コンポステラの日々 第5回
確か1990年に入っていたと思うのだが、篠田がミーティングをしようというので国立のダンキンドーナツに集まった。ひょっとすると国立公民館の音楽室でリハーサルをした帰りかもしれない。篠田の姉の佐竹もそこにいた。「バンドの名前が決まったよ。」と篠田が切り出した。バンド名については、ずっと悩んでいた。「コンポステラにしようと思うんだ。」「テーラー?」
篠田の説明によると、サンチャゴ・デ・コンポステラというのは、スペインの聖地で、光が指し示した場所で、星のはらっぱという意味でうんぬん。「はあ、いい名前ですねえ。」「あたりまえでしょ、私が考えたんだから。」と篠田姉の佐竹。女傑である。かくして、バンド名はコンポステラと決まった。
コンポステラという名前で最初に演奏したのが、舞踏の宇野萬と共演した90年3月のハートランドつた館でのライブだった。この時はドラムの久下惠生がゲストで参加。どのような企画のイベントだったのわからないが、最初にバイオリン演歌の桜井敏雄、次が宇野萬+コンポステラ、最後が能管の一噌幸弘のグループという面白いイベントだった。この時、中庭で演奏してから室内に演奏しながら入って来る趣向だったのだが、その歩きながら演奏する曲に1月の僕の企画したライブでやった「くつやのマルチン」をやろうと篠田が提案、それまでかなりテンポの速かった「くつやのマルチン」が現在のテンポになる。
翌月の4月27日にはアレポスのゲストで吉祥寺のMANDA-LA2に出演した。この時はアレポスの清水一登にゲストで参加してもらった。そろそろワンマンのライブも考えたいが、それには3人だけでできる曲を増やさなければならない。そしてレコーディングのことも考え始めなければ。6月に篠田昌已ユニットのアルバム、9月にコンポステラのアルバムをレコーディングすることが決まっていた。
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