼食後に道具がそろっていないと気合が入らないという大熊の意見で、セカンドハンズの店が並ぶマーケッ トに行き、大熊は帽子や小道具を調達。マーケッ トを一緒に歩いていて思ったのですが、趣味の違う人間と歩いていると倍時間がかかりますね。大熊やこぐれがひっかかるのは大体奇妙な柄の服でした。その後レコード屋を回りました。シカラムータのCDを置いてもらうためです。演奏するのに適した場所、レコード屋、楽器屋などの位置はアド氏に教えてもらってありました。最初の店ではシカラムータのCDを置いてもらう事に成功。2軒目の店は、既に置いてありました。その店の店員は「コンポステラの『WADACHI』って最高じゃん!」と言っていました。感涙。教えてもらった3軒目のレコード屋は発見できず。その後楽器屋に行きましたが、1軒目は閉まっていて2軒目は発見できず。途中飾り窓というものを見ましたが、突然だったのでびっくりしました。大体こちらの性産業には恥じらいと言うものが感じられません。普通の商店街の中にポルノショップが並んでいて、ショーウインドウに堂々とすごい物を展示しています。あれでいいのだろうか。その後我々は2度ほど演奏しましたが、天気が崩れぎみだったのと、時間が遅くなったのとで集金はいまひとつ。しかし、今日はいろいろな人種のいろいろな年令層の人に聴いてもらいお金を投げてもらいました。また、警察を含め町の人は路上演奏に対して日本とは比べものにならないくらい寛容です。警官が通りかかっても何も言いませんし、道を歩いている人も面白いと思ったらお金を置いて行く習慣があるようです。昨年末の栗コーダーの路上演奏での苦い体験を思いだし、次は栗コーダーでアムステルダムの路上演奏をやりたいなと思いました。明日はアイントホーヘンで路上演奏をする予定です。そして、あさってにはオランダを後にし、ケルンで坂本と合流して南フランスを目指します。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その8

 皆さん、お元気ですか?僕は今スイスのハイウェイを走っています。昨日はアイントホーヘンを出発し、途中ケルン大聖堂前で坂本と再会、スイスのベルンまで走って知人宅に泊まりました。昨日の夜にスイスのハイウェイを走っている時は、なんだか中央高速を走っているような気がしたのですが、快晴の空の下で見る風景はやっぱりスイスです。アルプスの少女ハイジに出てきた、チーズを暖炉にかざしてどろっと溶けたところをパンに乗せたやつが食べたい。しかしスイスは通過するだけで、今日はフランスを目指します。あ、レマン湖が見えてきました。意外と大きい。その向こうにはアルプス前衛の山。あれでも3000mくらいはあるんだろうなあ。

 おとといは、アイントホーヘンでの最終日。アイントホーヘンの商店街の中で演奏しました。15分を3回くらいやって、投げ銭は70ギルダーちょっと。町の規模を考えればまずまずでしょう。その夜は、アイントホーヘンで本当にお世話になったアド・ペイネンブルグさんと、その恋人のコリーさんとお別れディナー。アドさんはご飯を炊いてナシゴレン風の混ぜご飯を作ってくれました。その他いろいろなエスニック料理とワインとビール。今回アドさんは隣にあるコリーさんの家に泊まって、自分の家を私達にまるごと貸してくれました。おかげで快適なオランダでの日々を過ごせました。アドさんに感謝。アドさんに栗コーダーの赤盤を進呈したら、一聴して「これはクリスマスの時期にストリートでやったら随分稼げるね。」と言っていました。そうか、吉祥寺や新宿じゃだめか、オランダだ。寒そうだけど。

 昨日はアイントホーヘンを昼頃出て、午後3時に坂本とケルンの大聖堂前で待ち合わせ。坂本はベルリンで自分でブッキングした2本のライブをこなしてきました。それからベルンまで延々とドライブ。ベルンに着いたのは夜11時30分頃でした。スイスの国境はゲートがあって、入国料を取られました。さすが観光の国。この日は知人の知人のゲイのカップルの部屋に5人で雑魚寝。花で飾られたきれいな部屋でした。初めは女の人の部屋かと思った。

 車はフランス国境を越えました。今日向かうLorgueは、マルセイユとニースの間にある小さな町です。明日21日はその町の小さな教会でコンサートをやります。このあと車はフランスを南下。だんだん暑くなってきました。このベンツのワゴンには冷房が付いていない!さて、この後どうなりますことか。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その9

皆さん、お元気ですか?僕は今、4日間過ごした南フランスのプロバンスに別れを告げ、はるか遠くのフランクフルトへ向かっています。車窓に見えるのは赤茶けた土地にまばらにはえるオリーブの木と石造りのプロバンス風の家、そしてぶどう畑。私はプロバンスの4日間ですっかり弛緩しきってしまいました。今朝朝食の後、キースジャレットのケルンコンサートを聴きました。弛んだ脳に鞭打って、この4日間を思い出してみましょう。

 7月20日
 スイスのベルンからプロバンスに向かった私達は、夜9時頃無事に目的地のローグの村に着きました。ローグはマルセイユとニースの中間にある小さな村で、プロバンス風の建物が並ぶその美しい風景は、映画の中に迷い込んだようでありました。大体ヨーロッパの田舎を舞台にした、老人か子供が出て来るたぐいの映画ですね。さて、まずはオーガナイザーのティエリー氏の家をたずねました。電話をかけるためのテレフォンカードを買いに大熊がカフェに入ったら、ティエリーの家なら知っているぜ、と道案内してくれる人がいたのも小さな村ならでは。ティエリー氏の家には、今回ティエリー氏にシカラムータを紹介してくれたカトリーヌ・ジョニオー女史、陽気な彫刻家のジェラルド、ティエリー氏の奥さんのクレオさんなどがいて、カトリーヌ女史宅に泊まる大熊とこぐれを見送ってから食事を出してもらいました。シンプルな食事でしたが、とても美味しかった。あと、ワインが素晴らしかった。ティエリー氏の家ではその後もたびたびワインや食事をごちそうになりましたが、すべて美味しかったです。やはり食はフランスにあり、か?その後、ティエリー氏宅近くの一室を借りた坂本と別れ、僕と桜井は2日間ステイする画家のギオム氏宅へ。クレオさんが車で送ってくれたのですが、車は村を出てどんどん山の中へ。どこまで行くのか不安になった頃ようやくギオム氏宅に到着。まわりに何も無い山の中の一軒家でした。深夜の到着になってしまいましたが、ギオム氏は広いリビングルームに8畳ほどはありそうな絵を広げて製作の最中でした。シンプルな幾何学的な線におだやかな色使いの抽象画で、床に広げた絵の上に乗って描く製作風景は何とも大胆。僕と桜井はしばらく見ていた後、ずうずうしくもワインをボトルごともらって部屋で飲んでいました。

 7月21日
 朝起きてギオム氏の家を観察してみると、何とも良い家です。山の中の一軒家で、まわりは森、敷地は1000坪はあるのではないかな。庭にはハーブの花が咲き乱れ、バーベキュー用のかまどやプールまであります。私達の泊めてもらった建物の奥に母屋があり、妹夫婦と一緒に住んでいるようでした。この日はライブだったのですが、迎えがくる午後1時までは何もすることが無くて、庭で椅子に座ってぼーっとしていました。ギオム氏にプールに入ったらどうだい、と勧められましたがプールはどうかなあ。かなり弛んだところでクレオさんが迎えに来て、この日のライブ会場の教会、St.FERREOLに行きました。この教会は小さな山の頂上にあって、付近一帯は自然公園になっているようです。広さは100人が余裕で座れるくらい。壁に貼ってある歴代の神父の名前とおぼしきものが1600年くらいから始まっていて、歴史を感じさせます。その歴史ある教会の祭壇がこの日のステージだったのですが、そんな場所で我々の罰あたりな音楽をやってもよいものでしょうか?しかし石造りの建物の中は実に音が良く響き、リコーダーを吹くと何とも気持ちが良くて、セッティングやリハーサルの待ち時間はずっとリコーダーを吹いていました。ああ、ポータブルのDATでもあればソロアルバムが作れたのになあ。コンサートは夜9時から。お客さんは80人ほどだったでしょうか。植村抜きの編成のため静かな曲の割合が多く、教会の響きの中で気持ち良く演奏出来ました。コンサートの後はティエリー氏の家の前の庭でパーティー。やっぱりワインが美味しい。あと、フランスの惣菜はワインを呼んでいるような気がしました。途中パーティをちょっと抜け出して、近くのギャラリーでやっている陽気な彫刻家のジェラルドの個展を見に行きました。アジアの女性の胴体をデフォルメした陶器が並んでいて、タイトルはメコン・ブルース。ポルトガル出身の陽気な彫刻家のジェラルドは、日本に陶芸を学びに来た事もあるそうです。この日ギオム氏宅に戻ったのは夜中の3時頃でした。絵をプレゼントされて桜井と僕は恐縮。

 7月22日
 朝起きてから午後4時すぎまで、ずっとぼーっとしている。ギオム氏の家は実に素晴らしい家なのですが、車が無ければどこにも行けないという大きな欠点があります。我々のレンタカーは大熊が乗っていっているので、迎えが来るまでは家にいるしかありません。ギオム氏の奥さんにプールに入ったらどうかしら、と勧められましたがプールはどうかなあ。よって、一日中ぼーっとしていました。午後にはギオム氏の妹の旦那からもプールに入ってはいかが、と勧められましたがプールはどうかなあ。午後4時過ぎにティエリー氏と大熊達がやって来て、新しい住まいに移動。ローグの隣村の大きな家で、普段は女性2人が共同生活しているらしいのですが、家主が旅行中なので使ってもいいらしい。我々が5人で泊まってもかなり余裕の広さでした。まわりは草原と林で、その中に古い家がぽつぽつと建っていました。この家は建ってからどれくらい経つのかとクレオさんに聞いたら、わからないけれど200年くらいじゃないかしら、という返事。よく見ると結構雑に作っている部分もあるような気がするのですが、それだけ長い間使えるのは気候にあった造りなのか。この日は村の商店街に買い出しに行って、自炊しました。シェフ大熊の作ったメニューはパスタ&トマトソース&バジルソース、レタスとトマトとモツァレラのサラダ、赤ピーマン炒め、パン、チーズ、オリーブ、ワイン、ビール。そして、キース・ジャレットのケルンコンサートを5回ほど聴きました。

 7月23日
 この日は10時頃出発して、近くの町のサレルネへ行きました。市がたつそうなので、そこで路上演奏をしようという訳です。さて、サレルネに着くと、町の中央の広場に食材、生地、生活用品などを売る露店がところ狭しと並んでいてなかなか良い雰囲気です。大体ヨーロッパの町は大小を問わず中心に広場があるようですね。そこで40分くらい演奏しました。オランダで路上演奏をした時よりも、じっくり聴いていく人が多かったような気がします。路上演奏の後は、ギオム氏宅のバーベキューパーティーに招かれました。ここでパスティスという酒を初めて飲みました。それによってフランス人はワインより強い酒を飲まないのだろうか、という疑問が氷解しました。パスティスはアルコールが45%、水で割って飲むのが決まりの酒のようです。水で割ると白く濁るのは、ギリシャのウゾもそうだったかな?僕はストレートで味わってみたくて、3回ストレートで飲む事に挑戦しましたが、 必ず誰かに発見されて、 「ジス・イズ・インポータント」の言葉と共に水をそそがれました。しかし、パスティスのおかげで我々の体内アルコール度数は急上昇。桜井は気絶しっぱなしになり、坂本は即興で「パスティスを賛美する歌」を披露。そして、別の場所でもパーティーをやっているので行ってみるか?というティエリー氏の誘いについていった我々は、何やら文化的な話し合いのパーティーの席でひたすら飲み食いしてきました。「ジャポネは最低なやつらだぜ」と言われていなければ良いのですが。この日もキースジャレットのケルンコンサートを5回聴く。

 車はリヨンを過ぎました。窓の外はいつの間にかぶどう畑から麦畑になっています。今日はドイツとの国境に近い町に住むティエリー氏の知人宅に泊めてもらい、明日25日にフランクフルトで植村と合流します。はあ、またドイツか。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その10

 皆さん、お元気ですか?僕は今、ドイツのアウトバーンをハーゲンからベルリンに向かって走っています。再びベルリンに行くことになるとは。そして、この便りも10回目になってしまいました。いったいいつまで続くのでしょうか?早く川口君来ないかな。

 7月24日にプロバンスを出発した私達は、Naiseyという人口600人くらいの小さな村で宿泊しました。この村に住むクリストフというライターの家に大熊とこぐれ、ティエリー(プロバンスのティエリーと同名)というアイリッシュミュージックのバイオリン奏者の家に残りの3人。プロバンスからフランクフルトまで一日で移動するのがむずかしいということに気がついた私達の、途中の宿を紹介して欲しいという急な頼みに、プロバンスのティエリーが友人をあたってくれました。夜11時過ぎの到着になったのですが、庭で食事を出してもらい恐縮。おみやげにプロバンスのワインを持って行ったのですが、自分達で飲んでしまう始末。次の日の出発前、クリストフの家の庭で二家族を前に何曲か演奏しました。これくらいしかお礼ができない。

 翌日、フランクフルトの空港で無事植村と合流しました。味噌汁だの日本のたばこだの皆に頼まれたものを買ってきてくれた植村ですが、坂本に頼まれた東スポは買って来るのを忘れたようです。坂本は激怒の後、「東スポに郷愁を感じるなんて‥‥。」とぽつり。

 フランクフルト近郊に宿泊して、翌日はハーゲンでひさしぶりの全員そろってのライブでした。会場は町中の公園の野外ステージ。何となく井の頭公園を思い出しました。ステージ前で僕等の演奏に合わせて踊っている親子が、やけに楽しそうでした。

 今日のベルリンは、7月12日にやる予定で延期になったライブです。対バンは東欧のブラスバンドのようなので、ちょっと楽しみです。まあ、とりあえず謎の中盤戦を乗りきったので、あとは川口君待ちといったところでしょうか。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り 番外編その1 国際派モバイラーへの道

 今回のツアーで、坂本以外のメンバーはコンピューターを持参してきました。普通なら観光などに割くべきであろう時間を、ホテルの部屋でネット接続の為の試行錯誤に費やしていました。ひょっとしたら、人によっては参考になる情報が含まれているかもしれないので、私達の通信の状況を少し書きます。今回は興味の無い方にはまったく面白くない内容です。

 まず、通信のために持ってきたものを御紹介しましょう。

 大熊 亘

 ◎Macintosh Power Book G3
  出発前々日に購入。出発前日のライブの空き時間に植村がいろいろ設定。モデムも内蔵。
 ◎TDKの世界対応のカードモデム
  出発前々日に購入。世界のほとんどの国で認可を受けたモデム。
 ◎回線チェッカー
  出発前々日に購入。モデムセーバーを買うつもりだったらしい。
 ◎各種モジュラージャック変換アダプター
  出発前々日に購入。今回行く国や行かない国のを持参。
 ◎サスコム
  出発前々日に購入。世界中のコンセントを変換。

 桜井芳樹

 ◎ビクターのWindowsCE機(内蔵モデム使用)
  1kgを切る軽量。カラー。モデム内蔵。
 ◎各種モジュラージャック変換アダプター
  イギリス、ドイツ、ハンガリー、フランス、オーストリア
 ◎モデムセーバー
  回線チェック、極性反転、ライン入れ換えなど必需品。
 ◎インラインカプラー
  受話器と電話機の間に接続する。受話器が抜けるタイプの電話でないと使えないが、ISDN回線の電話にはこれが無いと接続できない。
 ◎サスコム
  世界中のコンセントを変換。
 ◎変圧機
  ヨーロッパは200V以上のところが多い。
 ◎ニッカド単3充電池と急速充電機
  CE機とデジタルカメラ用。
 ◎延長用モジュラーケーブル
  コンセントとモジュラージャックが離れている時に便利。

 植村昌弘

 ◎Macintosh Power Book2400
  最軽量のPower Book。生産終了ながら今も人気の機種。
 ◎TDkの世界対応カードモデム
  世界のほとんどの国で認可を受けたモデム。さらに国内用モデムも予備に持参。
 ◎各種モジュラージャック変換アダプター
  イギリス、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スロベニア
 ◎サスコム
  世界中のコンセントを変換。さらにドイツ専用アダプターも持参。
 ◎インラインカプラー
  ツアー前半で必要性を痛感。一時帰国中に購入。
 ◎モデムセーバー
  ツアー前半で必要性を痛感。一時帰国中に購入。
 ◎ジェンダー
  モジュラーケーブルのオスメス変換

 関島岳郎

 ◎HP200LX
  常に持ち歩いている手のひらサイズのDOSマシン。CPUは80186。非力。
 ◎国内用カードモデム
  14400bps。HP200LXではこの速度が限界。
 ◎ワールドコネクト
  RJ-11(日本、アメリカなど)、イギリス式、ドイツ式、フランス式、ロシア式のモジュラージャックを一台で変換するアダプター。ワニ口クリップも付いている。カザフスタン製。
 ◎モデムセーバー
  回線チェック、極性反転、ライン入れ換えなど必需品。
 ◎リチウム単3乾電池
  ACは使わない事にして、HP200LX用に3セット(6本)購入。

 坂本弘道

 ◎ドイツ仕様のグラインダー
  ケルンで購入。
 ◎短波ラジオ
  寂しさのあまりベルリンで購入。

 まず、今のところデジタル回線のホテルが半分くらいありました。そうなるとインラインカプラーを使うしかありませんから、桜井さんの持ってきたインラインカプラーを皆で交代に使わせてもらいました。また、デジタル回線に普通のモデムをつなぐとモデムを壊すという話しをよく聞きます。モデムセーバーは重宝しました。回線の極性が逆になっているところも多かったので、極性の入れ換えにも使えました。ただ、間違えて極性が逆のまま接続してしまったこともありましたが、特に問題無く接続できました。また僕は国内用のモデムをそのまま使用していますが、今のところは問題ありません。厳密には違法なのかもしれませんけど。アクセスポイントは皆GRICのローミングサービスを利用しています。しかし僕は今回はインターネットを使わずに、コンピュサーブ経由でニフティに接続しています。普段HP200LXのKTXで使用しているニフティのオートパイロットマクロがそのまま使えるからです。ただ、コンピュサーブ経由でメールを送ったり、フォーラムに書き込みをしたりすると改行が乱れるようです。原因はわかりません。そのため、メールやフォーラムの書き込みに埋め込んであるコマンド(例えば/post) が行頭に来なくなり、オートパイロット時にメールが送れないという不都合がありました。そのメールが送れない原因に気がつくのにだいぶ時間がかかりました。結局メールを送るところで止まったときに手動で「/post」 を入れてやれば送れるようです。 ただ、 メールの最初に埋め込んである「TO:」と「SUB:」もずれることがありますので、メールを送る時は完全手動にした方が確実かもしれません。

 また、ISDN回線でインラインカプラーを使った場合、オートダイアルが使えません。この場合、受話器をあげて手動でダイアルした後に接続することになります。 Mac組は、PPP接続ソフトを手動でコネクトさせる設定にすればOKでした。桜井さんのCE機の内蔵ソフトの場合は、 電話番号に「,」だけ設定する方法で接続出来ました。僕の場合はいわゆるパソコン通信の接続なので、モデム初期化コマンドを入力した後に「atd」 と打って、手動でダイアルしてつながった瞬間にリターンキーを押してコネクトさせています。コンピュサーブにつながった瞬間は文字化けしているのですが、 かまわずにリターンを押して、「nifty」と入力するとニフティサーブに入れます。その後にオートパイロットマクロを起動させています。オートダイアルが使える場合も、コネクトしてからの「リターン」と「nifty」は手動でやっています。 これもマクロに組みこむことは可能なのでしょうが、タイミングをはかるのがめんどくさそうなのでやっていません。

 正直言ってインラインカプラー(商品名モデムダブラー)がこれほど役に立つとは思わなかったのですが、反対にあまり使っていないのはモジュラージャック変換アダプターです。 壁側が各国のジャックになっていても、電話機にはRJ-11でささっていることがほとんどなので、モジュラージャックの変換アダプターが無いと接続出来ない状況はほとんどありませんでした。特に僕の持って来ているワールドコネクトは図体が大きいので、ドイツのホテルでは差しにくい状況がよくありました。

 海外で接続しようと思った場合、自分の環境に応じた準備を出発前にしておくことが、もっとも重要でしょう。たとえば、GRICは多数のプロバイダーの集合体ですから、 移動してアクセスポイントが変わるとDNAアドレスやSMTPサーバー名も変えなければなりません。桜井さんと植村君がそのあたりをかなり綿密に調べてあったので、僕がインターネット接続していた時にはかなり助かりました。僕は今はインターネット接続をしていませんが、前述のメール送信の不具合の原因がわからなかった時にインターネット経由でメールを送っていた時期があります。実は念のために入れてきてはいたものの、 HP200LXのインターネットソフトは使った事がなかったので、接続のための準備は何もしてきていなかったのです。今はコンピュサーブにパソコン通信接続するだけで事足りています。ただし、改行が乱れて読みにくいメールや書き込みをまきちらしていますけど。

 現在の最大の関心は、ついにモバイルを始めようとしている川口君が、何を持ってくるかということです。VAIOか、Power Bookか?個人的には、iMacをかついできて欲しいような、サイオンとかこだわりの機種を持ってきて欲しいような、「i-modeで充分でしょう。」と携帯を持ってきて欲しいような。

 海外での通信はなかなか大変です。あっけなくつながることも多いのですが、原因不明のままつながらないこともあります。たとえば、数日前に泊まったホテルでは、僕の部屋ではどうしてもコネクトできなかったのですが、同じ設定のまま他の部屋にいったら簡単につながりました。振り返ってみると、特にツアー前半の皆のネット接続への努力は尋常でなかったかもしれません。しかし、なぜそこまでしてつなぎたいのか?うーん、やはり、「そこに電話回線があるから」でしょう。あるいは、その努力と達成感によって、何らかの安らぎを得ているのかもしれません。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その11

 皆さん、 お元気ですか?僕は今ベルリンを出発し、Bad Wildugenを目指してアウトバーンを走っています。ふたたび訪れたベルリンは、前に滞在した時より夏めいてきていました。僕等がオランダに行っている時もベルリンに残っていた坂本は、「ここが俺の第二のふるさとなのか。」とぽつり。

 ベルリンでのライブはPefferbergという大きなライブハウスでやりました。ただ、ステージは野外でした。夏の間は中庭でやる納涼コンサートが売りものらしいです。この日の坂本の新兵器は、エアーホーンでした。ベルリンに向かう途中のドライブインで仕入れたものです。スプレー缶の上に小さなプラスティックのラッパが付いたもので、おもちゃのような外観からは想像できない大きな音がします。ダンプカーのクラクションのあの音です。耳もとで鳴らされたら多分眼球が飛び出すでしょう。ステージ上でもその圧倒的な音量は凶器そのものでした。ただ弱点はスプレー缶に入っている圧縮空気が無くなったらそれでおしまいということです。坂本はベルリンのライブで空気をあらかた使ってしまったようです。ほっ。あ、でも大熊も同じものを購入していました‥‥。

 その日の対バンはベルリンのクレズマーとバルカンブラスをやるバンドでした。クラリネット、トランペット、ギター、アコーデオン、テューバの編成で、バルカンブラスをやるときはギターとアコーデオンの2人が卵型のテナーテューバに持ち替えます。僕等がでたらめなクレズマーをやったあとに、本格的なクレズマーを聞かせてくれました。ドラムレスの編成なのにテンポの速い曲のリズム感がすばらしかった。

 次の日はラジオの生番組に出演しました。ただ、朝10時からの生番組に出るのに10時10分に放送局に着く大物ぶり。さすが外タレ。これでいいのか。そしてその日の午後は洗濯をしました。幸い宿の近くにコインランドリーがあったのです。長期の旅になると洗濯は切実な問題です。時間に余裕のあるときはホテルの洗面所で手洗いすれば良いのですが、同じ所に連泊しないとなかなか乾きません。やはり川口君にネパール式の乾かし方を伝授してもらうべきでしょうか。

 外は雨です。今日は寒い。ドイツの夏はいつなんでしょうか。まだしばらく旅は続きます。車はベンツのワゴンからフォルクスワーゲンのワゴンになりました。前に借りたレンタカー屋の車はハンガリーやスロベニアに入れないので、別のところで借り直したのです。旅の後半どんなことが待っているのでしょうか。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その12

 皆さん、お元気ですか?僕は今ニュルンベルクからベルリンに向かってアウトバーンを走っています。おとといはバドビルドゥンゲン、昨日はニュルンベルクでフェスティバルに出演しました。今日は移動日で、ベルリンに宿泊します。明日がハンブルクなので途中の宿泊に適した位置とはいえ、またベルリンとは‥‥。

 おととい行ったバドビルドゥンゲンは温泉保養地の小さな町でした。フェスティバルの会場は、小高い丘の上にある古城のようなものの中庭。他の出演者はなかなか良かったです。 最初に出たのがDes Geyers schwarzer Haufenというトラッドと古楽とロックを混ぜたようなグループ。フロントの二人はボタン付きのバイオリン(ハーディーガーディーを弓で弾くような楽器)、クルムホルン、リコーダー、バグパイプなどを駆使していましたが、ギターはディストーションサウンド。 盛り上げかたがちょっとB級なところが印象的でした。 その次がAn Ermingという3人組。ハープ、アコーディオン、バグパイプ、ギター、バイオリン、ハーディーガーディーなど3人でいろいろな楽器を持ち替えてのトラッドフォークでした。実は楽屋でビールを飲んでいてあまり聴いていませんでした。3番目はStella Chiweshe & Band。 ジンバブエのカリンバ奏者でボーカリストのStella Chiwesheを中心に、もう一人のカリンバ奏者とギター、パーカッションの4人。これはよかったです。楽屋でカリンバの2人が練習していたのですが、それを聴いているだけで気絶寸前でした。今回のツアーではメンバー間で「気絶系」 という音楽の分類が提唱されていますが、 まさにそれでした。 終演後にStellaが、僕のテューバを指して「その楽器が気に入った。いくらするのか?」とたずねてきたので、「これは中古で格安で買ったので、これくらいの値段だ。」と教えたところ、とても高いとびっくりしていました。そうかなあ、これより安いテューバは無いと思うんだけど。 Stella の次がシカラムータで、 最後がTihareaというマダガスカルの女性3人。 これも気絶系でした。3人ともパーカッションとボーカルをやるのですが、ボーカルのアンサンブルが実に素晴らしい。気絶系にはさまれたシカラムータのステージは、いつも通りのどろどろ系。でも、アンコールもありましたし、受けてはいたようです。変拍子の曲でもかまわずに踊っているお客さんが多かった。

 昨日はニュルンベルクのフェスティバルでした。3日間あるフェスティバルの最終日で町は異常に人口密度が高かったです。10万人規模で人が集まる大きなフェスティバルらしい。出店も多く、お祭りの雰囲気でした。会場は町の中に6か所ほどあって、シカラムータが演奏したのは古い教会の前の広場でした。僕自身のこの日の演奏はミスも多く、終わった後に反省。そろそろ気が弛んでくるころかもしれません。しかし演奏後、他のメンバーにそれを言ったら「えっ、そうだったかなあ?」。がーん、みんな僕の音を聴いていないのか!シカラムータの後は、スロヴェニアの弾き語りの人。何となく日本の東北方面のフォークを思い出す。フェスティバルの全貌は規模が大きすぎてつかめませんでした。

 複数の出演者が出るフェスティバルはサウンドチェックの時間が短いにもかかわらず、PAのエンジニアは的確にバンドの音をつかんでくれています。バドビルドゥンゲンなど、サウンドチェックの時間は無くて、転換の時にちょっと単音チェックしただけなのにすごくやりやすかった。気心の知れたエンジニアとやるライブは安心できますが、今回のように毎日違うエンジニアと出会うのも面白いと思います。

 ニュルンベルクでの演奏は昼間だったので、演奏後少し町を歩いてみました。ニュルンベルクは古い建物が多く、ヨーロッパの町には珍しく道が自由な角度で交わっていてごちゃごちゃしています。今まで訪れた都市でもっとも中世の面影を残す町でした。日曜日ということもって路上演奏が多かったです。古楽合奏、ホルン四重奏、弦楽三重奏、弾き語り、ツィンバロン、アコーデオン、フォルクローレ、カントリーバンド、ジャンベアンサンブル、ムードギター、その他いろいろ。印象に残ったのは、子供の弦楽三重奏。結構お金を集めていて、お札を置いて行く人もいました。あれで一家の経済を支えているのかなあ。それ以外は全体に音の大きさと集まる人の数は比例しているようでした。栗コーダーでは音が小さすぎるか?

 昨日は夜8時頃にホテルの部屋に帰って、いつの間にか寝てしまったようです。12時間も寝てしまった。今朝起きてから昨日賑わっていた町の中心部の広場にもう一度行ってみました。昨日の喧騒とうってかわって、朝市にいろとりどりの野菜や花が並んだ、のどかな光景がひろがっていました。

 ここまで書いてナビゲーターに替わったため、ベルリンに着いてしまいました。今朝のニュルンベルクは快晴だったのに、ベルリンはあいかわらず雲に覆われ、重苦しい町の雰囲気もそのままです。今コインランドリーのベンチで続きを書いています。またコインランドリーに来てしまいました。この先洗濯できるのかなあ。明日はハンブルグ、あさってはイエナとまわり、その後東欧に入ります。今日で7月も終わりか。長い7月だった。

 それでは、またお会いしましょう。




 関島岳郎のヨーロッパ便り 番外編その2 ヨーロッパ雑感

 また番外編です。どうでもいいことばかりです。

 ◎会話

 会話はどこでも英語です。あいさつぐらいは土地の言葉を使うように心がけていますが、それ以外はだいたい英語でだいじょうぶです。ただ、旧東ドイツやフランスは英語が通じない人もいました。でも、コンサート関係で会うような人は皆流暢な英語を話していました。フランスの人は話す前に必ず「英語はうまくないのだけど‥‥」と前置きして僕等より上手な英語を話していました。ちなみに、シカラムータの英会話能力は以下の通り。

  植村昌弘  今回のメンバーでは一番出来る。英語での交渉能力あり。
  大熊亘   ボキャブラリーは豊富。ヒヤリング能力もあり。ただ、しゃべるのはブロウクン?
  こぐれみわ 本人は「わたしってぇ、発音はいいんだよぉ。」と言っているが、英語をしゃべっているのをあまり聞いたことがない。
  桜井芳樹  そこそこの能力を持っている。
  坂本弘道  未知の能力を持つ。
  関島岳郎  日本の中学校1年生程度のボキャブラリーを持つ。

 ◎ケルンコンサート

 「やっぱり、ケルンといえばキースジャレットのケルンコンサートですね。」
 「あ、あれ嫌いだったんだよね。」
 「そういえば、ブレーメンにも行ったし、ローザンヌも通ったし、我々はキースジャレットの足跡をたどっているのでは?」
 「デュイスブルグではヤン・ガルバレクも聴いたしね。」
 「豆腐屋のラッパみたいだったよね。」
 「この旅のテーマはECMと川口君だったのか。」
 「おや、これは‥‥。」
 「なんとこの家にはケルンコンサートのテープがある!」
  以下ケルンコンサートのテープがエンドレスで流れる。(フランスにて)

 ◎ぼーっとしている人

 アパートの窓からぼーっと外をながめている人がよくいる。歩道橋の上でぼーっと車の流れをながめている人がよくいる。カフェの店外のテーブルで行きかう人々をぼーっとながめている人がよくいる。

 ◎アウトバーン
ドイツの高速道路のアウトバーンは、気前よく無料です。時速200kmくらいで走っている車もいます。ただ、意外と工事渋滞が多い。事故も多い。街灯がまったく無いので夜は危ない。でも毎日数百km走っています。

 ◎改札が無い

 ベルリンの地下鉄に乗った時、道路から階段を降りるとそこがホームで、改札が無いのに驚きました。でも切符は売っていて、それを買わなければならないのです。まあ、利用者の良心にまかされているということでしょうね。たまに検札があって、無賃乗車が見つかると結構な罰金を払わなければならないそうです。このシステムは、バス、市電、近郊電車すべておなじでした。

 ◎節約

 「へえー、ドイツに行くんだ。いいねえ、今マルク安いから。」
 「ばかもーん。観光旅行に行くんじゃない!ギャラをマルクでもらうのだ。」

 観光で来るのには、マルク安の今が良いと思います。しかし、我々はマルクでギャラをもらって円に替えるわけで、その時の目減り感が激しそう。もともとたいしたギャラではないし。そこで、いろいろ節約に励んでいます。

・楽屋には必ずビールがあるので、そこでなるべく飲む。宿に行く時には、楽屋からビールを何本か持って行く。
・ライブの無い日は、スーパーでビールを買う。特売品なら500ml缶が25円くらい。
・ドライブイン等で何かを飲む時は、ビールと珈琲の値段を比べて安い方を頼む。
・自分でよそるカフェテリアでは、料理は一品だけにして山盛りにする。
・なるべくチップの必要の無いところでトイレに行く。
・タクシーには乗らない。
・国際電話をなるべくかけずにメールで済ます。
・観光はしない。
・ライブのある日の宿は主催者が取ってくれるが、ライブの無い日は自分達で取らなければならない。そういう日は、安宿か知人宅か知人の知人宅に泊めてもらう。
・安くあげたい時はケバブ屋に行く。「今日はビールとつまみで300円ですます!」などと念じていると、そういう店が目の前にあることがある。
・日本で買うと高い物が安い場合は、いっそマルクを物に替えてしまう。
・そういえばレンタカーのワゴンでツアーをしているのが一番の節約か?これは、まあ、命をはった節約ですけどね。

 ◎シカラムータすごろく

 「今回のツアー、すごろくになるよね。」
 「スタートは?」
 「やっぱり無難なのは成田かなあ。」
 「そうだね。ただし、既にゲートをくぐって後戻りできない位置だね。」
 「で、その後は?」
 「寝坊して1回休みとか。」
 「アウトバーンの事故渋滞で3回休みとか。」
 「CDをオランダに忘れて2つ戻る。」
 「植村君にしかられて2回休み。」
 「レンタカーが小さくて3つ戻る。」
 「Tシャツが出来るの待って1回休み。」
 「ネットにつながらなくて2つ戻る。」
 「坂本さんがチェロの弓を壊してベルリンに戻る。」
 「坂本さんのエアーホーンで鼓膜が破れてベルリンに戻る。」
 「坂本さんがシングルルームに泊まりたさのあまり、ホテルで暴れて建物が全壊。ロンドンに戻る。」
 「坂本さんが東スポを買いに成田に行く。ふりだしに戻る。」
 「‥‥このすごろく、前には進まないのかな。」
 「う〜ん、川口君と合流っていうのは、どうかなあ。」
 「そうだね、川口君と合流‥‥、で?」
 「川口君と合流‥‥ネパールへ進む‥‥?」
 「このすごろくのゴールはどこだろう。」




  関島岳郎のヨーロッパ便り その13

 皆さん、お元気ですか?僕はドイツのイエナからハンガリーのブタペストを目指して800kmの道程を走っています。車はイエナを出たばかりですが、アウトバーンは渋滞気味で車は動いたり止まったりを繰りかえしています。ブタペストまで何時間かかるのでしょう。

 今朝ちょっとした事件がありました。「俺のアーティストイメージが‥‥。」と坂本が言っているので、その事件のことは書けないのですが、それがきっかけで坂本のアーティストイメージについて話し合いました。その結果、今まで僕が書いた文章の中にも坂本のアーティストイメージを傷つける部分があることが発覚しました。ここにお詫びと共につつしんで訂正いたします。『坂本さんは東スポなんて読んでいません。』

 さて、2日前の8月1日、ベルリンに別れを告げた我々はハンブルクのファブリックというライブハウスでライブをやりました。ケルンでもそうだったのですが、ドイツでは無名のシカラムータがライブハウスでワンマンのライブをやるのは、観客の動員の点でつらいものがあります。この日の動員は48人。なんだ、MANDA-LA2だと思えば、まあ普通です。 ただ小屋が大きいのです。ケルンのKantineと同じくファブリックも工場だった建物を利用して作られていて、キャパは1200人。しかも日本の公称キャパが1200人クラスのところより空間がかなり広いです。これはきびしい。もちろん来てくれた人は楽しんで帰って行ったのですが、ライブハウスの支配人は泣いていました。チャージバックでなく定ギャラ契約のため、店は大赤字です。雰囲気の良い小屋なので、次があれば挽回したいところです。ぎくっ、来年もヨーロッパにくるのかなあ、びくびく。自問自答。

 昨日はイエナでライブ。これはフェスティバルでした。旧東ドイツの町イエナは人口10万人、ゲーテやシラーゆかりの古い町です。会場は野外ステージで、日替わりでいろいろなアーティストが出ていました。ポスターをみると他の日はニナ・ハーゲン、リッキー・リー・ジョーンズ、メルセデス・ソーサ、タジ・マハール他有名どころの出演でした。フェスティバルとはいえ、1日に1アーティストの出演ですから、ワンマンのライブと同じです。昨日のことがあったので、かなり広い会場が寂しい状況になることを予想していたのですが、本番でステージに出て行くと、客席はそこそこ埋まっていました。この日の動員は、シカラムータ史上最高の700人。まあフェスティバルなので、毎日通っている人もいるのでしょう。お客さんの反応も上々でした。ただ困ったことに最後の曲の途中で僕のテューバの音が出なくなってしまいました。どうやらピストンの中の部品の一つが磨耗して機能を果たさなくなったようです。十数年酷使してきたからなあ。とりあえず、応急処置でしのぐしかありません。ライブはあと7本。何とか持って欲しいものです。

 車は渋滞を抜け、昔の東西の国境を越えて旧西ドイツに入りました。ハンガリーはまだまだ遠いです。しかし、あと10日。ツアーのゴールは見えてきました。今日ブタペストに入って、明日は今回のツアー最大級のフェスティバルに出演します。なんと明日川口君が遊びに来るらしい。羽田から関西空港、クアラルンプール、チューリッヒ経由でブタペストまで。さすが旅の達人。何曲かステージで共演することになっています。次のヨーロッパ便りをお楽しみに。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その14

 皆さん、お元気ですか?僕は今ハンガリーのブタペストからスロヴェニアのリュブリャナを目指してハンガリーのハイウェイを移動しています。今日の移動距離は450km。18時からサウンドチェックなのですが、余裕をみて朝9:00頃出ました。昨日は川口君がホテルに遊びに来て夜中の3時半まで飲んでいたので眠いです。窓の外には、ひまわり畑ととうもろこし畑がどこまでも続いています。

 前回の便りを書いていたイエナからブタペストへの移動は12時間かかりました。朝11時にイエナを出て、ブタペストの宿に着いたのが夜の11時。今回のツアーの一日の移動距離で最長かもしれません。ホテルにチェックインした後、食事をしに出かけました。ブタペストに着くまで夕食をがまんしていたのです。しかし時間が遅いためホテルの近くの店はほとんど終わっていて、開いていたのは中華料理屋だけでした。初めてハンガリーで食べる食事が中華とは。とほほ。でも、安くて量が多かったです。僕は春巻とカレーチャーハンとビールの大ジョッキを注文して300円くらいでした。うーん、安さと量で喜ぶ年ではないのですけどねえ。味は共産圏の中華料理という感じでした。食べたことないけど。

 次の日はヨーロッパでも最大級のフェスティバル、ペプシフェスティバルに出演しました。ドナウ川を渡り会場の中州の島に入ると、広大な会場にたくさんの野外ステージやテントステージ、キャンピングカーやテントを持参の人の集落、出店、クレーン車を使ったバンジージャンプなどがあり、規模の大きさを感じさせます。プログラムを見ると、オアシスやルー・リードなど僕でも知っている名前もありました。シカラムータの出演するステージは、会場の奥の方にあるワールドミュージックステージでしたが、問題がひとつ。この日出現予定の川口君がそこまでたどりつけるか、ということ。会場は広いし、セキュリイティーもかなり厳重でした。でも、まあ、川口君のことだから、と誰も心配していませんでした。しかしサウンドチェックの後に皆で食事をしているころから、川口君が本当に現われるのかという不安が誰からともなく出始め、「これで今日川口君が来なかったら川口君の評判がた落ちだね。」という坂本のひとこと。そして川口君が登場した時に「やあ」を何回言うか、「どうも」を何回言うか、などくだらない討論。旅も長くなると大変です。やがて本番1時間前になったころ、川口君がひょっこり登場。前日にブタペストに入っていたそうで、既にブタペストの温泉に入ってきているあたりはさすが旅の達人です。シカラムータ内の川口君人気は一気に頂点に。いいなあ、温泉。僕達は結局プタペストでは一切観光はできませんでした。さて、この日のシカラムータは後半4曲に川口君にアルトサックスでゲスト参加してもらってのステージでした。4バンド出るうちの2番目で時間が少々早くて、お客さんがまだ少なかったのがちょっと残念でしたが、勢いのある演奏だったのではないでしょうか。

 ここまで書いて、車のタイヤがパンクするアクシデントが発生しました。今オーストリアの一般道を走っているのですが、前輪が路肩に当たった拍子にパンクしたらしく、どんどん空気が抜けてタイヤが完全につぶれてしまいました。幸い近くにガソリンスタンドがあったので、スペアタイヤに交換してもらって事無きを得ました。大熊亘の運の強さには定評がありますが、今回もパンクに気がついてすぐにガソリンスタンドがあったことで、まだ強運が持続している事が実証されました。しかし、ホイールキャップは行方不明に。レンタカー返す時に何か言われるよなあ。

 そういえば、昨日もちょっとした事件がありました。シカラムータの演奏後、植村の50m級バンジージャンプとワールドミュージックステージのトリのサリフケイタのライブを鑑賞した我々は、ケータリングコーナーで遅めの夕食をとり、川口君と共に会場を後にしました。会場への往復はブタペストまで乗ってきたレンタカーでしたので、川口君が泊まっているホテルに一度行って、そこで川口君がおみやげに持ってきてくれた焼酎をピックアップして、我々のホテルの部屋で川口君と飲もうということになったのです。ところが、川口君の泊まっているホテルから我々のホテルに戻る途中で警察の検問にひっかかってしまいました。ドイツナンバーのレンタカーで深夜に走っている日本人は不審に見えたのか、絶好のカモに見えたのわかりません。呼び止めた2人の若い男女の警官が、パスポートと免許証の提示を求め、いろいろ質問してきました。同乗していたフェスティバルのスタッフが必死に説明してくれているのですが、警官は帰してくれる気配がありません。レンタカーの契約書を見せ、この車はハンガリーに入れる事を説明してもどうもはっきりしない。ハンガリー語での会話だったので、フェスティバルのスタッフと警官が何を言い争っていたのかわかりません。そのうち上司らしい年配の警官がやってきて話に加わりました。その上司が、飲酒運転の検査をやってみろと言い、運転していた大熊亘は検査用のガラスの管を加えさせられる羽目になりました。実は、大熊はライブ後にコップ一杯程度のビールと食事の時に少量のワインを飲んでいたのです。でも、日本の検査では検出されないくらいの量ではないかな。管を加えさせられた大熊は延々息を吹きこまされ、それでアルコールの反応があると言われたのです。ただ、本当に反応がでていたのかどうかはわかりません。そして、ハンガリーでは一切の飲酒運転は認めていない、100000フォリントの罰金だ、と言うのです。100000フォリントは40000円くらいですが、ハンガリーの物価を考えると、かなりべらぼうな金額です。そして、ここですぐ払えば警察に行かなくてもすむ、と。要するにワイロですか。手持ちのフォリントがそんなに無かったのですが、マルクだったら600マルクで良いと言われ、しかたなくマルクで払いました。30000円くらいですか。マルクだとダンピングするあたり、やっぱり外貨が欲しいんでしょうね。私達もツアー中の身、明日もリュブリャナでライブがあります。その前日の夜中に「これを払わなければ、明日ハンガリーから出られないだろう。」と言われれば、払わざるを得ません。600マルクを広げて渡された婦人警官は「オー、ノー。」と言って、あわてて札を小さくたたんでポケットへ。その警官達を車内から植村が写真に撮ろうとすると、制止されました。証拠になりますものね。そして、600マルク払ったら、飲酒運転のはずの大熊が運転席に座っても何も言わないのです。一応また別の検問に引っかかることを考えて、まったく飲んでいないこぐれみわが運転してホテルに帰りました。その後川口君と皆で3時半ころまで痛飲。

 そんなこんなのプタペストでした。そんなことがありましたが、町の印象は良いです。もう1日滞在してじっくり歩いてみたかったです。ずっと付いていてくれたハンガリー人のスタッフも、とても良い人でした。まあ、警官はどこの国も似たようなものでしょう。

 パンクしたタイヤをスペアタイヤに交換した車は、順調にオーストリアのハイウェイを走っています。今日はスロヴェニアのリュブリャナでライブです。リュブリャナは美しい町らしいのですが、一泊したら明日はオーストリアのクレムスへ。川口君は今日はブタペスト観光。たぶんクレムスでまた会えると思います、と言っていました。川口君の登場で、この旅も佳境に差しかかりました。

 それでは、またお会いしましょう。

 ‥‥ここまで書いて、またアクシデントが起きました。オーストリアのサービスエリアで休憩していたら警官が寄ってきて「この車はシールを貼っていない。高速料金は払ったのか?」と。オーストリアのハイウェイは無料じゃなかったのか?料金所も無かったし。何でも3年前から規則が変わったらしく、ガソリンスタンドなどで1週間有効のシールを70オーストリアシリングで買わなければいけなくなったらしい。とほほ。罰金を1100オーストリアシリング取られました。それは知らなかった僕等が悪いのですが、旅行者相手にあまりに横柄な態度です。ハンブルグから合流した通訳兼運転の松並えりかさんが交渉してくれていたのですが、松並さんが警官のあまりの態度に「あなた達マフィアじゃあるまいし、なんでもっと友好的に話ができないの。」と言ったら、「おい、おまえ、口のききかたに気をつけろよ。」とさらに怒り出す始末。なんでもこちらでは、警官に侮辱的な言葉を言うと、それだけで罪になるそうです。気をつけねば。おまけに警官が尋問しているところを僕が写真に撮ったら「フィルムを出せ。」と。その場でフィルムをゴミ箱に捨てさせられました。でも、ちゃんと巻き取ってから出したので、後でゴミ箱から回収しましたけど。ほっ。ちょっと軽率な行動でした。しかし、旅の終わりになってアクシデント続出。無事に帰れるのでしょうか‥‥。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その15

 皆さん、お元気ですか?僕は今オーストリアのクレムスを出発したところです。右手にはドナウ川、左手は山の斜面に葡萄畑が続いています。ドナウ川を遊覧船が通り過ぎて行きました。先ほど僕等と別れてドナウの川下りに向かった川口君は、あの次の便に乗るのかなあ。

 前回の便りを書いた後、無事にスロヴェニアのリュブリャナに着きました。リュブリャナではライブ会場に直行して翌日は朝早くホテルを出たので、町をゆっくり観察する暇がありませんでした。もったいない。ライブ会場は最初野外ステージの予定だったのですが、雨が降っていたため屋内に変更。東京で言えばStarPine's Cafeの一階部分くらいの大きさのこじんまりとした空間で、妙に落ち着きました。この日も何日かあるフェスティバルの一日で、シカラムータのワンマンライブ。お客さんは250〜300人くらいだったでしょうか。会場に入りきれない人はロビーで聴いていたそうです。オーガナイザーは、よく人を集めてくれたと思います。ただ、そのオーガナイザーは会った時から別れるまで、ビールの瓶を片時も離さずに飲み続けていましたけど。スロヴェニアは北イタリアと接していて、文化もかなり近いものがあるようです。何となく人々も明るく、南に来たという感じがしました。ケータリングでリゾットとピザが出たのですが、それが素晴らしく美味しかったです。

 こちらのホテルは大体朝食が付いていて、朝レストランに行くとバイキング形式で好きなものが食べられます。安い宿だと、シリアルとパンとハムとチーズと飲物くらいなのですが、高級なホテルは料理の数が多いです。リュブリャナで泊まったホテルの朝食は料理が多い方でしたが、そのかたすみに何と日本食のコーナーがありました。日本食とは言ってもこちらの料理人の想像上の日本食で、例えばおにぎりにはプラムが入っているといった具合。不思議に思ってまわりを見ると、日本人の団体がいます。たぶん観光ツアーなのでしょう。年配の方が多かったので、日本食のリクエストがあったのでしょう。ツアーコンダクターと共に出発する団体を見て「ああ、あっちに混ざりたい。」と桜井がぽつり。

 翌日はオーストリアのクレムスでライブ。この日の移動は430kmくらい。入りが早かったので、8時半頃出発しました。連日の移動で、そろそろ疲れがたまってきています。クレムスは小さな町で、素晴らしい白ワインがあるという話しを聞いていました。そしてライブの会場に到着してみると、なんとワイン工場です。さっそく楽屋にワインをリクエストすると、スタッフが販売コーナーに連れて行ってくれて「試飲してどれがいいか選べ。」と。ひとつひとつ説明してもらいながら白3種、赤2種、シャンパン1種を試飲。まだまだ出てきそうでしたが、サウンドチェック前でしたのでほどほどに。しかし、その後スタッフが楽屋にどんどんワインを持ってきてくれたので、メンバーの気絶度はかなり上昇しました。なにしろこのワイン、美味しいのです。たまっていた疲れが取れました。そして僕達がワインに溺れている頃、リハーサルはかなり押していました。この日は3バンドの出演で、逆リハ。シカラムータは出番が最初なので、リハは最後でした。時間が押しているにもかかわらず、進行がのんびりしているのがこちら流なのでしょうか。結局シカラムータのサウンドチェックの時には開場していて、お客さんの前で単音チェックだけして、そのまま本番に突入しました。案外こういう時の方がパワーのある演奏ができるものです。この日の会場は建物に隣接した屋根のある半野外ステージ。客席の後ろは葡萄畑でした。キャパ700人と聞いていましたが、会場は満員。そうそう、川口君も駆けつけてくれてました。ブタペストで買ったフォアグラと偽キャビアを持って。で、ワイン三昧。じゃなかった、演奏にも参加してくれました。シカラムータの後は、イタリアのアコーデオン、ギター、サックス、パーカッションのバンドとフィンランドの4人の女性ボーカルを中心としたバンド。食事をしに食堂のテントに行ったら、そこではオーストリアの民謡バンドが演奏していました。2本のクラリネットとギター、アコーデオン、ロータリーバルブトロンボーン、ベース兼テューバの6人編成で、チロルハットに半ズボンというお決まりの格好。ビールを飲みながらだらだらと演奏していて、なんだかステージの上で宴会をやっているようでもありました。その後楽屋でフィンランドのバンドを聴きながら、メンバーの半数が気絶。フィンランドのバンドは、女性ボーカル4人とギター、ブズーキ兼サックス、アコーデオン、バイオリン、ウッドベース、ドラムの10人。たぶん北欧などのトラッドをもとにした音楽だと思うのですが、女性4人のボーカルが素晴らしかった。特にアカペラの曲は気絶系でした。そうそう、会場には前日出演していた口琴奏者のアントン・ブリューヒンがいました。大熊と僕と川口君は昨年夏に山梨県白州のフェスティバルでアントンのソロを聴いて、その後酒場で一緒に飲んだのでした。この日の別れ際、日本の皆さんのために、と口琴のソロを1曲楽屋で披露してくれました。

 この旅では、いろいろな宿に泊まりました。ドイツ側でオフィシャルにブッキングされたライブでは、主催者が宿を取ってくれましたので良いホテルが多かったです。自力で宿を取ったところは、民家、安宿などさまざまです。しかし、どんな状況でも電話回線があれば、何とかネットに接続することができました。ところが、クレムスの宿は部屋に電話が無かったのです。常々「電話回線が僕のアイデンティティーです。」と言っていた植村は自我が崩壊。同部屋の坂本が「人間って落ちこむと、こんなになっちゃうんだね。」と言うほどボロボロになっていました。坂本は短波ラジオの接続に堂々と成功。その時の勝ち誇った笑顔が植村の落ちこみに拍車をかけたようです。僕は前日のスロヴェニアに直接ニフティに乗り入れることのできるコンピュサーブのアクセスポイントが無かったため、2日連続で接続できませんでした。

 車はオーストリアのハイウェイを走っています。もちろん昨日国境を越える時にシールを買って貼ってあります。安心。今日はフランクフルトまでの移動。600kmくらいありますので、夕方の到着になるでしょう。そろそろ洗濯をしないと。明日はフランクフルトでライブです。川口君はウイーン観光。いいなあ。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り 番外編その3 ヨーロッパの川口君

 あと1週間くらいで日本に帰ります。さらにどうでも良い番外編です。

 ◎川口君登場
川口「合言葉は!」
坂本「ひげ!」
川口「ひげ!」
坂本「やあ、川口君、よくきたねえ。」

 ◎川口君化計画実現度

川口「実はおみやげがあるんですよ。」
植村「ひょっとして東スポですか。」
坂本「俺は東スポは読まないんだよ。」
川口「これです。」
関島「おお、これは。」
桜井「一升瓶。焼酎か。」
川口「美華でもらったんですけどね、皆さんで飲んでもらおうと思って。」
植村「川口さん、ここまでどうやって来たんでしたっけ。」
川口「えーっと、羽田から関西空港乗り替えででクアラルンプールまで。乗り替えてチューリッヒまで飛んで、その後は鉄道でブタペストまで。いやー、時間かかったねえ。」
植村「そのあいだ、ずっとこれ持っていたんですか?」
関島「川口君、たしか以前に『おみやげは軽くてかさばらないのが原則だ。』って言っていたよね。」
川口「いやー、軽い軽い。」
桜井「なれねえよ、川口にはなれねえよ。」

 ◎旅の達人

関島「で、川口君、今回はスーツ持ってきたの?」
川口「もちろん。スーツが無ければカジノに入れませんからねえ。」
植村「それにしても、すごい荷物ですねえ。」
川口「いや、今回はPower Bookがあるんでそんなに持ってこられなかったんだけどね。」
植村「渋さ知らズのツアーの時はスピーカーを二組持ってきていたよね。」
川口「あの時は荷物をいかに増やすかがコンセプトだったから。」
関島「デジカメも買ったの?」
川口「うん、動画も撮れるやつ。まあ動画はビデオカメラも持ってきているんですけどね。あと一眼レフも買っちゃいましたよ。ほら。」
坂本「これだけの荷物を持って移動できるのも旅の達人ならではだな。」
川口「いや、駅のコインロッカーにスーツケースをあと二つ入れてあるんですけどね。あっはっは。」
桜井「なれねえよ、川口にはなれねえよ。」

 ◎達人の行動力

関島「川口君の今回の旅はどこをまわるの?」
川口「えーっとですね、もう一日ブタペストにいて、クレムスのシカラムータには行くと思うんですけど。で、ウイーンに行って、その後ブレゲンツのシカラムータにも行けるかな。その後スイスに入ってベルリナの方に行って、山の上のホテル、これはもう押さえてあります。で、イタリアですね。ベネチア。ベネチアからベルギーに飛んで、その後はアムステルダム。で、帰りもクアラルンプール経由で成田へ。」
坂本「達人ならではの行動力だな。」
関島「そんなスケジュールの合間を縫ってシカラムータに来なくてもいいのに。」
川口「いやあ、旅行にめりはりがつきますからねえ。」
桜井「なれねえよ、川口にはなれねえよ。」

 ◎達人の指南

川口「えっ、何、何?その川口君化計画って。」
植村「つまりですねえ、このツアーをいかに有意義に過ごすかということを考えた時、川口さんを見習うのが良いのではないかと。」
川口「ふーん。で、地球の歩き方は?」
一同「ぎくっ。」
関島「僕は一応ヨーロッパ編だけ買って持ってきたけど。あまり役にたたないな。」
川口「ああ、あれは僕は全体的な事が書いてあるところだけ切り取って持っていきますけどねえ、読み物として。あとは、こういう個別のやつ。」
坂本「ははあ、ハンガリー編とかオーストリア編など。これは詳しいな。」
関島「お、ヨーロッパ鉄道旅行マニュアルも。」
川口「でも、地球の歩き方もそんなに役にたつことが網羅されているわけじゃありませんからねえ。あとは、このガイドブックも結構いいし、写真中心だったらこれですか。」
植村「川口さん、何冊ガイドブックを持ってきているんですか?」
桜井「なれねえよ、川口にはなれねえよ。」

 ◎最後にひとこと

川口「いやあ、ヨーロッパは物価が高いからねえ。やっぱりアジアですよ、アジア。」
植村「電話回線が僕のアイデンティティーですから。電話回線の無いところには行きません。」
坂本「人は目の前にあるものが欲しくなるんだよ。」
関島「カメラ屋に入った時だけ中尾君になれたらなあ。」
桜井「なりてえ、川口になりてえよ。このツアー中だけ。」




  関島岳郎のヨーロッパ便り その16

 皆さん、お元気ですか?僕は今フランクフルトを後にし、オーストリアのドルンビルンを目指してアウトバーンを走っています。旅も終わりに近づいてきました。ずっと仮のままだった12日のマールブルクが無くなってしまったので、ひょっとしたら明日とあさってのドルンビルンとブレゲンツのフェスティバルが最後のコンサートになるかもしれません。ただ、12日が空いてしまうのももったいないので、現在スイスのベルンでのライブを通訳の松並さんの知人を通じてブッキング中です。あまりにも急な話しなので、どうなりますことか。

 おととい、クレムスからフランクフルトに着いたのが夜7時過ぎ。まずは洗濯をしなければなりません。ホテルのフロントに聞いてもコインランドリーの場所はわかりませんでした。フロントの人にはホテルのランドリーサービスに出すことを勧められたのですが、僕と桜井、坂本は、今着ている服が最後の服だったので、ホテルのランドリーでは時間がかかりすぎます。とりあえず町に出て、松並さんが安イタリア料理屋に飛びこみ、コインランドリーの場所を聞いてくれました。さすが、元バックパッカー。その店は感じが良さそうだったので食事もすることに決定。大体ドイツでパスタをたのむとひどい目に会うことが多いのですが、この店は自家製のパスタでおいしかったです。サラダとピザもおいしかった。値段はかなり安かったです。ビールが125円。料理は大体300円から500円。地球の歩き方には教えないでおこう。食事後、コインランドリーに桜井、坂本と向かったのですが、イタリア料理屋の主が地図にしるしをつけてくれた場所が500mほどずれていたために、洗濯物をかかえてさんざん歩き回るはめになり、コインランドリーに着いた時には営業終了30分前になっていました。結局営業終了30分後までかかって洗濯終了。ああ、洗濯が出来て良かった。ほっ。その後ホテルの部屋で川口君の持ってきてくれた焼酎を飲む。

 フランクフルトは近代化された経済都市というイメージがあったのですが、訪れた印象は案外地味な町でした。他の町にくらべてケバブ屋とイタリア料理屋の勢力が逆転していたのはなぜだろう。あと、フランクフルトの駅はすごかったです。ドーム屋根の地上ホームは24番線まであって、そこに列車が並んでいる光景は壮観でした。

 昨日はフランクフルトの植物園の中の野外ステージでコンサートをやりました。緑に囲まれた素敵なステージでした。これも夏の間毎週やっているフェスティバルの1日で、シカラムータのワンマンライブ。いままでアンコールのみでボーカルを披露していた桜井芳樹が、本編で突然歌い出す一幕もありました。終演後ドイツ人は「グレートボーカリスト」と評価。しかし、そろそろ機材もへたってきています。特に坂本のエフェクターまわりと僕のテューバが最後までもつか。昨日は楽器の安全を考えて、いつもテューバでとるソロをリコーダーでやってみたのですが、あらためてリコーダーの音の小ささを認識しました。ライブ後はホテルの部屋で川口君の持ってきてくれた焼酎を飲む。

 さて、ドルンビルンまではまだまだあります。今日も400km以上はあるのかな。先ほどドライブインで桜井と植村がエアーホーンを購入。明日のステージはうるさそうです。川口君とももう一回会えるだろうな。はあ、あともう少し。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その17

 皆さん、お元気ですか?僕は今オーストリアを後にし、スイスのベルンに向かって走っています。今スイスの国境を越えました。何度目の国境越えだろう。素通りできる国境もあれば、検問のある国境もありました。スイスは検問があって、高速道路の通行料を国境で払います。

 ここ3日ほどオーストリアのドルンビルン(Dornbirn。本当は何と読むのか?)に滞在していました。ドルンビルンと隣町のブレゲンツにまたがるフェスティバルに出演していたのです。ドルンビルンはアルプス前衛の山のふもとの小さな町で、宿の窓から遠くの緑の斜面に点在する家を眺めると、アルプスの近くまで来たことを実感します。フェスティバルの1日目は、ブレゲンツで2回ほど演奏。ブレゲンツは大きな湖のほとりにある町で、ドルンビルンよりは町も大きく、観光都市のようでありました。ブレゲンツの夏の呼び物は、湖の上のステージで催されるオペラです。今年の演目はベルディの「仮面舞踏会」。湖の岸に行くと遠くにステージが見えました。湖の中から上半身が出ている巨大な骸骨が、巨大な本を開いています。その本の上がステージなのです。町のあちこちでそのポスターやパンフレットを見ましたが、実際のオペラを見てみたかった。

 ブレゲンツで演奏する日の朝、フロントからの電話で起こされました。日本語を話す男と替わるから、というのです。そして電話から聞こえてきた声は「やあ、どーも、どーも。川口です。今ブレゲンツにいるんだけど‥‥。」。そして、川口君も僕等の泊まっている宿にチェックインしました。どこにでも、あたりまえのように登場できるところがすごいです。そして川口君と共にブレゲンツの湖の近くの広場で30分くらいのステージを2回ほどやりました。バンド内で4本に増殖したエアーホーンは、あいかわらずうるさかったです。人に聞いたら、あれはサッカーの応援に使うものらしい。そういえば、サッカーの試合であんな音していたかな。ということは日本でも売っているのか?この日はPA無しのストリートライブだったため、エアーホーン1本がバンド6人の音量を上まわっていました。

 次の日は、昼間ドルンビルンの野外ステージでサウンドチェック、夕方ブレゲンツのストリート演奏、夜はドルンビルンの野外ステージで本番、というスケジュール。このフェスティバルで面白いと思ったのは、町中でパフォーマンスをするグループです。特に僕等が気に入ったのは、オーストラリアのクロームという3人組の男性。1日目はトカゲ、2日目はサメをイメージした怪しい衣装で、3人で同じ変な動きをしながら(川口君はペンギン芸と言っていました)、変な歌を歌ったり踊ったりするのです。通行人のくすぐり方が絶妙でした。例えば、電話ボックスで電話をかけている人を驚かせる、おばあさんを取り囲んでキスする、彼等をビデオで撮っていた女性を2人が持ち上げて湖に投げこもうとし残りの一人が女性のビデオカメラで撮影する、などなど。シカラムータの演奏中に彼等が通りかかったときも、演奏に合わせて踊ってくれました。

 その日の夜、ドルンビルンの教会前の広場の野外ステージが、このツアー最後の公式な演奏でした。エアーホーンは飛行機に持ち込めないからガスを使い切ろうということだったのでしょうか、ステージのあちこちからエアーホーンの音がうるさい、うるさい。アンコールでは桜井芳樹がエアーホーンを2つ鳴らしながら客席を走りまわっていました。演奏中の桜井には珍しく、ニコニコ顔で走り回っていたらしい。終演後、あれを鳴らしてみたいという子供達がステージに集まってきたので、順番にやらせてあげました。うるさい。

 ライブ後に宿に戻ると地元の結婚披露パーティーをやっていました。バンドが入っていたので中をのぞいていたら、何だかよくわからないうちにウエディングケーキをおすそわけしてもらっていました。新婦の友人が持ちよったものだそうですが、僕等などがいただいて良かったのか?

 車はあいかわらずスイスののどかな風景の中を走っています。川口君とは先ほどオーストリアで別れました。ベルンにも来るかなあ。今日はベルンで演奏しますが、それは内輪のパーティーのような場所で、言ってしまえば今日の宿代を浮かせるのが目的です。そして、明日は日本に帰ります。長かった。ヨーロッパからの発信はこれが最後になるでしょう。そして、たぶん次がヨーロッパ便り最終回になります。

 それでは、またお会いしましょう。




  関島岳郎のヨーロッパ便り その18

 皆さん、お元気ですか。僕は今日本に帰国する飛行機の機内にいます。フランクフルトの街の灯はあっという間に小さくなりました。

 昨日はスイスのベルンで演奏しました。ベルン駅の近くにあるライトシューレというスペースのパーティです。通常のライブではありません。ライトシューレは元厩舎だか乗馬学校だったかの跡地の廃墟を占拠して作ったスペースだとか、今は市にちゃんと家賃を払っているとか聞いたような気がしますが、よくわからない。パーティまで時間がだいぶあったので、中を案内してもらいました。建物の中はかなり広く、劇場、映画館、1000人規模のホール、印刷所、ライブスペースが二か所、建設中のレストラン、建設中の500人規模のライブスペースなどがありました。ただ、すべて100年くらい前に建てられた建物を利用して作られているので、かなりおんぼろです。それぞれのスペースに責任者がいて、週に一度ミーティングをして全体の運営をしているそうです。何となく京都大学の西部講堂のような雰囲気の場所でした。ただ、このライトシューレはベルン駅のすぐそばという好立地にあるため、保守党がライトシューレを潰してショッピングセンターを作る運動をしているらしく、9月に議会で決定されるらしい。そんな1か月後にどうなっているかわからない状況なのに、のんびりと改装工事が進められていました。

 パーティーはライトシューレの中庭で行なわれました。たき火の上で羊の丸焼きが二頭回っていたのが何とも豪快。最初に劇をやっていたのですが、ドイツ語なので内容はわかりませんでした。頭にりんごを乗せた人が出ていたので、ウイリアム・テルだったのか。最後は客席を巻き込んだ放水合戦になって、あたりは水浸しでした。その劇が終わった頃、川口君がやってきました。川口君はブレゲンツでロープウェイに乗り、オーストリアの風景を満喫してから来たそうです。そして川口君と共に羊の丸焼きを堪能。

 ヨーロッパツアー最後のシカラムータのステージは、踊っている人が多いのを見た植村の「今日は踊れるアプローチで行きます。」の一言で、いつもより変拍子が15%減のパーティーバンドに。とは言え桜井はあいかわらずエアーホーンを鳴らしながら走り回っているし、坂本はチェロを壊すし、いつも通りではありました。

 昨日泊まったのは、よくわからないところでした。たぶんライトシューレのスタッフなどが共同生活しているところなのでしょう。3階建ての大きな家で、泊めてもらう予定の部屋に行ったら、既に知らない人が寝ていたり。ヨーロッパ最後の夜は、なんだかわけがわからないうちに終わりました。

 6月30日に成田を出発して始まったこのツアーもようやく終わります。とにかく長かった。いままで海外に出て日本食が恋しくなったことなどありませんでした。しかし1か月半の貴重な時間と引きかえにどんな収穫があったのだろうか?シカラムータとしては、どこのフェスティバルでも「来年また会おう。」と言ってもらったのが最大の収穫でしょう。来年はもう少しコンパクトなツアーを希望します。あと、個人的な収穫もいろいろあるような気もするが、とにかくヨーロッパが身近になりました。日本のバンドもいけるよなあ、きっと。

 それでは、また日本でお会いしましょう


 ‥‥ここまで書き終えて、私はため息をついた。
「やっと日本に帰れる。」
隣の席の植村がうなづく。
「やっと帰れますね。」
前の席の大熊が振り返り、ニヤリと笑った。
「おまえら、本当に帰れると思っているのか?」
大熊はケースを開けてクラリネットを組み立て始めた。
「シカラムータはなあ、ヨーロッパで一旗あげるまでは絶対に帰らねえぞ。まずはロイヤルフェスティバルホールをワンマンで満員にするのが目標だ。いいか、この飛行機はシカラムータが占拠した。抵抗すると俺がクラリネットを吹くぞ。」
「その心意気、気に入った。俺はその言葉を待っていたんだ。」
桜井がギターを出し始める。
「僕も大熊さんについていきます。」
植村もスティックを持って、立ち上げる。
「台湾よりはヨーロッパの方が面白そうだぜ。俺はチェリストじゃない、チェロリストだ。」
坂本がグラインダーを手にした。
「よーし、俺に続け。操縦席に行くぞ。」スチュワーデスにクラリネットを突きつけた大熊を先頭に、4人は操縦席に消えていった。やがて飛行機は大きく旋回して、機首をヨーロッパの方に向ける。私はサイモンとガーファンクルの「早く家に帰りたい」を口ずさみながら、後方に過ぎ去る東の空を眺めていた。

                         終わり




  関島岳郎のヨーロッパ便り 番外編その4 旅の総括 韓国キンポ空港にて

坂本「トランジットで3時間待ちとはね。」
関島「この時間を利用して、今回のツアーのまとめをやりたいんですけどね。」
桜井「まとまるかな。」
植村「まあ、システィマティックに分析すれば、ずばっと一刀両断できますよ。」
坂本「一刀両断といえば、俺はひげを剃ろうと思うんだよ。」
植村「え、罰ゲームの台湾に備えてですか。」
坂本「やっぱり、つるつるが一番ですよ。これ本当。」
桜井「うーん、どうかなあ。川口のことは?」
坂本「俺のアーティストイメージは『さわやか』ですから。これ本当。」
関島「合言葉の『ひげ』は?」
坂本「それはそれ。俺はすぐ突っ込むんだよ。」
植村「今日もフランクフルトで宝くじに突っ込んでいましたよね。」
関島「川口君も今頃カジノで突っ込んでいるかなあ。」
桜井「長かったからね。」
関島「長い、長い」
植村「いろいろな事がありました。」
関島「ベルリンの川口君とか。」
坂本「ケルンの川口君とか。」
桜井「プロバンスにもいたね。」
坂本「俺達の中の川口君がひとり歩きしていましたからね。」
桜井「実際に会ってみると、こんなものか、と。」
植村「僕達の中の川口さんがあまりに大きくなりすぎていたんですね。」
関島「川口君が登場するまで1か月あったしね。」
桜井「でも、期待通りの登場の仕方ではあったけどね。」
植村「桜井さん、昨日川口さんと同室でしたよね。」
関島「10年振りに一緒に寝てどうでしたか?」
桜井「なれねえよ、川口にはなれねえよ。」
植村「やっぱりシカラムータ川口君化計画には無理があったんでしょうかねえ。」
桜井「一時坂本化計画もあったよね。」
植村「坂本さんの中の川口君度が85%だったんですよね。」
桜井「でも、残りの15%は絶対埋められないんだよなあ。」
関島「坂本さんになると、楽になれるのかなあ。」
坂本「俺はいったい何なんだろう。」
植村「でもとりあえずエアーホーンは買いましたし。」
桜井「1曲だよね。」
関島「人生1曲。いつも演奏中。」
坂本「君達はは俺の事、何だと思っているんですか。ひょっとして、俺はもてあそばれているのか。ちょっと怒ったぞ。ふぅー。」
植村「坂本さん、耳に息を吹きかけないで下さいよ。」
桜井「あとは、グラインダーと電動マッサージ機か。」
坂本「ふぅー。ふぅー。」
植村「坂本さん、耳に息を吹きかけないで下さいよ。」
関島「そういえば、坂本さんと植村君、シングルルームに泊まった時も二人一緒に朝食に来るよね。」
坂本「人は目の前にあるものが欲しくなるんだよ。」
植村「誤解をまねくようなこと言わないで下さいよ。」
坂本「ふぅー。」
植村「坂本さん、耳に息を吹きかけないで下さい‥‥よ。」
関島「坂本さんが植村君を演奏している。」
桜井「そういえば、やっぱり大熊さんも演奏しているよね。」
関島「あ、オランダのコリーさんが『オオクマはシークレットハープを演奏している。』って言っていましたね。」
坂本「植村君は寝る時に部屋のあかりをつけたまま寝るんだよ。あれはどうかなあ。」
植村「それはあたりまえのことです。暗いところで寝るのがいかに良くないことかを論理的に説明しましょうか。」
坂本「俺の心のシークレットハープも鳴りっぱなしさ。」
関島「そういえば、植村君、アイデンティティーが崩壊したことあったねえ。」
坂本「あの時は植村君のことをなんてか弱い生き物かと思ったよ。」
植村「電話回線が僕のアイデンティティーですから。」
桜井「そういえば植村君、ここに内臓が飛び出しているよね。」
関島「ここをぎゅっとつまむと‥‥。」
植村「痛ーい。」
関島「ここをちくちくすると‥‥。」
植村「ひぃーっ。」
桜井「酢をかけてみようか。」
植村「酢はいけません。体に毒です。」
坂本「僕等にはウエストポーチにしか見えないけどね。」
植村「いえ、この中には僕のすべてが詰まっています。内臓なんです。」
関島「話は変りますが、今回印象に残った都市はどこですか。」
坂本「台北かなあ。」
桜井「1曲だからね。」
植村「1曲ですから。」
坂本「俺はいったい何なんだろう。」
桜井「じゃあ、ベルリンは?」
坂本「寂しかったんだよ。短波ラジオが欲しかったんだよ。」
桜井「東スポも無かったしね。」
坂本「俺は東スポは読まないんだよ。大体俺のアーティストイメージは『さわやか』だから。これ本当。」
関島「で、ベルリンの裏路地を入ると、そこは‥‥。」
桜井「ケルンの大聖堂。」
関島「中ではキースジャレットが『ケルンコンサート』を弾いている。」
桜井「ああ、『ケルンコンサート』が聞きてえ。」
関島「あと、『コンドルは飛んで行く』もね。しょうがないから自分で吹きます。」
植村「関島さんの『コンドルは飛んで行く』は、もう聞きあきましたよ。」
関島「おや、あの音は?」
植村「笛の音ですね。」
桜井「『コンドルは飛んで行く』だ。」
関島「近づいて来る。」
川口「いやあ、どーも、どーも。」
関島「あれ、川口君、何でこんなところに。」
坂本「『コンドルは飛んで行く』を吹きながら登場か。いかしてるぜ。」
川口「いやあ、ソウル経由でクアラルンプールに行くことになっちゃって。」
坂本「さすが達人の余裕だな。」
桜井「川口にならなくてよかったぜ。」
川口「で、皆さん、何をしているんですか?」
関島「いや、旅のまとめをね。」
植村「坂本さんは、ひげを剃るそうですよ。」
川口「ええーっ。いいな、いいな、俺も剃ろうかな。」
植村「ありゃ、やけに軽いですね。」
関島「ひげはアイデンティティーじゃなかったのか。」
川口「俺のアイデンティティーはこれですよ。」
関島「え、これ何?」
桜井「何だ?」
坂本「ちょっと触ってもいいですか?」
川口「どうぞ、どうぞ。むしって食べてもいいですよ。ほら。ポリポリ。うまいんだ、これが。」
坂本「うーん、硬いような、柔らかいような、不思議な手触りだ。」
植村「どれどれ、ちょっと僕にも持たせて下さい。」
川口「どうぞ、どうぞ。指でこねておでこに貼るといいですよ。ほら。ペタッ。」
植村「うーん、軽いんだか重いんだかわからないなあ、何だろう、これ。」
川口「大丈夫、大丈夫。酢は使ってないからさ、植村君でもいけると思うよ。」
桜井「このでっぱりが嫌な形だなあ。」
川口「あ、そこは、こうひねるんですよ。ほら。」
桜井「おい、煙が出てきたぞ。」
川口「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」
植村「どんどん膨れてきていますけど。」
川口「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」
関島「うわ、取り囲まれた。」
桜井「からみついてくる。」
坂本「ああ、おまちゃん、助けて。」

 川口君のアイデンティティーに包まれた我々は、一瞬気を失ったようだった。いや、ひょっとすると何日か気を失っていたのかもしれない。そして、目を覚ました我々は、お互いの姿を見て驚いた。全員ひげを生やし、荷物を持てるだけ持ち、カジノに入るためスーツを着た川口君になっているではないか。

川口「いやあ、どーも、どーも。僕になれてよかったね。」
坂本「川口君化計画、成功だ。」
桜井「いまさら川口になってもなあ。」

                         おわり




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