アンチ・ファンタシーというファンタシーII

ユニバーサル、ユニコーン
―『最後のユニコーン』におけるユニコーンの存在論的指標


 不思議な力を秘めた魔女マミー・フォルチュナの無気味なサーカス、ミッドナイト・カーニバルに捕らえられたユニコーンは、他の怪獣達と共に檻の中に閉じ込められ、いよいよ見せ物に供されることになる。多くは魔法の力で擬装された他の伝説上の怪物達の後を受けて、見物人達の前にお披露目されることになったユニコーンは、逆に自分の姿を認めた人々の顔に浮かんだ表情に、世界の堕落の果ての変化と、今を生きる人々の悲しい心の有り様を知るのである。

She heard hearts bounce, tears brewing, and breath going backward, but nobody said a word. By the sorrow and loss and sweetness in their faces she knew that they recognized her, and she accepted their hunger as her homage. She thought of the hunter’s great-grandmother, and wondered what it must be like to grow old, and to cry.

p. 33

 ユニコーンは人々が胸を弾ませ、涙を滲ませて、息を呑むのを聞きました。けれども一言も口をきく者はいませんでした。彼等の顔に浮かんだ悲哀と喪失感と和んだ表情から、ユニコーンは彼等が自分の姿を認めたことが分かりました。そして彼女は、彼等の飢餓感を自分に対する敬意として受け入れたのです。彼女は狩人のひいおばあさんのことを思い浮かべました。そして年をとり、涙を流して泣くなどとはいったいどういうことなのだろう、と不思議に思いました。

ユニコーンの姿を目にした人々がここで示す反応は、この物語におけるユニコーンの存在属性を定義づけるべく設けられた、本作品独特のキーワードを際立たせるものとなっている。ユニコーンという神話的な存在自身も、その中の一頭である彼女に関する特徴を語るものとして描写の中に用いられている語句も、一般の言語の前提とする含意を離れて、本作品世界の中の独特の定義に基づいて選択されている固有のものなのだ。人々の目にあらわれたという“loss”(喪失感)は、かつて人間達が等しく抱いていた筈の何物かが取り返しのつかない変化を被り、世界の大切な一部が破壊されてしまったことを暗示している。ユニコーンとはこのような世界の基軸と人間存在との間に介在する、倫理的な原理とでもいうべきものを表す、象徴的な記号でもあるのだろう。だからこそ、ここに語られている見物人達の表情に浮かんだ“hunger”(飢餓感)とは、生きとし生けるもの達総てがユニコーンの姿を目にした時に覚えるという、一種普遍的な感情なのである。生の営みを続けていく裡に取り返しもなく失ってしまったものを、あるいは生まれる遠い以前に誰もが失ってしまっていた共通のあるものを、彼女の姿が誰の目にも思い起こさせるからだ。そしてユニコーンの後を受けて見せ物の大団円を務める真打ちとして登場することになる、さらにもう一頭の印象的な怪物の姿を紹介する際にこの無気味なサーカスの案内人のルークが語る口上の文句は、上で確認したユニコーンの象徴的な特質を、さらに裏付けるものとなっているのである。

“Most shows,” said Rukh after a time, “would end here, for what could they possibly present after a genuine unicorn? But Mommy Fortuna’s Midnight Carnival holds one more mystery yet―a demon more destructive than the dragon, more monstrous than the manticore, more hideous than the harpy, and certainly more universal than the unicorn.[傍線筆者]”

p. 33

 「大概の見せ物はここでおしまいになることでしょう。」暫くしてルークは言いました。「本物のユニコーンの後を受けて、どんなものを次に用意することができるでしょう。けれどもマミー・フォルチュナのミッドナイト・カーニバルは、さらにもう一つの神秘をお見せする用意があるのです。ドラゴンよりも破壊的な怪物であり、マンティコアよりも無気味で、ハーピーよりもさらにおぞましい、そして実際、ユニコーンよりもユニバーサルなものなのであります。」

このルークの口上は中々見事だ。見せ物に供された超自然の存在物達が、各々の持つ特有の属性とその名前の間に頭韻(alliteration)を踏むことによって、存在論的意義性の念入りな関連づけを行って紹介されているのである。言葉の持つ魔術的喚起力を十分に意識した口上であると言って良いだろう。ちなみに頭韻によって巧みに連関されたエピセット(1)とそれぞれの怪物の名を対比して表にすれば以下のようになる。アンダーラインを施した部分が頭韻(alliteration)を形成して対応している箇所である。

destructive―dragon, monstrous―manticore,
hideous―harpy, universal―unicorn

p. 87

ユニコーンに冠したエピセットとして“ユニバーサル”(普遍的)という形容詞が用いられているのは、本作品の根幹的主題と関わる重大な手掛りとなるものなのである。そして異質のアンチ・ファンタシーである本作品の独特の主題を際立たせるばかりでなく、ファンタシー文学一般の思想的特質をも端的に表していると思われるのが、実はこの言葉の内実なのである。この指摘の妥当性を確認するための最初の手順として、まずは『最後のユニコーン』においてユニコーンの属性について語られていた独特の形容語のいくつかを取り上げて、“ユニバーサル”という概念との関連に関する検証の手を加えていくことにしよう。
 物語の冒頭、最初にユニコーンについて語られていたのは、“old”という形容詞を用いてであった。

She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam but rather the color of snow falling on a moonlit night.

p. 7

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていました。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていました。

ユニコーンは単に生まれてから長い年月を重ね、“年をとっている”だけではない。一般の生き物達に見られる成長の果ての老化、非可逆的な無慈悲な喪失と減退を示す「老い」とはむしろ対照的な、例外的に生得的な特別な属性を示す概念として、この作品のなかでは“old”という言葉が独特な意味性を主張して語られていくことになっているのである。物語の冒頭でユニコーンの性を、“she”という代名詞の挿入によって女性として改めて紹介した後、さらにさりげなくここではさらに“old”という形容詞を用いて、このお話のユニコーンの保持する極めて例外的な存在属性が巧妙に語られているのである。
 ユニコーンのエピセットたる存在属性の「普遍性」という語の担う、秘匿された意義を確かめる手掛かりは、例えば以下のような部分においても求めることができる。ユニコーンを不思議な魔法の力を駆使して捕らえた魔女マミー・フォルチュナに卑しい召し使いのように使われてはいながら、彼女に対しては異常な敵愾心を示す頼りない魔法使いのシュメンドリックは、マミー・フォルチュナの魔法の能力について次のようにユニコーンに語りかけるのである。

“…She can’t turn cream into butter, but she can give a lion the semblance of a manticore to eyes that want to see a manticore there―eyes that would take a real manticore for a lion, a dragon for a lizard, and the Midgard Serpent for an earthquake. And a unicorn for a white mare.”

p. 30

「…あの魔女は、クリームをバターに変える力さえ持ってはいません。あいつにできることは、マンチコアの姿をそこに見たがっているものたちの目に、ライオンがマンチコアの姿に見えるようにしてやることだけです。そんな連中は本物のマンチコアを見てライオンだと思い、ドラゴンがとかげにしか見えず、ミッドガルト・サーペントの存在を地震としか理解できないのです。だからユニコーンを見ても只の白い雌馬だと思うのです。」

 彼の語る通り、自分の森を離れて外の世界に出たユニコーンが出会ったのは、ユニコーンの姿を目にしても、それがあの全ての人々の憧憬の具現化であるユニコーンであると気付くことは決してなく、常に美しい高価な値で売れる雌馬だと思い込んでしまう、不可解な人間達なのであった。この魔法使いシュメンドリックはここでは、「他の連中とは違って、自分にはあなたがユニコーンだと分かる。」と告げようとしている訳なのだが、彼の言葉が意味しているものは、それだけではない。彼の主張に従えば、長い年月を生き続けているユニコーンの知らないうちにいつの間にか、「愚かな幻想にのみ心を奪われ、真実の存在(伝説の怪物)を見ても日常的な陳腐な生き物としてしか受け取らない」ことが当然であるような世界に、全てが変質してしまっているのである。この事実は『最後のユニコーン』のあちこちで繰り返し語られている、本作品の根幹的主題を支える喪失感覚の基調となっているものなのである。(2)そしてこのようにして失われた崇高の奪還あるいは再生を求める切実な感覚とは、実はファンタシー文学一般に共通する心理学的、思想的傾向を如実に示すものでもある。
 端的に言ってしまえば結局はファンタシーとは、特定の宇宙構造理論を強行に主張する、思想的プロパガンダの書であると看做すことの出来るものなのだ。何故ならば現代の物質主義世界を標榜する俗悪主義とニヒリズムを、魔法の力を通じて世界の本質と永遠の真実を掴みとることができる筈であると主張する、高潔なロマン主義の観点から総括すると、先程の魔法使いの言葉のような批判的な見解が得られることになるからなのである。彼の説は科学的客観主義の限界を、精神的主観主義から弾劾した場合の典型的な図式であるとして理解することができるものだろう。ファンタシーとは、時に幼児的な唯我主義の奔出ともなり得るものではありながら、稀に意識的そして多くは無意識的な、しかし情念的にはむしろ常に確固たる確信と希望に満ちた、現代人が忘れ去ろうとしている原初的主観主義の暗示する聡明さに対する再評価の試みとして考えることができるのである。
 例えば魔法使いシュメンドリックは、ここで人々が“地震”と呼ぶ自然現象の正体を、“ミッドガルト・サーペント”という、神話的な怪物であると語っている。古代北欧神話において巨大な蛇の姿をし、そのとぐろに世界全体が包まれているとされた存在が、ミッドガルト・サーペントと呼ばれるものであった。現象的な発現様態の背後に、常に本質的なより深い意義性を持った実在的存在様態が潜んでいると仮定する思想によれば、このような理解が実は極めて自然なものとして主張されることになるのである。かつて古代世界においては、自然現象の各々が神の名で呼ばれ、かつまた人間の心中に浮かんだ感情や想念もやはり、それぞれが同等の神の名で呼ばれたことがあったことを思い起こせばよいだろう。ギリシア神話の神々や、ルネサンス以降近代のヨーロッパで改めて自然の構成要素として構想された精霊達は、正しくこのような思考の産物なのであった。(3)そこでは世界全体と人間存在の双方とのより緊密な関係性の許で、これらの現象の意義と内実が再認識されることとなるのである。自らの精神の中にある敬虔と清廉を確証する者は、反転的に宇宙そのものの深遠さと崇高さを確信することができるのである。世界に対する感謝と信頼の念を伴わない単なる応用技術としての、宇宙原理の根源性から乖離した世俗的知識は、むしろ倫理的な意味においては唾棄すべきものとして“無知性”の烙印を押されてしまうことともなる。
 このような世界観に基づく意味あるものとして生成した宇宙と、その中でこれに対する観測者あるいは記述者として、そして時には選ばれた事象の発現に関わる必要不可欠な推進者として、欠くことのできない意義あるものとしての生を送っている人間存在を、世界全体の緊密な関係性の裡に統合的に保障する原理こそ、普遍的(ユニバーサル)と呼ばれるものでなければならないのである。(4)
 ユニコーンの姿を認めた人々が示す不思議な優しさの表情と、そして彼らの目の示す限りない喪失感は、すべての人が追い求める、普遍的な憧憬としてユニコーンという存在があることを示しているのだ。何らかのとんでもない過ちのために道を失い、本源的な自然との乖離を来した結果、ユニコーンを失った世界に生き続けていることの悲しい自覚が、「飢餓感」(hunger)という言葉を用いて定義されていたのである。改めて「普遍性」を示す記号として語られたこのお話のユニコーンの暗示するものを、さらにいくつかのキーワードを設定することによって、再点検していってみることにしよう。

It is their nature to live alone in one place: usually a forest where there is a pool clear enough for them to see themselves―for they are a little vain, knowing themselves to be the most beautiful creatures in all the world, and magic besides.

p. 7

ユニコーンは群を作らず、一つの決まった場所にいつも暮らしているのでした。それは多くの場合、自分の姿を映し出すことのできる、澄んだ泉のある森の中でした。何故ならユニコーン達は、自分達が世界で最も美しい生き物であることを知っていて、自らの姿を眺めるのを好んでいたからです。もう一つ、魔法とも関連がありました。

 先ず、ユニコーンは世界で最も美しい存在であるとされている。これは、この作品における独特のユニコーンに関する設定条件なのである。何故なら古代ギリシア神話や中世のキリスト教伝説の中で語り伝えられてきたユニコーンとは、しばしば破壊的な猛々しさと押さえきることのできない色欲を象徴する、男性的イメージを集約した存在であったからだ。あるいは王権の守護者としてその角の保持する魔力を振るったり、あるいは強大な圧迫力でもって民族の全てを駆遂する強権の持ち主として語られて来た従来のユニコーン像などとは異なり、このお話のユニコーンは万人の心の奥底の静謐な潤いに満ちた感性の部分とこそ深い関わりを持つものなのだ。このようなユニコーンの存在性そのものに根幹的に関わる特質としてあげられる要素を物語るのが、先程のキーワード“old”と、そしてもう一つ“immortal”というキーワードである。
 これらのキーワードによって規定されるこのお話のユニコーンという存在の特異性と、そのユニコーン独自の保持する特殊な能力であると共に、この世界を支配する自然法則として後に改めて展開される“魔法”の力の背後に存在する原理機構との関係が、この作品の中心的主題を形成することとなるのだ。

It was always spring in her forest, because she lived there,

p. 7

森の中ではいつも春でした。ユニコーンがいる森では常にそうなのです。

この箇所は、キーワード“magic”と共に“time”に関連する部分でもある。ユニコーンは時の流れの支配から全く自由な存在なのである。このことが彼女の“immortal”、及び“old”という固有の属性を決定する枢要な条件を形作ることになる。これに比して時の変化の奴隷でしかない人間達を“mortal”と呼ぶのは、ギリシア神話における神々の発想であった。“死すべきもの”(mortal)としての烙印を負わされた、致命的な呪いを体現した存在としての人間性向に対する痛烈な自覚が、ユニコーンという神話的存在の担う象徴的意義性を裏付けているのである。これら3つのキーワードが密接に連携し、しかもそれぞれの個別の機能を存分に果たしながら、この作品世界の進行を担って行くことになるのである。
 だからユニコーンが始めて魔法使いシュメンドリックの姿を目に止めた際の描写にも、このキーワードとの関わりが忘れられることなく語られることとなっている。

He smiled, and she saw that his face was frighteningly young for a grown man―untraveled by time, unvisited by grief or wisdom. “I know you,” he said.

p. 31

 男は微笑みました。ユニコーンはこの男の顔が大人のものとしては、びっくりするほど若々しいのに気が付きました。時の変化を被っておらず、悲哀にも叡智にも縁のない顔でした。「僕にはあなたが分かります。」男は言いました。

不自然な程に若々しい外見をした魔法使いシュメンドリックの姿は、後に物語世界を引き締める重要な条件として作用する、彼の得た宿命と呪いという数奇な事実の伏線として機能することになるのであるが、やはりユニコーンの特有の属性である“old”という要素に反転的に繋がるものでもある。
 そしてまたこの“old”というキーワードが、もう一つの重要なキーワードを導くことにもなる。シュメンドリックは自身の秘密を語ってユニコーンに言うのである。

But to take me for a mountebank like herself―that was her first and fatal folly. For I too am real. I am Schmendrick the Magician, the last of the red-hot swamis, and I am older than I look.”

p. 44

 でも僕のことを自分と同じようないかさまの奇術師であると最初に考えたのが、あの魔女の犯した致命的な過ちだったのです。何故なら僕もまた、本物だからです。僕は魔法使い、シュメンドリック。力の漲る魔導師達の最後の一人となる者です。僕は見かけよりはずっと年をとっているのです。

上の引用においてキーワード“old”に対して連鎖的に機能すべきものとして導入されたもう一つの重要なキーワードとして、“real”がある。この言葉もやはりシュメンドリックに関わる秘密の伏線となっていると同時に、ユニコーンの特有の属性記述に対する鏡面的照射としても機能することになっているのである。この世に存在するだけのものが全て“real”なのではない。むしろ“real”なものとは、極めて稀な特殊の能力と運命に恵まれたもののみを呼ぶ選別された言葉なのである。
 檻に捕われたユニコーンを解放しようとして魔法使いシュメンドリックがかけた魔法が、全てあえなく失敗に終わった際のユニコーンの反応に関する描写が、この言葉の意義性を語る好例としてあげられるだろう。

The unicorn found herself standing in a grove of trees―orange and lemon, pear and pomegranate, almond and acacia―with soft spring earth under her feet, and the sky growing over her. Her heart turned light as smoke, and she gathered up the strength of her body for a great bound into the sweet night. Bur she let the leap drift out of her, untaken, for she knew, although she could not see them, that the bars were still there. She was too old not to know.

p. 45

ユニコーンは、自分が木立の間に立っているのに気が付きました。オレンジやレモンや、梨に柘榴、アーモンドとアカシアの木もありました。足の下には湿って柔らかい春の土も感じられました。そして頭上には空も広がっていたのです。ユニコーンの心は煙のように軽くなり、彼女は香しい夜風の中に跳び出そうと力をためました。けれどもユニコーンは、思いとどまって力を抜いたのでした。目には見えなくなっていても、まだ鉄格子がそこにあることが分かったからです。それが分からないでいるには、彼女はオールドであり過ぎたのです。

 “彼女は分からないでいるにはあまりにもオールドでありすぎた”という部分は、直接にキーワード“オールド”に関連するものであるが、ここでは“オールド”であることは、真実の直覚的把握力の所有とつながるものであるとされているのである。努力や学習などの経験的に取得された能力とは全く異なる本性的な能力として、永遠の真実を感知する能力の存在が仮定されていることが分かる。そのような力を備えた選別された希少な存在のみが、この物語においては“real”とされるのである。
 さらに上の“real”という語との関連のみならず、最も基幹的なキーワードである“オールド”は、様々の形で反転的に適用されることともなる。例えば、以下の箇所などがその典型的な適用例としてあげられるだろう。
 枷を解き放たれたハーピーの報復のために、魔女マミー・フォルチュナが壮絶な最期を迎えた際の、魔法使いシュメンドリックの有り様を語る描写である。

The unicorn turned away. Close by, she heard a child’s voice telling her that she must run, she must run. It was the magician. His eyes were huge and empty, and his face―always too young―was collapsing into childhood as the unicorn looked at him.

p. 49

ユニコーンは踵を返しました。間近に子供のような声が、“走れ、走るんだ!”と叫び続けているのが聞こえました。それは魔法使いの声でした。彼の目は虚ろに見開かれていて、いつもあまりにも若すぎた顔は、ユニコーンが目を向けていると、今はもう本当に幼い子供のように見えました

ここでは“child”という言葉が、キーワード“オールド”に反転的に関連するものとなっていることが分かる。ユニコーンのような超越的属性を備えた“オールド”の存在に対して対照的に未熟で不完全なものは“young”、あるいは“child”などという言葉を用いて形容されることとなっているのである。このようにユニコーンの独特の存在性向をあらわす“オールド”というキーワードは、さりげなくあちこちの場面で様々の別の言葉をも用いて、互いに反響し合うような緊密な関係性の許で語られているのである。
 次は上の場面の直後、ユニコーンと共に惨劇の場を後にする魔法使いシュメンドリックの姿を語る描写である。

The moon was gone, but to the magician’s eyes the unicorn was the moon, cold and white and very old, lighting his way to safety, or to madness.

p. 49

月は姿を隠していました。けれども魔法使いの目には、ユニコーンの姿が月の光のように思えました。冷たく白く、そしてとてもオールドで、かれの歩む道を安全な方角へと、あるいは狂おしい思いへと導いているのでした。

限界ある生を送る人間存在にとっては“オールド”性に対する自覚は、永遠に到達し得ぬものに対する絶望的な憧憬として、理性と常識の転覆の可能性を示唆するものともなる。人間存在として得た理解力と判断を全て抹消する破壊的な要因ともなり得るのが、この“オールド”という概念である。だからこそこの直後に、“man”との明らかな対照を際立たせられた、先程と同様の含蓄を持つ“child”という語の使用が再び確認されることとなる。飽くまでも静謐なユニコーンの姿とは対照的に、以前ユニコーンに語ったのとは打って変わって、取り乱した様子で魔女マミー・フォルチュナの死を嘆き悲しむシュメンドリックの姿を描写する部分である。

Like a newborn child, the magician wept for a long time before he could speak. “The poor old woman,” he whispered at last.

p. 53

生まれたばかりの赤子のように、魔法使いは再び言葉を発することができるようになるまで、長い間泣き続けました。「ばあさん、可哀想に。」ようやくかすれた声で言いました。

明らかに“child”という言葉は、本作品における主題形成上の重要なキーワードとなる“オールド”と相反的に関連するものとして用いられている。そこでは“man”(人間性)が従来にあるものとは全く異なった角度から意識されてもいることが分かるのである。そしてこの魔法使いの反応とは対照的に、ユニコーンの一見したところ意外な程の印象を与える人間的感情に対する冷淡さは、このお話におけるユニコーンの象徴的な存在意義を最も雄弁に語るものとなっている筈なのである。人間(mortal)ならざる不死性の(immortal)神の領域に属する永遠性の存在がユニコーンだからである。

The unicorn said nothing, and Schmendrick raised his head and stared at her in a strange way. A gray morning rain was beginning to fall, and she shone through it like a dolphin. “No,” she said answering his eyes. “I can never regret.

p. 53

ユニコーンは何も答えませんでした。シュメンドリックは顔を上げて、いぶかし気にユニコーンの顔を覗き込みました。朝の雨が鈍く光を放って落ち始めていました。その中でユニコーンの姿はイルカのように輝いて見えました。「いいえ、」ユニコーンは魔法使いの目に答えて言いました。「私には後悔することはできません。

ユニコーンは魔法使いシュメンドリックのように魔女マミー・フォルチュナの非業の死を前にしても、嘆くことも悲しむこともないと、敢えて彼に告げるのである。このユニコーンの台詞の中にある“regret”という言葉もまた、キーワード“eternal”と密接に関連するものなのである。それはこの直後の場面にある“sorrow”という言葉と対比することによって、その深い意義性を明らかにするのである。

The unicorn waited, feeling the days of her life falling around her with the rain. “I can sorrow,” she offered gently, “but it’s not the same thing.”

p. 53

ユニコーンは、雨と共に自分の命の日々が流れ落ちて行くのを感じながら、少し言葉を切って待っていました。それからまた優しく付け加えました。「私は悲哀を感じることはできます。でもそれは後悔とは異なるものです。」

 ユニコーンの保持する極めて稀な属性である永遠性(eternal)と不死性(immortal)を見事に定義付けることになっているのが、ここに用いられたユニコーンの語った“sorrow”と“regret”という言葉の対比であろう。ユニコーンが自分と同じようにマミー・フォルチュナの死に心を動かされることは全くないことに気付き、驚いたように顔を上げたシュメンドリックに、“eternal”な存在のユニコーンは、「“sorrow”は知っているが、“regret”は知らない」と告げるのである。“regret”とは、運命の奴隷として生きる時間性(temporal)の存在の示す、愚かな情動的反応である後悔や慚愧の念のことであろう。それに比して“sorrow”とは、永遠の存在であり生死を超越した存在でもあるユニコーンが、生きとし生けるものたち全てに対して覚える、深い共感から及ぼされる聡明さに満ちた悲哀の気持ちであろうか。生けるものに必ず訪れる死を間近にしても決して動転することはない、という当然の事実を改めて死すべき宿命のもとにある存在に語ってやらなければならない時に、これまでは知らなかった“雨と共に自分の命の日々が流れ落ちて行く”喪失感をユニコーンは感じざるを得ない。そのような意味でユニコーンも“sorrow”の支配から自由な存在ではないのである。この独特のユニコーンの保持する属性を語るためにこそ、この物語の様々のエピソードと、不思議な味わいに満ちた独特の詩的表現の数々が用いられている訳なのである。
 例えば自身の魔法の力によって守られた常春の森を離れて、現実世界の路上へと足を踏み入れたユニコーンの覚えた時間性の支配の及ぼす感覚は、以下のような言葉で語られていたのだった。

…for the first time she began to feel the minutes crawling over her like worms.

p. 10

…ユニコーンは、初めて時間が蛆虫のように体の上を這い回るのを感じたのでした。

本来時間性の存在である我々がことさら知覚として感知することのない時間の中に無慈悲に押し流される感覚は、永遠性の存在であるユニコーンに対しては、体を蝕まれるような痛切な感触として受け止められるのである。
 物語の筋がさらにしばらく先に進行した後にも、ユニコーンの保持する独特の属性である“オールド”性という概念と、これと対照的な死すべき人間存在の未熟さを暗示する言葉“child”は、各々が繰り返し用いられていることが見て取れる。次は魔法使いシュメンドリックの行使した、実は未熟な出来損ないの魔法の効果に怖れおののく、無知な山賊達の様子を語る描写である。

Instantly, his black hat snatched itself from the fingers of the man who held it and floated slowly through the darkening air, silent as an owl. Two women fainted, and the Mayor sat down. The outlaws cried out in children’s voices.

pp. 62

即座にシュメンドリックの黒い帽子は、これを掴んでいた男の指からひったくられるように離れて、夜の帳を降ろしつつある外気の中をフクロウのように静かに飛んで行きました。二人の女は気を失い、市長は愕然としてへたり込んでしまいました。そしてならず者達は、子供のような叫び声をあげたのです。

“children”は、正確に同一平面上において“オールド”という概念との対称をなしているものとして、同一の範疇に属する概念であることが改めて確認される。この言葉は正反対の意味において連関した一種の反転的同義語として、キーワード“オールド”と関連しているのである。一つの言葉そのものの用例としてではなく、概念と含蓄において形成された密接な意味の組織構造体が、この物語においては緊密に構築されているのである。だから次の例を見れば“baby”という別の言葉もまた、“オールド”というキーワードに連接していることが確認されるだろう。シュメンドリックが魔法の力を用いて召還した真実の存在達、ロビン・フッドと彼の森の仲間達を目にした時の、みすぼらしい紛い物の吟遊詩人が自分自身の理想像を前にして思わず慨嘆の声をあげた場面である。

“Alan-a-Dale.” It was raw Willie Gentle. “Look at those changes.” His voice was as naked as a baby bird.

p. 74

「アラナ・デイルだ。」この声をあげたのは、未熟な詩人のウィリー・ジェントルでした。「何と言う変調の手法だ。」こういう彼の声は、ひな鳥のように丸裸でした。

この部分もまたキーワード“animal image”に関連する箇所だが、“彼の声は鳥の雛のように丸裸でした。”の“baby”という言葉が明らかに“オールド”の対立概念となるものとして採用されていることが分かる。ここで用いられている形容語の“raw”も“naked”もやはり、同様の概念を示唆するものであると判断することができるものである。これらは全て“オールド”の反対語として機能し、本作品のユニコーンの本質的属性をあらわす最も重要なキーワードの一つである“オールド”と反転的に連接すべき概念として緻密な計算の許に導入されているのである。
 “オールド”という概念が暗示する、人間界の一般常識とは対照的に異なる高邁な晴れやかさは、ユニコーンが始めて宿敵レッド・ブルと対面する際の彼女に対する描写の語句において顕著にあらわれている。これらもまたこの作品の中で“オールド”という概念を補完するための欠かせない定義の一部であるといってもよいであろう。

With an old, gay, terrible cry of ruin, the unicorn reared out of her hiding place. Her hoofs came slashing down like a rain of razors, her mane raged, and on her forehead she wore a plume of lightning.

p. 106

オールドで鮮やかな、破滅をもたらす凄まじい叫び声をあげながら、ユニコーンは隠れていた物陰から姿を現しました。ユニコーンの蹄は剃刀の雨のように打ち降ろされ、たてがみは怒りに振り乱され、その額の角は稲光りのように光る羽飾りをつけたようでした。

 飽くまでも力強くくっきりとして、そして輝かしい精彩に満ちた姿こそが“オールド”という言葉の裡に含まれる含蓄なのである。そして意外なことに、ユニコーンとの始めての対決を果たし、何故か驚異的な力でもって恐れを知らぬ筈のユニコーンを圧倒してしまったレッド・ブルに対しても、ユニコーンはこの“オールド”という言葉を交えて、彼女の宿敵となる怪物との遭遇の印象を以下のように語っているのである。

“The Red Bull,” the girl whispered. “Ah!” She was trembling wildly, as though something were shaking and hammering at her skin from within. “He was too strong,” she said, “too strong. There was no end to his strength, and no beginning. He is older than I.

p. 117

「レッド・ブルは、」乙女はかすれた声でつぶやきました。「ああ!」激しく体を震わせていました。あたかも体の内側から何かが激しく揺すぶり、叩いているとでもいうかのようでした。「あの牡牛は、あまりにも強力でした。」乙女は言いました。「何と言う強さでしょう。牡牛の強さには終わりも無く、始まりもありませんでした。あれは私よりもオールドです。

ここでは何故か、無知で暴力的な野獣である筈のレッド・ブルもまた、ユニコーンと同様に“オールド”という特殊な属性を担うものであることが言及されている。この意外な事実はユニコーンの保持する“オールド”という属性の意義を補完する新たな情報であると共に、実はこの不可思議な怪獣自身の秘匿された謎を解明する重要な鍵でもある。レッド・ブルの示すという“オールド”という性向の暗示する、この物語の深奥に刻み込まれた謎の部分については、別途に章を改めて語り直す必要があるだろう。ここではさらにもう一頭の、“オールド”性が語られた意外な存在のことを指摘するに留めておこう。憎悪と破壊の権化であるかのような醜い怪物であるハーピーもまた、ユニコーンと同等のオールドという属性を確かに保持するものとして語られていたのである。ユニコーンが角の魔力を用いてこの残忍な怪物を捕らわれの身から解放した際の描写である。

The unicorn heard herself cry out, not in terror but in wonder, “Oh, you are like me!” She reared joyously to meet the harpy’s stoop, and her horn leaped up into the wicked wind. The harpy struck once, missed, and swung away, her wings clanging and her breath warm and stinking. She burned overhead, and the unicorn saw herself reflected on the harpy’s bronze breast and felt the monster shining from her own body. So they circled one another like a double star, and under the shrunken sky there was nothing real but the two of them.

p. 49

ユニコーンは自分が恐怖からではなく、驚きのために思わず叫び声をあげたことを知りました。「ああ、あなたは私と同じだ!」ユニコーンは、揚々として後足立ちになり、ハーピーの突進を受けて立ちました。ハーピーの巻き起こした邪悪な風の中で、ユニコーンの角は突き立ちました。ハーピーは飛びかかり、かわされ、旋回して離れました。ハーピーの翼は切り裂くように鳴り響き、口からは熱いよどんだ息が吐き出されました。ユニコーンの頭上でハーピーは燃え上がり、ユニコーンは自分の姿がハーピーの青銅の胸に映っているのが見えました。この怪物は自らの体から光を発しているのでした。このようにしてユニコーンとハーピーは連星のように互いの周りを旋回しました。縮み上がった空の下では、この2頭を除いて本当のものなどありはしませんでした。

醜くおぞましい、邪悪なものであろうとも、“真実”の存在はあり得るのだ。ユニコーンは、“オールド”で真実の存在だけが持つ直観力で、ハーピーもまた自分と同等の神話的崇高性を備えたものであることを知る。さらに本物の存在は、自ずから光を発するのである。向かい合って旋回するユニコーンとハーピーの姿はこの場面では、同等の質量をもった対からなる天体である連星に喩えられている。この両者の形成する位相は、影と本体の緊密な補完関係から成り立つ、宇宙の存在原理の一つを示す表象としても理解し得るものだ。すなわち、この両者は“ウロボロス”及び“巴”の紋章にも表された、宇宙の原理機構の表象を形作っているのである。疑いの余地なく、ハーピーもまたユニコーンがそうであったのと同等の意味で“オールド”なのである。
 この物語において採用されている“オールド”という極めて特殊な概念は、主人公であるユニコーンについて物語る描写においてのみならず、この思弁的野心に満ちたお伽話の作品世界そのものの奥行きを決定することになる、一種の宇宙定数のような機能をも果たすことになっているのである。次に示すのは、魔法使いシュメンドリックの興味深い運命と関わるもう一つの“オールド”という言葉の含蓄である。ユニコーンについて語られていた“オールド”という属辞は、あまりにも無能な弟子であるシュメンドリックに、彼の師ナイコスが語ったという予言と彼の与えた恐ろしい宿命とも関連する言葉なのである。シュメンドリックはユニコーンに自らの秘密を打ち明けて、自身の呪われた運命の意味する“オールド”という観念の裡にある深い内実を告げるのである。

At last he said to me, ‘My son, your ineptitude is so vast, your incompetence so profound, that I am certain you are inhabited by greater power than I have ever known. Unfortunately, it seems to be working backward at the moment, and even I can find no way to set it right. It must be that you are meant to find your own way to reach your power on time; but frankly, you should live so long as that will take you. Therefore I grant it that you shall not age from this day forth, but will travel the world round and round, eternally inefficient, until at last you come to yourself and know what you are. Don’t thank me. I tremble at your doom’”

p. 119

そしてとうとう、ナイコスは僕に告げたのです。「我が弟子よ。お前の無能さはあまりにも甚大であり、お前の無力さにはあまりにも深遠なものがある。だからお前には、儂のかつて知らぬ程の偉大な力が備わっているに違いあるまい。残念ながら、今のところその力は逆の方向へと働いているようだ。この儂でさえも、その向きを正してやる術は見つかりそうにない。お前は自分に備わったこの力を発揮するためには、自分自身でその手段を見つけるしかないのであろう。だが正直なところ、その時に至るまでには、お前は随分と長い時を待たねばならぬようだ。だから儂は、今日この時からお前が年を取ることがないようにしてやることにしよう。お前は老いることなく、自分の本来の力を手に入れ、お前のなすべきものが何であったかを知るまで、世界中をいつまでも無力なままで彷徨い続けることになるのだ。儂に感謝することはない。お前に課せられた呪いの恐ろしさに、儂は身が震える思いだ。」

ここでは“オールド”という本来は崇高なものを形容する筈の概念が、これまで道化のような愚かな随行者として振舞っていた喜劇的人物であるシュメンドリック自身に関する秘められた謎とも深く関わることになっているのである。いつも不自然な程に若々しい相貌を備えていた得体の知れぬ魔法使いシュメンドリックが、事ある毎に“I am older than I look.”(僕は見かけよりは年を取っているんだ。)と語っていたことの理由が、世界そのものに課せられた深い宿命との関わりの許で語り直されているのである。年齢を重ねることなく、若く未熟なままでいつか来るべき運命の時を待ちながら世界を放浪し続ける彼の定めは、救世主キリストを罵倒した罰としておぞましい呪いを受けて死を得ることが不可能になり、永遠に世界を放浪し続けるという伝説の“彷徨えるユダヤ人”(Wandering Jew)のイメージの見事な変奏となっている。シュメンドリックに課せられたこの運命は、尽きることのない円環性の呪縛として、あるいは時間性の限界を跳躍する永遠性の新たな呪いとして、キーワード“eternal”と反転的に関連するものとなっているのである。そしてまた絶大な無能さが莫大な有能さを暗示するという彼の師ナイコスの従った魔法の原理の中にある反転的原理機構は、対称的対立要素の循環的連関として構築される影の論理の世界解式と、正確な対応を示すものともなっているのである。そうした意味において、この不格好な魔法使いもやはりまた“オールド”という属性の一端を担う存在ではあるのだ。
 さらに興味深いのは、本作品の最も求心的な存在として物語世界の軸を引き締めるべき悪漢(villain)の役を務めるハガード王について語る言葉においてもやはり、この“オールド”という概念がさらに微妙な意義牲を担わされて用いられていることである。意外なことに無知な山賊の情婦モリーによって、最高の魔法使いを抱えていながら真の満足を得ることが出来ていない事実を指摘された折の、究極の知力と類い稀なる意志の担い手である国王ハガードの姿は以下のように語られていたのであった。

For a breath, he looked like a bewildered young man. “Why no, that is true,” King Haggard murmured. “Mabruk’s magic has not delighted me for a long time. How long has it been, I wonder?”

p. 129

ほんの一瞬だけ、ハガード王はびっくりした若者のような顔になりました。「なるほど、その通りだ。」ハガード王はつぶやきました。「マブルクの魔法はもう長い間儂を楽しませることはなかった。どのくらい以前からだったろうか?」

ハガード王の顔に一瞬浮かんだ戸惑いの表情を形容するためにここで用いられている“young”という言葉もやはり、これまでに検証してきた“baby”や“child”と全く同根の“オールド”に対する反対語として機能する概念として採用されていることが分かる。そしてこの場面からも明らかなように、ハガード王自身の保持する根本性向もまた、何故かユニコーンやレッド・ブルと同じように“オールド”なものであることが示唆されているのである。実はこの“オールド”性とは、むしろハガード王という悪漢像に焦点を当てた時に初めて、我々人間存在の知力にとって意味措定が可能となる筈のものなのである。  だからこそこのキーワード“オールド”は、ぼんくらな腑抜けの王子の姿から運命性を帯びた英雄への目覚ましい覚醒を果たし、そればかりでなくさらに類型的な英雄像の超克までをも達成して、見事にハガード王の招いた王国の呪いを解消する役割をも成し遂げることになる、ハガード王の義理の息子であるリア王子を語る際にも、殊に重要な関わりを示すこととなっているのである。  リア王子について“オールド”という言葉の用いられる場合は、この生まれ変わった英雄の成長の有り様を物語る場面においてである。

But the prince stood up to bar her way, and she stopped, her apron full of herbs and her hair trailing into her eyes. Prince Lir’s face bent toward her: older by five dragons, but handsome and silly still.

p. 140

けれどもリア王子は立ち上がって、モリーの前に立ちふさがりました。モリーは立ち止まりました。エプロンには野菜を一杯抱え込み、長く伸びた髪は目の中に入り込んでいました。リア王子はモリーの方に顔を傾けました。ドラゴン5匹分だけ以前よりオールドになってはいましたが、まだ人の良さそうな、そして整った顔付きでした。

上の引用において明らかなようにリア王子については、彼の得た愚凡さからの覚醒とその結果得た霊的成長を示す指標として、“オールド”という言葉が効果的に活用されている。このように本来はユニコーンという神話的存在の超越的属性を語るためのものと思われていた“オールド”という呼称とこれに照応する種々の言葉は、実は様々の人格の個別の性向を照射するために、むしろ満遍なく活用されてさえいるのである。例えば先程のリア王子の場合とは反対に、ユニコーン/アマルシア姫とはあまりにも対照的に卑小な人間存在でしかないモリーを描写する際には、やはり“オールド”の対照語とでも言うべき“child”という言葉が用いられているのであった。飽くまでも輝かしく美しいアマルシア姫と向き合い、愚かな人間存在の行う不毛の努力に対してあまりに冷淡な態度を示すように思われるアマルシア姫に向かって、責めるとも嘆くともつかない言葉を吐いてしまうみすぼらしいモリーの姿を形容する描写である。

Her voice was a child’s thin, sad mumble. She said, “But that will never happen to you. Everyone loves you.”

p. 144

モリーの声は、子供の語るようなかすれた、もの悲し気なつぶやきでした。「でも、あなただけはそんな目に遭うこともない。誰もがあなたのことを愛しているのだから。」

ここでも正確にキーワード“オールド”に反転的に関連する概念として、“child”という言葉が用いられている。永遠なる存在のユニコーンが本質的に“オールド”であるのに対して時間的・運命的に限界ある知覚しか持ち得ない“mortal”な存在は、“オールド”の影としての意味を持つ“child”という言葉を冠して表現されなければならないのである。
 この感覚は、モリーが初めてユニコーンに出会った場面においても、さり気なく語られていたものであった。何故かユニコーンの姿を目にした途端、他の人間達とは異なって間違いなくユニコーンを同定することが出来、しかも万人の憧れの的である筈の崇高な存在であるユニコーンに対して畏怖を知らない不思議な態度で接して見せた、けれどもただみすぼらしいばかりの中年女であるモリーの姿は、ここでは矮小な“甲虫”に喩えられていたのである。“young”も“child”も、米つき虫の類いの“甲虫”を意味するこの“beetle”と同様の内実を持つ言葉なのであった。

But Molly pushed him aside and went up to the unicorn, scolding her as though she were a strayed milk cow. “Where have you been?” Before the whiteness and the shining horn, Molly shrank to a shrilling beetle, but this time it was the unicorn’s old dark eyes that looked down.

p. 83

けれどもモリーはシュメンドリックを押しのけて、ユニコーンに近付きました。そしてあたかも迷った雌牛のようにユニコーンを叱ったのです。「どこに行っちゃってたんだい。」光り輝く角を持った純白のユニコーンの前では、モリーの姿はきいきい鳴いている甲虫のように萎んで見えました。でも今度オールドな深い目を下に降ろしたのはユニコーンの方だったのです。

 ここで興味深いのは、どこからともなくハガード王の城に姿を現した、正体不明の猫に関するこの指標の適用の如何であろう。不可思議な助言を与えてアマルシア姫の一向の探求の旅を目的へと近付ける役割を果たすことになるこの猫は、やはり彼もまたその霊的性向が“オールド”という範疇に属するものであるかもしれないことが暗示されているからである。例えば彼は、モリーとの会話の中で次のような不可解な言葉を口にしている。何故アマルシア姫の正体がユニコーンであることを彼が知っていたかを問うたモリーに対する謎めいた返答である。

“As to your first question, no cat out of its first fur can ever be deceived by appearances. Unlike human beings, who enjoy them.”

p. 148

「さっきのあんたの質問に答えるとね、猫というものは一度毛が抜け替わることを経験すれば、決して外観などに惑わされることはないんだよ。見かけに騙されて喜んでいる人間達とは違うのさ。」

いきなりどこからともなく現れ、人語を語り始めたこの奇妙な猫のみでなく、全ての猫が極めて例外的な存在性を保持した生物であることがここに暗示されている。さらにこの後のリア王子の証言に従えば、ハガード王は猫という生き物が他の動物達とは全くことなる別種の存在であると看做しているというのである。

He [Haggard] says that there is no such thing as a cat―it is just a shape that all manner of imps, hobs, and devilkins like to put on, to gain easy entrance into the homes of men.

p. 138

父上は猫などという生き物はいないとおっしやるんだ。あれは様々な妖気や精霊の類いが人間の家に入り込むために装った、偽りの姿だとおっしゃるんだ。

ハガード王の解釈に従えば、猫というものはただの一般の動物の一種などとは全く異なる別種の存在であり、その正体はむしろ超自然の世界に属する精霊や妖気の類いなのだというのである。つまりは猫もまた、ユニコーンやハーピーと同等の“オールド”な属性を主張し得る、特別な神話的存在に属する生き物であるというのだろうか?この疑問点については、この他の仮構世界とは次元軸を乖離した独特の物語世界の中で彼の占める存在論的位相に対する論考として、章を改めてさらに考察を深めてみる必要があるだろう。
 殊に興味深いのは、一旦真実の英雄としての存在性を獲得し、本質性向として“オールド”な存在属性を勝ち取った筈のリア王子が、時折戸惑いと躊躇いの表情を見せる場面を語る描写において、“オールド”の対照語である“young”が繰り返し採用されていることである。リア王子について語る描写においては、“オールド”と“ヤング”の双方がそれぞれ交替して適用される結果となっているのである。

As a hero, he understood weeping women and knew how to make them stop crying―generally you killed something―but her calm terror confused and unmanned him, while the shape of her face crumbled the distant dignity he had been so pleased at maintaining. When he spoke again, his voice was young and stumbling.

p. 157

英雄として、リア王子は女達が泣いている場合に、どのようにして泣き止めさせれば良いかを弁えていました。大抵は何かを殺せば良いのでした。けれどもアマルシア姫のあらわしていた静かな恐怖の表情は彼を混乱させ、たじろがせました。そして姫の落ち着いた顔つきが、王子が身に付けて満足を得ていた近寄り難い威厳を崩壊させてしまったのです。次にリア王子が言葉を発した時には、彼の声は若く、つまずいていました。

英雄としてようやく身に付けた“オールド”性と、様々の意味でこのキーワードに相反する“ヤング”という本来の属性の間で揺れ動くのが、このお話の伝説的騎士の役割を演じるリア王子なのである。
 そして“反オールド”性を示唆する用語の使用は、人間存在の中でおそらく最も“オールド”性を堅固に保持すると思われるハガード王の表情を語る際において、むしろ極めて効果的に行われているのである。ハガード王に関して“オールド”の対立概念である“child”という語が用いられる場合には、物語の描像はひときわ痛切な、緊張の度合いを強めたものになるのである。ハガード王の城に到着して以来、予期に反してユニコーンらしい振る舞いを行わず、愚かな人間に成り果ててしまいつつあるように見えるアマルシア姫に痺れを切らして、自ら秘匿すべき真実を語ってしまうハガード王の有り様を語る描写である。

Haggard was grinning at her and pointing down to the white water. “There they are,” he said, laughing like a frightened child, “there they are. Say that they are not your people, say that you did not come here searching for them. Say now that you have stayed all winter in my castle for love.”

p. 164

ハガード王は唇を歪ませてアマルシア姫を見つめ、下方の白泡を浮かべた海を指差していました。「そら、あそこにいる。」ハガード王は怯えた子供のように笑いながら言いました。「そこにいるだろう。あれが自分の仲間達でないと言ってみるがよい。彼等を求めてここまでやってきたのではないと言ってみるがよい。そなたは、何の意味もなく儂の城で一冬を過ごしたなどと言ってみるがよい。」

キーワード“オールド”と相反的に関連する“child”は、ハガード王というこの物語の生成の初動因でもあり、人間存在の到達し得る極致を暗示する高邁な人物の精神の振幅の全域を記述するために用いられているかのようである。この場面の後、ハガード王はさらに言葉を続けて言う。

“I like to watch them. They fill me with joy.” The childish voice was all but singing. “I am sure it is joy. The first time I felt it, I thought I was going to die. There were two of them in the early morning shadows. One was drinking from a stream, and the other was resting her head on his back. I thought I was going to die. I said to Red Bull, ‘I must have that. I must have all of it, all there is, for my need is very great.’ So the Bull caught them, one by one. It was all the same to the Bull. It would have been the same if I had demanded tumblebugs or crocodiles. He can only tell the difference between what I want and I do not want.”

p. 164-5

「彼等の姿を眺めているのは愉しい。彼等は儂の心を喜びで満たしてくれる。」こう語るハガード王の子供のような声は、ほとんど歌っているようでした。「これこそ喜びというものの筈だ。初めてこの気持ちを感じた時、儂は死んでしまうかと思った。早朝の木陰の中で二頭の姿が見えていた。一頭の牡は流れから水を飲み、もう一頭の雌は牡の背中に頭を乗せて休めていた。儂は本当に死んでしまうかと思った。儂は牡牛に命じた。『儂はあれを手に入れねばならぬ。全てを自分のものにせねばならぬ。この世にいる限りのものを自分のものにするのだ。儂の願望は果てしなく大きい。』そして牡牛は一頭ずつ彼等を捉えてきた。どれも牡牛にとっては違いはなかった。儂が捉えることを命じたのが米つき虫であろうとも鰐であろうとも違いはなかったであろう。牡牛はただ儂の求めるものとそうでないものとの違いが分かるだけなのだ。」

 不可解極まりない謎に満ちたものであったハガード王とレッド・ブルとの間の関係が、ユニコーンを媒介軸として語られているのである。ハガード王の哀切な独白としてここに描かれているのは、ストイズムの敗北の一瞬であり、ニヒリズムの終局であろう。“永遠”を垣間見たことを誘惑者メフィストフェレスに告白したファウスト博士の場合にも似て、究極の知性と意志を備えた人間存在の精神の振幅の両端をここには窺うことができる。だからこそこれは、自我の分裂の決定的瞬間として「無知」という様相が分離生成を遂げた場面でもあるのだろう。

“I suppose I was young when I first saw them,” King Haggard said. “Now I must be old―at least I have picked many more things up than I had then, and put them all down again. But I always knew that nothing was worth the investment of my heart, because nothing lasts, and I was right, and so I was always old.

p. 165

「初めて彼等の姿を目にした時、儂は若かったのであろう。」ハガード王は言いました。「今は、儂は老いているに違いない。少なくとも儂はあの頃手に入れていたよりもさらに多くのものを手に入れ、そして投げ捨ててしまった。けれども儂はいつも分かっていた。何物も儂の心を傾けるには値しないことを。何物も失われずにあることは決してないからだ。そして儂の判断は正しかった。だから儂はいつも年とっていた。」

キーワード“オールド”は、ユニコーンについての場合とはまた別の意味で、ハガード王自身と深く関連するのである。“オールド”という属性の裏面が見事に述べられているのが、人間存在ハガード王の悲劇的な一生を語るこの場面である。ハガード王のこの独白は、ユニコーンの語っていた言葉、“I can not regret.”とある意味で相補的なものとなっているのである。だからこそこのお話の大団円を迎えた場面において、ハガード王の最期を語る言葉は以下のようなものとなるのである。

But King Haggard, who was quite real, fell down through the wreckage of his disenchanted castle like a knife dropped through clouds. Molly heard him laugh once, as though he had expected it. Very little ever surprised King Haggard.

p. 195

けれどもハガード王だけは間違い無く本物だったので、雲の中を突っ切って落ちるナイフのように魔法の解けた城の残骸の中を落ちていきました。モリーは彼があたかもこの事態を待ち受けていたかのように満足そうに笑う声さえ耳にしました。ハガード王を驚かすことのできるものなど滅多にありはしませんでした。

ハガード王の存在属性に関して、彼もまた“real”な存在であることがはっきりと語られている。ユニコーンとレッド・ブルとハガード王の三者の持つ“real”という属性の位相の異なりを比較検証することによって、ハガード王によって暗示される本作品世界特有の存在論的意義性と“オールド”という概念の秘密が解明されることになるだろう。このハガード王の示していた“オールド”性の複写あるいは模像としてこそ、リア王子について語られていた“オールド”という言葉も機能していたのであった。だからユニコーン達の解放と失われた恩寵の回復という奇跡が語られた後のエピローグにおいて、今は“リア王”となったこの人物の姿は、以下のように語られることになるのである。永遠にアマルシア姫を失ってしまった、探求の旅の目的を決して叶えることの出来ない騎士であり、ダミーの英雄でしかあり得ないことを悟らされたリアの姿である。

King Lir let her hand fall as well, and he swung himself into the saddle so fiercely that his horse reared up across the sunrise, bugling like a stag. But Lir kept his seat and glared down at Molly and Schmendrick with a face so grim and scored and sunken that he might well have been king as long as Haggard before him.

p. 210

リア王はモリーの手も放しました。そしてくるりと振り返ると馬に飛び乗ったのですが、それがあまりに激しい勢いでなされたため、馬は驚いて後足立ちになり、日の出を迎えた空に鹿のように甲高い鳴き声を響かせました。けれどもリアはしっかりと鞍に腰を据えたまま、モリーとシュメンドリックの顔を鋭い目で見据えました。その顔はあまりに厳つく、深い皺が刻まれ、憔悴して見えたので、ハガード王がそうであったように、もうすでにずっと長い間王であり続けていたかのように見えました。

リア王子の容貌のハガード王に対する類似がここでも再び指摘されている。それは彼がより賢く聡明に、そして“オールド”になった結果であると共に、ここには実はハガード/リアという、王たる権力と運命を与えられた人間存在一般の保持する特殊な霊的能力と、その宿命の許で彼等がその心中に抱かざるを得ない、愚かしく汚れた現実を生きることへの苦々しい呪詛の念に縁取られた“王の苦悩”が語られてもいるのである。



(1)

 ホメロスが『イリアッド』(Iliad)等で用いていたような存在物の属性、特徴を語ってその名の一部のように冠せられた形容語を“エピセット”(epithet)と呼んだ訳であるが、現代のあまりにも卑近な日常性に埋没した存在物達は、自らを語るべきエピセットを失った、漫然とただ無数に存在するもの達の中の何であっても良い、あるいは確固たる存在感を示すことのできる何物でもあり得ないと言うべきであろう。ファンタシーとは神話と伝説という背景の中で確かな独自のエピセットを持った輪郭のくっきりとしたもの達の形作る、立体感豊かな世界のことなのである。そこでは存在物の本性とそれらが呼ばれる名辞が必然性と相関でもって結び付けられているのである。
 このような真実の存在との間の乖離を来した下劣な現実に生きることの痛切な自覚が、『最後のユニコーン』においてははなはだ戯画的な処置を施して語られている。未熟な魔法使いシュメンドリックが用いた魔法の技の失敗の様をもの語る描写である。

promising to turn a duck into a duke for them to rob, he produced a handful of duke cherries

p. 73

アヒルを身ぐるみ剥いで金になる公爵様に変えてみせると約束しておきながら、魔法使いが実際に出して見せたのは、一握りのデューク・チェリーでした。

言語の意味性の裡に内在する筈の魔法の効力が見事に失墜してしまった結果、破綻した換喩(metonymy)がグロテスクな具現化を行った例がここに示されているのである。

(2)

 Cf. 『アンチ・ファンタシーというファンタシー』(近代文藝社、2005)、第6章、「汎宗教とパン」

(3)

The harpy did not move, but a cloud put out the moon.

p. 36

ハーピーは身体を動かしはしませんでした。けれども雲が流れて月を覆い隠しました。

(4)

 ニュートン物理学が提示した均質な空間と全宇宙をおしなべて支配する万有引力という関係性と、その中で観測される運動を記述する物理法則の裏付ける普遍という概念と、量子物理学の要請の許に超ひも理論を採用した4つの力の大統一理論が再提示した場とエネルギーと波動の様相の転換による総括的統合理論の双方をもさらに包含すべき、倫理・精神・事象の全てを支配する普遍的原理こそが、ファンタシーの語る究極的“普遍”となる筈のものなのである。

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