市川市中央教養講座テキスト
外国文学を読む―『ピーターパンの世界』

平成15年6月12日、市川市中央公民館にて

 小説『ピーターとウェンディ』は有害図書である。楽しい冒険をするためなら殺人も裏切りも許される。恰好良さが総てに優先する美学の世界なのだ。そしてこの作品の本当の主人公は、実はピーターではない。

1 “ピーター・パン”というキャラクターの出てくる作品世界
 複数の作品の中で“永遠の子供”という主題が様々に形を変えて登場する。
小説『白い小鳥』(The Little White Bird)、1902年
劇『ピーター・パン』、(Peter Pan)1904年
小説『ケンジントン公園のピーター・パン』
Peter Pan in Kensington Gardens)1906年
小説『ピーターとウェンディ』、(Peter and Wendy)1911年

『白い小鳥』
 
この作品の主人公である「私」は独身の中年の退役軍人であるが、何故か若い恋人達におせっかいの手を差し延べ、不和になった彼らの仲を密かに取り持つばかりか、彼らの間に生まれた少年に異常な愛着を示し、彼と共に子供の世界の牧歌的風景を楽しむ様が語られている。しかしながらこの作品に描かれているものがいわゆる人情喜劇と異なるのは、物語の主題が伝統的な手法を用いた小説のように時系列的なストーリーとして物語られるのとは異なり、一人称の語りを軸に展開される抽象的な観念遊戯の世界として提示される点である。
 この独自の技巧をこの作品において完成したバリは、『ピーターとウェンディ』においてはさらにもう一ひねり加え、従来の小説の枠を越えるところまで突き抜けてしまった。
 『白い小鳥』は中程の部分だけを独立させて『ケンジントン公園のピーター・パン』(Peter Pan in Kensington Gardens, 1906)として発行されるなど、『ピーターとウェンディ』成立との関連から見ても、非常に興味深いものがある。

2 ネバーランドという世界
“Neverland”は子供たちの心の中の世界
心の世界は重なり合いの部分を持ち、内面世界の領域は思いがけないほど広く、客観的実在世界そのものを内に含んでいる.

@
 I don't know whether you have ever seen a map of a person's mind.

 人の心の地図というものを見たことはおありでしょうか?

A
Of course the Neverlands vary a good deal. Johnユs, for instance, had a lagoon with flamingoes flying over it at which John was shooting, while Michael, who was very small, had a flamingo with lagoons flying over it. John lived in a boat turned upside down on the sands, Michael in a wigwam, Wendy in a house of leaves deftly sewn together. John had no friends, Michael had friends at night, Wendy had a pet wolf forsaken by its parents, but on the whole the Neverlands have a family resemblance, and if they stood still in a row you could say of them that they have each other's nose, and so forth.

ジョンのネバーランドではサンゴ礁の上をフラミンゴが飛んでいる。マイケルのネバーランドではフラミンゴの上をサンゴ礁が飛んでいる。多少の違いはあっても、3人の子供たちのネバーランドは、同じ形の鼻をしている、というような一家の特徴があらわれている。

B
If you shut your eyes and are lucky one, you may see at times a shapeless pool of lovely pale colours suspended in the darkness; then if you squeeze your eyes tighter, the pool begins to take shape, and the colours become so vivid that with another squeeze they must go on fire. But just before they go on fire you see the lagoon. This is the nearest you ever get to it on the mainland, just one heavenly moment; if there could be two moments you might see the surf and hear the mermaids singing.

 もしもあなた方が目をつぶったら、もしも運がよければ時には暗闇の中に宙づりになった綺麗な淡い様々な色をした水たまりのようなぼんやりしたものが見えるでしょう。それから目をぎゅっと強くつぶると、その水たまりのようなものはだんだんと姿をはっきりとさせてきて、その色はとっても鮮やかなものになり、さらにもう一度ぎゅっと目をつぶればきっと火がついたように燃え上がる筈です。けれども燃え上がる直前に、礁湖が見えるでしょう。これが本土で近づくことの出来る最高のところです。天国に行ったような一瞬です。もしもその一瞬のもう一つ先があったならば、渚が見え、人魚達が歌っているのを聞くことが出来るかもしれません。

C
Peter flung out his arms. There were no children there, and it was night time; but he addressed all who might be dreaming of the Neverland, and who were therefore nearer to him than you think: boys and girls in their nighties, and naked papooses in their baskets hung from trees.

ピーターは両手をさしのべました。そこには子供は一人もいなくて、しかも夜でした。けれども彼はネヴァランドのことを夢に見ているかもしれない、だから自分で思っているより本当は彼の近くにいる全ての子供達に呼びかけたのでした。寝巻を着た男の子にも女の子にも、木にぶらさげられた籠の中の裸のインディアンの赤ちゃんにも。

3 ネバーランドという世界とピーターとの関係
ピーターとは何者か?

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It is the nightly custom of every good mother after her children are asleep to rummage in their minds and put things straight for next morning, repacking into their proper places the many articles that have wandered during the day. If you could keep awake (but of course you canユt) you would see your own mother doing this, and you would find it very interesting to watch her. It is quite like tidying up drawers.

お母さんは子供たちが床についた後、洗濯物をたたんでしまうように子供たちの心をたたんで整理してくれる。


A
Occasionally in her travels through her children's minds Mrs. Darling found things she could not understand, and of these quite the most perplexing was the word Peter. She knew of no Peter, and yet he was here and there in John and Michael's minds, while Wendy's began to be scrawled all over with him. The name stood out in bolder letters than any of the other words, and as Mrs. Darling gazed she felt that it had an oddly cocky appearance.

 お母さんは子供たちの心の中に“Peter”を見つけてびっくりする。ウェンディの心の中の“Peter”はとりわけ太い字でびっしりと書き込まれている。

4 『ピーターとウェンディ』という作品の基調をなす感覚

Off we skip like the most heartless things in the world, which is what children are, but so attractive; and we have an entirely selfish time, and then when we have need of special attention we nobly return for it, confident that we shall be rewarded instead of smacked.

 この世で一番薄情なもの、子供達のようにとんで行ってしまいましょう。子供達というものはみんなそうなのです。けれどもなんと魅力的なことでしょう。そして好きなだけ自分勝手にふるまって、それから特別にやさしくしてもらいたくなれば、おしおきを受けるかわりにごほうびをもらうことをうたがいもせず、ゆうゆうと戻って来るのです。

 作者はヴィクトリア朝の児童文学作家達のように子供の世界を理想化して賛美することは決してない。そんなことは偽善に満ちた愚かな大人達の勝手に抱く幻想であることを良く承知しているからだ。そしてまた作者は『ピーターとウェンディ』においては、子供達の身勝手な願望に答えて奔放な冒険の世界ばかりを寛大に展開してくれているわけでも無い。当の子供達には知る由も無い、子供の世界を遠く離れた外側から窺う視点を備えた、一種独特の興趣を持ち合わせた教養ある大人だけが楽しむことの出来る哲学的省察の世界が、巧みな擬装を施した精妙なある種の毒を盛られた形でこの作品には展開されているのである。

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