コンポステラの日々 第6回


 僕が藤井暁と会ったのはドレミ合唱団が活発にライブをやっていた頃なので80年代の半ばだったと思う。ドレミ合唱団は楽器の持ち替えが多く生楽器を多用していたため、決まったPAのエンジニアに頼んだ方が良いとアドバイスしてくれる人がいて、当時くじらやキリングタイム、ウニタミニマなどのPAをやっていた藤井暁を紹介してもらった。以後ドレミ合唱団が活動を停止するまで藤井にPAやデモテープの録音を頼んでいた。藤井は篠田とはさらに古い知り合いで、篠田昌已ユニットのPAもやっていた。その藤井が新しくインディーズレーベルを作った。レーベル名はpuff up。その第一弾として篠田昌已ユニットのアルバムを作ることになった。

 篠田昌已ユニットのレコーディングは1990年6月の数日を吉祥寺のMANDA-LA2を貸りて行なわれた。お客が入っていない状態のMANDA-LA2の音はなかなか良いのである。ステージと客席の両方を使ってメンバーを配置しての録音だった。すべてダビング無しの一発録りだったと記憶している。レコーディングにあたって、ライブに参加していたメンバー以外にキーボードの北村賢二とペダルスティールギターの駒沢裕城、そしてチンドンで長谷川宣伝社が加わった。レコーディングの後、篠田が、アルバムのタイトルは「コンポステラ」にしようと思っていること、アルバムは篠田昌已ユニットではなく篠田個人の名義にすること、を伝えてきた。これはこれから始める「コンポステラ」というバンドとまぎらわしいのではないかと思ったが、篠田は新しく始めるバンド名とこのアルバムのタイトルは同じにしようとずっと思っていたのだと言う。また、アルバムを個人名義にすることについては、僕のような新参者は良いのだが、例えばカバー曲を提供することによってエッセンスを注入していた中尾の立場などはどうなのかなとも思った。 しかしながら、実にすばらしいテイクが録音できて、『コンポステラ/篠田昌已』は完成した。アルバムの最後に長谷川宣伝社のチンドンと篠田、中尾、関島で録音した「プリパ」が入っているのだが、この曲には参加メンバー全員で録音したテイクも存在する。アルバムに収録したテイクと甲乙つけがたく、篠田も最後までどちらのテイクをアルバムに入れるか迷っていた。結局現状のテイクを選らんだのは、コンポステラという新しいバンドへのつながりを考えたのかもしれない。



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