メタフィクションとフェアリー・ダスト


 アテベリーは『アメリカ文学におけるファンタシーの伝統』においてピーター・S・ビーグルの『最後のユニコーン』を、トルキンの試みた徹底した異世界構築作業という文学創造理念との対照の裡に位置付けようとしている。アテベリーはまずビーグルがこのようなトルキンの影響を強く受けていることを指摘する。


 1968年に『最後のユニコーン』を書いたビーグルを始めとして、後に続く1970年代のアメリカのファンタシー作家達がひとしくトルキンの影響を強く受けていることは紛れもない事実であろう。現実世界の瑣末なリアリティという束縛から想念を解放して、自由な仮構世界のなかで観念の新天地を切り拓くことを可能にするファンタシーの手法は、現代の心理的閉塞状況を打破する力を備えたものとして、訴えるものが大きかった。それはビーグルの場合よりも、『アメリカ文学におけるファンタシーの伝統』において最も重要視されているル・グィンの『影との戦い』

(A Wizard of Earthsea, 1968)において更に顕著である。しかしここではアテベリーはビーグルのトルキン解説に対するアプローチのあり方に対していささか疑念を抱いているような口ぶりである。これはビ−グルのトルキンに関するエッセイの出来栄えに問題があったというよりもむしろ、アテベリーの側にビーグルに対するある種の偏見があったからではないかと思われるのである。その辺りのところをもう少し探ってみることにしよう。さらにアテベリーはビーグルの作家としての経歴を紹介して次のように記述を進める。

 アテベリーはビーグルの選んだ創作戦略をトルキンに対する賛辞(homage)であるとともに、トルキンのなし遂げたものとは地平を異とする別物であると指摘する。これは正しくその通りであろう。トルキンの『指輪の王』を格調の高い叙事詩のようなハイ・ファンタシー(high fantasy)の典型とするなら、ビーグルの『最後のユニコーン』は、一見リアリスティックな物語世界の中に超自然の現象が導入される、一般に言われるロウ・ファンタシー(low fantasy) ともまた趣の異なった、新趣向の作物となっている。これはアテベリーの言葉を借りるならばハイ・ファンタシーという極と「控えめな調子の風刺」あるいは「皮肉な諧謔」と呼ばれる極の中間に浮動する作品ということになる。そこにはジェイムズ・サーバー(James Thurber)が開拓したような、滑稽でもあり同時に厳かでもある独特の興趣が期待される筈であった。しかしながらアテベリーのビーグルの企図に対する最終的評価はかなり厳しいものとなっている。

 アテベリーはビーグルがトルキンに近づくことを意識した結果サーバー流の手法を試みることによってトルキンの域に迫ろうとしながら、結局破綻をきたしてしまっていると結論づける。(3)アテベリーの指摘するビーグルの「自意識過剰」な態度がこの作品全体に滲み出ているのは確かな事実だ。しかし果してこれは作者ビーグルが虚構世界構築の作業の途上で文学表現技巧のコントロール不能に陥ってしまった欠陥例として指摘するのにふさわしい特徴であるだろうか。この語り口は、「控えめな風刺」とアテベリーが呼んだ『心地よく秘密めいた処』を書いたビーグルの生得的なアイロニカルな体質が、トルキン流のハイ・ファンタシーを描こうとする際に齟齬を来した結果表出してきたものであると言いきることはできるであろうか。ビーグルに染みついたこの「皮肉な諧謔」的なスタイルの発現が、文学作品制作の場における失敗例として判断されるべき指標であると確信させうる基準はどこにあるのだろう。実はこの皮肉な要素はこの類の作品を理解する際には決定的に重要な因子として見做されなければならないものなのであるが、アテベリーは必ずしもこの言葉をそのような文脈で用いている訳ではないのだ。この点については、後にアイロニーとファンタシ−の関係としてさらに詳細な分析の手を加えなければならないであろう。結局アテベリーはビーグルの選んだ作品世界創造の根本的戦略は頓挫したと断定する。アテベリーが認めるのはこの作品の一部に垣間見られる作者の詩的感性のみである。

 ここに紹介されているような創造的感覚の豊かさは、ビーグルの作家としての才質の高さを評価する上で非常に有効な具体例である。アテベリーも確かにそこのところを認めてはいる。しかしながらアテベリーには、決定的にビーグルを受け入れられない部分がある。それはこの作品の次のように論じられているような傾向である。

 これがトルキンを認め、ビーグルを認めることの出来ないファンタシー評家アテベリーの下した最終的結論である。ここに得られたアテベリーのファンタシー受容の限界点から考察を始め、ファンタシーとアイロニーの不即不離の関連について検証を行うのが本書の目的であるが、その糸口として、まずここでいささか興味深い表現が用いられていることに注目しておきたい。それは「ビーグルがまやかしのファンタシーを読者に提供する」とアテベリーが断定する際の、「彼はいつも妖精の粉を振りまいている」(he is always throwing pixy dust)という表現である。この「妖精の粉」という言葉から我々は何か連想するものが有りはしないだろうか。それは言うまでも無く、バリの戯曲『ピーター・パン』(Peter Pan, 1904)に登場していた「妖精の粉」(fairy dust)である。バリは最初この劇を上演した時には、ダーリング家の子供達にピーター・パンの後を追って自由に空を飛ばせていた。ところがこの劇を観た子供達がダーリング家の子供達の真似をして飛び立とうとしてベッドからころげ落ちる、という事故が続出したため、バリは後のヴァージョンに、子供達に空を飛ばせるためには、ピーターは彼らに「妖精の粉」を振りかけなければならない、という設定を付け加えたのであった。

 上演の度毎に観客の反応をうかがい、抜け目なく彼らの機嫌をとる娯楽提供者である人気劇作家バリのあざとい一面を人はここに読み取るであろうか。それも一考である。確かにバリは自分の劇を上演する度毎に綿密に観客の反応を観察して、脚本に手直しを加えるのが常であった。しかしバリは度重なる『ピーター・パン』上演の後、かなりの月日を経てから改めて小説版『ピーターとウェンディ』(Peter and Wendy, 1911)を書いている。脚本版とは異なった小説版『ピーターとウェンディ』には様々の語りの工夫が凝らしてある。それは文学作品における虚構性の操作が生み出す独特の効果を強く意識して、モダニスティックな小説を書くことから作家活動を始めたバリの技巧の集大成とも言えるものである。(4)この作品には実に巧妙に、安易な目で「ファンタシー」を読み取ろうとする読者をからめ捕る、作者の罠が仕掛けられていたのである。それがアテベリーが図らずも「ピクシー・ダスト」という言葉で呼んだフェアリー・ダストの正体であり、仮構世界を読者に提供しながら、同時にその仮構性自体をも読者の眼前に余すところ無く提示し、イマジネーションの世界の非在性を暴く、という「自意識的」(self-conscious)な様態を示す、先のアテベリーの言葉を再び借りるならば、「寄席の奇術」(parlor conjuring)にも似たメタフィクションの機構なのである。そしてまた、このような心的態度そのものが、ファンタシー文学誕生のきっかけとなったドイツ・ロマン派の哲学の特徴的な部分であったのであり、このような微妙な現実認識のあり方こそ、実はマクドナルドの切り拓いたファンタシー文学の内包する世界観に通底する視座なのでもあった。

(1)

 Lyn Carter ed. The Tolkien Reader (New York; Ballantine Books, 1966)に序文として収録されている。

(2)

 語られる物語世界が作者の手により捏造された仮構である、という意識を読者に抱かせることのないように細心の注意を払い、あたかも描かれた作品世界が現実世界のリアリティと比較して遜色のないものであるかのように作品世界を提示する工夫として、トルキンは「ウェストマーチの赤い本」(the Red Book of Westmarch)という架空の書物の存在を想定し、自分はあくまでもこの文献に対する註解者に過ぎないかのようなポ−ズをとって『指輪の王』という作品世界を読者の前に示した。それが「創りあげられたというよりはむしろ見つけ出された」とアテベリ−が語る意味であり、異世界のリアリズムに徹底的にこだわるトルキン独自の文学表現上の発明を評価する所以であった。アテベリーはトルキンのこの手法と比較して、ビーグルの作品世界の提示の仕方が余りにも露骨に虚構性を読者の前に提示するものとして、不信表明を下している。しかしながらこのようなビーグルの手法が伝統的な物語世界提示の手法を乗り越えようとするポスト・モダニズムの流れを汲んだメタフィクションの試みの一つであるとするならば、トルキンの偽りのリアリズムを構想する、という手法自体がまた、フィクション世界構築のコンヴェンションを乗り越えようとするもう一つの試みであるという点で、正しくメタフィクションの機構を備えている訳なのだ。当のアテベリー自身が後に『ファンタシーの戦略』(Strategies of Fantasy)において、フィクションの枠組みをフィクション自体が意識することによってその枠組みを破壊させるというこの機構が、『指輪の王』にも適用できることを指摘しているのは興味深い事実である。(pp. 40-41)このような手法はアテベリーも述べているように、20世紀末におけるファンタシー文学においてはむしろ主流を占めるに至ったのである。(p. 46 )この技巧の先駆者がバリであり、アテベリーの指摘するもう一つの代表的なポスト・モダニズム的メタフィクションの戦略である、作中人物自身が自分がこの作品世界の一登場人物であることを語る、(p. 47) という仕掛けをファンタシーの中に導入した先駆者がピーター・ビーグルなのである。

(3)

一つだけここで指摘しておくならば、アテベリーはビーグルが『最後のユニコーン』を書く際に始めてトルキンのスタイルを採用した、というふうに理解していたが、実はビーグルはトルキンを知る以前にすでにハイ・ファンタシーに属する傾向の短編を一つ書き上げていたのである。19歳の時処女作『心地よく秘密めいた処』を書き、本作品が1960年に出版された後、ビーグルがトルキンを発見したのが1965年頃で、ビーグルはその感動をもとにエッセイ「トルキンの魔法の指輪」をHoliday Magazineに寄稿しているが、ビーグルの短編「死神嬢こちらへ」(“Come, Lady Death”)は1961年に書かれ、1963年に発表されている。この短編はビーグルがスタンフォード大学在学中にファンタシーの嫌いなフランク・オコナー(Frank O'Connor)のライティング・クラスに提出されたもので、オコナーはこの作品を「アビー・シアター風の見事な声で朗読した」後、「これはとても美しく書かれたお話だ。私はこの作品は嫌いだ。」と言った、とビ−グルの解説にある。(“introduction” to The Fantasy Works of Peter Beagle, 1978)この短編は極めて完成度の高い逸品で、ユーモアとアイロニーが溶け合ったような、気品に満ちた造形的出来映えのファンタシーである。少なくともアテベリーが『心地よく秘密めいた処』に感じたような「控えめな風刺」や「皮肉な諧謔」を感じさせるタイプのものではない。この作品を見る限りアテベリーの断定していたようにビーグルの生来の気質がサーバー風の作風で書くことを妨げているということは出来ない筈だ。ビーグルはトルキンの模倣をする必要の無い、独自のスタイルを持っているからである。むしろアテベリーがビーグルのアイロニーの深さを測り損ねたのではないかと思われる理由がここにある。

 アテベリーは『指輪の王』をハイ・ファンタシーの典型と見ているようであるが、それは認めるとしても『指輪の王』のどの要素をハイ・ファンタシーの条件とするかによって、この二分法は変動しうるものである。ちなみにファンタシー撰集『闇の想像力』(Dark Imaginings: A Collection of Gothic Fantasy, 1978)を編纂したロバート・H・ボイアー(Robert H. Boyer)とケネス・J・ザホースキ(Kenneth J. Zahorski)によれば、ハイ・ファンタシーとは想像上の二次的世界を描いたもの、ロウ・ファンタシーとは現実的な一次的設定の裡に描いたもの、とある。(“introduction” to Dark Imaginings)これに従えば作品世界の基本的設定が現実とは異なる異世界にある『最後のユニコーン』はハイ・ファンタシーに分類することも出来る筈である。アテベリーのこの時点でのハイ・ファンタシーの概念は『指輪の王』の様式の方に偏向し過ぎているきらいがある。

 例えばトルキンの描いた奥の深い物語世界に劣ることの無い膨大な地誌・歴史を築きあげたジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)の19巻余からなる『マニュエル年代記』(“Biography of Manuel’s Life”)は叙事詩的な文体で中世的仮構世界を描いている点で紛れも無くハイ・ファンタシーであるといえるが、皮肉で風刺的な視点と語られる物語世界の仮構性に対する自意識性もまたその特徴として備えている。アイロニカルなハイ・ファンタシーもまた確かに存在する筈なのである。

 ビーグルは極めて寡作ではあるが、彼の選ぶ作風にはファンタシーではありながら、いわゆるハイ・ファンタシー的なものとロウ・ファンタシー的なものの両極を窺うことが出来る。ちなみにハイ・ファンタシー的な短編を「死神嬢こちらへ」とし、ハイ・ファンタシー的な長編を『最後のユニコーン』とするならば、ロウ・ファンタシー的な短編が「狼女ライラ」(“Lila the Werewolf”, 1974)、ロウ・ファンタシー的な長編が『心地よく秘密めいた処』という区分をすることが出来るだろう。長編『空の民』(The Folk of the Air, 1977) が出版されるまでにビーグルの書いた小説はこの四編だけであったので、ビーグルはハイ・ファンタシーとロウ・ファンタシー、長編と短編それぞれの組み合わせで各々一編ずつ書いていたことになる。これら4篇がThe Fantasy Works of Peter Beagleに収録されている。

(4)

 モダニズム的作風の際立った例としては、バリがピーター・パンというキャラクターを最初に導入することとなった小説『白い小鳥』(The Little White Bird, 1902)をあげることが出来る。この作品の主人公である「私」は独身の中年の退役軍人であるが、何故か若い恋人達におせっかいの手を差し延べ、不和になった彼らの仲を密かに取り持つばかりか、彼らの間に生まれた少年に異常な愛着を示し、彼と共に一種独特の子供の世界の牧歌的風景を楽しむ。しかしながらこの作品に描かれているものがいわゆる人情喜劇と異なるのは、上に略述したような主題が伝統的な手法を用いた小説のように時系列的なストーリーとして物語られるのとは異なり、一人称の語りを軸に展開される抽象的な観念遊戯の世界として提示される点である。この独自の技巧をこの作品において完成したバリは、『ピーターとウェンディ』においてはさらにもう一ひねり加えた、モダニズムの枠を越えるところまで突き抜けてしまっていた訳であるが、『白い小鳥』は中程の部分だけを独立させて『ケンジントン公園のピーター・パン』(Peter Pan in Kensington Gardens, 1906)として発行されるなど、『ピーターとウェンディ』成立との関連から見ても、非常に興味深いものがある。

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