かわいいでしょ!
右足の指は2本だけ、でもめげない
ベランダに咲いた野ばら(相模大野、5月)
チーの遊び場
チーのいなくなったテーブル(アンが寂しそう)
1年目のチー
光を背に
只今、食事中
じゅうたんの上でさがし物
「これから風呂に入ろう」
「湯加減はどうかな」
クロの餌の干し草を加えて得意顔
床を歩くチー、やや緊張気味
就寝用ケージの上で(相模大野)
シンセサイザーの上で
女の子の目のチー
64 2004.7.14 チーが、「この見える世界」から姿を消す時〜父の時もそうだったが、体から、「スー」と何かが去って行く。それと同時に、体はだんだん体温が下がり、硬直し、ただの物体になってしまう。それは一瞬の内に起こる。聖書の創世記に記されていることが事実と悟った。「神は自分に似せて人を作り、その口から息を吹き込み、人に命を与えた。」息、すなわち神が我々に与えてくれた魂(たましい)のことである。体からこの魂が去る時、すなわち、神の息が取り去られる時、我々は「死ぬ」と言っている。しかし、神が与えてくれた魂は永遠である。チーの魂もただひとつ、私の命もただひとつ、そして永遠に存在する。チーと私は、神のもとで、いつも一緒に永遠に生きる。チーと一緒にしてくれた神に、心から感謝する。アーメン!

*母の死について〜母は1973年(昭和53年)7月10日午後10時45分、子宮癌のため70歳で他界した。その1年程前に福島医大に入院していた。その時は、まだ母も元気で、私もこの頃、2週間に1度、日曜日を利用し、福島の病院へ見舞いに行っていた。さすがに、月曜日は疲れていた。母は同じ病室の人に、私のことを楽しそうに話をしていた。その頃、私はまだ外国へは1度も行ったことがなく、アメリカへ行くのが夢で、母に、「その内、アメリカへ行くからね。」と話すと、「頑張りな。」と、変な話で、私が病人の母に励まされて帰って来ると言う状態だった。父の話だと、福島医大で手術をし、退院はしたが、「もし、再発すれば、半年しかもたない。」と言われていたとのこと。半年後再発し、郡山市内の病院へ入院した。行く度に悪くなるのが分かった。点滴が大変だったようだ。毎日数回、針を血管の中に入れ、その間、じっとしていなければならない。私も以前、新潟の赤倉で春スキーをしていて、うしろから体当たりされ、転倒し、胸部を打ち、左肺に血液がたまり、2週間ほど入院したことがある。治療後点滴を受け、私の左腕(私の右腕は血管が細いらしく、針をうつのに、どの看護婦も左腕を選んでいた。)は、青黒くなっていた。母の腕は、入院してからしばらくして、針を刺す場所がなくなってしまい、足から点滴を受けていた。ある時、母は苦しそうに小さな声で、私に、「もう、針を刺す場所がなくなってしまったんだ。しょうがないから、足を切開し、血管を出し、そこに針を入れてもらっているんだ。針を刺すのに2時間もかかってしまう。」とささやいていた。そして、あの7月10日を迎えた。電報か電話かは忘れてしまったが、「母危篤」の連絡があり、急いで、郡山の病院へ向かった。しかし、上野を出て数分後、汽車はストップしてしまった。車内放送では「線路に亀裂が入ったため、線路を取り替えないと、動けない。」とのことであった。こんなことはこれまで1度も経験したことがなかった。嫌な予感がした。「もしかして・・・」1時間後に、汽車は動きだし、急いで病院へ駆けつけたが、母は1時間前に、すでに亡くなっていた。「線路に亀裂が入っていなければ、間にあったのに・・・。」、そう悔やまれてならなかった。時計は夜の11時近くだったと記憶している。 母は8時間、七転八倒、苦しんだと言う。顔を見ると、以前の面影はなく、苦しさのあまり、斜めに変形していた。悲しかった。くやしかった。それよりも何よりも、母がいなくなって初めて、自分の「故郷」を失ったことを知らされた。「自分の故郷は母親だった。」と言うことを知らされた。涙があふれ出て、止まらなかった。

*父の死について〜父は1996年(平成8年)8月8日午前8時8分、肺癌のため88歳で他界した。ヘビー・スモーカーで、死の少し前までたばこを吸っていた。これが原因と思われる。4月2日(火)「父が肺炎で入院した」との電話があり、急いで病院(郡山)へかけつける。兄から肺癌末期と知らされる。6月8日(土)、6月30日(日)日帰りで病院へ行く。8月2日(金)午前10時病院へ、夜実家へ泊まる。3日(土)早朝、病院から危篤の呼び出しあり、急いで病院へ。「父ちゃん、来たよー」と大きな声で声をかけると、何とか持ち直してくれた。嬉しかった。そのまま6時頃まで日中付き添いをし、夜7時3分の新幹線で帰宅。4日(日)午後1時30分頃再度郡山へ、妹と交代し、夜の付き添いをする。5日(月)午後1時病院より帰宅する。8月7日(水)電話あり、病院へ行き、妹と交代し、夜の付き添いをする。何回もたんでのどを詰まらせ、ベルを押し、看護婦さんに来てたんをとってもらう。8月8日(木)朝8時過ぎ、のどを詰まらせたので、ベルを押し、看護婦さんを呼んだが、その間に、父は僕の目の前で「スー」と息を引き取ってしまった。アッと言う間のできごとだった。8時8分、看護婦さんが来たのは2分後、8時10分、もう、たんをとることはしなかった。

*父・母について〜僕は理科(生物)が得意。生物が好きなのは、父の影響大である。 ある日、父が手に、山から珍しい、柔らかい羽毛に包まれたひなを数羽、巣ごと持ち帰ってきた。今、そんなことをしたら、鳥獣保護法と言う厳しい法律で罰せられてしまうが、その当時の父は、よく僕のために、色々な生き物を持って来てくれた。きじ鳩(昔は山にしかおらず、我々人間を見ると逃げてしまったが、最近では、私の住んでいる所にも、普通の鳩と同じくやって来る。全く人を恐れない。森や林を追われて、住む所がなくなっているためだ。)も、捕まえて持って来たことがある。小屋を作って飼おうとしたが、そのきじ鳩はすでに立派なおとな、自然の中で生きてきた鳥である。人に慣れないと分かり、数日して、放してやった。羽毛に包まれたひな鳥は、家に来た時は元気だったが、名前も知らず、どんな餌を与えてよいか分からなかったため、結局は、皆、死なせてしまった。すずめを育てるようになってから、色々調べていくうちに、そのひなが「セキレイ」の種類だと言うことが分かった。普通の餌を与えたのではだめだったのである。無知とは恐ろしいものである。生きるものも、結局は死なせてしまう。僕が生物が好きなのは、父ばかりでなく、母からも影響を受けている。母も生き物は好きで、にわとりを飼ったり、うさぎを飼ったり、近くの社宅の畑で、きゅうりやさやえんどうを育てたり、家の庭に草花を植えたりしていた。そう言えば、社宅の我が家の庭の南側には、大きないちじくの木があり、北側の門と台所の間には、これも大きなあんずの木があった。いちじくは熟していれば、そのまま食べても美味しいが、まだ青くても、なべに少し水を入れて煮込むと「アーラ、不思議」、甘くてこれまた美味しい。あんずも、春先にきれいな花を咲かせ、その後には、たくさんの大きな実を付けてくれた。「青いのは食べちゃだめ。」と、よく母が言っていた。しかし、1度だけ、熟すのを待ちきれず、まだ青い実をとって、何個か食べてしまった。案の定、しばらくして、お腹が痛くなり出した。母のことばを聞かなかった天罰であった。父も母も、生き物が好きだったことには違いないが、それよりも、貧乏な中で、6人の子供を食べさせていくのは、大変だったと思う。母は、わらで蚕がまゆを作るための「マブシ」(確か、そう言う名前だったと思う。)を作ったり、近くの大通りに面した所で、小さな小屋を建て、どこから機械(かなり、大きなもので、車のハンドルのようなものが付いており、、それを動かすには、かなりの力が必要で、男でも大変)を手に入れたかは分からないが、近くの人が持って来る米を、「ぽんせんべい」にし、手間賃を稼いだり、道路工事をしていたこともあった。僕が郡山市立4中・安積高校へ行くようになると、3人姉の3番目の姉が、安積女子高校より、近くの郡山女子短大へ、続いて、兄が、安積高校より法政大学へ行くようになり、これまで以上にお金がかかるようになった。母は、私達を学校へ出すと、自転車で30分程かけて、親戚から借りていた仕事場(農家の納屋)へ行き、ひとりで、わらをすいて、つちで叩いて柔らかくし、機械を使って縄を作っていた。この頃、母が家へ帰って来るのは、夜12時近く、父も、夕方4時半には工場から帰って来て、夕食を済ませ、急いで母の仕事場へ行き、母と一緒に夜遅く帰って来た。祖母も、私が高校1年生の時までは健全であった。母は生まれてから死ぬまで「楽」と言うことを知らなかったように思う。

*3番目の姉について〜皓子(ひろこ)と言い、僕の良き助力者。僕がヴアイオリンを手にすることができたのも、この姉のお陰である。責任感が強く、ベニマル(スーパー・マーケット、今はヨーク・ベニマルに社名が変わっている)の人事を任され、仕事仕事で、過労がたたり、まだ若いのに、他界してしまった。

65 2004.7.14 チーは(他のすずめも同じだと思うが)、ヘリコプターのように、1〜2秒の間ではあるが、一カ所に止まって飛ぶことができる。

66 2004.7.14 チーは、僕が顔を近づけても、目をつついたことはなかった。チュンにはつつかれそうになった。

67 2004.7.14 今年になって、僕と一緒に、僕の体の上で昼寝をするようになった。僕ののどの所で、左手手枕の内側のくぼみで、胸の上で、お腹の上で・・・。

68 2004.10.13 チーが風邪で体調を悪くし、これまでに見せたこともない弱々しい、飛ぶのもやっとの状態になった。しばらく、手の中で容態を見守っていたが、良くなる気配がなく、「長期戦になる」と覚悟し、急いで小鳥用のかごを出し、保温のため、かごの外を大きいポリ袋数枚でおおい、その上から入口以外を数枚のタオルケットでおおい、かごの下には温度調整の為に数枚のタオルケットを重ね、一番下に電気座布団を敷いた。内側には、25〜26度の温度を保つように、小さい温度計を3カ所取り付け、新聞紙を敷き、いつも使用している水入れ、えさ入れ、チーが休めるように4〜5個の塩土、いつものブロッコリー、トマト、りんごを置き、えさはえさ入れ以外にもかなりの量を、どの場所でもついばめるようにばらまいて置いた。えさは頑張って、食べたが、すぐ戻してしまった。体も細ってきて、手に包んだ時、お腹の骨を手で感じられるようになり、本当に悔しいやら、悲しいやら、涙がこみ上げてきた。こんな中でもチーは僕と一緒に居たがり、入口の所で、小さな声で僕を呼んでいた。かわいそうとは思いながらも、少しでも容態が良くなることを念じ、我慢をしていたが、あまりのチーの呼び声に、「少しの間だけ」と自分に言い聞かせ、かごから出して、手の中に包んでやると、安心したのか、「チッチッ」と小さな甘え声を出し、しばらく目を閉じ、幸せそうに眠っていた。これが、チーの私の手の中での最後の眠りとなった。今でも、チーの体の柔らかさ、温もりがよみがえってきて、涙がひとりでに流れてくる。チーは死の直前まで僕から離れたくなかったのだ。神に誓ったチーとの約束、「チー、どちらが先にこの世を去っても、ふたりはいつも一緒だよ」、この約束は僕たちにとって絶対のものである。チーに会わせてくれた神に感謝する。「チー、いつも一緒だよ。」

69 2004.11.21 自転車で、ゆっくり買い出しに道路を走っていると、葉の落ちた一本の木の枝に、たくさんのすずめが集まり、大きな声で「寝る前のコミュニケーション」をしていた。そこにはチーの姿はなかった。チーは生まれてすぐに僕の所へやって来たので、「すずめ」と言う仲間を知らない。チーはテレビ台のガラス、ピアノの前板に鏡のように映る自分の姿を見て、自分の仲間と思っていたようだ。何か、かわいそうな気がする。寝る前、チーはいつも僕と、木の枝に居るすずめ達と同じあいさつをしていた。「ジージージージー」「ジージージージー」。

70-1 2004.11.21 僕が帰宅し、玄関の近くで自転車に鍵をかけていると、チーは、鍵を掛ける時鳴る鈴の音で、僕が帰って来たことが分かり、激しく鳴いていた。

70-2 2004.11.21 外出から帰り、玄関で「チー、アン、ただいま。」と呼ぶと、アンより速く「チーチー」と返事をして、南和室のテーブルの一番台所寄りの塩土の上で、僕が部屋に入って来るのを待っていてくれた。部屋に入るやいなや、嬉しそうに「チーチー」と鳴き、僕の後を追って来た。

71 2004.11.21 塩土(えんど)使用の理由〜チーが右足の2本の指を壊死によりなくしてから、止まり木(譜面台はO.K.)には留まれなくなり、チーの足に良いと思い、塩土をあちこちに置くようになった。チーは塩土が気に入ったようで、ホッとした。大きい木の切り株も買って置いたが、塩土の方が気に入っているようである。

72 2005.6.22 チーの視力は(他の鳥も同じだと思うが)、すごい。どんな小さなものでも、遠くから、はっきり読み取っている。

73 2005.6.29 チーは生まれるとすぐに僕の所へ来たが、ひどい怪我をしていたとは言え、目は見えていた。それまでは、巣の中で、親から餌をもらっていた。チーの僕に対する態度は、俗に言う「すりこみ」ではないことは確かだ。僕を親として見ていたのではない。チーはアンの行動を見て、少しずつ、自分の意志で、僕に近づいて来てくれたのだ。

74 2005.7.2 郡山に来てすぐに、大きな地震(新潟地震)があり、我が家も突然大きく揺れた(飾り棚にあったマイセンの皿2枚(10万円相当)を割る)。チーとアンもビックリして鳴きながら僕の所へ飛んで来た。とにかく、僕のところがチーもアンも安心できる所のようだ。「大丈夫だよ」と言うと、少し安心して、小さな声で鳴いていた。

75 2005.8.10 チーが我が家へ来てしばらくは、ひなのため、自分で餌をとることができなかったので、親代わりに、僕が2時間おきに餌をあげなければならなかった。家に居る時は何の心配もなかったが、僕は中学校英語教員(音楽も担当)をしていたので、月曜から土曜までは、チーをプラスチックの運搬用ケージに入れ、小田急線相模大野駅から桜ヶ丘駅まで電車に乗り、学校まで約20分ほど歩いて行かなければならなかった。学校に着くとすぐに、音楽室へ行き、そこに置いてある中型の鳥かご(入口の面以外をバスタオルでおおってある)の下に、保温のため数個のホッカイロを置き、餌入れの小皿に粟玉を入れ、家から持ってきたポットからお湯を注いで1分ほど待ち、お湯を切って、卵黄粉、カルシュウム、グリーンフード、ビタミン液を加え、餌の温度を確認して、チーに餌をあげ、職員室へ行き、授業へ行き、休憩時間毎に、音楽室へ行きチーに「大丈夫?」と声をかけ、餌を与えて、また授業へ行く、と言う状態が数日続いた。チーはこの頃から、僕と言う存在を認めていた。まだ、そんなに日が経っていないのに、僕が音楽室の戸を開けると、「チーチー」「チーチー」と激しく鳴き、餌をねだった。僕が居ると鳴くことを止めた。

76 2005.8.12 相模大野から郡山へ引っ越して来る時、チーとアン、クロを入れた運搬用かばん2つ以外はすべて送った。あとは、この「2つのかばんを運んで行けばいい」、と気楽に考えていたが、公団事務所へ鍵を返却し、「さあ、行くぞ」と声をかけると、アンが大きな声で鳴き出し(これまで、鳥は暗くなると声は出さないと思っていたので)、おまけにクロのかばんが重いので、「これは大変な3時間になる」とあせった。もう、もとの家には戻れない。「行くきゃない」と、アンをなだめながら、と言うよりは、声をかけることは止め、できるだけ静かに、小田急相模大野駅へ向かった。駅へは、いつもなら徒歩で5分ほどだが、長く感じた。途中、何回も休憩をとった。前日にロマンスカーの指定券を買っておいたが、アンが「出してくれ」「出してくれ」と鳴き出し、迷惑になるので席へは座れず、デッキに居ると、車掌が来て、切符を確認。理由を話すと分かってくれたようで、一安心。相模大野駅のホームでは静だったのに、デッキでは鳴きっぱなし。新宿で降り、「静にしてね」と祈るように、山手線で上野駅へ(この間は静だった)、新幹線に乗るとまた鳴き出した。同じく、指定券は持っていたが、デッキでアンをなだめながら郡山へ向かう。郡山駅に着き、出迎えていた妹の久美子夫婦の車へ乗り、新しい我が家へ。ほとんど立ち通しだったので、とても疲れた。チーは、ゴソゴソさせていたが「チー、大丈夫」と声をかけると、小さな声で「チー」と返事をし、ほとんどさわぐことはなかった。

77 2005.8.14 引っ越しの時のチー達の対応〜神奈川県の相模大野から福島県の郡山へ越す時、2月、1年で一番寒い時期だったので、大変だった。引っ越す準備のため、チー達を置く場所に困った。部屋中、荷物で一杯。引っ越し業者が行ったり来たりする。保温も考えて、風呂場に置くことにした。クロは犬用の大きなケージを購入し、新聞紙を敷き、わらをたくさん入れ、ケージの下には電気座布団で保温、チーとアンは、時々使用していた鳥かごをそれぞれ用意し、かごを透明なビニールでおおい(勿論、窒息しないようにして)、その上を、入口を除いてバスタオルでおおい、クロと同じくかごの下に電気座布団で保温した。クロのケージとは違い、かごはそこの部分はプラスチックで、熱くなり過ぎるのを避けるために、かごの底と電気座布団の間にバスタオルを敷いて、温度を調節できるようにした。かごの中には温度計を置き、時々、温度調整をした。相模大野の風呂場は家の真ん中にあり、そんなに寒くはならないが、念のため、風呂場に300ワットのサーモスタット付きの小型オイルヒーターを置いた。

78 チーと1億円〜ある日、チーと一緒に昼寝をしていて不思議な夢を見た。小川未明の「赤いろうそくと人魚」に似た夢だ。ある男が僕に「1億円払うからそのすずめ(チーのこと)を私にくれ。」と言ってきた。「チーは僕にとっては大切な存在。いくらお金を積まれてもチーを手放すことはできない。」そう、自分に言い聞かせていたら、目が覚めた。

79 ガムを噛もうとした途端、チーに唇をかまれる。〜数年前から、歯の健康のために、1日数回キシリトール・ガムをかんでいるが、ある日、チー専用の椅子にお腹を出すようにして座り、ガムをかみながら話しかけた途端、胸に居たチーに、唇を無言でガバッと噛まれた。つつかれたのではなく噛まれたのである。「私の前でガムをクチャクチャさせるなんて」と怒った態度だった。思わず、「ごめんなさーい」と謝ってしまった。これ以後、チーの前でガムをクチャクチャさせることは止めた。

80 アンが僕の笑い声、ガムを噛む音を真似る。〜僕がガムを噛んでいると、時々僕と一緒に「クチャクチャ、クチャクチャ」やりだす。僕に対するイヤミなのか。また、突然「アハハ」「アハハハハ」と笑い出す。「何笑ってんの?」と初めはびっくりしてしまった。アンの前では要注意!!

81 チーと一緒に居ると、チーのことを思うと、本当に幸せな気持ちになる。

82 チーのあくび〜チーは時々、人間のようにあくびをする。「くちばし」なので人間のように大きくは開けられないが、前のページに数枚写真を載せてあるが、リラックスした時がほとんどである。クロもアンも時々あくびをするが、やはりほ乳類であるクロのあくびは大きな口を開け豪快である。


83 チャンプ(ペット・ショップの名前)さんへの手紙(今は閉店している)



         
チャンプさんへ

         
先日はすずめの世話の依頼の件ありがとうございました。修学旅行は(1999年)6月4(金)日より6月6日(日)までですが、4日は出発が早朝で、6日の帰着も夜8時を過ぎる予定です。このような理由から、先日お願い致しました通り、6月3日夕方から7日午前迄お世話の方よろしくお願い致します。3日は学校が終わり次第、すずめを連れて参ります。7日(月)は代休で休みになりますので、午前中できるだけ早く引き取りに参りたいと思っています。次に、すずめについて詳しくメモしておきます。

1.すずめ(名前は「チー」と名付けました。)の状況について 
 
先月5月20日朝、生徒が登校途中、家の近くですずめのひながお腹を上にして落ちていたのを拾い、ハンカチに包んで私のところへ連れて来ました。様子を見ると、右目が開かず、右の翼も下に垂れ下がり、右足も痛めているようで立てない状態でした。羽もようやく生えそろったばかり、巣立ったすずめではなく、巣から落ちたすずめと判断しました。4〜5日後、目、翼、足はすっかり治り安心しました。

2.今日現在(6月2日)のすずめの様子について

羽はすっかり生えそろい、くちばしの黄色い雛のマークももう少しで消えるところです。餌は詳しくは後ほど記しますが、牛乳にパンを浸したものを中心に、時々、ミルワームも食べるようになりました。今日、初めて水に口を入れました。どうも水浴びをしたい様子で、しきりに体をばたばたさせていました。餌を食べた後、落ちている粟玉を拾い食いするようになりました。学校では、かごへ戻してやると、しばらくすやすや眠っているようです。もちろん、かごの入り口は私がいない時は閉めております。外へ出しても逃げる様子は全くなく、いつもは決まった場所にいます。しかし、気が向くと、かなりの高さまで飛びますので、家でも学校でもすずめ(チー)をかごの外へ出す時は必ず窓を閉めるようにしています。飛ぶ時は一応考えて飛んでいるようです。飛び初の頃、直進し、窓などに激突することを恐れましたが、その心配はなくなりました。家ではかごから出し、自由にさせております。お腹が空くと、ピーピー鳴き出し、私のところへ餌の催促をしに飛んで来ます。

3.用具関係

持ち運び用のかご、運搬以外に使用する少し大きめのかご(学校で使用しています)、小さい餌入れと小さい水入れ、暖めた牛乳入れ用ポット、牛乳にパンを浸して与える小皿とスプーンと、もう必要はなくなりましたが念のため割り箸で作ったひなに餌を与えるためのへら、ティッシュ(2種)とビニール袋、つま楊子(遊びのため)、大きめのかごにかけておくタオル、運搬または夜寝かせる時にかけるハンカチ数枚、万が一寒くなった時のホッカイロ、小鳥用薬

4.えさ関係

パン(中身の柔らかいところだけ使用)、牛乳(暖めて使用)、粟玉(少し餌入れ以外にもばらまいておきます)、エッグ・フード、スーパー・レモン、プラス・グリーン・フード(葉緑素)、 グリーン・フード、卵黄ペレット、カルシュウム、ビタミン液(デミックス)、ミルワーム

5.餌の作り方及び与え方

まず、牛乳にパンを浸すえさの作り方ですが、小皿にエッグ・フード少々、カルシュウム少々、スーパー・レモン少々、プラス・グリーン・フード少々を入れ、暖めた牛乳(家では電子レンジ使用、学校ではポットに暖めた牛乳を入れ使用)を入れ、ビタミン液(デミックス)を少々加え、スプーンまたは 割り箸のへらでかき混ぜ、その後、パンの中身をつまんで入れ、さらに少しかき混ぜ、浸したパンを少しずつちぎって、チーに与えます。お腹が空くとピーピー鳴き出しますので、浸したパンを近づけると口を開け食べます。あまり 大きいと食べづらいようです。口に合わせてお願いします。牛乳はあまり熱くないようにしています。熱い場合は、指に取り少しさまして与えています。学校ですと、授業がありますので、1時間または1時間30分間隔で与えていました。一度に食べる量は3口程です。最近になってミルワームを食べるようになりましたが、ミルワームの方がおいしいらしく、牛乳で浸したパンは口にしなくなり一時心配しました。まだ水を取ることを知りませんので・・ ・。今は直りました。ミルワームは牛乳に浸した餌を与えた後1匹だけ与えるようにしています。

粟玉を中心にした餌についてですが、粟玉にグリーン・フードを混ぜ、小さな容器に入れ、かごの中の床に置きます。少し容器以外にもばらまいておきます。食事の後、かごへ戻してやると、静かに粟玉をつまんでいるようです。

水は早く飲むようになってほしいのですが、今日初めて口を付けたばかりで、本格的に飲むまでは今しばらくかかりそうです。小さな水入れに水を入れ、かごの前の部分にかけておいて下さい。

6.かごについて

寝る時は運搬用のかごにチーを入れ、ハンカチを3〜4枚おおって下さい。そのまま静かに寝ます。中に入っているティッシュは汚れますので、申し訳ありませんが、その都度、上の部分だけ取り替えて下さい。大きいかごの方もよろしくお願い致します。大きい方のかごは、入り口の面は何もおおわず、その他はオーストリアのカレンダーの布、とタオルでおおって下さい。

7.起こす時間と寝る時間について

今は大分成長しましたので、あまり気を使わなくてもよくなりましたが、一応6時には起こしています。でも、餌を食べるのは30分過ぎてから。どうもすぐは食べなくなりました。本当に「餌を食べたい」と要求するのは40分〜50分経ってからですので、起こすのも少し遅くても良いのかもしれません。家では、おおいを取り、入り口を開けて置くと、しばらくして、自分からのそのそと出て来ます。寝るのはこのところ、修学旅行の準備のため、私が学校から帰るのが決まっておらず、最終の餌を与え寝かせるのは様々です。でも、だいたい、8時頃には寝かせるようにしています。チーの他に家には手乗りオカメインコを放し飼いにしていますが、これも寝るときはかごに戻しますが、5時にはオカメインコの方は寝る催促をしてきます。チーもだんだんそうなるのかもしれません。以前飼っていたすずめもそうでしたから。

8.その他

 (1)本当にお腹が空いている時は、翼をばたばたさせ、催促します。
 (2)夕方、飛び回りたくなるようです。
 (3)つまようじを与えると、喜んで遊んでいます。
 (4)「チー」と呼ぶといつもは飛んできます。
 (5)口笛にも答えるようになりました。
 (6)家ではオカメインコの方がややすずめに遠慮をしているようです。

     
  

          5月下旬 撮影           


            よろしくお願い致します。 ならわ