村上律/プロフィール
1949年奈良市に生まれる。
1962年頃に近くに住んでいた大学生にアメリカン・フォーク・ミュージックをよくきかされていた。でも興味があったのはビートルズであった。高校生の時にアルバイトをして初めてアコースティック・ギターとバンジョーを手に入れる。そして友人達とP.P.M.スタイルのパンドを結成し、自分達のオリジナル曲を色んな所で演奏する。当時ヤマハが主催レたライト・ミュージック・コンテストで奈良県の代表に選ばれた事もある。その後、1968年頃に関西フォークのムーブメントに加わり幾つかのグループに参加する。そして1969年から1970年頃に“ウッドストック”、“アリスのレストラン”と言った音楽映画を観たことにより、何か新しい時代のフォーク・ミュージック、ロック・ミュージックに魅了され、当時ナンバにあったロック喫茶“ディラン”に通いだす。常連客として加川良、友部正人、中川五郎、中川イサト、と言った歌い手達がいた。そして1971年に中川イサトと“律とイサト”と言うデュオ・グループを結成し、コンテンポラリー・フォーク・ミュージックを追求する。1972年にCBS/ソニーから“律とイサト”と言ラタイトルのアルバムをリリースする。でも同年にグループは解散し、当時交流のあった渡辺勝、松田幸一、今井忍、竹田裕美子らと“アーリィタイムズ・ストリングス・バンド”を結成する。CBS/ソニーからシングル盤1枚をリリース。その後、泉谷茂のバック・バンドとして活動していた時に知り合った徳武弘文らと“ラスト・ショウ”を結成。ナッシュビル・サウントを取り入れた新しいロック・ミュージックを追求する。コロンビア・レコードからアルバム2枚をリリース。“ラスト・ショウ”解散後は、昔からの友人である加川良とコンビを組み、ライブ活動を精力的に続ける。
1999年、久しぶりに中川イサトと再会しアルバムを作る事になる。実にそれは27年振りのことである。現在の2人が共に思っている事は、日本に定着してしまった”歌謡フォーク”じゃない、しっかりしたメッセージをもった歌を唄おうと言うことである。サウンドも安っぽい歌謡フォーク・サウントじゃない、かつて自分たちが憧れた骨太のアメリカン・フォーク・サウンドである。2人共50歳を越えてやっとスタート地点に立ったような気持ちている。ライブ活動ものんびりした、自分たちのぺースで続けてゆく予定。
中川イサト/プロフィール
1947年 大阪で生まれる。
1965年 高校3年の時に初めてアメリカン・フォ一ク・ソングを知る。当時はモダン・フォークと呼ばれて いた。友人達とバンドを緒成し、ダンスパーティや学校の文化祭なぎに出演していた。最初に覚えたコードはC,Am,F,G7と言った、ごくシンプルなダイアトニック・コードだけであった。
1966年 バンドに女性を加え、P.P.M.スタイルのコピー・バンドを作り、当時、学生達が主催していたコンサートやフォーク喫茶などに出演していた。
1967年 あるコンサートで西岡たかし氏と知り合い、彼のオリジナル曲を唄ったりしているうちに、自然発生と言った感じで”五つの赤い風船”が生まれた。’68年〜’69年にかけて2枚のアルバムをリリースする。同時に北海道から九州まで、全国をコンサート・ツァーで回る。
1969年 この年の秋に”五つの赤い風船”を脱退。以前にも増してアコーステイック・ギターに魅了され、バート・ジャンシュ、ジョン・レンボーンと言ったブリティツシュ・アコースティツク・ギタリスト達のギター・プレイにのめり込む。そして松田幸一、瀬尾一三、金延幸子らと”愚”と言うブリティッシュ・ギター・サウンドのバンドを結成し、URCレコードからシングル・レコード2枚をリリースする。
1970年 70〜71年頃に、多くのシンガーのバック・アップ・ギタリストを務める。この頃に影響を受けたギタリストとして、ブルース・ラングホーン、デヴィッド・ブロムパーグと言った、アメリカン・アコースティック・ギタリスト達がいる。
1972年 村上律と”律とイサト”と言うデュオ・グループを結成し、アメリカン・オールドタイム・ミュージックを追求する。同年にCBS/ソニーからアルパム1枚をリリースしている。
1973年 73年以降は。ソロ活動が中心になるが、76年にギター・スクールを開校し、多くのアマチュア・ギタリスト達を育てた。(尚、’89年に13年の歳月を経て、スクールを閉校した。)又、その間にレコード制作も活発に行っている。
’73年”1970年”URC/レコード
’73年”お茶の時間”CBS/ソニー・レコード
’75年”黄昏気分”CBS/ソニー・レコード
’76年”鼻歌とお月さん”オレンジ・レコード
’77年”1310”CBS/ソニー・レコード
1981年 プライベート・レーベル(ナニワ・レコード)を設立。5枚の自主制作アルバムをリリースする。
’81年”Homespun Music”
’82年”Acoustic Serenade”
’86年”あいらんど”
’88年”After Hours”
’89年”Crescent Moon”
1984年 この頃からソロ演奏活動に意欲を注ぎ、ライブ活動を中心にしながらアコースティック・ギターの可能性を追求する。
1990年 13年振りにメジャー・レーベル(BMG/ビクター・Airレコード)より”Water Skipper”と言うアルバムをリリースする。
同アルバムに収録されている”Poh-Han's Theme”が、朝日ソーラーのテレビCFに採用される。
1991年 BMG/ビクターより、メジャー第2弾”Sayonar”をリリース。前作よりも、よりアコースティック・ギターをフィーチュアーしている。1992年これまでにリリースした自主制作アルバム5枚をCD化。新しいギター・ファンを着実に増やし続ける。
1993年 積極的に全国でのライブ活動を行う。8月には音楽生活25周年記念ライブを大阪で行う。9月には10数年振りに北海道ツアーを行う。
1994年 6枚目の自主制作アルバム”太陽風”をリリース。
1995年 全国でのライプ活動を続けながら、7枚目の自主制作アルパム”蜃気楼の王国”をリリースする。
1996年 5月にドイツのギタリスト、ピーター・フィンガー氏を迎え、2人で全国6カ所でのジョイント・ライブを行い、各地で好評を得る。又、11月には8枚目の自主制作アルバム”スタンダーズ”をリリース。内容は初めてのカヴァー曲集。12月にはアメリカから現在、最も新しいスタイルのギタリスト、プレストン・リード氏を迎え、全国6カ所でジョイント・ライブを行う。
1997年 6月にドイツのアコースティック・ミユージック・レコードと言うレーペルで初めての海外レコーディングを行う。(10月にそのニュー・アルバム”Dream Catcher”をヨーロッパでリリースする。)又、同時にドイツで8カ所、ペルギーで2カ所のコンサート・ツアーを行う。夏の7月にはピーター・フィンガー氏(2度目)とイタリアのアコースティック・ギタリスト、フランコ・モローネ氏を招き、全国6カ所でジョイント・ライブを行う。
1998年 3月にオーマガトキ・レコードより初のペスト・アルパムをリリース。アルバム・タイトルは”Footprint”。全曲新録音のペスト・アルバムとなっている。同じく3月にブレストン・リード(2度目)とエドワード・ガーハード氏を迎え、全国9カ所でのジョイント・ライブを行う、5月にはドイツの”オシュナブルック”と言う町で行われたギター・フユスティバルに出演する。12月にはアメリカからウッディ・マンを迎え、全国10カ所でジョイント・ライブを行う。
1999年 3月にドイツで2枚目のギター・アルパムをレコーヂィング。又、4月にはペルギーでワークショッブ・コンサートに出演する。6月にはアメリカからエド・ガーハード、マーティン・シンプソン氏を迎え、3人で全国10カ所のライブ・ツアーを行う。叉、7月には旧友の村上律氏とのデュオ・アルバム「律とイサト」SEAL-005をSeals
Recordからリリース。