“ピーターとウェンディ”を読む

意外と知られていない原作の主題
―このお話の本当の主人公は?

  

(平成18年5月、和洋女子大学国府台キャンパスにて開催)

1 冒頭に語られたこの作品の主題
All children, except one, grow up. They soon know that they will grow up, and the way Wendy knew was this. One day when she was two years old she was playing in a garden, and she plucked another flower and ran with it to her mother. I suppose she must have looked rather delightful, for Mrs. Darling put her hand to her heart and cried, "Oh, why can't you remain like this for ever!" This was all that passed between them on the subject, but henceforth Wendy knew that she must grow up. You always know after you are two. Two is the beginning of the end.

 子供というものは、一人を除いて、みんな大きくなってしまうものです。誰もがまもなく、自分が大きくなってしまうことに気が付きます。ウエンディの場合は、こんな風にしてでした。ある日ウェンディが2歳の頃、彼女はお庭で遊んでいたのです。もう一本花を折って、お母さんのところへ駆け寄りました。その姿はとても嬉しそうに見えたのでしょう、お母さんは手を胸の上に当てると、叫んだのです。「どうしてあなたは、いつまでもこのままでいることができないんでしょうね。」この問題についてこれ以上彼等の間に会話が交わされることはありませんでした。けれどもその時以来、ウェンディは自分が大きくならなければならないことを知ったのです。2歳になってしまった後では、みんな気付いてしまうのです。2歳というのが、お終いの始まりなのです。

 誰もが避けることの出来ない刻印として与えられている、成長して大人になるという宿命と、唯一この運命的な呪縛から解放されたものに与えられているさらに苛烈な悲劇が、物語の冒頭にさりげなく暗示されている。それは作者自身の肉声として語られているのである。作者は作品中に登場する一人の人格として推測を行ったり、読者に語りかけたり、物語る作品の内容を操作する身振りを示しさえする。作者が一人称の語り手として姿を現すばかりでなく、ストーリーの進行と作中人物に対する積極的な関与をも示す機構が、緻密な計算に基づいて導入されているのである。さらにこの作者の役割が、この作品の潜伏した主題である「影の生成と人格の分裂」という奇想と巧みな協和を奏でることになる。

Of course they lived at 14, and until Wendy came her mother was the chief one. She was a lovely lady, with a romantic mind and such a sweet mocking mouth. Her romantic mind was like the tiny boxes, one within the other, that come from the puzzling East, however many you discover there is always one more; and her sweet mocking mouth had one kiss on it that Wendy could never get, though there it was, perfectly conspicuous in the right-hand corner.

 勿論のこと、みんなは14番地に暮らしていました。そしてウェンディが生まれるまでは、一家の主役はお母さんでした。ダーリング夫人は素敵な女性で、ロマンティックな心を持ち、あの人をからかうような魅力的な口許がありました。ダーリング夫人のロマンティックな心は、いくら開けてもまだ次から次に中から出てくる、不思議な東洋からやって来た小さな小箱のようでした。そして彼女の魅力的なからかうような口は、ウェンディがどうしても手に入れることのできないキスを一つその上に浮かべていました。右の端にあるのははっきりと見えてはいたのですけれど。

 最初に “of course”とあるのは、語りつつあるお話の筋について読者が既に了解済みであるかのように話を進めるという、伝統的なおとぎ話の手法を取り入れているものであると同時に、劇Peter Panの上演の後しばらくたってからこの小説版Peter and Wendyが出版された経緯を反映してもいる。つまりPeter and Wendyを手にした読者の大部分が、このお話の筋のあらましを実際に知っていた筈なのである。この後も“of course”が繰り返して用いられることとなる。
 類型的なファンタシー文学作品の多くが、大人や親といった存在を排斥せざるを得ない子供の世界を中心に描かれるのと異なって、本作品においては主人公達の親である大人が、むしろ独特の存在意義を示すものとして描かれることとなる。殊にダーリング夫人、キャプテン・フック、そして作者「私」に注目すべきである。この箇所に言及されている“キス”に関する記述は、本作品の観念小説としての側面が目立つところでもある。これはモダニズムの小説家Barrieの得意とする技法であった。
 tiny boxesとは、不思議な謎を秘めたような、東洋からもたらされた器物である。その入れ子構造というパターンは、お母さんの口元に浮かぶ“キス”の示す回転体の投影イメージと共に、幻惑と不可解性の底に潜む魔術的神秘の存在を暗示しているかのようである。
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2 子供達の誕生を語る記述
For a week or two after Wendy came it was doubtful whether they would be able to keep her, as she was another mouth to feed. Mr. Darling was frightfully proud of her, but he was very honourable, and he sat on the edge of Mrs. Darling's bed, holding her hand and calculating expenses, while she looked at him imploringly. She wanted to risk it, come what might, but that was not his way; his way was with a pencil and a piece of paper, and if she confused him with suggestions he had to begin at the beginning again.

 ウェンディが生まれて一週間か2週間経った頃、この赤ちゃんを養っていくことができるのかどうかが怪しくなってきました。なにしろ食べさせていかねばならない家族がもう一人増えたのですから。ダーリング氏はこの子のことをとても誇りに思っていました。でも彼はとても世間体を気にかける質でしたので、お母さんのベッドの縁に腰を降ろして、お母さんの手を握りながら、出費の計算を始めました。ダーリング夫人は祈るような顔つきでお父さんの姿を見つめていました。お母さんは何が何でもやってみるつもりでした。でもお父さんのやり方はそうではありません。ダーリング氏のやり方は紙と鉛筆を使って、きちんと計算するのでした。お母さんが横から口を出して混乱させてしまうと、お父さんはまた最初からやり直しをしなくてはなりませんでした。

 しっかり計算をして、子供を養っていけるかどうか確かめる両親の様子である(子供が生まれた後に)。いかにも立派な銀行員らしいやり方なのだろう。ナンセンスの一例である。ナンセンスは思想的にはファンタシーと敵対する部分を持つこともあるが、既存の崇高と尊厳に対して揶揄的な様態を装い、意味性の崩壊と価値観の転倒をも存在原理の一つとして積極的に包含する力動的な機構をも備えてもいる点で、ファンタシー文学を成立させる強力な要素の一つとなることもしばしばあり得る。  “honour”とは「誇り」、「名誉」のことだから、その形容詞形であるhonourableという言葉は「誇り高い」、「立派な」と訳せる筈だが、ここでは「世間体を気にかける」という俗っぽい感覚に対して適用されているものであろう。

"Now don't interrupt," he would beg of her.
"I have one pound seventeen here, and two and six at the office; I can cut off my coffee at the office, say ten shillings, making two nine and six, with your eighteen and three makes three nine seven, with five naught naught in my cheque-book makes eight nine seven --who is that moving? -- eight nine seven, dot and carry seven --don't speak, my own -- and the pound you lent to that man who came to the door -- quiet, child -- dot and carry child -- there, you've done it! -- did I say nine nine seven? yes, I said nine nine seven; the question is, can we try it for a year on nine nine seven?"

 「ほら、お願いだからじゃましちゃだめだよ。」お父さんが言いました。
 「今手もとに1ポンド17シリングある。それから会社に2シリング6ペンスだ。会社で飲むコーヒーを切り詰めれば、10シリングというところか。これで2ポンド9シリング6ペンスだ。君が持っている18シリング3ペンスを足して3ポンド9シリング7ペンスになる。[正しくは3ポンド7シリング9ペンス]それに通帳の5ポンドを足して全部で8ポンド9シリング7ペンスになるぞ。―誰だ。そこでごそごそしてるのは?8ポンド9シリング7ペンスと。点を打って7を繰り上げて、―口を出さないでくれないか、君。それと君がこないだやってきた男に貸した1ポンドがある。赤ちゃん、静かにね。―点を打って赤ちゃん一人繰り上げて、おっと、やってしまったじゃないか。さっき9ポンド9シリング7ペンスって言ってたっけ。そうだ、確かに9ポンド9シリング7ペンスだった。問題は、9ポンド9シリング7ペンスで1年間やっていけるかだ。」

one pound seventeen:1ポンド17シリング
two and six:2シリング6ペンス
making two nine and six:足して2ポンド9シリング6ペンス
with your eighteen and three makes three nine seven:君が持っている18シリング
3ペンスを足して3ポンド9シリング7ペンス
(ここで計算間違いをしている)
with five naught naught in my cheque-book makes eight nine seven:それに通帳の5ポンドを足して全部で8ポンド9シリング7ペンス
dot and carry seven:点を打って7を繰り上げて(足し算で位を繰り上げる時の読み方。)
 1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンス。だから1ポンドは240ペンスになる。イギリスの通貨は、計算が大変なのである。

"Remember mumps," he warned her almost threateningly, and off he went again. "Mumps one pound, that is what I have put down, but I daresay it will be more like thirty shillings -- don't speak -- measles one five, German measles half a guinea, makes two fifteen six -- don't waggle your finger -- whooping-cough, say fifteen shillings" -- and so on it went, and it added up differently each time; but at last Wendy just got through, with mumps reduced to twelve six, and the two kinds of measles treated as one.
 「おたふくかぜを忘れちゃいけないよ。」お父さんは脅すような口調で厳しく言いました。そして計算をまた続けました。「おたふくかぜに1ポンドと、さっきはそれで計算してたが、やはり30シリングはかかるだろうな。黙って。はしかは15シリングだ。風疹には半ギニーかかる。合計して2ポンド15シリング6ペンス。指を振るのは止めておくれ。百日咳と、15シリングだ。」こんな風に計算は続きました。そしてやり直す度に計算の結果は異なるのでした。けれども、どうにかウェンディは窮地を切り抜けることができました。おたふくかぜを12シリング6ペンスで勘定して、はしかと風疹は二つまとめて一つ分として計算したおかげでした。

 子供が罹るであろう病気が総て一意的に金額に換算されてしまう、という一方的な経済的価値観である。風刺的であるとして読み取るより、観念世界の一つの可能性として読み取る方が面白いかもしれない。けれども実は、19世紀末から20世紀初めの、ロンドンにおける伝染病の蔓延と乳幼児死亡率の高さという、当時の社会状況が反映されてもいるのである。幼くして他界した子供たちは、ネバーランドのピーターの仲間達、ロスト・ボーイズという存在を構想するヒントとなったと思われる。
 ギニー(guinea)とは、1663年から1813年までに英国で鋳造された金貨である。当初は20シリングから22シリングに相当したが、1717年以降は21シリングに統一された。その後この貨幣は弁護士や医師などに対する謝礼や、公共団体に対する寄付、あるいは絵画・競走馬・地所等の値段をあらわす通貨単位として用いられたのである。半ギニーは10シリング6ペンスということになる。
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3 心の中の世界としてのネバーランド
Mrs. Darling first heard of Peter when she was tidying up her children's minds. It is the nightly custom of every good mother after her children are asleep to rummage in their minds and put things straight for next morning, repacking into their proper places the many articles that have wandered during the day. If you could keep awake (but of course you can't) you would see your own mother doing this, and you would find it very interesting to watch her. It is quite like tidying up drawers. You would see her on her knees, I expect, lingering humorously over some of your contents, wondering where on earth you had picked this thing up, making discoveries sweet and not so sweet, pressing this to her cheek as if it were as nice as a kitten, and hurriedly stowing that out of sight. When you wake in the morning, the naughtiness and evil passions with which you went to bed have been folded up small and placed at the bottom of your mind and on the top, beautifully aired, are spread out your prettier thoughts, ready for you to put on.

 ダーリング夫人が始めてピーターの名前を耳にしたのは、子供達の心の中を整頓している時でした。良いお母さんというのはみんな、毎晩子供達が眠りについた後彼等の心の中を手探りして、昼の間にさまよい出た様々なものをきちんともとの場所に戻して、翌朝すっきりと目覚められるようにしてくれるものなのです。もしもあなた方が眼を醒ましておくことができたならば、(でも勿論、それは無理なことなのですが)自分のお母さんも同じことをしてくれているのを見ることができます。それは丁度箪笥の整理をするようなものです。お母さんのその姿は、とても興味深いものです。たぶんお母さんは膝をついて、あなたの心の中身のある部分に心を惹かれて手を止めたりしているでしょう。一体どうしてこんなものを拾い上げてしまったのだろう、などとお母さんは思います。素敵な発見もあれば、あまり楽しくない発見もあります。あるものは子猫のようにいとおし気に頬に押し当てたりもしています。そして急いでまた、奥にしまい込んだりするのです。朝になってあなた方が目覚めてみると、お休みする前に溜め込んでしまっていた腕白な気持ちや乱れた思いなどはきれいにたたまれて心の底の方にしまい込まれ、一番上には気持ちよく風を通してすぐにでも身に付けられるように、一番素敵な気分が広げられているのです。

 子供達の心の中を、あたかも箪笥の中の衣類を整理するかのように、お母さんが整理してくれるのである。この種の観念遊戯はThe Little White Birdにおいて最初の発想が得られたものだったが、本作品においてはPeterの存在の秘密と人々が共通して持つ心の世界の仕組みと相関するものとして、さらに深化していくのである。

I don't know whether you have ever seen a map of a person's mind. Doctors sometimes draw maps of other parts of you, and your own map can become intensely interesting, but catch them trying to draw a map of a child's mind, which is not only confused, but keeps going round all the time. There are zigzag lines on it, just like your temperature on a card, and these are probably roads in the island, for the Neverland is always more or less an island, with astonishing splashes of colour here and there, and coral reefs and rakish-looking craft in the offing, and savages and lonely lairs, and gnomes who are mostly tailors, and caves through which a river runs, and princes with six elder brothers, and a hut fast going to decay, and one very small old lady with a hooked nose. It would be an easy map if that were all, but there is also first day at school, religion, fathers, the round pond, needle-work, murders, hangings, verbs that take the dative, chocolate pudding day, getting into braces, say ninety-nine, three-pence for pulling out your tooth yourself, and so on, and either these are part of the island or they are another map showing through, and it is all rather confusing, especially as nothing will stand still.

 人の心の地図というものを見たことはおありでしょうか。お医者さん達は時に人の体の他の部分の地図なら描くことはあります。そしてその地図は、当人にとってはとても意味深いものになる筈です。けれどもお医者さん達が子供の心の地図を描こうとしているのを見てみると、それはひどく込み入っているだけでなく、いつもくるくる回ってしまうのです。その表面には体温の表のように折れ曲がった線がいっぱいあります。これらはひょっとしたら、この島の道なのかもしれません。というのは、ネバーランドはいつも多かれ少なかれ、一つの島なのです。あちらこちらにびっくりするような鮮やかな色がついていて、サンゴ礁と、沖合いにはどうやら海賊船らしい船も浮かんでいます。それから野蛮人達と人気の無い隠れ家と、大抵は仕立屋である小人達と、川の流れる洞穴と、6人の兄を持った王子様と、見る間に朽ち果てて行くあばら屋と、鉤鼻をしたとても小柄な老婆もいます。それだけなら地図としては比較的簡単です。けれどもそこには始めて学校に行った時のこととか、宗教や父親達や丸池や針仕事や殺人や絞首刑や与格をとる動詞やチョコレート・プディングの日やズボン吊りを付けたり、自分で歯を抜いてまあ大体いつも3ペンスもらうとか、そんなようなこともやはりあります。これらがみんなその島の内部のことなのやら、あるいは透けて見えるもう一つの島のことかとなると、かなりややこしくなってはきます。じっと止まっているものは何一つとしてないからです。

 “人の心の地図”というものを持ち出した、バリお得意の奇想である。Peterの支配する世界ネバーランドが、子供達の心の中の主観の世界であることが暗示されている。しかし心の世界だけが唯一の実世界ではなく、日常の些末な現実世界の印象が主観の中に侵入し、意識を混乱させるのである。

Of course the Neverlands vary a good deal. John's, for instance, had a lagoon with flamingoes flying over it at which John was shooting, while Michael, who was very small, had a flamingo with lagoons flying over it. John lived in a boat turned upside down on the sands, Michael in a wigwam, Wendy in a house of leaves deftly sewn together. John had no friends, Michael had friends at night, Wendy had a pet wolf forsaken by its parents, but on the whole the Neverlands have a family resemblance, and if they stood still in a row you could say of them that they have each other's nose, and so forth. On these magic shores children at play are for ever beaching their coracles. We too have been there; we can still hear the sound of the surf, though we shall land no more.

 勿論、ネバーランドには様々なものがあります。例えばジョンのネバーランドは珊瑚礁があってフラミンゴがその上を飛んでおり、ジョンはフラミンゴを撃ったりします。でもマイケルのネバーランドは、マイケルがとても小さいせいもあって、フラミンゴの上を珊瑚礁が飛んでいます。ジョンは砂浜の上に引っくり返したボートの下で暮らしていて、マイケルの家は草で編んだ小屋でした。そしてウェンディは、木の葉をきれいに縫い合わせた家に住んでいました。ジョンには友達は一人もいませんでした。マイケルの友達は、夜に訪れました。ウェンディは捨てられた狼の子をペットにしていました。いろんな違いはあっても、ネバーランドには一家の同じ特徴を窺うことができます。ですからネバーランドを一列に並べたら、みんな同じ形の鼻だね、などと指摘することができるでしょう。こんな不思議の海辺で子供達はいつまでも小舟を浮かべて遊んでいるのでした。私達も以前はそうだったのです。私達もまだ渚の音を耳にすることはできます。上陸することはもう無理ですけど。

 再びネバーランドが、主観の中の心象世界であることが暗示される。ネバーランドは子供達個々の独立した内面世界であると共に、互いの意識の共存を許す交わりの空間でもある。そこでは誤解に基づいた矛盾も、観念的多重世界の一つを形成する要素として積極的に機能することになる。ピーターとウェンディの間に生起した、キスと指貫の意味交替の可能世界の生成と同等の機構が既にここで暗示されている。
 ネバーランドが個々の別個の主観の世界でありながら、それぞれが同心円的連続性を持って重ね合わせの存在様態を示すものでもあることが、見事なファンタシーに対する総括として機能している。心象世界における意識の連帯の可能性こそロマン主義の基本原理であり、外界世界をも取り込む心理学的な手法による実在世界の再解釈こそ、ファンタシー文学世界の背後に潜む創造原理となる世界解式だったのである。
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4 キャプテン・フックの実像
In person he was cadaverous and blackavised and his hair was dressed in long curls, which at a little distance looked like black candles, and gave a singular threatening expression to his handsome countenance. His eyes were of the blue of the forget-me-not, and of a profound melancholy, save when he was plunging his hook into you, at which time two red spots appeared in them and lit them up horribly. In manner, something of the grand seigneur still clung to him, so that he even ripped you up with an air, and I have been told that he was a raconteur of repute.

 フックの顔は死人のようにやつれて浅黒く、その髪は長い巻き毛になっていて、少し離れてみると黒いろうそくのようにみえて、彼の整った顔つきに特別の恐ろしげな雰囲気を漂わせていました。フックの目は忘れな草のような淡い青色で、深い憂鬱を湛えていました。そして君の体にあの鉤爪を突きたてる時だけは赤い二つの光がその両目にあらわれ、ぞっとするような表情をみせるのでした。フックの仕種にはどこか血筋正しいお殿様を思わせるようなおごそかさがあって、人の体を切り裂く時でさえ、優雅な身のこなしに思えるのでした。そして私の耳にしたところですと、フックは面白い話をするのが上手だという評判だそうです。

 不気味な容貌のようでもありながら、なおかつ端麗な顔だちを備えたフックは、忘れな草の花のような色の、ロマンティックな目に憂鬱な表情を浮かべている。この「憂鬱」という問題こそフックという人物の本質を語るものであり、同時にピ−タ−という存在の秘密を探る糸口でもある筈なのである。
 さらにフックは名の知れたお話の語り手であるという。このあたりがピーターとは対照的なところだ。

He was never more sinister than when he was most polite, which is probably the truest test of breeding; and the elegance of his diction, even when he was swearing, no less than the distinction of his demeanour, showed him one of a different caste from his crew.

 フックは慇懃きわまりない態度を示す時ほど無気味な感じのすることはなくて、それこそおそらく彼の生まれの良さを示す最上の証拠でしょう。そしてフックの言葉遣いの優雅さときたら、悪態をついている時でさえどことなく気品があり、立ち居振る舞いの品の良さとともに彼が他の仲間達とは生まれの違う存在であることを示していました。

 粗野で不躾なピーターとは大違いで、フックは血筋も良く、礼儀作法もわきまえている。ピーターはジョンやマイケルにお父さんの振りをする仕方を教えてもらわなければならなかったけれど、フックの場合は罵る言葉にさえ優雅さが感じられるという。何よりも慇懃無礼さの裡に透かして見られる不気味さなどというものは、そこらの成り上がり貴族の真似出来るような代物ではない。彼は怪物的な程の高潔さの持ち主なのだ。

A man of indomitable courage, it was said of him that the only thing he shyed at was the sight of his own blood which was thick and of unusual colour. In dress he sometimes aped the attire associated with the name of CharlesII, having heard it said in some earlier period of his career that he bore a strange resemblance to the ill-fated Stuarts; and in his mouth he had a holder of his own contrivance which enabled him to smoke two cigars at once. But undoubtedly the grimmest part of him was his iron claw.

 フックは不屈の勇気の持ち主でした。フックを怯ませる唯一のものはフック自身の血だけで、それは普通の血の色とは違ったとても濃い色をしていたということでした。装いにはフックは時折チャ−ルズ2世の名を思い起こさせるものを選ぶことがあり、それは以前にフックの容貌が不運なスチュアート家の人々を彷彿とさせるものがあるという意見を聞いたことがあったからでした。そしてフックの口には特別に考案した、一度に二本の葉巻をふかすことができるパイプがくわえられているのでした。けれどもフックの一番恐ろしげなところといえば、それは疑いなく彼の腕に付いている鉄の鉤爪でした。

 フックを唯一怯ませるものは自分自身の血の色で、それはとても濃い、珍しい色であるという。どんな色なのかははっきりと語られていないけれど、由緒正しい家柄の貴族の血筋のことをブルー・ブラッドと呼ぶことを考えてみれば、フックの血の色の場合はそれを上回るような人並み外れたものであることが暗示されている。さらにキャラクターの印象を決定づける小道具として、ピーターの「枯れ葉と木の樹液を纏った」と描かれている特徴的な服や、彼が連れているティンカー・ベルの与える印象にいささかも劣ることの無いように、その名の通りの鉤爪(フック)を右腕に装着し、口には二本の葉巻を同時にふかすことが出来るパイプ迄与えられているのがフックだ。おどろおどろしい悪漢小説においても、主人公よりもむしろ恰好いいのが仇役の筈の悪漢達であったが、フックの場合は物語のテーマを決定する上でそれ以上の欠かすことのできない存在意義を与えられている重要な登場人物なのである。




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