ピーターの無知と不思議な知恵


 これまでに明らかになったようにピーターは集合的無意識の実体化であり、本能的直観の具現化であった。だから当然この少年は社会的常識や世俗的知識などとは無縁の存在である。しかしながらピーターはこのような無知の部分を持つと同時に、宇宙の根源と結びついたような不可思議な知恵を持ち合わせてもいる。本章ではこれら二点をテクストの進行に忠実に従って検証していくことにしよう。
 ピーターは落としていった自分の影をみつけても、自分の体にくっつける方法を知らない。バス・ルームで見つけた石鹸をつかってちぎれた影を貼りつけようとする。(p. 36)見かねたウェンディが影を縫い付けてあげようと申し出ても、「縫う」という言葉さえ知らない程だ。(“What’s sewn?”「縫い付けるって、何?」p. 39)ウェンディに首尾よく影を縫い付けてもらうと、今度は影を縫い付けてくれたのがウェンディであることを忘れて、自分一人でこの難事をなし遂げたつもりになって一人浮かれていたりする。おまけにピーターは「キス」という言葉さえも知らない。ピーターはウェンディが「キスをしてあげる。」(“shall I give you a kiss?”)と言うと、何か品物でも手渡してもらうものと勘違いして、キスを受け取ろうとして喜んで手を差し出す。思えばピーターが誰にも奪うことのできないダーリング夫人の口許に浮かぶキスをいとも容易に奪い去ることができたのは、彼のこの無知のお陰であったのだ。ウェンディは彼の気持ちを傷つけることのないように、「キス」と偽って、持っていた「指貫」を渡してやらなければならない。(p. 41)こうしてこの物語の中ではキスと指貫の意味転換が行われる。ピーターとウェンディの意識の重なり部分においては、キスが指貫であり、指貫がキスであるという可能世界の一つが開けている。ピーターはウェンディに歳を尋ねられても、自分の年齢さえ答えることが出来ない。そのくせ彼は不思議なことを覚えているのだ。

It was not really a happy question to ask him; it was like an examination paper that asks grammar, when what you want to be asked is Kings of England. “I don't know,” he replied uneasily, “but I am quite young.” He really knew nothing about it, he had merely suspicions, but he said at a venture,[傍線筆者] “Wendy, I ran away the day I was born.”

p. 42

それはピーターにとってあまりありがたくない質問でした。英国の王様の名前を尋ねて欲しいときに文法の質問をする試験問題みたいなものでした。「知らないよ。」ピーターは落ちつかなそうに言いました。「とにかくぼくはとっても若いんだ。」ピーターは本当に自分の歳のことはなんにも知りませんでした。ただぼんやりと思うことがあるだけでした。でもピーターはあてずっぽうで言ったのでした。「ウェンディ、ぼくは生まれたその日に逃げだしたんだ。」

 ピーターは「あてずっぽう」に自分が生まれた当日人間世界を逃げだしたのだと語る。そして彼の場合はあてずっぽうで言ったことは常に真実なのだ。ピーターは一体何故、折角生まれてくることになった人間世界から逃げ出さなければならなかったのだろう。ピーターの存在の秘密について彼は自分でこう語る。

“It was because I heard father and mother,” he explained in a low voice, “talking about what I was to be when I became a man,” he said with passion. “I want always to be a little boy and to have fun. So I ran away to Kensington Gardens and lived a long long time among the fairies.”

「それはお父さんとお母さんが、ぼくが大人になったら何になるかということを話しているのを聞いたからなんだ。」ピーターは低い声で言いました。「僕はずっと小さな子供で楽しく暮らしていたいんだ。だからぼくは逃げだしてケンジントン公園で妖精達と一緒に長い間暮らしてきたんだ。」ピーターは強い口調で言いました。

 普通子供達は成長して大きくなることにあこがれを抱くものだ。大きくなるにつれて手の届く高さは増し、より速く走ることが出来るようになり、これまで不可能であった様々のことが実際に体験出来るようになる。さらに、子供達は大人になればもっと自由に自分の身を処することが出来る筈だというおかしな幻想さえ抱いているものだ。
 それなのに生まれたその日から大人になることのつまらなさを知ってしまったピーターは、一体どこからそんな物悲しくも深遠な知恵を手に入れてしまったのであろうか。この世に生きるものすべてにつきまとう生の悲哀について、生まれたばかりのその時から感得することができるというピーターには大きな謎が付きまとっている。実際、ピーターという存在自体が大きな謎(riddle)なのだ。この問題については後に章を改めて改めて語り直さねばならないだろう。
 ピーターは妖精という存在の生成の秘密までわきまえている。ピーターによれば妖精の誕生はこんな具合にして起こる。

“You see, Wendy, when the first baby laughed for the first time, its laugh broke into a thousand pieces, and they all went skipping about and that was the beginning of fairies.”

p. 43

「あのね、ウェンディ、赤ちゃんが始めて笑い声をたてた時、その声ははじけて何千ものかけらになって、飛び跳ねるんだ。それが妖精の誕生なんだ。」

 妖精の発生に関するピーターの説は、万物の有機的連関を前提とするロマン主義の思想に基づいた世界観と関連して本書で先に検証された見解とは、いささか異なるものである。しかし実際に妖精と共に暮らしている、古代の神族の一人でさえあるピーターの言うことだから、この件についても彼のあてずっぽうを一概に間違いだと決めつける訳にはいかないであろう。我々の知識の方に修正を加えるとするならば、ピーターの開陳する妖精誕生説は、以下のような見解を暗示するものとして解釈されるだろう。つまり始源の神であり、宇宙にあまねく行き渡るエネルギーのような存在である妖精が、その本性として持っているものは、始めて笑った赤ん坊の声のように他愛なく喜びに満ちたものであると。これは滅亡の予言に脅かされ、神との間に交わされた苛酷な契約に縛られるキリスト教的な世界観とは、全く対照的なものである。あるがままの自然をあるがままに受入れ、かつ又自分自身の内面の心象世界を観照することによって、失われていた自己の本性を取り戻すことが出来さえすれば、それが最も幸福にみちたものであると説く、ヴェーダ哲学等に代表される東洋哲学の教える伸びやかな世界観が、ピーターの語る妖精誕生説において暗示されている訳だ。それならばあてずっぽうに語ったはずのピーターの妖精誕生説は、先の章で検討したのと同様の、ファンタシー文学の内包する宇宙の不可分の合一性を前提とした楽天的世界観を見事に踏襲したものであると言える。しかしながらバリは妖精の発生の発端を「赤ん坊の笑い声」に帰するという観念遊戯をこの作品において付け加えもしている。このような奇想(conceit)においては『ピーターとウェンディ』は、前世紀においてジョージ・マクドナルドの描いたような、宗教代替物となり得ることを企図した形而上的神秘思想を媒介するアレゴリーとしてのファンタシー文学の軌道を大きく逸脱して、はなはだアイロニカルな20世紀的モダニズムの感覚をより追求した作品であると言えるのだ。
 妖精という存在の霊的世界構成要素という要因を考慮すれば、ピーターの語る妖精に関わるもう一つの情報は、やはり我々の精神の存在する内的世界と外界である宇宙空間とが、緊密な有機的関係の許にあることを伝えるものである。子供達一人一人につき一人の妖精が「いる筈だった。」と語るピーターの言葉を聞きとがめたウェンディは妖精と子供達の間の不思議な関わりについて教えられることになる。

“Ought to be? Isn’t there?”
“No. You see children know such a lot now, they soon don’t believe in fairies, and every time a child says, ‘I don’t believe in fairies,’ there is a fairy somewhere that fall down dead.”

p. 43

「いるはずですって?じゃあもういないかもしれないの?」
「そう。子供達は今はたくさんのことを知ってしまうだろ。だから子供達はすぐに妖精のことを信じなくなってしまう。そして子供が「妖精なんているものですか。」と言うたびごとにどこかで妖精が倒れて死んでしまうんだ。」

 子供達の信仰を失った時妖精は死ぬ。ドイツ・ロマン派の形而上学的アレゴリーにおいて「妖精」という記号が果していたものと同等な機構がここにも窺われる。『ピーターとウェンディ』においてはロマン派の導入した妖精像が誕生神話において革新される一方で、その寓喩的意味は確かに継承されている訳である。
 ピーターが知っているもう一つの大きな秘密は、ロスト・ボーイズに関わることであった。ピーターはネヴァランドでロスト・ボーイズ達と共に暮らしていると教えられてウェンディは、「ロスト・ボーイズって何?」と尋ねる。ピーターの答えはこうだ。

“They are the children who fall out of their perambulators when the nurse is looking the other way. If they are not claimed in seven days they are sent far away to the Neverland to defray expenses, I'm certain.”

p. 46

「ロスト・ボーイズっていうのは子守りがよそを向いている時に乳母車から落っこちてしまった子供達なんだ。もしも一週間のうちに見つけてくれる人がいなかったら、経費の負担のためにネヴァランドに送り込まれることになっているんだ。」

 ここにバリが『ピーターとウェンディ』において創りあげた極めてモダニズム的な神話創成機構がある。「乳母車から落っこちる」という表現はおそらく乳幼児死亡率の高かった当時において赤ん坊が命を無くすことを婉曲的に表現したものであったろう。ロスト・ボーイズとは大人になる前に他界してしまった幼い死者達の魂のことである。バリはこの観念的な婉曲表現に具体的イメージを与えるという離れ業をやってみせた。泡がはじけるように笑い声の中から生まれる妖精達と、不気味な死の戸口をくぐり抜けてネヴァランドにやって来たロスト・ボーイズ達(1)は、極めてドライで無機質的なアイロニーの産物でもある。その意味で妖精の本性に関する描き方とロスト・ボーイズという存在の導入のしかたについては、この作品が極めてモダニズム的な要素を持っているということが改めて指摘出来るのである。(2)
 バリの作品における特徴的要素として「きまぐれ性」という表現が用いられることが多いが、この「きまぐれ性」とは、バリの開拓した戦略的奇想の産物のことなのであり、決してバリの創作行為そのものがきまぐれになされた訳では無い。ピーターの示す時に無知であり時に知恵に満ちているという、一見当ての無いキャラクタ−設定要素は、深い部分でちゃんと繋がっている。これらはピーターという見事に一貫したキャラクタ−の発現形として現れたゆらぎの両極と見なし得るものなのである。
 ピーターには女性特有の嫉妬という気持ちが分からない。ピーターがウェンディにキスをするのを邪魔しようとしてウェンディの髪を引っ張るティンカー・ベルのことをピーターはこのように語る。

“She says, she will do that to you, Wendy, every time I give you a thimble. ”

p. 48

「ティンクはね、ウェンディ、ぼくが君に指貫をあげる度にいつもこうするって言ってるんだ。」

 ティンカー・ベルの言葉をこのように翻訳してやりながらも、何故彼女がこんなことをするのか、その真意はピーターには分からないのだ。無邪気にティンカー・ベルに「でも何故?」なんてピーターは尋ねてしまう。でもウェンディには分かっているのだ。きっとあまりにも人間的なこの感情のことを知らないのは、ピーター一人きりなのだろう。そのくせピーターには、人の心の奥底を見抜いてしまっているような、妙に賢しげなところがあったりもする。ウェンディをネヴァランドに誘い込もうとしてピーターは様々の誘惑を仕掛ける。空を飛ぶことや人魚達のことなど、ネヴァランドに待ち受けている数多くの魅力について語った後にピーターが持ち出す決定的な誘惑の言葉は、こんな風に語られている。

“Wendy,” he said, the sly one, [傍線筆者]“you could tuck us in at night.”

p. 50

「ウェンディ、夜にはぼくらを床に寝かしつけることだってできるんだよ。」ずるがしこいピーターは言いました。


 そして「僕等の服を繕い、ポケットを作ってくれることも出来るんだよ。」と続けるピーターは女心を知り尽くした百戦錬磨の女たらしみたいなところさえある。無邪気な筈の子供達が潜めている狡賢さは、ピーターの裡では誘惑者として鮮やかに振る舞うこのような場面に見られたし、ピーターの誘惑を受けるダーリング家の子供達の裡にも、このすぐ後の場面で見受けられることとなる。ピーターの誘惑に屈してウェンディが弟達を起こしたところで、ピーターはあたりに異常を感じて子供達に注意を呼びかける。その時の子供達の様子は次のように描かれている。

Their faces assumed the awful craftiness of children listening for sounds from the grown-up world. [傍線筆者] All was still as salt. Then everything was right. No, stop! Everything was wrong. Nana, who had been barking distressfully all the evening, was quiet now. It was her silence they had heard. [傍線筆者]

p. 51

子供達の顔は大人の世界の物音に聞き耳をたてる子供達の恐ろしいほどの狡猾さをただよわせていました。なにもかもしんと静まり返っていました。すべて順調です。いや、ちょっと待った!これではまずい。晩の間ずっと悲しげにほえつづけていたナナが今は静かになっています。子供達が聞きつけたのはナナの静けさでした

このように子供達は大人の見ていないところでは特有の狡賢さを発揮し、その耳は静寂さえも聞き取ることが出来るのである。ピーターは子供達のそうした不気味な属性の見事な具現化なのだ。
 ピーターが子供達に空を飛ぶ方法を教える時には、こんな風だ。

“You just think lovely wonderful thoughts”, Peter explained, “and they lift you up in the air.”

p. 54

「ただ素敵な、楽しいことだけを考えればいいんだ。そうしたらその気持ちが君を宙に浮かしてくれるんだ。」ピーターは説明しました。

 素敵な楽しいことだけを思い浮かべるとその気持ちが体を宙に浮かせてくれるのだと言う。これは子供だけが自由に執り行うことが出来て、大人には決してかなうことの無い、霊妙かつ深遠な秘儀だ。何故ならば大人達は心中に「憂鬱」というどうしようも無い引力を抱え込んでしまっているからだ。皮肉なことに「憂鬱」から己を解放する術を知っているのは、憂鬱をまだ知らぬ子供達だけなのだ。実はこの「憂鬱」という概念は、ピーターという存在の秘密を明らかにする際の指標となるものだ。これについては後に詳しく触れることになるが、今手短に語っておくとするならば、ピーターという存在のアンチ・テーゼであるフックの体現しているものが正しくこの「憂鬱」なのである。
 ピーターはいつも実にいい加減だ。先にも触れたようにピーターの言うことは必ずしも当てにならない。ネヴァランドへ行く道筋についてウェンディ達にピーターが語った言葉についても、語り手はこのように述べて訂正している。

“Second to the right, and straight on till morning,” that, Peter had told Wendy, was the way to the Neverland; but even birds, carrying maps and consulting them at windy corners, could not have sighted it with these instructions. Peter, you see, just said anything that came into his head. [傍線筆者]

p. 58

「二番目の角を右に、それから夜明けまでまっすぐに」それがピーターがウェンディに教えたネヴァランドに行く道筋でした。けれども地図をたずさえていて、風の中で地図をのぞきこんでいる鳥達でさえ、こんな説明ではネヴァランドを見つけることはできなかったでしょう。ピーターはね、頭に浮かんできたことはなんでもでまかせに言ってしまうのですから

「二番目の角を右に、それから朝まで真っ直ぐに」これがネヴァランドに向かう道筋だとピーターは言う。ドイツ・ロマン派が書いたメルヘン(Kunst Marchen)が想像力の源泉とした民間伝承のメルヘン(Volks Marchen) が語ったフェアリー・ランドの在り処「太陽の東、月の西」(East of the sun, west of the moon) を思い起こさせるような謎めいた言葉ではある。でも空を自由に飛び回る鳥達でさえこんな説明では分からないだろうと語り手も言う。ピーターは当てにならないでたらめを言っているのだろうか、それとも鳥にさえ分からない秘密を彼は手にしているのであろうか。
 先にも触れたようにピーターは「食べる」ということを知らない。ネヴァランドへと向かう途上でピーターが子供達に教えた食料の調達の仕方は、ウェンディも危ぶむように、甚だ怪しいものであった。

But Wendy noticed with gentle concern that Peter did not seem to know that this was rather an odd way of getting bread and butter, nor even there are other ways. [傍線筆者]

p. 59

けれどもウェンディは気づいて心配になったことがありました。ピーターはこれがバタつきパンを手に入れるにはちょっとおかしなやり方だと分かっていないどころか、他に食べ物を手に入れる方法があることさえ知らないようなのでした。

小鳥達からパン屑を奪う、ということ以外の食べ物の手に入れ方をピーターは知らないようなのだ。これは生を送る能力の欠如という致命的な無知であると同時に、飢えることを知らない、という生の限界を乗り越えた超越的な力でもある。ピーターには常にこのような二律背反的な属性がつきまとっている。

 空を自由に飛び回りながらピーターは星と会話を交わしたりさえもする。

He could come down laughing over something fearfully funny he had been saying to a star, but he had already forgotten what it was...

p. 62

ピーターはなにかとても面白いことを星に語っていたらしく、笑いながら戻ってきたりするのでした。でもどんな面白い話をしていたのか、ピーターはもうきれいに忘れてしまっていましたけど。

こんな不思議な能力を示しながら、星達と語らっていたことの中身をすぐさま忘れてしまうのがピーターなのだ。ピーターの忘れっぽさといったら、ダーリング家の子供達を置き去りにして空の彼方へ飛んで行った後、再び彼等に出会った時にはもう彼等の顔を殆ど覚えていない程なのだ。(p. 63) いよいよ目的地であるネヴァランドの見える辺りまでやって来ると、ピーターは静かに告げる「ほら、そこだよ。」「光の矢がみんな向いている方さ。」ピーターは子供達に教える。

Indeed a million golden arrows were pointing out the island to the children all directed by their friend the sun, who wanted them to be sure of their way before leaving them for the night.

p. 64

なるほど、百万もの金の矢が子供達に島の方角を示してくれていました。みんなお友達のお日様が、夜の間子供達から離れている時、子供達が道に迷うことのないようにとしてくれていたことなのでした。

子供達は既にピーターと一緒にいるおかげで太陽の友達になっている。太陽と星々、大地と空と気脈を通じさせることが出来るのがピーターの力だ。
 ピーターは妖精に関わることなら何でも確実な知識を持っているようだ。ティンカー・ベルの光を見つけて、海賊達が大砲で彼等を狙っているのが分かった時も、ティンカー・ベルが自分では思うように自分の光を消すことが出来はしないないのだと語る。

“She can’t put it out. That is about the only thing fairies can’t do. It just goes out of itself when she falls asleep, same as the stars.”

p. 71

「ティンクは光を消すことはできないんだ。妖精ができないことってこれくらいしかないね。星と同じように、妖精が眠りに落ちたとき自然に光りは消えるんだ。」

 バリはティンカー・ベルという妖精を描くことによって、伝統的な土俗的妖精像を破壊し、背中に羽を生やしている小さくてこぎれいな現代的妖精像をもたらした張本人でもあるが、妖精の光の本質を大空の星の光と同格に置いたところでは、自然の力の象徴としてのロマン派の妖精像を受け継いでいるとも言える。(3)
 子供達がネヴァランドに近づいていくに従って、ピーターの知恵はいよいよ確かなものになってくる。子供達にはネヴァランドの気配は余りにもおぼろげにしか感じられない。しかしピーターにはネヴァランドの様子が手に取るように分かっている。

It was the stillest silence they had ever known, broken once by a distant lapping, which Peter explained was the wild beasts drinking at the ford, and again by a rasping sound that might have been the branches of trees rubbing together, but he said it was the redskins sharpening their knives.

p. 72

子供達がこれまでに経験したことのないような静けさでした。時折遠くの方でぴちゃぴちゃ音がしました。ピーターはそれは野獣達が川の浅瀬で水を飲んでいる音だと言いました。また木の枝がこすれ合うような音が聞こえることもありました。でもピーターはそれはインディアン達がナイフを研いでいる音だと言うのでした。

 聴覚という人間にとっては幾分不確かな感覚において、ピーターの確信はより強いものとなっているようだ。視覚と理性に対して対極的な部分でピーターの能力はより研ぎ澄まされていくのだ。ティンカー・ベルのいたずらでウェンディがトゥートルズの矢に胸を射られて墜落した時も、ピーターは不思議なことを言う。

“She is dead,” he said uncomfortably, “Perhaps she is frightened at being dead.”

p. 97

「ウェンディは死んじゃった。」ピーターは落ちつかなそうに言いました。「たぶん死んじゃったことに怯えてるんだ。」

 死んだ後のウェンディの心の状況まで推測出来るのはピーターの不思議な知恵だ。ピーターは生死の臨界点を越えた魂の真実を知っているのかもしれない。けれども、彼はおどけた振りをしてウェンディの亡骸の見えない所まで行って、二度とここに戻って来るのはよそうか、などとも思う。メイク・ビリーブの世界で手に終えない出来事が起こってしまったら、それを投げ出して、忘れてしまうのが一番だ。これが子供の無責任な行動の基本原理であるのだろう。しかしながらウェンディ殺害の非を認めて「殺してくれ」と言うトゥートルズに対して、ピーターは二度矢を振り上げながら二度とも彼の心臓を突き刺すことが出来ない。ピーターは言う。「刺すことは出来ない。何か僕の手を押し留めるものがあるんだ。」(p. 98)ウェンディがまだ生きていることに最初に気付いたのはニブズだった。トゥートルズの放った矢はピーターがウェンディに与えた「キス」に当たっていたのだった。ピーターは事の真相を知らないまでも、自分の取るべき行動を導く何物かの声を聞くことができる。自分が知らないということを知っていながら聞こえる、するべからざることを押し留める内なる声は、ソクラテスのダイモニオンを思わせるものがある。無意識の声に耳を傾けて予言の言葉を聞き取る力を持った者は、自分自身と外界世界全てを包括してまどろむ、いつか覚醒すべき神性を本能の間近に感じ取る者なのだ。
 このまま地面に横たわったままではウェンディは本当に死んでしまう。そこでピーターはウェンディの体のまわりに家を建てることを提案する。(4)これは中々いいアイデアだ。そんな素晴らしい閃きを見せるくせに、ピーターはそこに現れたジョンとマイケルの顔をすっかり忘れてしまっていたりもする。散々苦心して家を建て終わったあとウェンディを起こす時にはピーターはみんなに最上の身だしなみでウェンディを迎えるように命じる。何故ならば彼の言葉を借りれば「第一印象というものが特別に重要なんだ」(p. 106)からだ。でもピーターは内心誰も「第一印象」がどんなものであるか質問しなかったので安心する。ピーターにも難しい言葉である「第一印象」がどんなものであるかちっとも分かってはいないのだ。家から姿を現したウェンディに子供達は自分達のお母さんになって欲しい、と頼む。「でもそんなこと私に出来るかしら、経験も無いし。」と、とまどうウェンディに語るピーターの言葉は彼の無知と無知なるがゆえに所有する不思議な知恵の両面を示すものである。

“That doesn’t matter”, said Peter, as if he were the only present person who knew all about it, though he was really the one who knew least.

p. 107

「それは問題じゃないんだ。」ピーターは今ここにいる人の中で、なにもかもわきまえているのは自分だけだというような口ぶりで言いました。でも本当は一番分かってないのはピーターだったのです。

 子供達のお母さんになったウェンディはジョンとマイケルが両親のことを余りよく覚えてなさそうなのを心配して、試験問題を出す。ロスト・ボーイズ達も関心を示してこれに加わる。その試験問題とはこんなようなものだ。

“What was the colour of Mother’s eye? Which was taller, Father or Mother? Was Mother blonde or brunette? Answer all three questions if possible.”

p. 116

「お母さんの目の色は何色でしたか?お父さんとお母さんとどちらの方が背が高かったですか?お母さんは金髪でしたか、黒髪でしたか?もしできればこれらの三つの質問に答えなさい。」

他にも様々な課題をウェンディは考える。しかしピーターだけはこれに加わらない。そこにはピーターの存在の秘密に関わる特殊な事情も有りそうだが、何と言ってもピーターには字を書くことが出来ないからだ。

Peter did not compete. For one thing he despised all mothers except Wendy, and for another he was the only boy on the island who could neither write nor spell, not the smallest word.

p. 117

ピーターは張り合おうとはしませんでした。一つにはピーターはウェンディ以外はお母さんなんてものはみんな馬鹿にしていたからでした。もう一つには、島にいる子供達の中でたった一人ピーターだけが字を書くことも読むこともできないからでした。ほんの短い単語すらピーターは知りませんでした。

 ピーターはダーリング家の子供達を迎えた後のネヴァランドでのこのような生活の変化の中で一人浮き上がっているように見える。彼はウェンディの助けを借りて「冒険をしない振り」をするゲ−ムをしてみたりする。しかしこれにもまもなく飽きてしまう。ピーターは一人きりで一体何をしていたのだろう

He often went out alone, and when he came back you were never absolutely certain whether he had had an adventure or not. He might have forgotten it so completely that he said nothing about it; and then you went out you found the body; and, on the other hand, he might say a great deal about it, and yet you could not find the body.

p. 118

ピーターはよく一人で出掛けました。そしてピーターが帰って来た時、ピーターが冒険をしてきたのか、してこなかったのか、はっきり言うことはだれにもできませんでした。ピーターは自分のしてきたことをすっかり忘れてしまっていたため、なにも自分で言うことはなかったからです。それなのに出掛けてみると、ピーターに殺された海賊の死骸が見つかったりするのです。そしてまた、ピーターは自分のしてきた冒険のことをとても沢山言うこともありました。でもピーターに殺された海賊の死骸を見つけることはできなかったのです。

 ピーターは海賊を殺して来た日もあったし、海賊を殺してきた振りをする日もあった。でも自分がそのどちらをしたのか覚えていないのがピーターなのだ。この忘れっぽさこそピーターと他の子供達を截然と画するピーター独自の秘密である。例えば礁湖におけるフックとの戦いの際、自分の方が高いところにいることに気がついて助けの手を差し延べたところでピーターはフックに傷を負わされてしまう。これはひどい裏切りだ。成長する過程で子供達は自分達の生きるこの世の中から様々の手ひどい裏切りを受け、傷つき、大人になっていく。しかしピーターだけは違うのだ。

No one ever gets over the first unfairness; no one except for Peter. He often met it, but he always forgot it. I suppose that that was the real difference between him and all the rest.

pp. 139-40

だれも始めて被った不正な裏切りから立ち直ることはできません、ピーターをのぞいては。ピーターはなんどもこんな目にあったことがありました。でもいつも忘れてきたのでした。私はそのところがピーターと他の子供達との本当の違いなんじゃないかと思うんです。

 ピーターの手下の子供達でさえもピーターの無知には気付いてしまっている。例えばジョンはこうだ。

“He is not really our father,” John answered. “He didn’t even know how a father does till I showed him.”

p. 153

「ピーターは本当はお父さんじゃないんだ。」ジョンも言った。「ピーターはぼくが教えてやるまではお父さんがどんなふうにするのか知ってもいなかったんだ。」

マイケルの場合はこうだ。

“It was me told him mothers are called old lady,” Michael whispered to Curly.

p. 156

「お母さんが『お前』って呼ばれているのをピーターに教えてやったのはぼくなんだ。」マイケルはカーリーにささやいた。

何よりもピーターが分かっていないのは、女の子の気持ちだ。ピーターの奥さんを演じている筈のウェンディがこんな風に詰問しなければならない。ピーターとウェンディの以下のやりとりはいかにもちぐはぐだ。

“Peter”, she asked, trying to speak firmly, “What are your exact feelings to me?”
“Those of a devoted son, Wendy.”
“I thought so,” she said, and went and sat by herself at the extreme end of the room.
“You are so queer,” he said, frankly puzzled, “and Tiger Lily is just the same. There is something she wants to be to me, but she says it is not my mother.”

pp. 158-9

「ピーター、あなたは私のこと本当はどう思っているの?〕ウェンディはしっかりとした口調で言おうと意識しながらたずねました。
「お母さんが大好きな息子の気持ちだよ。」
「そうだと思ったわ。」ウェンディは言って、部屋のあっちの端まで行って一人で腰をおろしました。
「なにを言ってるんだい?」ピーターはごまかしでなく訳が分からなくなって言いました。
「タイガー・リリーもそんな風なんだ。タイガー・リリーはぼくの何かになりたいらしいんだけれど、ぼくのお母さんになりたいんじゃないっていうんだ。」

 ピーターは子供達の両親の役をウェンディと共に演じていながら、ウェンディのことを自分のお母さんだとしか認識出来ていない。ピーターには絶対に知ることの出来ない何かがあるのだ。それと共にピーターだけが経験して知っている、恐ろしい秘密もまた存在する。床についてウェンディにお話をしてもらう子供達はウェンディの語るお母さんの子供達に対する限りない愛情の深さを信じて疑わない。ところがもっと深い真実を知ってしまったものが一人だけいる。それがピーターだ。

But there was one there who knew better; and when Wendy finished he uttered a hollow groan.

p. 167

けれどもそこでもっと深い真実を知っているものがいました。そしてウェンディがお話を終えるとピーターはうつろなため息をつきました。

ピーターの語るところによると、遠い昔ピーターはお母さんがいつも窓を開けてピーターが帰って来るのを待っていてくれると信じて、何ヵ月も家を空け、そして帰って来たらお母さんはピーターのことを忘れてしまっていて窓は閉じられ、ピーターのベッドには別の赤ん坊が眠っていたのだという。(p. 167)これを聞いてにわかに不安になったダーリング家の子供達は両親の許に帰ろうと考える。そしてウェンディはピーターの気持ちも気づかうことなく、「家に帰る支度を整えてくれるわね。」と言う。これを聞いたピーターは平静を装って、敢えて拒もうとはしない。けれども彼の心の中は怒りに燃えている。

...he was so full of wrath against grown-ups, who, as usual, were spoiling everything, that as soon as he got inside his tree he breathed intentionally quick breaths at the rate of about five to a second. He did this because there is a saying in the Neverland that, every time you breathe, a grown-up dies; and Peter was killing them off vindictively as fast as possible.

p. 169

…ピーターは大人達に対してとても怒りを感じていました。大人達は例によってなにもかもだいなしにしてしまうのでした。ですからピーターは自分の木の中に入るやいなや一秒間に五回の割合でわざととても速く息をつきました。ピーターがこうしたのは、ネヴァランドにはことわざがあって、子供が一つ息をするたび毎に大人が一人死んでしまうのだというのです。そういう訳でピーターはできるだけ速くたくさん大人達を殺して、恨みをはらしているのでした。

 現実の世界の子供達が妖精の存在を信じることを止めるとともに妖精達が死んでしまうように、ネヴァランドの子供達が息をつく度ごとに大人達が死んでしまうのだ。このような世界の裏側で作用している不思議な法則についてはピーターは妙に詳しい。そして意図的に速く息をつぎ、残酷にも大人達を殺してしまおうとするのだ。
 瞬時における判断の的確さにはピーターは侮れないものを持っている。海賊達にさらわれた子供達を救いに出掛ける途中で、時計を飲み込んでいた鰐がもう時計の音をたてるのを止めているのに気が付いたピーターは、計算を越えた直感力でこの事実を自分の目的のために役立てる。

Without giving a thought to what might be the feelings of a fellow-creature thus abruptly deprived of its closest companion, Peter began to consider how he could turn the catastrophe to his own use; and he decided to tick, so that wild beasts should believe he was the crocodile and let him pass unmolested.

pp. 214-5

こんなに親しい連れを突然奪われてしまった同じ生き物の気持ちがどんなものであるか思いやることもなしに、ピーターはこの件を自分の役に立てるにはどうしたらよいか考え始めました。そしてピーターは野獣達がピーターのことを鰐だと思ってピーターの邪魔をすることなしに通してくれるように、鰐の真似をしてカチカチ音を立てることにしました。

 こうして鰐のたてる時計の音を真似することによってピーターは野獣達に邪魔されることなく海賊達の船のところまでたどり着けることになるが、ピーターの無意識の直観が冴えるのはむしろここからだ。まず鰐が何を思ってか、これまで自分がたてていた時計の音をたてるピーターの後についてくる。この鰐は最後にフックの滅亡を招く重要な役割を果たすことになるのだが、ピーターにはそんな計算は到底なかった筈だ。しかもピーターはあんまり長い間時計の音をたて続けていたので、自分がそうしていることさえきれいに忘れてしまっている。(p. 215)フックが子供達の処刑をウェンディの目の前で執り行おうとしているまさにその時フックの不意を突き、うろたえさせることになったのが、ピーターが忘れたまま真似し続けていたこの時計の音だ。(p. 212)フックとの最後の戦いを勝利に導くきっかけは全くの計算外の無意識の行為から得られたのである。
 全ての冒険が終わり、ダーリング家の子供達は無事家に戻り、ロスト・ボーイズ達もダーリング家に引き取られた後、春の大掃除の日にウェンディに会いにやって来たピーターは、なんと仇敵であったフックのことまでもさっぱりと忘れてしまっている。

“Who is Captain Hook?” he asked with interest when she spoke of the arch enemy.
“Don’t you remember,” she asked, amazed, “how you killed him and saved all our lives?”
“I forget them after I kill them,” he replied carelessly.

p. 255

「キャプテン・フックって誰だい?」ピーターはウェンディが彼の仇敵のことを話した時、とても関心を示して尋ねました。
「覚えてないの?」ウェンディはびっくりして聞きました。「あなたがフックを殺して私たちみんなを助けてくれたのよ。」
「ぼくは殺したやつのことはみんな忘れてしまうんだ。」ピーターは無造作に言いました。

さらにピーターはティンカー・ベルのことさえすっかり忘れてしまっているのだ。ウェンディがいくら説明しても、ピーターはまるで関心を示さない。「妖精は数がとても多いからね。きっともう彼女はいなくなってるんじゃないかな。」(p. 256)ピーターは忘れっぽいお陰でどんな悲しみも痛手も負うことはない。変化し、失われていく者達の中でピーターだけは繰り返し、繰り返し変わらぬ生を活き活きと送り続けていくのだろう。覚えなければならないこともなければ、知ってしまうこともない。無知と英知が結ばれて一つになったような本能的衝動のおもむくままにピーターは生き続けることに違いない。
 しかしピーターの得たこの永遠の自由は、生の束縛からの喜ばしい開放なのでは全く無い。実は彼は子供達の無意識の中を当てど無くさまよい続けざるを得ない、というあまりにも苛酷な呪縛に捕捉されているのである。ピーターとは決して復活することの無い神であり、永久に帰還することの無い王でもあった。ピーターの体現するこの恐ろしい宿命の実態については、改めてこの希有なファンタシー作品の本来の主人公とピーターとの関係を再確認した後に再検証されることになるだろう。


(1)

 ピーター・パンというキャラクターが始めて具体的に登場人物として実体化した作品である『白い小鳥』においては、ケンジントン公園に住むピーターは乳母車から落っこちて凍死した子供達を埋葬するのを習慣にしている。

(2)

 しかしながらドイツ・ロマン派の作家達の作品を今一度振り返ってみるならば、例えばブレンターノーの得意とした、洒落や地口の言語遊戯から仮構世界を捏造する趣向のメルヘンや、ホフマンがしばしば演じてみせた、夢と現実を渾淆させて物語世界の非在化を図る観念遊戯のメルヘンは、既にモダニズム的な要素を色濃く有していたのであった。(cf. Thalmann, pp. 63-120)迂闊にロマンティシズム、モダニズム、あるいはポスト・モダニズム等の色分けをすることが出来ない理由がここにある。ロマン主義とはまさにオスカー・ワイルドが述べたようにリアリズムも反リアリズムも共にその裡に含んでいる両義的な観念であるからだ。ワイルドによれば、リアリズムはたった一つだけのコンヴェンションに縛られて一義的な価値基準しか持ち得ない観念の硬直を示し、ロマンティシズムとはそれに対し様々のコンヴェンションを認める多義的な価値基準を備えた観念の柔軟性を示すものである。従ってロマンティシズムから見ればリアリズムはある特定の形式を持ったロマンティシズムの一種として認め得るが、反対にリアリズムの立場から見ればロマンティシズムは価値基準を逸脱した認め得ざるものとなる。「嘘の衰退」(“The Decay of Lying”)参照。さらに付け加えるならば、イギリスにおいてロマン主義勃興の先駆者的存在であったゴシック・ロマンス作者達の中には、ウォルポール(Horace Walpole)やラドクリフ(Ann Radcliffe)等に代表される純粋に中世回顧的なゴシック・ロマンス作者達を揶揄する立場をとった、反ゴシック・ロマンス作家とも呼び得るオースティン(Jane Austen)やピーコック達も含まれていたのである。このようなロマン主義という概念の曖昧さについてはRobert Kiely, The Romantic Novel in England.(1973)を参照されたい。
 この問題は当然ファンタシーという言葉の定義にも当てはまり、ファンタシーの指標を「ザ・ファンタスティック」(the fantastic)と呼び、その定義を「物語世界中の基本原則の180度の逆転」としてリアリティとファンタシーの関係をワイルドと同様の視座から論じたラブキン(Eric S. Rabkin)の、The Fantastic in Literature, (1976)も作品世界は全て独自の宇宙定数である「相関関係式」(perspective) を持った公理系としてリアリティとは軌を異にする別種の可能世界として存在していることに目を留めて、絵画・映画等を含めて全ての芸術作品はファンタシーであると結論付けている。(pp. 213-227)
 『最後のユニコーン』の作者ビーグルが『ピーター・ビーグルのファンタシー世界』(The Fantasy Worlds of Peter Beagle, 1978)の序文「自家製の人狼」("The Self=Made Werewolf")において“I am likely to announce that all writing is fantasy anyway: that to set any event down in print is immediately to begin to lie about it,...”(p. 10) 「書き物はすべて何らかの意味においてファンタシーであると述べたいと思います。何であれ記述するということはとりもなおさず嘘をつき始めるということですから…」と述べていることは、ワイルドの「嘘論」に「ファンタシー論」が呼応していることを示している。

(3)

 『ピーターとウェンディ』の先行作『白い小鳥』に描かれた妖精は、より現代的に類型化されたものとなっていたのが印象に深い。あえてモダニズムとポスト・モダニズムを分別するなら、やはり『白い小鳥』がモダニズム的で、『ピーターとウェンディ』がポスト・モダニズム的であるという図式はとり得よう。

(4)

このモチーフは『白い小鳥』にあったものをそのまま踏襲したもの。

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