スノッブ、バルガー、ジェンティリティー
(Snob, Vulgar,Gentility)

佐倉セミナー実況中継

時:1998年9月某日

場所:和洋女子大学佐倉セミナーハウスAVホール

黒田先生:[マントを翻して演壇に降り立つ。着地に失敗してはなはだ不機嫌そう。ミヤマガラスが旋回し、雷鳴が轟いている。いきなり問題発言。場内混乱する。数分後、紺色の制服の警備員数名の立ち会いのもと、講演が再開される。しかし学生達、この間ずっと居眠りしたままなので何も気付いていない。]

 ×××。[当局による検閲]とまあ、こんな風な色々ないきさつもあって、今日は“マイ・フェア・レイディ”と、その種本になったバーナード・ショーの“ピグマリオン”について、ちょっとした読書レポートをしなくちゃいけないことになった訳です。実は僕は今年になって初めて、このバーナード・ショーの“ピグマリオン”という作品を、読んでみました。この夏休みも終わる頃、2週間ほど前かな。えっとね、娘の美穂ちゃん連れて田舎に帰って、毎日お昼は泳いで夜は好きな本を読んで、という健康的な生活を一か月半ほど続けていた頃、渚に打ち上げられていたヒョウモンガラミナミクラゲをぬめっと踏んづけた拍子に、ふっと忌わしい和洋の記憶がよみがえり、陰うつな佐倉セミナーハウスとこのおぞましい夏休みの課題のことを思い出しのでした。あわててトランクの底から本を回収して、釣りの合間に一週間程かけて“ピグマリオン”と“マイ・フェア・レイディ”の脚本を読み終えたところですから、9月の1日から7日までか。という訳で実は読んだばっかりなんです。

[植松先生、あきれた顔をしている。学生達、大部分がまだ居眠り中。1人だけ勘のいい学生が植松先生の眉間のしわに反応して目を覚ます。]

黒田先生:正直言って映画の方の“マイ・フェア・レイディ”は、「男が女を教育する」というか、自分の好きなタイプに仕立て上げるという、けしからぬ話なので、僕はこういうの嫌いですから。その種本になった原作だから、というので、バーナード・ショーの“ピグマリオン”に対してもちょっと偏見を持ってました。かなりいけない先入観があったと思う。だから読みながら、「こういうところは嫌いだ。こういう部分は我慢がならない。」というように具体的に評価できない部分を君たちに例をあげて示してやろう、と意地悪なことばかりを考えていた。やっぱり講演の題材として読む訳だから、こんな風に批判的な取り上げ方を意識しながら読んでいた訳なんです。

[植松先生、さらに眉をひそめる。数人の学生がびくりとして目を覚ます。]

黒田先生:相当に陰険な気持ちで、「ここはどうにも頂けない。」、というような箇所を目をテンジクダイの魚眼レンズのようにして、しらみつぶしに探しまわるようにして読み続けてきたのですけれども、ええ、結果は、バーナード・ショーの戯曲、“ピグマリオン”ですが、読み終わったところでは、作品としては、そんなにひどい、悪い作品ではないですね。

[植松先生、少しだけほっとした顔、ため息をついている。先ほど目を覚ましたうちの学生二人、緊張が緩んでまた居眠りを始める。]

黒田先生:脚本としてのまとめ方は、意外とうまい。題材の選び方も中々いいところに目をつけていると思った。話の筋の実際の展開の仕方とか、会話のやりとりの進め方とか、何よりも扱われている問題に対する作者としての間合いの取り方などが、手際良くしかも、押し付けがましさがないところがいい。主題をごくあっさりと提示しててきぱきと進めていく感覚は、そつがなくて実に優れたもので、劇作家としては相当の力量です。良い仕事してるかな、とは思ったのですが、でも、(声を大きくして)「やっぱりこの作品は嫌いだ。」と思いましたね。

[大声に驚いて6人の学生が目を覚ます。植松先生。やれやれ、またか、というしぶい顔。学生さらに4人、今度は身の危険を感じて目を覚ます。]

黒田先生:で、そのあたりのところを言います。「嫌いだ!」[まだ大きな声。]と言っても、そこはただの趣味の問題ですから、[植松先生の鋭い視線を右こめかみに感じながら]「こんな作品は駄目だから、こんなの読んじゃいけない。」、とか別にそういう意味ではありません。[植松先生の方を振り返る。植松先生、ほんのわずかにうなづく。学生2人、危険が回避されたと見るや、また居眠りを始める。]

黒田先生:どこがどう嫌いかって言いますと、一言で言うとこの“ピグマリオン”っていう作品は、おそらく作者のバーナード・ショーっていう人間もまたそうなんでしょうが、下品な人です。[植松先生、再びきつい視線を黒田先生に向ける。学生12人、眠りの中でうなされている。黒田先生、構わず。]下品で、相当に悪趣味です。君たちも課題図書としてこの“ピグマリオン”を夏休み中に読んだはずですが、読んで下品だと思いましたか?悪趣味だと思いましたか?[学生達、誰も聞いていない。手をあげる者、当然なし。]思った人?[植松先生、学生達の方に厳しい視線を向ける。学生達、91人中86人が頭頂部にぞくりとした違和感を覚えて即座に目を覚ます。そのうち7人が意味も分からずあわてて手をあげる。]全然そんな印象は持たなかった人?[学生2人、居眠りしながらも手をあげる。いつもながらの妙技である。]全然読んでない人?[学生さらに6人、目を覚まして夢うつつで手をあげる。黒田先生、嫌な顔をして。]まあいいや、追求するまい。[植松先生、かなりいらいらしている様子。目が鋭い光を帯びている。黒田先生、右脇腹に鋭い痛みを感じてちょっとあわてながら。]どういう訳で下品なのか、悪趣味なのか、ということを今日の僕の講義のテーマにしたいと思います。これはね、わざわざここで僕が「このあたりが下品なんだよ。この部分が悪趣味なんだよ。と例をあげて説明などするまでもなく、もともとこの話の筋そのものがチョー下品だよ。[植松先生、眉を吊り上げている。]チョーいやらしいよ。[植松先生、目が三角になっている。黒田先生、気付かぬふりして早口で。]もしも君たちのお父さんがさ、言語学者でさ、で「今日、清瀬の駅前で、どうにもひどい口のききかたする娘見つけたんだけども、あんまりはしたないから、どうしても我慢できなかったんで、家に連れてきたんだよ。」、とか言って、「おい、お前の部屋ちょっと貸しなさい。」と言い出すとしよう。君たちが自分の部屋を追い出されて、「今日からこの娘と半年ほど一緒に暮らすからね。面倒見てやってくれ。」というような展開になったら、どうする?[学生達、ようやく全員が目を覚ましている。]お母さん、どういう顔をする?[学生達、他愛無く笑っている。植松先生、渋面をしている。目から火花が飛び散っている。黒田先生、ちょっとだけひるんで。]でも、本当にもともとはこういう話なんですよ、これは。だからまず最初に、このヒギンズさんの家の世話をしている、ミセス・ピアス、男だったら“執事”にあたる人なんでしょうけどね。女中頭というか、番頭さんというか、この人がどういう対応をしているか。このあたりの反応なんかが実は無視出来ないんですけどね。ちょっとそこだけ読んでみたいと思う。

[Gパン(ブラッパーズのブーツ・カット。娘がお小遣いを貯めて買ってきたのを没収したという。)の尻ポケットからアップル・マークの付いたファイルケースを取り出し、プリントの束を抜き出す。一緒にドングリの実と、ミヤマクワガタの標本と、ダイナンニシキヘビの抜け殻が転がり出る。無数の小さな、足のたくさんあるものたちが床を這いずり回っている。]

黒田先生:君たちに渡してあるテキストですが、B4のプリントです。2枚ありますね。[学生達、ごそごそとバッグだのリュックだの防災袋だのを引っ張り出して、中をかき回し始める。佐倉セミナーハウスのAVホール中にとてつもない騒音が響き渡る。植松先生、素早く右手の人指し指をあげると、黒い制服と黒いサングラスに身を包んだ男達が6人、どこからともなく姿を現して、素早く場内に散る。騒音はたちどころに治まり、黒田先生、少し取り乱した様子。]

黒田先生:×××。[英文学科による検閲。]全部“ピグマリオン”からのそのままの抜粋です。単に忘れないように、と思ってメモしておいただけの劇中の台詞です。題は“Snob, Vulgar, Gentility”と付いてますが、特に意味はありません。“snob”と“vulgar”と“gentility”の3つの言葉を今日の講義の中で使うことになりますが、君たちが覚えやすいように、と思ってこれら3つの単語をそのまま題にしただけです。“下品”とさっき言ったのは、“vulgar”が一番近いかな。日本語で言えば“低俗”というか、“卑しい”という感じですね。けれどもこの作品そのものが“vulgar”な訳では、ありません。実はバーナード・ショーっていう作家は中々機知に富んだ、才能豊かな劇作家ですから、作品自体が“vulgar”になってはいません。でも、そこに用いられている題材は“下品”なんです。話の主題そのものがどうしようもなく下品なのです。そしてその主題をこういう風に描いたってところが、実にものすごく、あの悪名高い高踏的教養俗悪小説「オクトパ・バイブレーション」の著者の三浦先生にも負けないほど、“悪趣味”だなっと、僕は読みながら思った。[三浦先生、どこかでくしゃみをする。学生達、一部の心当たりのある者達だけが笑う。植松先生、口許を歪めている。]

黒田先生:で、どこが悪趣味か。本当だったらね、君たちにもう少し常識があれば、[学生達、あっけらかんと笑っている。]君たちにもう少し教養があれば、[学生達、少し少しひきつった笑い。]もう少し君たちに学識があれば、[学生達、かなりうんざりした顔。]もうちょっとまともな女の子だったならば、[学生達の66.7パーセントが険悪な表情になっている。植松先生、鋭い視線を黒田先生に向ける。目が血走っている。黒田先生、右膝に疼痛を覚えてあわてて、声を小さくして一気に早口で。]僕が説明するまでもなく、「何これ!」とか言わなくちゃならないはずなんですが。でもこの2年間付き合って君たちがそういう人じゃないのはよく分かっているので、あえて解説しましょう。このミセス・ピアスが、「この娘さん、これから一緒に暮らすよ。これからちゃんとした英語喋れるように指導するから。」とヒギンズ先生に言われて、すぐに反対する訳です。そこでその反対する理由はと言うと、ミセス・ピアスはこう言ってます。“Will you please keep the point, Mr. Higgins?”「話をはぐらかさないで下さいね。ヒギンズ様。」その後ね、“I want to know on what terms is the girl to be here.”“what terms”、「どういう条件で。」と聞いてます。条件ってことは、例えば人を雇うんだったら雇用条件だし、あるいは生徒に教えるんだったら、その契約がある訳ですね。そういうことを問題にしてる訳です。「ヒギンズ様、あなたと、同じ館の中で一緒に暮らすこの若い女性は、どういう関係でこれから一緒に暮らすことになるんですか?そこをちゃんと聞かせていただかなくてはなりません。」 Is she to have some wages? ”「雇うんであれば給料、“wage”を払うことになるのですか?それとも教授料を取って指導してあげるのですか?どちらなんですか?」って聞いてる訳です。でもこれは、このミセス・ピアスが一番気にかかっていることを直接あるがままに口にして聞いた言葉では、実はありません。遠慮して、曖昧に回りくどく尋ねた言い方になっています。ということが分かりますか?このあたりが分かってもらえなければいけないんですが。[学生達相変わらずぽけ〜っとしている。植松先生、じりじりしている。目が紫色に光り始めている。]

黒田先生:なぜかって言うと、はっきり言ってしまえば、本当にはっきり言ってしまえば実際にとても下品な嫌らしい話になってしまうのですが、こういうシチュエーションっていうのはやっぱり、“二号さん”って言葉、君たちは知ってる?[学生達首を横に振る。植松先生、唖然としている。]“お妾”って言葉知ってる?[学生達、91人中16人だけが首を縦に振る。植松先生愕然としている。目の輝きがいくぶん薄れている。]今だとなんて言うの、そういうの?“愛人”ってのか?[学生達、ようやく大部分が理解する。植松先生、首を垂れ、悄然としている。黒田先生、その隙を逃さず。]×××。[学科長による検閲]つまり愛人を自分の家の中に引っ張り込んだのと同じことなんですよ。おそらく大抵の、多くのビクトリア朝の、まあこの作品はビクトリア朝のものではなく、20世紀になってからのイギリスで上演された劇ですが、あの頃のお金持ちの貴族とかが、実際にやってたようなことなんですよ。[植松先生、目が緑色に光り始める。黒田先生、腹をくくって一気に。]チョー、顰蹙もののことなんです。そんなことはこの館を守っている女中頭としては、当然許せないことです。世間体が許さない。だからそこのところをはっきりしてくれなければ困る。もしもそういう下心がないとしても、近所の人たちは詮索してなんだかんだと言い始める訳です。だからそういう時にちゃんとした弁解をすることができるような、「きちんとした説明を今ここでして下さい。そういう配慮をして頂かなくては、なりません。」こういうことを言いたい訳です。けれども、このミセス・ピアスのような人にとっては、そういう懸念を直接そういう言葉で口に出すこと自体が、はばかられる。そんなことは淑女としては何があっても言ってはならないことなのです。そのようなことを実際に口に出してしまうこと自体が、すでに考えられないほど下品で嫌らしいことなのです。だからこういうものの言い方をする訳です。という訳でろくに文学作品などを読んだことがなくってそのあたりの状況が分からなかったりする人は、額面どおりの表面の意味しか読み取れなかったりもする、君たちみたいにね。[黒田先生、いつもの意地悪そうな顔、得意げ。学生達、歯をむき出している。]

黒田先生:この問題が劇の筋が進行してくると、さらにはっきりとしてくる。はっきりとしてくると本当にもう、下品というかいやらしいというか、まあ、あからさまに悪趣味な話だってことが、どうにも隠しようがなくなってきます。というか、こういう話の展開になれば読者の関心はむしろそういう方向に向かざるを得ない訳です。当然こういうストーリーを選んだことに対する作者の言い訳というか、弁解というか、この部分に対してちゃんとフォローしている部分もちゃんとあります。ミセス・ピアスの方は先程のような言葉の選び方を用いて、「どういう関係で、どういう条件でこの娘さんがこの館に住むことになるんですか、はっきりさせて下さい。」このように言う訳ですが、それ以上直接的な、あからさまな質問をすることはできない。ところがそこのところの問題がもう少し明瞭に語られることになるのが、ヒギンズ先生がこのミセス・ピアスを適当にあしらって追い払った後、男同士、ピカリングとヒギンズが部屋に二人きりになった時です。やはりピカリングもそこのところを一番気にしています。いや、誰だって当然気にする筈のことなんですけどね。それでは彼が改めて何と言うかっていうと、“Excuse a straight question, Higgins.”“straight”、「露骨なこと訊いて悪いけれども。」と言う訳ね。“ストレート”に聞こうとする訳です。ストレートに訊いてしまったらあまりにもはしたない、失礼なことだから、ミセス・ピアスには尋ねることができないことだけれども、それを男同士、対等の身分だから、という訳で、明確にはっきりと訊こうとする。でもはっきりと訊くこと自体がとても失礼なことだと弁えていたからこそ、ピカリングだってまずこう断った訳です。それが常識というものです。でもそのはっきりと訊く聞き方も、君たちだったら、「この娘、おじさんの愛人なの?」とかいって平気なんでしょうが、それは君たちの品性が卑しいからです。文部省教育に毒されて、骨の髄まで麻痺しちゃってるんです。[学生達、毛を逆立て、喉を鳴らし、地団駄をふんでいる。]現代に生きる君たちはみんな“vulgar”なのです。遠慮だの礼節だのそういうものが廃れた末の乱れきった世界に生まれて育ったのが君たちです。[学生達、椅子の背に爪を立て、机に歯を食い込ませている。植松先生、頭を抱え込んでいる。]けれどもこの劇の世界は何十年も前の話、紳士淑女の時代の話ですから、そうはいかない。特にこのお話の中では、ピカリングって人は、どこから見ても完璧な紳士として語られています。この後彼がどのような言葉の選び方をしているかっていうと、“Are you a man of good character?  Where women are concerned?”「君は女性って物が関わる時に、品行方正な、卑しいことをしたりしないような人間なのかな?」と尋ねてます。このピカリングとヒギンズはこの場面のほんの少し前に出会って知り合いになったばかりです。お互い言語学に興味を持っていた、ってだけで意気投合してヒギンズの館にやってきたところですから、お互いの生活態度だの性格などについてはほとんど知らない訳です。だけどね、こういう言葉をね、あんまり付き合いのない人に、面と向かって訊くこと自体は相当失礼な物の言い方ですよ。たとえば君たち、お隣のおじさん見つけて、「ねえ、おじさん。」って声をかけて、「おじさんは品行方正な人ですか?」って聞いてごらん。[学生達、×××(学生課による検閲)、植松先生、心臓を押さえ、脂汗を浮かべている。]顰蹙を買いますよ。でもここではね、むしろそういうあからさまな物の聞き方をする分だけ、このピカリングって人物は真面目だということが分かります。そんな卑しいことを人にさせてはならないし、もしもヒギンズ氏がそんなことを実際に仕出かしそうになったら是非とも止めなければいけない。それがこの人の名誉を守ることになるのだから。そういう気持ちで誠心誠意で尋ねている訳です。だからこそこういう風に単刀直入に、ストレートな、露骨な質問をすることができる訳です。これこそが実はこのピカリングという人の紳士としての振る舞いです。こういう一見不躾な態度の中にこそ彼の生来の上品さが表れています。こういう掛け値なしの“上品さ”に当たる言葉が“gentility”だった訳です。“上品”に対して下品、低俗、これが“vulgar”です。しかし面白いことにこの劇の中では、とことん嫌ったらしい下劣な人間というのは出てきません。どの人物もそれなりに、一本筋の通った、しっかりした人間性を備えた独特の気質の持ち主として描かれている。でもこれらの人物を描いた、バーナード・ショーという作者だけは、とても意地の悪い人間で、自分の創りあげた登場人物の一人一人が、それなりの良識をわきまえた紳士の筈なんだけれども、彼等を模範的な紳士としてではなく、それぞれの短所、特にヒギンズの場合ですが、この人の人間的な欠点に当たる部分をむしろ暴きたてるところに焦点を定めてこの劇を進行させている。実はそこが面白いところなんです。この戯曲はそういう読み方をする種類の文芸作品なんです。[学生達、聞いていない。床を踏み鳴らす者多し、机の足にかじりついている者もいる。青色の制服の警備員達は既に避難したらしい。]

黒田先生:ではピカリングにこういう風に言われてヒギンズが何と答えているか?要するにピカリングも、本音をいえば「この娘を愛人なんかにするつもりじゃないだろうな?」と確かめている訳ですね。本当だったらやはりヒギンズも、言語学の方にこそ興味がある訳なんだから、「いや、そんなことは決してないよ。心配いらない。」って言えばそれで済むはずでしょ。ところがそうは言おうとしないんだ。この男は。そこがこの人物の曲者であるところだ。そういうところがなんとも面白い。君たちには分からないでしょうけどね。[ついついけちをつけるのを忘れてしまっている。迂闊である。]何と答えるかっていうとヒギンズは、“Have you met a man of good character where women are concerned?”「女ってものが関わりあいになった時に、品行方正な振る舞いをする男なんて、これまで出会ったことがあるかい?」クリントンだって、×××[CIAによる検閲。]だったでしょ。「男なんてみんなあんなもんだ。」という言い方をヒギンズはしてる訳です。これだけ心から心配してくれて真面目に聞いてくれてるのに、それに対する返答がこんな言葉な訳だ。「なんだこれは。」と思うでしょう。[学生達、額から湯気を立て、耳からは煙を吹き出しているので、聞こえてない。ひたすらに憎悪をかき立たせている。黒色の制服を着た者の幾人かは既に犠牲者となった模様。]でもそういうところがこのヒギンズという登場人物の興味深いところであり、実はこの話の主人公はやはりヒギンズだな、と納得させるところです。主人公は玉の輿に乗るイライザなんかでは決してありません。ヒギンズというかなり癖のある、ものすごく不躾な、とても上品な環境に生まれて育った、貴族の、ジェントルマンの筈のヒギンズが、どんなに一見ジェントルマンらしくない振る舞いをするか、このようなヒギンズと当然ジェントルマンらしい振る舞いを要求する周囲の社会との間に引き起こすその軋轢、それを描こうとしたのがこの作品の骨子だな、と思う訳です。その点においては、非常に主題は悪趣味なんだけれども、各々の場面は巧みに書けてて、その表現もごまかしがなくて、作品が前提とする理念は自然でまともな、まっとうな文芸作品だな、と僕は思った。そこが評価できる部分です。そういう風に、ヒギンズこそが面白い訳です。まあイライザの性格もそれなりにしっかり書き込まれているんですが、やっぱりこの脚本を読み進めていく上で、ヒギンズという人物が性格設定上の味わいをどんどん深めていくことになる。

 例えばそれが他のどういう部分であらわれているかというと、もう少し例をあげてみることにしよう。ヒギンズがイライザを自分の母親の邸宅に連れていって、イライザを今度開催するパーティに出席させて欲しいと頼むことになる訳ですが、まず最初にヒギンズが自分の家に来ているのを知った時、お母さん、ミセス・ヒギンズが何と言うか。“Henry, what are you doing here, today? 
You promised you’ll never come.”これ、自分の息子に対して言う言葉としては、随分きつい言葉です。「あなた、私の家で何をしているの。もう来ないって言ったでしょ。」見つけたとたんに自分の息子を追い出そうとしています。でもこんな風にお母さんに言われても仕方のないようなことを、いつもヒギンズはしてる訳です。それがどういうことかって言うと、ミセス・ヒギンズのこの後の言葉。「いつもあなたは、私の家に来たお客様達の、気分を害するようなことばかり言うのだから、だれも家に来なくなってしまうのだよ。」そういう訳で母親の館に来ることを禁じられているのです。ヒギンズってそういう奴なんです。じゃあヒギンズってのは、さっきこのテキストの題の一部として説明した、“vulgar”、卑しい奴なのか、とっても上品な貴族たちの中で、その貴族たちの顰蹙を買うような、下品な低俗な奴なのか、っていうと実はそうではない。むしろこのヒギンズてのは、普通一般の常識よりももう一つレベルが深いところで、実はとても素直で真面目な人なのです。だから世間の常識の、ごまかしの上品さってものに我慢ができない。さっき言ったように「愛人にする。」とかなんとかいったことを、ちょっとでも頭の中で考えるようなこと自体が実は下品な訳でしょ。だからそういう心根のさもしい連中に限ってこういう問題に対して非常に敏感になる。けれども多くの貴族やお金持ちの人々は、もともとは卑しい心の持ち主の癖して、「うちはとっても真面目なんですよ、品行方正なんですよ。」というように体面をとりつくろいたがる。そういう偽善者達にどうしても我慢ができない、ってタイプがヒギンズなのです。実はテキストの題として用いたこの3つの単語の中で、最初に出てくる“snob”という言葉、これが中々説明しにくい、一言で日本語にしにくい言葉なのですが、この“snob”というのがヒギンズの嫌う、そういう類いの俗悪な人々を指す言葉なのです。要するに、上品ぶりたがる。本来の性分はそうじゃないんです。心根は決して上品な訳ではない。でも、ごまかしている。自分をごまかし、他人をごまかして、自分は今いるこの通りの生のありのままの人間よりも、実はもうちょっと立派な偉そうな人間なんだよ、と見せかけたがる。実は人間だれしもこういう心を持っているものなんですけどね。でもそういう部分が実は、人間というものの一番さもしい、いやらしい部分なのです。これに比べて先ほどの“vulgar”ってのは、たまたまその人の生まれとか境遇のせいで、品の良い作法とか教養とかいうものについて何も知らないまま育ってしまった、それが“vulgar”という言葉の示すものです。あるがままの生の人間性です。それに対して、どんなに教養を積んだ人でも、どんなに一生懸命上品さを身に付けようと努力した人でも、ひょっとして何かのきっかけで、自分の心が迷って、実は人間だれでもいつも迷いっぱなしなんですけどね。特に教育とかいう下らんものを受けているとよりいっそう迷わされてしまうことになってしまうものなんですが。[植松先生、目が黒い光を発し始める。学生達、先程から既に人の姿を放棄してしまっている。よだれを垂らし、床の上を徘徊し始めている者もいる。何故かシーボルトミミズも数匹床の上を這っている。]だれしもが実は、もっと素直に、自分自身のあるがままの姿を自分で認め、他人のあるがままの姿を寛大に許してやればいいものを、お隣さんのことを悪口言ってみたりして、自分はあんなのではなくってもっと立派なんだよ、みたいな顔をしたがる。こういう人間のことを“snob”というのです。人間のそういう傾向のことを“snobbery”と言います。そういう“snob”に対して、正面から喧嘩を売って、とことんやっつけてしまう。そういう性分。いつもそうしないではいられない。それがヒギンズという人間です。そういう人間として彼を理解して読んでみると、これまでのミセス・ピアスに対する言葉使い、ピカリングの質問に対する答え方、そしてまたお母さんの館のお客さんたちに対する振舞い方、全て合点がいく訳です。こういうヒギンズ、題材としては若い娘を自分の館に連れてきて一緒に暮らす、みんなが愛人なんじゃないか、と疑って気にする。これだけでもう十分悪趣味だった訳ですが、ところが主人公のヒギンズというのは今言ったように、下品な振る舞いを過剰反応して嫌ってみせる、という“snobbery”が、大嫌いな奴なんです。だからそういう人々にわざわざ正面から喧嘩を売って、人々の顰蹙を買うようなことばかり、選んでしたがる。それがイライザをパーティに連れていって、公爵夫人として人々の目を欺くなんてことをする目的であり、動機です。これって全くいいことなんかじゃありませんよ。全然素敵なことなんかじゃありませんよ。だって、立派な上流階級の貴夫人を造り上げるのではなくて、上流階級の人々のパーティの場所に、もともとはただの下品な花売り娘、実際に下品な言葉を喋っているのを僕らは、劇の冒頭で見て知ってますよね。紛れもなく下品な素性の娘なんです。しゃべる言葉も考え方も下品なんです。そんな娘を連れていって、みんなをだましてやろうとする。これは明らかな詐欺行為です。世の中の人々、みんな実はsnobな連中なんだから、と言われればそんな目にあわされても仕方ないといえば仕方ないのですが、だからといってこのヒギンズがやろうとしていることが、立派な褒められるべきことかっていうと、全くそんなことはない。ピカリングも面白がって一緒になって加担してしまっているけれど、二人揃ってとんでもない悪ふざけを行っているだけです。だから当然ヒギンズの母親もこの行動を褒めたりはしないでしょ。人に支持されるようなことでは到底ありませんね。召し使い達なんかも本当は、「またうちの旦那様がお金持ちの道楽で変なこと始めて、迷惑だな。」って思うような話です。ところがここにこのバーナード・ショーの提示した大事なテーマが隠されてます。そのテーマというのがさっき門脇先生がお話ししてくれたこととも繋がっているのですが、要するにヒギンズがこのペテン、イライザを上流階級の貴夫人と人々に思わせることによって証明しようとしたことは、上流階級のとても品行方正な、教養に溢れた立派な紳士淑女として通用する条件とは何か、それは本当の学識や教養なんかではない、心の奥底から溢れ出てくるような優しさでもなく、生まれながらに備えた人に対する思いやりとか、これら高い徳性のいずれとも実際の関わりを持たない、ただ気取った振りをして、そして、これは英文学科の学生の君たちが今一生懸命やらされていることなんですけれども、“完璧なきれいな英語を話すこと”だけなのです。[植松先生、ついに何か決断した面持ちで、バッグからエメラルド色に輝く第5世代の携帯電話を取り出し、右手親指だけで素早く信号を入力して、衛星軌道上の何者かに指示を与える。学生達、共食いを始めている者達もいる。]

黒田先生:引っくり返していえば、他の美徳は一切何も備えてなくっても、きれいな英語を話して、そしてつんとお澄まししてれば、それだけでどんな素性の女でも、王様や貴族と並んで立つことのできる公爵夫人として通ってしまうんだよ。この世の中なんてそんなものでしかないんだよ、という話なんです。全ての権威、美徳や理想、そういうもの達がすべて根底から打ち壊されてしまった現代の世の中、そのあからさまな姿をあまりにも辛辣に描き出してしまったのが、この原作の“ピグマリオン”という作品なのでありました。

 さて、僕の研究している専門は“ファンタシー文学”ですけれども、この“ファンタシー文学”というのは、例えば“ピグマリオン”であれば、象牙という高貴な物質を材料にして、自分の持つ素晴らしい芸術家としての技量でもって、美しい女性の姿を造り出す。そこで例えば超自然的存在の女神アフロディーテが手助けしてくれようが、あるいはその手助けを必要とすることもなく芸術というものの崇高な力のみでこの奇跡が成し遂げられたとしても、それが実際に真実に美しい、生身の人間の女なんかには決してあり得ないような、むしろ生きた人間ではないからこそ、そこに始めて現出することができるような、永遠の美しさを備えたものとして生まれ変わる、という奇跡が得られる。このような驚異が奇跡であるとか、魔法であるとかいうものの秘める隠された意義性なのですが、そんな神話の世界にあったような大層な立派なものが決して起こる筈がないという荒み果てた世界を描いた、と言う意味でこのバーナード・ショーが“ピグマリオン”と言う戯曲の中に描いた世界というのは、僕が研究しているファンタシー文学の世界とは全く正反対の対極的な処に位置する“リアリズム”の世界だということができるのです。こういう角度から見てみると逆に、“ファンタシー”とは何か、と言う問題を裏返しに語り直してみることもできます。王様あるいは王子様、あるいはお姫様でもいいのですが、これらの人々がファンタシーの世界においては本当に厳かで立派で、高貴な存在でなくちゃいけない。例えばファンタシーの世界の大学教授ならば、本当に深い教養を備えていて学識があり、学生達を愛していて思いやりがあって、とことん優れた人物でなければならない。本物の徳性、理想ってものが、世の中がどんどんどんどん一般大衆の平民の世界になってしまうにつれて、愚かな人間中心の世界になるにつれて、根こそぎ失われてしまった、そんな状況の中で「本物の理想の姿を取り戻したい」という切実な願望が魔法の発現や奇跡の到来となって、描かれることになったのがファンタシーの世界であると考えることができる。こういう時代の変化、意識の移り変わりを考えてみると、自分の生きている現実というものがあまりにも薄っぺらでつまらなすぎると人々が感じてしまうからしばしば無意識の中にファンタシーを求めてしまうことになっている訳ですが、むしろこの作品においては、例えば貴族は高潔であるとか、王様は気高いとか、公爵夫人は上品であるとか、大学教授は賢いとか、(これヒギンズね。)それから、神様という存在が確かにいてくれて全てを見守っており、人々が奉じる神聖なる宗教があり、そういった常識がまだ、後を引いてて、でもそんなものをもう本当には信じることも出来なくなってしまって、上っ面のごまかしでのみそういうものどものことを語り、社交界の席では小ぎれいな仮面を被っていい人面して振舞っていたsnobと、もっと正直に、素直な気持ちで人間として生きようよ、という飾りない「人間中心」の生き方、これはこれで良かったのですけれど、完璧に時代の歯車が回ってしまい、そんな対立も軋轢もすっかり忘れ去られ、今はと言えば世の中の大枠そのものが、全く移り変わって異なったものになってしまっている、という気が改めてしますね。  だから今僕は、こんな暑っ苦しい、薄暗いAVホールなんてしみったれた場所で、居眠りするしか能のない野獣どもを相手に、お気楽で無責任な軽薄アメリカ映画などについて講演もどきをさせられるような羽目になっちゃってるんでしょうね。[学生達、机を跳び越え、牙をむき出し、角を延ばし、尻尾をはやし、宙を舞って一斉に黒田先生に襲いかかる。惨劇の起こる一歩手前で、植松先生、左手の薬指に仕込んだコントローラーのスイッチを入れると、銀色の宇宙服に身を包んだ5人の異星人が空中に浮かび上がり、黒田先生を囲んで五茫形を形成すると、灰青色の光線を集中して黒田先生を亜空間へと連れ去る。植松先生、学生達の怒号と悲鳴と咆哮を右手を一振りして一瞬の中に鎮め、チタン装甲のゴミ収集車で黒い制服の残骸をかき集めると、そそくさと佐倉セミナーハウスAVホールの正面入り口から退場。人の姿を復元した学生達が静かに寝息を立てている。]

(註)本稿執筆に当たっては、あるがままの事実を忠実に再現することを心掛けようとした。

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佐倉セミナーテキスト

Snob, vulgar, gentility

アメリカには文化は無い、とBox先生は嘆いた

 Mrs PearceHigginsの館に若い独身女性であるLizaを住まわせるにあたって、彼女が隣り近所に囲われ女(mistress)であるかのように誤解されることを恐れる。このような卑しい誤解を招くことが無いようにふだんの生活を心掛けることが紳士としての体面(respectability)であるが、Higginsは生まれながらの紳士なのでこのような配慮は却って猥褻(obscene)であると考える。

MRS PEARCE  Will you please keep the point, Mr Higgins.  I want to know onwhat terms the girl is to be here.  Is she to have any wages?  And what is to become of her when you've finished your teaching?  You must look ahead a little.

HIGGINS  [impatiently] Whats to become of her if I leave her in the gutter?  Tell me that, Mrs Pearce.

MRS PEARCE  That's her own business, not yours, Mr Higgins.

HIGGINS  Well, when Ive done with her, we can throw her back into the gutter; and then it will be her own business again; so that's all right.

Pygmalion, p. 44

Pickeringは育ちの良い模範的紳士なので、Mrs Pearceと同様に、Higginsが紳士としての体面を傷つけるような行動を取ることが無いように気をつかう。ところがHigginsは、上流階級の人々が上辺だけは紳士面を取り繕っていながら、実は女性関係においては乱れきっていることを良く知っているので、こんなことにこだわること事体がさもしいことだと思う。

気になることをづけづけと(downright)言うのはPickeringの生まれながらの品の良さであるが、勿体振って善人面を装おうことを嫌悪するのはHigginsの生来の品の良さである。 ここでのやりとりから、この作品においてはHiggins Lizaの間のロマンスはあり得ないことが分かる。彼等が恋仲になってしまっては、上のに見たような登場人物の性格設定そのものが破綻してしまう。

PICKERING  Excuse the straight question, Higgins.  Are you a man of good character where women are concerned?

HIGGINS  [moodily] Have you ever met a man of good character where women are concerned?

PICKERING  Yes: very frequently.                                   

HIGGINS  [dogmatically, lifting himself on his hands to the level of the piano, and sitting on it with a bounce] Well, I havnt. I find that the moment I let a woman make friends with me, she becomes jealous, exacting, suspicious, and a damned nuisance. I find that the moment I let myself make friends with a woman, I become selfish and tyrannical. Women upset everything. When you let them into your life, you find that the woman is driving at one thing and youre driving at another.

PICKERING  At what, for example?                                   

HIGGINS  [coming off the piano restlessly] Oh, Lord knows! I suppose the woman wants to live her own life; and the man wants to live his; and each tries to drag the other on to the wrong track. One wants to go north and the other south; and the result is that both have to go east, though they both hate the east wind. [He sits down on the bench at the keyboard]. So here I am, a confirmed old bachelor, and likely to remain so.

PICKERING [rising and standing over him gravely] Come, Higgins! You know what I mean.  If I'm to be in this business I shall feel responsible for that girl.  I hope it's understood that no advantage is to be taken of her position.

HIGGINS  What! That thing!  Sacred, I assure you. [Rising to explain] You see, she'll be a pupil; and teaching would be impossible unless pupils were sacred. Ive taught scores of American  millionairesses how to speak English: the best looking women in the world. I'm seasoned. They might as well be blocks of wood. I might as well be a block of wood. It's--

Pygmalion, pp. 49-50

Lady Higginsは自宅に息子が来ているのを見ただけで、すぐさま彼を追い出そうとする。いつも彼が気取った貴族階級の人々の顰蹙を買って喜んでいるのを知っているからである。

HigginsLiza を教育して社交界に送りだそうとたくらむのも、これと同様の悪ふざけであり、決して褒められるような立派なことをしている訳ではない。

 Lizaは暇を持て余した金持ちのおもちゃにされているに過ぎない。Lizaが上流階級の人々の行儀作法を仕込まれて人々の目を欺くのは卑しい詐欺行為以外の何物でもない。このことを一番良く知っているのがLizaで、だから彼女はHigginsに対して怒りを覚えることになる。

MRS  HIGGINS.  [dismayed] Henry!  [Scolding him] What are you doing here today? It is my at-home day:  you promised not to come.  [As he bends to kiss her, she takes his hat off, and presents it to him].

HIGGINS   Oh! Bother!  [He throws the hat down on the table].

MRS  HIGGINS   Go home at once.

HIGGINS  [Kissing her] I know, mother.  I came on purpose.

MRS  HIGGINS   But you mustnt. I’m serious.  Henry.  You offend all my friends: they stop coming whenever they meet you.

Pygmalion, pp. 67-8

 ここでNepommuckが偽貴婦人のペテンを暴くためにパーティに呼ばれているということは、当時同様の悪ふざけがしばしば行われていたことを示す。貴族の多くが貴族の令嬢であると偽って、自分の愛人を社交界に連れ込んでいたのである。取り澄ました社交界の実態なんてこんなものに過ぎないので、上辺だけを取り繕って貴婦人の振りをする技を仕込まれても、Lizaにとっては全く誇りに思うようなことではない。しかも貴婦人として通用するための判断基準は、生まれながらの品格でもなく、培われた教養でもなく、人をぞっとさせるほどとりつきようのない口調で話す、完璧な英語のアクセントだけであるとされる。「きれいな英語を話す」ことはこの作品においては皮肉な意義しか与えられていない。

HOSTESS  Ah, here you are at last, Nepommuck.  Have you found out all about the Doolittle lady?

NEPOMMUCK  I have found out all about her.  She is a fraud.

HOSTESS  A fraud!  Oh no.

NEPOMMUCK  YES, yes.  She cannot deceive me.  Her name cannot be Doolittle.

HOSTESS  Why?

NEPOMMUCK  Because Doolittle is an English name.  And she is not English.

HOSTESS  Oh, nonsense!  She speaks English perfectly.

NEPOMMUCK  Too perfectly.  Can you shew me any English woman who speaks English as it should be spoken?  Only foreigners who have been taught to speak it speak it well.

HOSTESS  Certainly she terrified me by the way she said How d’ye do.  I had a schoolmistress who talked like that; and I was mortally afraid of her.  But if she is not English what is she?

NEPOMMUCK  Hungarian.

ALL THE REST  Hungarian!

NEPOMMUCK  Hungarian.  And of royal blood.  I am Hungarian.  My blood is royal.

HIGGINS  Did you speak to her in Hungarian?

NEPOMMUCK  I did.  She was very clever.  She said ‘Please speak to me in English:  I do not understand French.’  French!  She pretends not to know the difference between Hungarian and French.  Impossible:  she knows both.  HIGGINS  And the blood royal?  How did you find that out?

NEPOMMUCK  Instinct, maestro, instinct.  Only the Magyar races can produce that air of the divine right, those resolute eyes.  She is a princess.

Pygmalion, p. 94

 貴族の大多数が偽りの階級的美徳に固執するという点で俗悪(snob)であるのに対して、このような社交界の世界に反発するHigginssnobではないし、Doolittleも自分に正直な点ではHigginsと一脈通じるところを備えた、骨のある人間として描かれている。しかしHigginsの正体はここで自分自身認めているように、我が儘で幼児的な利己的科学者に過ぎないし、Doolittleの正体も彼自身偽ろうとしないように、低俗な(vulgar)たかり家以外の何物でもない。このような人間性の実態を幻想を排して露骨に描いていこうとする姿勢が、この作品の基調となっている。洗練された上流社会や優れた人間性に対するあこがれや讃美などと相容れる筈もない。

HIGGINS   I havnt said I wanted you back at all.

LIZA   Oh, indeed. Then what are we talking about?

HIGGINS   About you, not about me. If you come back I shall treat you just as I have always treated you. I cant change my nature; and I dont intend to change my manners. My manners are exactly the same as Colonel Pickering's.

LIZA   Thats not true. He treats a flower girl as if she was duchess.

HIGGINS   And I treat a duchess as if she was a flower girl.

LIZA.  I see. [She turns away composedly, and sits on the ottoman, facing the window].  The same to everybody.

HIGGINS  Just so. 

LIZA   Like father.

HIGGINS  [grinning, a little taken down] Without accepting the comparison at all points, Eliza, it's quite true that your father is not a snob, and that he will be quite at home in any station of life to which his eccentric destiny may call him. [Seriously] The great secret, Eliza, is not having bad manners or good manners or any other particular sort of manners, but having the same manner for all human souls: in short, behaving as if you were in Heaven, where there are no third-class carriages, and one soul is as good as another.

LIZA  Amen. You are a born preacher. 

HIGGINS.  [irritated] The question is not whether I treat you rudely, but whether you ever heard me treat anyone else better.

LIZA.  [with sudden sincerity] I dont care how you treat me. I don't mind your swearing at me. I dont mind a black eye: Ive had one before this. But [standing up and facing him] I wont be passed over.

HIGGINS.  Then get out of my way; for I wont stop for you. You talk about me as if I were a motor bus.

LIZA.  So you are a motor bus: all bounce and go, and no consideration for anyone.  But I can do without you: dont think I cant.

Pygmalion, pp. 126-7

 作者Shawの予言である。この劇の意味が分かって読んでいる者には、HigginsLizaの結婚なんて考えられないことは明らかである。愚かな読者の目が俗悪な(vulgar)アメリカ製の
“ready-made” “reach-me-down”式ロマンス映画に毒されていない限りは。

The rest of the story need not be shown in action, and indeed, would 1 hardly need telling if our imaginations were not so enfeebled by their lazy dependence on the ready-mades and reach-me-downs of the ragshop in which Romance keeps its stock of "happy endings" to misfit all stories.

Pygmalion, p. 134

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