“最後のユニコーン”ノート


ユニコーン
 この物語の主人公であるユニコーンの性は女性として設定されている。伝説上のユニコーンが、その角が男根を象徴するものとされ、常に男性のイメージを担っており、処女の守神とされているのとは対照的である。男性原理を集約したかのような存在であるユニコーンが女性原理を主張する文脈の中に描かれることになる。このような視点はファンタシー文学の思想的特質を如実に反映しているものであると思われる。またここに見るような諧謔的な価値観の転換は、この作品におけるアイロニーの発現の典型的な例であり、キーワードとして設定した“antifantasy”という概念と密接な関わりを持つものである。

キーワード “old”
 ユニコーンは単に年をとっているだけではない。“老い”とはむしろ対照的な、生得的な特別な属性を示す概念として、この作品のなかでは“old”という言葉が独特な意味性を主張して語られていくことになる。

キーワード“time”
 ユニコーンは時の流れの支配から自由な存在である。このことが彼女の“immortal”、“old”という属性を決定する条件の一つとなる。これに比して時の変化の奴隷でしかない人間達を“mortal”と呼ぶのはギリシア神話における神々の発想であった。

キーワード “choice”
 ユニコーンは“eternal”な存在なので、自身がただあることのみで充足していて、何かを成し遂げるなどということを必要としない。時間の流れや行為のもたらした結果などによって満足あるいは不満足を感じることも無い。従って自らの運命の岐路を自覚し、可能性の一端を放棄する“choice”(選択)とは無縁である。

butterfly
 butterflyの作品中における存在意義は、後出のcatともども、ファンタシー文学の思想的特質を考える時、19世紀にロマン主義的な文芸作品の中で盛んに描かれたfairyの存在と比較して考察すると興味深い。これらは人間存在と、人間性に直接的に関わりを持つ倫理的原理の体現者との間に介在する中間的存在として、あるいは自然・世界の奥行きを拡張する心的機能を体現した異教の神の変化形として読解し得るものである。
 butterflyのセリフはすべて古今東西の詩歌の無意識的な連想となっているかのようである。芸術家的人間の無意識の集合体のような様相を示している。従って当然無責任で、気紛れで、矛盾に満ちている。
 butterflyは詩や歌や、その他世界のすべての言葉に耳を傾け、それをとりとめも無く口ずさむ。詩人や学者に対する戯画化した総括、あるいは作者自身の自嘲的自画像とも言えるであろう。
 butterflyは自分の語る言葉に対しては何の自覚も無いらしい。どこかで耳にした言葉をオウムのようにくり返すだけ。記憶と連想がとりとめもなく遷ろう無意識の心にも似る。(あるいは狂人、あるいは幼児)

"you're a fishmonger"
 『ハムレット』第2幕第2場。狂った振りをしたハムレットがポローニアスに「おまえは魚屋だ」、と言う。「魚屋」は女衒の意味がある。魚は「淫売」の別称。

“consumptive Mary Jane”
 “肺病病みの/金使いの荒いメアリ・ジェーン。”、“金のかかるマリファナ(marihuana)”。等の様々な解釈が可能。

"carrion comfort"
 『ハムレット』第2幕第2場。ハムレットがポローニアスに言う科白。“carrion”(腐肉)は淫売(prostitute)を示す。

"aroint thee, witch, aroint thee"
 “去れ、魔女よ去れ”。Macbeth, Act I, Scene 3

"willow, willow, willow"
 “柳よ、柳。”(狂ったオフェーリアが小川の水に沈みながら歌う、『ハムレット』の一場面を連想させる。実際に“Willow, willow--”と歌うのは『オセロ』のデズデモーナ。)
OTHELLO, ACT IV SCENE III
DESDEMONA
[Singing] The poor soul sat sighing by a sycamore tree,
Sing all a green willow:
Her hand on her bosom, her head on her knee,
Sing willow, willow, willow:
The fresh streams ran by her, and murmur'd her moans;
Sing willow, willow, willow;
Her salt tears fell from her, and soften'd the stones;
Lay by these:--
--
Sing willow, willow, willow;
Prithee, hie thee; he'll come anon:--
--
Sing all a green willow must be my garland.
Let nobody blame him; his scorn I approve,-
Nay, that's not next.--Hark! who is't that knocks?

"Over the mountains of the moon," the butterfly began, "down the Valley of the Shadow--"
 “月の山々を越え、影の谷間を下り。”エドガー・アラン・ポーの「エルドラド」の一節。

Red Bull
 Beagleの創作したfabulous animal。この作品におけるunicornの担う存在論的意味性を補完する存在。聖書の一冊である「申命記」に、世界の終末の際に現れて人々を最後の審判に狩りたてると予言された「牡牛」を換骨奪胎したものである。

"His firstling bull has majesty, and his horns are the horns of a wild ox. With them he shall push the peoples, all of them, to the ends of the earth."
 “彼の第一子は王となり、その角は野牛の角…”;Deuteronomy 33:17, RV
「申命記」(Deuteronomy)に、神の言葉によってなされた予言として記載されている。牡牛とは、月満ちた時彼方より来りてこの地を支配する、並外れた能力を備えた地上の王たる力を持つものを呼ぶ言葉であった。

"ugly grace"
 “醜悪な優雅さで。”矛盾した形容の技工。 "oxymoron" (撞着語法)と呼ばれる。Edgar Allan Poe が好んだ詩的表現。

"fishes' breath, bird spittle, a woman's beard, the miaowing of a cat, the sinews of a bear"
 北欧神話に登場する怪物Fenris-wolfを縛ることができたロープは魚の息と鳥のつばと女の髭と猫の鳴き声と熊の腱と山の根っこからできていた、とされる。魔法のメカニズムはナンセンスの原理として、現実世界の論理の限界を超越するものである。超越的真実は現象世界的観点からは狂気として映る。この視点は本作品のantifantasy的描術行為の背後に潜む前提となっている。

キーワード“antifantasy”
 格調高く、あくまでも高貴な、あるいは邪悪な存在を描こうとする潜在的願望を含んだ作品がファンタシーであるとするならば、しばしば『最後のユニコーン』の中で描かれているような、日常性を誇張した諧謔的表現を、“antifantasy”と呼ぶことができる。典型的なファンタシー的要素(崇高)と楽屋落ち的な悪ふざけ(諧謔)が混在しているのがこの作品の特徴であり、またこのような機構がファンタシー文学そのものの心理的構造の中でいかに機能しているかを考察することが、ファンタシー文学の思想的特質を理解する際の要点となろう。

邪悪と地獄
 全宇宙を均質な同質の空間が占めている、というのがニュートン以来の科学的世界観であるのに対し、日常空間のあちこちに異次元空間が点在しているのが当たり前のものとして、中世以前の人々は考えていた。聖別された特殊な空間があると同時に、汚された邪悪な空間も存在する。天国も地獄も現世の日常空間と隣接して身近に確かに存在していた。このような空間意識の復活を企図するのが、ファンタシー文学の特徴となる潜在的願望であるといえよう。

iron
 Mommy Fortunaによって魔法をかけられユニコーンを閉じ込めている檻の鉄格子の邪悪さが、“iron” という言葉によってたびたび強調されている。この章においては他にもRukhの冷徹なイメージをあらわす際に“iron”という言葉が多用されている。世界の誕生と時間の流れに意味があり、創世の初期の世界を「黄金の時代」と呼び、世界が堕落を重ねるに従って「青銅の時代」となり、時間の終わり、破滅を迎えるべき戦乱の時代が「鉄の時代」と呼ばれていることと関連しているのかもしれない。

魔法と全一思想
 魔法の技だけでは幻影を見せることに成功することはできない。魔法は、かける側とかけられる側との間の相互の関係性の上に成り立つ、interactiveなものとされる。魔法の発現をこのような相互作用として捉えるのは、世界全体の一体性を前提とする思想である。

Arachne's web
 世界にほころびが生じ、分解しつつある様を感じる時の不安感。近代に至り、客観的・相対主義的現実認識を受け入れざるを得なくなった知識人達は、世界と個々人を共に意義あるものとして結び付けることに成功していた古代思想の破綻を感じた時の心情を、「世界がひっくり返った。」と形容した。自我の分裂状況に対する痛切な自覚と世界の崩壊を意識する暗澹たる感覚は、同一の危機感の表裏をなすものであると考えられる。心理的には、このような感覚に対する癒しとしてファンタシーは機能している。

キーワード “real”
 現実(reality)が偽物の存在であるのに対して想像上の存在、架空の存在はreal(本物)であるとされる。本物が必ずしも善良である訳ではない。純粋な邪悪さを体現したものであるから「本物」であるとされる。現象的リアリズムにおいては純然たる高貴さも、究極の悪徳も存在しえないことを知ってしまった意識は、観念の内部においてのみ存在し得る本物の“美”、“悪”等の抽象概念を描くための枠組みとして、ファンタシーという形式に訴えることとなる。
 ファンタシーの世界においては存在事体が最も大きな影響力を持つ。行為は外面的な瑣末性の発現に過ぎない。
 リアルな存在そのものが抽象概念の「真実」でもある。存在と属性の一致、現象的些末性を滅却した純粋な世界に対する指向が、しばしばファンタシー文学を生み出す無意識の動機ともなる。

Schmendrick
 Schmendrickは現代の効率主義とは異なり、同様の結果をもたらすものであるにせよ、その過程にはより相応しい流儀が選ばれるべきであると考える。これは様式と根本原理を仲介する有機的連関の存在を強く意識する思想的態度を反映している。Schmendrick は魔法の技が未熟であるのとは裏腹に、芸術家的趣味と批評家的判断力は実は超一流のものを持っている。

キーワード“magic”
 魔法の力は行使する者の内にあるのではなく、外部からやってくるものとされる。時において魔法使いは魔法の力を呼び寄せることもできるが、時にはどうしても不可能な場合もある。魔法の力の発現は、魔法の力を行使する者の能力のみによるものではない。

"Why is a raven like a writing desk?"
 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」で用いられたriddleである。答えは、「raven(カラス)はinky(インクのように真っ黒、インクまみれ)でいくつかのnote(鳴き声の音程、ノート)を出せるから」。この答えは後になってキャロルがこじつけたもの、最初は答えの無い謎々であった。

キーワード“story”
 あるがままの事実よりも虚構の方がより整然とした意味を持ち、その完結性においてむしろ真実に近い。この作品における根幹的認識である。

キーワード“time”
 因果関係を超越した逆転した時間意識のあり方がユニコーンに関して語られている。これはユニコーンの時間性の束縛を知ることのない本来の属性“eternal”と関連するものとも考えられる。真の実在は時・空・精神の次元的断絶のない完結した連続体として存在するということであれば、取り立てて不思議だと考えるいわれもない。原理的にはこれら3つの要素のどれか一つを任意に特定することにより、他の2要素の重ね合わせの様相を自由に変換して記述、あるいは知覚することが可能となることだろう。

キーワード“story”
「誰にも出来ないこと」(what no man can)とされている難事が、“woman”(=no man)によって果たされることになる、という展開はギリシア神話以来の予言の禁忌を乗り越え、不可思議な謎を解明する際に採用されてきた、典型的フィクション的筋立てである。ここでは登場人物の一人のモリーがこのようなフィクション性自身を明確に意識していることになる。
 「誰にも行うことが不可能である」とされていた筈のことが “no man”によって成し遂げられる、という筋立ては、英語世界の“nobody”、ドイツ語世界の“Niemand”ギリシア世界の“ウーティス”等の伝説上の超現実的存在として、あるいは契約と予言に関わる条件の転覆行為のために活用されたペテン的言説として、様々な謎を主題とした物語の格好の題材となってきた。「非在」という属性のために、あるいは全くの不能性という特殊な能力のおかげである種の全能性を発揮することができるという上のメタ論理は、論理矛盾と公理系の基本原則の破壊を通して不可能事の顕現の様を描こうとするファンタシーの文法の特異性を際立たせるものであろう。

Cat
 “猫が咽を鳴らして予言をつぶやいていた”猫の預言者あるいは超越的助力者としての役割は、第1章において登場した蝶とともに、通例のファンタシー作品における妖精の果たす機能と同等のものである。本作品においては個々の動物の持つ性格的特徴としてその基本属性に変換操作が施されていることになる。

キーワード“story”
 登場人物自身が、自分がフィクションの登場人物の一人であることを明確に自覚しており、話の筋の展開を予測している。荒唐無稽なとりとめのない「お話」だからこそ、本来あるべき崇高な真実が具現化することが許されることとなる。キーワード“reality”と相反的に機能するantifantasyの戦略である。

キーワード“magic”
 魔法は外からやってくるものであるとともに、内部から目覚めるものでもある。“正反対の一致”という論理矛盾と現象世界における非在性という要素が魔法の原理を積極的に構築する。

Red Bull
 Red Bullの実体の無さが外的存在物としてではなく、個人の意識の内部機構に属する幻影であるかのように語られている。『ピーターとウェンディ』において語られているNeverlandと共通する部分がある。

ハガード王
 ハガード王の存在の謎を暗示する部分である。ハガード王にとっては時間軸の方向性の支配さえ一切受けることなく、存在物の総てが単なる自身の記憶上のものとして、つまり己の思念の下位項目を成す内部機構として感知され、また実際に客観的具象物としても存在することとなる。
 ハガード王は、快楽の総てを知り、なおかつ充足を得ることが決して無く、常に絶え間の無い飢餓感にあえぎ続けているという点では、『ピーターとウェンディ』のフックと見事なまでに酷似しており、いかなる達成も向上と変化に結びつくことがない不毛な経験者であり続けるという点では、奇妙にピーター自身と相似的でもある。

キーワード“magic”
 一つだけの形質に縛られることなくあらゆる存在物が“metamorphosis”の可能性を秘めている、という仮説は、ファンタシー文学一般の抱く願望として理解し得る。

キーワード“antifantasy”
 料理番の手伝いをして、じゃがいもの皮むきをしながら、heroが退治したドラゴンのことを話している。
 勇壮な冒険の戦利品であるドラゴンの首が、全く異なった価値観のもとに描かれている。ロマンスの世界の価値原理が崩壊した後の、自意識的なロマンス世界再構築の試みがantifantasyの一つの形態として理解されよう。

ユニコーン
 ファンタシー文学の多くにおいて人格の分裂、影の生成という裏の主題が潜伏していて、多様化した価値観のために錯綜した人間の心が分裂し、その結果生み出された影(人間の本体を成すものの一部が切り離された結果、超越的な能力を増幅する)があるいは不気味な妖怪として、またあるいは堕落した人間性を糾弾する超越者として機能し、何らかの意味でこれらと敵対することを強いられるのに対し、ここではもともと人間を超越した永遠性の持ち主であるユニコーンの心の分裂が描かれ、その結果生成したものが人間となっている。ファンタシー文学の機構が巧みに反転して応用されていることになる。“antifantasy”の効果的な発現例として指摘することが出来る部分である。

Red Bull
 Red Bullに関する記述は、常に複数の可能性を並行的になぞった発散的情報として語られる。ハガード王とレッド・ブルの関係は、人格の分裂から生成する影の主題の変奏例として本作品のファンタシー文学としての位相を決定するものである。第3章のシュメンドリックの語る情報と対比せよ。

Cat
 おとぎ話における通例のように、主人公に声をかけ、貴重な情報を伝えてくれる動物達は、人間を見守っていて常に好意的な助言を用意してくれる恩恵に満ちた自然を具現化したものである。妖精(fairy)の果たしていた存在論的意義がこれであった。
 猫はこの世の存在原理に縛られる他のもの達とは異なる別種の生き物であるらしい。猫の本作品において語られつつあるストーリーに対する関与は、気まぐれな関心以外の何者でもない。
 真実を知っていながら、それを語る義務や責任とは無縁の存在であるものとして猫が描かれる。 物語の中の利害関係や価値基準を超越した、飽くまでもきまぐれな存在としての猫は、古代神話における人間原理に無関心な神、あるいは自然、キリスト教旧約的干渉を行わないより寛大な地母神的「神」像等を思わせる。

"It has the same root as 'mirror.'"
“miracle"も“mirror”も実際に語源は同じである。miraculum = wonderful thing, marvel; mirari = to wonder at; mirus = wonderful; “admire”(称賛する)も同様の語源を持つ。鏡は鏡面的対称物として自我の影の存在を際立たせる機能を果たし、魔法の顕現の優れた小道具として用いられ、奇跡の到来を約束する鍵となる。このような原理機構を持つ宇宙の本質に対する崇敬の念が“admire”である。

キーワード“reality”
 現象的因果関係は制約された一面的な事象という形でしか生起し得ないので、時・空・精神の連続体としてある真実を把握する術は、夢という秘義を通して主観的記憶に類した何物かとして認識するしかない。

キーワード“story”、“reality”
 モリーの視点はこの一瞬物語世界の一登場人物の限界を越えて、作品外に位置する作者/読者の視点と同調している。ユニコーンもハガード王も、紛れもなく作品世界の中に描かれた仮構的存在に過ぎない。この客観的事実をあるがままに作品世界内に取込み、さらに一段階進めた次の手順を設けることによって、作品世界ー現実世界の両方向に対して記述の方向性を確定しようとする語りの操作が、メタフィクションの機構として採用されるための布石である。

ユニコーン
 ユニコーンの姿が海のイメージと重ね合わせて語られている。現象世界において感知される事物の属性は、任意の次元の重ね合わせという形で究極の真実を物語る部分的要素としてのみ、その存在意義を主張することができる。
 ユニコーンもまた、レッド・ブルと同様にその現象的実体性の欠如においてこそ、特有の存在属性の崇高さを最も適切に物語ることができるものかもしれない。“real”な存在は主観の中のイメージとしてのみ顕現し、現象世界的即物性を持たないとも考えられる。

ハガード王、キーワード“real”
 ハガード王の存在属性に関して、彼もまた“real”な存在であることが語られている。ユニコーンとレッド・ブルとハガード王の三者の持つ“real”という属性の位相の異なりを比較検証することによって、ハガード王によって暗示される本作品世界特有の存在論的意義性と“old”という概念の秘密が解明されることになるだろう。

キーワード“story”、キーワード“reality”
 作中人物が仮構物としての物語の中に自身が存在していることを明確に自覚している。“英雄というものは最後にハッピー・エンドが訪れる際には、これを享受する権利を持っている。”世界の中で自分の果たすべき役割が定まっており、役柄に応じたふさわしい運命が確実に与えられているという点において、お話(story)は現実よりもより真実に近いものであると言えるだろう。この視点を加えることにより、“story”というキーワードは反転的にキーワード“reality”と関連することとなる。

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