コンポステラの日々 第2回


 篠田昌已はこの少し前までルナパークアンサンブルのサポートをしていた。ライブ後に少し話をしたら、ポップチューンの間奏にフリーキーなテューバソロが入っていたのが面白かったらしい。その場で誘われたのが、数か月後に新宿PIT-INNで行なわれた原田依幸の50人セッションだった。 原田依幸が当時やっていた魚貝類というバンドに管楽器が50人加わったセッションだったのだが、今思うと中尾勘二、林栄一、渋谷毅、板谷博、片山広明、つの犬などその後別の場所で出会う人間が多くいた。その頃の僕はセッションの経験も無く、ソロをまわされてもピョンピョン跳びはねながらでたらめを吹くだけだったが、それまで演奏していたアレンジされた音楽と違った刺激を受けた。

 その後僕はルナパークアンサンブルが解散するまでサポートをすることになる。篠田はテント芝居の劇団「風の旅団」やJAGATARAのレコーディングやアケタの店のセッションなどに誘ってくれて、その周辺のミュージシャンと知り合うことができた。中尾勘二とは50人魚貝類のあとルナパークアンサンブルでドラマーとして共演したのだが、不思議な人がいるものだと感心した記憶がある。50人魚貝類では中尾はトロンボーンを吹いていたので、中尾のサックスはまだ聞いた事が無かった。




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