コンポステラの日々 第7回
篠田昌已ユニットのレコーディングが終わった後の1990年7月、コンポステラは2本のライブをやった。ひとつはイカのフユとサカナとの対バンのライブ、もう一つは初めての自分達仕切りのライブだった。
7月6日のイカのフユとサカナとやったライブは20分くらいの演奏だったが、「1の知らせ」「トッカータとフーガ」「海を渡る風」「雨の中を」の4曲を演奏し、初めて3人だけのステージをやった。この頃はアルバムの録音に向けてリハーサルを重ねて曲を増やしていた。「トッカータとフーガ」はアルバムバージョンと違い、篠田と僕がパーカッションをやり、中尾がソプラノサックスでメロディーを吹いていた。いろいろ試行錯誤していた時期である。
続く7月17日のライブは、初めて自分達の仕切りでライブをやった。アレポスをゲストに招いて、途中にアレポスの部をはさみ込んだ。コンポステラの演奏は、前半は管楽器3本のみのPA無しの演奏、後半は3人の前にドラムセットを置いて、それぞれが吹いていない時あるいは吹きながらドラムを叩くという試みをした。発案者は篠田だが、発想のもとはスケルトンクルーだったようだ。3人で足りない部分を3人の中で補おうということだった。テューバを吹きながら片手と両足でドラムを叩くこともやってみたが、音楽のベーシックな部分をひとりで支配できる面白みはあったが、いかんせん技術が追いつかなかった。篠田も同様だったらしく、僕と篠田に関してはこの試みはこの時きりになった。しかし、中尾はドラマーとしても活躍しているだけあって、この後もドラムとサックスを曲の中で持ち替えたり同時に演奏したりすることを器用にこなした。このライブでアルバム収録曲は大体出そろったが、まだ少し曲が足りなかった。レコーディングは8月の下旬からの予定だったので、その後のリハで何曲か新曲を作った。レコーディングの準備の最後の方で出来た曲は「アジールのマーチ」 「最初の記憶」「ghh gh」などである。そして、少し前に風の旅団というテント芝居の役者の結婚式で演奏した「結婚ポルカ」も録音することにした。
録音に入る前にアルバムタイトルを考えた。何となくアルバム収録曲の曲名ををタイトルにするのはやめようかという話も出ていたが、結局篠田の「やっぱり『1の知らせ』にしようと思うんだよね。」の一言でアルバムタイトルは「1の知らせ」になった。僕はこの時「歩く人」というアルバムタイトルを提案していたのだが、このタイトルは篠田の死後に出したライブアルバムのタイトルに採用した。
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