第1話 笛を吹く少年
これは私がお星さまから聞いたお話です。お星さまは私にたくさんのお話をしてくれました。楽しい話、悲しい話。私はその話を全部をあなたにお話ししたいのですけど、あまりにもたくさんあるので、とてもそれはできません。それに忘れてしまったお話もあります。そうそう、このお話を聞く前に一つだけ覚えておいてください。お星さまは夜だけでなく、昼もちゃんとお空に輝いているんですよ。それではお話を始めましょう。静かに聞いてくださいね。
「これは今からだいぶ前のお話です。」と、顔に涙の流れた跡のあるお星さまが言いました。「その夜はあまりよい天気ではありませんでした。黒い雲が時々私の前を通りすぎ、じゃまをしていましたから。でも、その雲が行ってしまうと、お月さまの光で下のようすをはっきり見ることができました。ふと見ると、ちょっぴり高い丘の上で、男の子がひとりで笛を吹いているのが見えました。私は前にもよくあの少年の姿を見かけました。私たちが空に明るく輝く頃、いつもあの少年は丘の上でひとり笛を吹いていました。その笛の音は、それはそれは美しく、お月さまも足を止め、つい時の立つのも忘れ聞き入ってしまうほどでした。あの少年は本当に笛を吹くのが好きだったのです。
そう、あの少年にも、前にはちゃんと、お父さんやお母さん、それにかわいい妹までおりました。ですから、決して一人ぼっちではなかったのです。私はあの少年の家の窓から、楽しそうに笑い合っている姿をよく見かけました。そのような時、私も本当にうれしくなったものです。でも一度だけ、あの家から女の子の泣き声が聞こえて来たことがあります。「どうしたのだろう。」と私が首をかしげていると、まもなくお母さんにしかられる少年の姿が窓を通して見えました。でもこんなことは一度だけでした。前にも後にも、女の子の泣く声を聞きませんでしたし、少年のしかられる姿も見ませんでしたから。
夕暮れになるとやはり少年はあの丘の上で笛を吹いておりました。それに合わせて女の子も歌を歌っていました。それはそれは美しく、もしあなたが二人の姿をみたなら、きっと「天使のようだ。」と、思ったことでしょう。二人は本当に楽しそうでした。お月さまもやさしく見守っていました。私は今まで、あれほど美しいものを見たことがありません。もちろん、私には今でもはっきりと、あの二人の姿を思い出すことができます。
でも、それから数日後、あの嵐がやって来たのです。来る日も来る日も、真っ黒な雲が私の目の前に広がっていて、少しも動こうとはしません。雲の下でザアザアビュウビュウと、ものすごい音が聞こえていました。私は気が気ではありませんでしたが、でも、どうすることもできません。ただ神さまに「早くこの雲を追い払ってください。」と、祈るばかりでした。
何日か経ったある日、雲の下の音も小さくなり、厚い雲にかすかな透き間が見えて来ました。その時の気持ちと言ったら・・・あなたにもきっと分かってもらえるでしょう。私は急いでその透き間から下をのぞきました。するとどうでしょう。あんなに小さかったはずの川が、ゴーゴー音を立てて流れているではありませんか。畑もあの曲がりくねった小道も、どこにあるのか私には分かりませんでした。私は不安になって来ました。川の近くの家々が、水につかったり、倒れたりしているのが見えたからです。でも思い切って少年の家の方へ光を向けました。」と言い終わるとお星さまは大きなため息をつき、そして涙を流し始めたのです。そのお星さまは今までよりもずっとずっと暗くなってしまいました。でも、私が「それからどうしたのですか。」と、心配でしたので聞きますと、お星さまは涙をふいて、また話し始めました。「私は探しました。でもどこにも見つからないのです。私にはあの家も少年達の姿も見つけだせなかったのです。何と寂しかったことでしょう。
しばらくぼんやりしていました。ふと見ると、見覚えのある木が、みすぼらしいかっこうで立っているではありませんか。大きな杉の木です。そうです。あの小さな家の近くに立っていた杉の木だったのです。私は急いで杉の木に近づきました。あの木なら、きっと少年や女の子たちのことを知っているに違いないと思ったからです。
「杉の木さん、あなたの近くにあったあの家はどうなりましたか。」私は一生懸命たずねました。杉の木は悲しそうに私を見つめていましたが、静かに話しだしました。
「あの家もあの人たちも、もう、ここにはおりません。嵐がやって来ると間もなく、私の見ている前で、あの小さな家はあっと言う間に大きな音をたてて、倒れてしまいました。空は昼だというのに真っ暗で、稲光がはげしく光っていました。しばらくして少年とあの女の子の激しく泣く声が倒れた家の中から聞こえて来ました。その少し前に、私は聞いたのです。「早くお逃げ。私たちにかまわず早くお逃げ。」「さあ、行くんだ。あの丘へ。」そうです。あのお父さんとお母さんの声でした。その言葉が最後だったのです。きっと二人の子供をかばっている間に、家の下敷きになってしまったのでしょう。私は神さまを憎みました。私は木です。ただじっと立って見ているしかなかったのです。「私に足さえあったら・・・。」と、そこまで言って、杉の木はだまってしまいました。それからゆっくり空を見つめました。目には大粒の涙が光っているのが見えました。
「でも、私はすぐ、神さまを憎んだことを後悔しました。あの時のことを知っているのは私だけです。「あの時のようすを知らせることのできるのは私だけだ」と分かったからです。実際、こうしてあなたに知らせることができました。」と、言うと、また杉の木は空を見上げました。今度は何かお祈りしているようでした。私も一緒に祈りました。「どうかあの子供たちのお父さんとお母さんが、あなたの元へ行けますように。あの子供たちをお見守りください。」と。
「少年と女の子はどうしたのですか。」と、私は杉の木のお祈りの終わるのを待って聞きました。「少年は涙をこらえて、泣き叫ぶ女の子を引っ張って、丘の方へ登って行きました。すると、その時を待っていたかのように、ものすごい勢いで、大水が押し寄せて来て、あっと言う間に、小さな家を飲み込んでしまったのです。丘の上でしっかり抱き合い、じっとこちらを見下ろしている二人の姿が見えました。私が見て知っているのはこれだけです。でも、あの少年はずっと向こうの地主の家で働いていると言うことを聞きました。女の子はどこか遠くへ引き取られて行ったようです。少し前に、雨の降る中を、馬車で連れて行かれるのが見えましたから。幾度も幾度も、私の方を振り向いて、手を振っていました。」しばらく私たちは黙ってしまいました。でも、ようやく私は涙をふき、杉の木にお礼の言葉を残して、そこを離れました。まだ川はゴーゴー音をたてて流れていました。
幾日かしてある日、私は見たのです。あの少年が笛を吹いている姿を。一人でしたが、少しも寂しそうではありませんでした。私には分かります。あなたにも分かるでしょう。少年は決して一人ではなかったのです。私にはあの少年のそばで、あのかわいい女の子が一緒に歌を歌っているのが見えました。お父さんも、お母さんも・・・。
それから・・・あとはあなたの想像におまかせしましょう。ただ、あの少年は笛を吹くのが大好きだったのです。ほら・・・耳を済ましてごらんなさい。聞こえるでしょう。あの少年の吹く笛の音が・・・。
2004.5.23