夕焼けこやけ #1 ちょこれーとメモリー
夕焼けこやけ #2 びすけっとエイジ(前編)
夕焼けこやけ #3 びすけっとエイジ(中編)
夕焼けこやけ #4 びすけっとエイジ(後編)
夕焼けこやけ #5 かりんとうレボリューション(前編)
夕焼けこやけ #6 かりんとうレボリューション(中編)
夕焼けこやけ #7 かりんとうレボリューション(後編)
夕焼けこやけ #8 きゃらめるペナルティ(前編)
夕焼けこやけ#0
ぎゅるるるるるるーーーーー。
ノエルのお腹が壮絶な音をたてる。僕はあさっての方向をみつめ、そしてつぶやいた。
「きれいな夕焼けだね」
空腹からくる八つ当たりがくる前に、気をそらしたかった。
景色がどうこういうぐらいで、ノエルの気をそらせるとは思っていないけど。
「おい、ミナト。当たりとちゃうか? うつむいててようわからんけど、ありゃーけっこう上玉やで」
「え? どこどこ?」
確か村の名前はシルバーリーブといったと思う。村のほぼ中央ぐらいにその比較的立派な建物はあった。僕たちの目指していた町役場らしい。その建物を低いレンガでぐるりと囲んで敷地を誇示しているようだ。うつむいた女性は、そのレンガに腰掛け、小さなノートに何か書き留めているようだった。
「顔、あげんかなー?」
ノエルはそこまで言って、僕の視線に気づいたらしい。
「なんや、その目は? ミナトだって、どうせパーティくむならかわいーこがいいって言ったやんか」
「そりゃー言ったけど。あの人が冒険者かどうかわからないじゃないか」
ノエルはうなりながら腕をくんだ。
「それに年上じゃないか?」
ミニスカートをはいているけど、僕たちよりもう少し大人っぽく見える。
僕は首から下げているぴっかぴかの冒険者カードをちらりと見た。茶色の髪と、薄い緑の目。取りたてて特徴のない僕がひきつった顔で笑っている。職種はクレリック。といっても恥ずかしいことに、まだ宗派も決まっていなくて、それゆえにまだ技能をひとつも持っていなかった。冒険者になりたてということでは同じスタートラインの僕たちだけど、もう実践で活躍できるファイターのノエルの方が、僕より上といえるかもしれない。
ノエルはまだ考え込んでいるようだ。
ツンツンたたせた髪はハリセンボンに似ている。
真っ黒な大きな瞳は意志が強そうで、同期の冒険者の中で彼は群を抜いて目立っていた。
そんな彼と目立たない僕が一緒にこうしてパーティをくもうというのだから、世の中わからないものだ。
僕たちは何の因果か流れに流れて、この田舎村までやってきた。当面はバイトなどで生活をしのいで、のんびりとパーティを集めようなんて言っていた。
でも馬車の中で僕たちは重大なことに気づいたんだ。エベリンからでてから出会う冒険者はレベルが上で、どうあがこうとも僕たちを相手にしてくれなかった。つまり、エベリンから遠ざかれば遠ざかるほどメンバーを集めにくいということを、エベリンから離れていく馬車の中で知ったのだ。
「年上でもいいやろ。かわいーやないか」
「顔見てないくせに」
「顔なんか見なくてもわかるねん、よう見や。雰囲気でわかるやろ〜少年!」
ノエルが肩をくんでくる。
何が少年だ。自分の方が一つ下のくせに。
でも、まぁ、確かに。顔は見えないけど雰囲気はある。夕焼けの中で、その女性はほっこりと存在した。金髪を後ろで一つに結んでいる。赤い大きなリボンが印象的だった。細い首筋に風に吹かれた後れ毛がなまめかしい動きをする。
「田舎って捨てたもんやないな」
ノエルがにっかりと笑う。
「しばらくここで暮らすことになるんや。こーいう楽しみなきゃやってられんやろ?」
「ここで暮らすってノエル……」
ノエルの黒い瞳が大きくなって、僕は誘われるようにそのノエルの瞳に映ったものを見た。
不意に彼女が顔をあげた。
そしてそのまま立ち上がる。
「べっぴんさんや」
ノエルの国の方言でかわいい人のこともそんなふうに言うらしい。
でも、ノエルの言う通り、その女性はかわいらしかった。
手にしていた小さなノートをぱたんとしめ、なんと僕に微笑みかけてくれた。
え?
ええ?
「な、なんで俺に笑ってくれるんやろ?」
どうやら隣にいたノエルは自分に笑ってくれたと勘違いしたらしい。
「違うよ。僕に……」
「なんだよ、まだいたのかよ?」
後ろから声がした。僕とノエルは顔を見合わせ、そして振り返る。そこにはド派手な洋服を着たひょろーんとした赤毛の男が立っていた。羽根飾りのついた帽子をかぶり、長めの赤毛は一つにくくられていた。
こいつがあのおねーさんと?
長髪野郎は、ノエルと僕をまったく無視して、彼女のところまで歩みよった。
おねーさんは頬をちょっと膨らます。
「そんな言い方ないんじゃない? せっかく待っててあげたのに」
「男やろか?」
ノエルがひそひそ声で言った。赤毛の長髪が女か男かと言ったのではなく、おねーさんの彼氏かとノエルは聞いてきたのだ。
僕は答える代わりに、ノエルの脇をつついた。
ノエルも気がついて、僕と同じように方向転換した。
僕たちの目的は明日からの仕事と、今日の食事と寝床の確保だった。町役場を目指してきたんだけど、もう役所はしまっているようだ。だったら早く次の手を考えなくてはならない。時間は待ってくれないのだ。
最期にもう一度、かわいかったおねーさんを見ようと思って後ろを見る。触発されたようにノエルも振り返った。
空気が凍る。
威圧。
「なんや、あいつ。ガンとばしやがって」
僕は今にもとっくみ合いにでも走っていきそうなノエルの腕を掴んだ。
長髪野郎が視線を外した。
そしてさっきの顔からは想像もつかないような暖かい声で言った。
「さ、帰ろうぜ。腹減ったしな」
ヤツはおねーさんを連れてUターンしてくる。僕とノエルの横を二人が通り過ぎた。
ノエルを止めるために掴んでいた右手も、途中からその必要はなくなった。
ノエルが緊張し、「彼」に飛びかかることを考えていなかったからだ。
「見せつけられたな」
僕が言うと、ノエルは不機嫌そうに笑った。
「ほんまや〜。あったまくる。こんな純真な少年に大人げない」
至極、まったくその通りだと思った。
「ほんまや〜」
僕がノエルの言葉をまねると、ノエルは速攻で言い返してきた。
「やめとき。うそっこマネは! 気色わる〜」
「一言じゃんか。……わかったよ。もうマネしない」
昨日も独特な言葉使いをマネしたら、速攻で突っ込まれたから、相当不快なんだろう。
ノエルは残念そうに言って首をならす。
「ミナトはあきらめいいな。俺はあきらめ悪いしな」
ノエルは顔をあげた。
「あんなことされちゃぁ、よけいに闘志がわくってもんや」
ノエルに気合いが満ちてくる。
「ミナト、腹減ったわ。腹が減ったら戦はできんて言うしなー。食えるときに食っとけって、せんせーたちもいっとったしなー。飯行こう」
「う……うん」
歩きながらノエルの横顔を見ると、彼はいきいきとしていた。
腹のむしがぐーぐーなる、空腹状態で。
そして初対面の軽そうな男にがんをとばされて。
それでノエルの機嫌がいい……。
これは、何かある……。
ひたすら悪い予感に押しつぶされそうになる僕に、ノエルはさらに追い打ちをかけた。
「ミナト。夕焼けっちゅーのはなー、もうとっくに終わってるで。これはなー、夕焼けの後のこやけタイムや。よー覚えとき」
ノエルはすこぶるご機嫌だ。
そして……僕たちの旅は、多分、ここから始まった。
夕焼けこやけ#1「ちょこれーとメモリー」
「なぁ、ミナト。なんで俺ら、飯屋の前でひもじくチョコレートなんかカジってんねん?」
「そりゃーこの寒い季節、どうしても宿屋に泊まる必要があるからだろ?」
栄養満点の薬草入りチョコレート。これは冒険者必需品のアイテムだ。
冒険の途中で迷ったわけでもなく、こんな村の中でひもじく非常食を食べるはめになるとは思わなかったけど。
こんなにチョコレートをおいしくなく感じるのは、初めての経験だった。
「そんなに宿屋高いんねん?」
僕はわざとゆっくりと言う。
「ノエルがかいがいしくナンパしてる間に、僕はちゃんと村の人の聞いたんだよ。宿屋をね。300Gはするらしいよ」
「二人とちゃうん?」
「一人300G!」
強く言い返すと、ノエルはなんでこんな田舎村でそんな高いんだとかなんとか口の中で言った。
僕だって耳を疑った。僕の村で宿をとるといったら150Gだせば、かなりリッチな思いをできる。
「そういえば、ここ砂漠超えてきたもんな。物資がおいつかんてわけか」
ノエルの推測に頷く。僕もそうじゃないかと想像していたからだ。
「だったら宿屋に早く行こうや。寒くてかなわへん」
ノエルはそういってぶるっと体をふるわせた。
日が落ちてからかなり温度が下がった。寒いのは僕も一緒で、話すたびにうるさいくらいにでてくる白い息が、寒さに拍車をかけている気がした。
「ノエル、ちょっとこれ見てくれよ。今ここ、猪鹿亭の前だろ? そんでこのサンジェント・ネオ・ホテルはあっちだよな?」
僕はさっきホテルの場所に赤丸をつけてもらったばかりの地図をノエルに突き出す。そして方向を確かめた。
「うさんくさいな。こんな村にサンジェネオラルって」
「知らないよ!」
口調が強くなってしまった。ノエルもあからさまにカチンときたらしく、ご丁寧に顔を背けた。
冷たい空気が流れる。
なんだよ、そっぽを向いて。僕の方が年上なんだぞ。そうだよ、だから、僕の方が上だから! ノエルは今晩の寝床の確保もできてないのに女の子にこなかけることに一生懸命で。そんなノエルを尻目に、僕が聞いて回ったんじゃないか。
今だって、ノエルが寒いっていうから早く宿屋に行こうと思って。歩き回ってよけいに疲れないように地図を一緒に確かめてくれって思っただけじゃないか。
それなのに、うさんくさいとか言って。
熱いものがこみ上げてきて、目の端がじーんと熱くなってきた。
冗談じゃない。誰が泣くもんか。
ノエルの前で涙なんか、絶対見せられない。
「君たち、どうかしたの?」
声のした方を見上げれば、さっきのお姉さんが立っていた。その横には背の高い黒髪の美形な男の人がいる。その後ろにはもっと背が高くてマッチョな強そうな人がいた。マッチョな人の肩には真っ白の子犬が乗っていて、まっくろな大きな目で、僕らをみつめていた。
お姉さんは少しかがんで、僕をのぞき込むように見た。
「さっき、町役場の方にいたわよね?」
僕たちは視界に入っていたようだ。赤毛の人は一緒にいなかった。
「おれたち冒険者なんだ。何か困っているなら力になれるかもしれない」
黒髪の男の人が言った。
冒険者! 僕たちの先輩だ。
「ごちそーさまでした」
飯屋から僕と同じぐらいの背のずんぐりむっくりしたドワーフみたいな人がでてきた。ドワーフは小さなエルフの女の子を連れている。僕は小さなエルフの女の子をじっと見てしまった。
噂には聞いていたけど、……お人形さんみたいだ。
こんなかわいい子、見たことない!
「どうかしたんですか?」
ドワーフは黒髪の人に話しかけた。知り合いみたいだ。
「すまへん、道教えてもらえるやろか。サンネオラルってホテルはどう行けばいいんやろ?」
僕より先にノエルが言った。
「サンネオラル?」
赤いリボンのお姉さんが首を傾げた。僕は慌てて正した。
「サンジェント・ネオ・ホテルをご存じでしょうか?」
「えーーーと」
お姉さんはちょっと困った顔だ。
「パステルが道を聞かれてますよ。くっくっ」
ドワーフが笑いを堪えきれないというように笑い出す。
「ちょっと、キットン! クレイまで何笑ってるのよ?」
ちっちゃなエルフを連れているドワーフをじろりと見てから、黒髪のお兄さんにもくぎをさす。
僕とノエルは顔を見合わせた。
このお姉さんの名前は「パステル」というらしい。ドワーフさんがキットンさんで、黒髪の人はクレイさん。
クレイさんはパステルさんに答えてから、僕たちに笑いかけた。
「笑ってないだろ。ネオ・ホテルわかるよ。君たち若いのにずいぶんリッチなんだね」
「リッチ?」
僕とノエルの声が重なる。
「どっかのおやじに担がれたんじゃねーの?」
そういいながら店から出てきたのは、さきほど僕たちにガンをとばしていった、赤毛の人だった。
まっすぐ僕に向かって歩いてきて、いきなり首から下げている冒険者カードを引っ張る。ちらりと見て、仲間を振り返る。
「冒険者になりたてだぜ。金なんかそうあるはずねーよ。おおかたどっかの親父に宿屋はないか聞いて、一番高いとこ教えられたんだろ」
お姉さんが「そうなの?」というように見るので、僕は思わず頷いてしまった。
「何それ、一番高いとこ言うなんてひどいわ!」
「一番なんてひどいわぁ!」
エルフの女の子が眠たそうな声で、お姉さんの言葉をまねた。
「シルバーリーブにそんな意地悪な人がいるなんて思いたくないなー」
クレイさんがため息ごちる。
「ミナト、なんて聞いたんや?」
「この村の宿屋を教えてくださいって」
「そんで?」
「いくつかあるって言った。村役場に近い宿屋を教えてもらった」
「確かに村役場だったらネオが一番近いな」
クレイさんがそういった瞬間にノエルから雷が落ちた。
「なしてミナトはそんなぼけぼけなんや? 村の中央っていったら交通に便利で高くなるに決まっとるやんか」
「そんなこと言ったって、ノエルは朝起きられないだろ? 朝一番で役所に行かなくちゃ日替わりの仕事なんて紹介してもらえないじゃないか。だから役場に一番近い宿がいいと思って」
「むっちゃバカやな」
かっと胸の中が熱くなった。
そのバカにした態度。僕はノエルのことをいっぱい考えてそれでいろいろやっているのに、その結果が舌打ちつきの「むっちゃバカやな」なのか!?
「そうか、君たちバイトしてお金を工面するつもりなんだね。それで今日の寝床と明日からの仕事がまってないんだ」
僕を景気づけようとしたのか、クレイさんは後ろから僕の両肩をぽんと叩いた。
「宿屋で一番安いのはみすず旅館だ。仕事を探すなら、役所よりもっといいところがある」
「役所よりいいとこ?」
「ここ」
クレイさんはおいしそうな匂いを絶えず生み出してくる飯屋を指さした。
「ここは一番顔の広い人がやってるんだ」
「それにみすず旅館よりもっとお得な宿もあるしね」
お姉さんが笑うと、クレイさんも思い当たったように微笑んだ。
クレイさんたちはもう一度、たった今でてきたばかりの店屋に入っていった。僕とミナトも促されて暖かい店の中に足を踏み入れた。
「いらっしゃい! あれ、何、忘れ物?」
「あのさ、親父さん呼んでくれるかな。仕事探しているんだ、この子たち」
オレンジ色の毛をくるっくるっと上にあげた威勢のいいウエイトレスさんは、僕とノエルを交互に見てからにかっと笑った。
「そいじゃぁそこ座ってて」
あったかい店に入ったのに、こんなに親切にしてもらっているのに、僕はイヤな気持ちでいっぱいだった。
ノエルと一緒に行動をし始めてから、まだ一週間もたっていない。今日まで喧嘩らしい喧嘩をしたことはなかった。僕はノエルを嫌いだと思ったこともない。でもこのまま上手くやっていけるんだろうか。
ノエルはよくいうと自由奔放で、悪く言えばわがままで。お腹がすいたらヤツ当たりして。僕の方が上なのに、主導権握りたがって。そのくせ、肝心なところは僕に任せきりにして。憎めないヤツだけど。でもこれからずっと旅をしていく仲間がノエルで。ノエルが仲間で、本当にやっていけるんだろうか?
「こんなに大人数でパーティをくんでらっしゃるんですか?」
「そーだけど?」
クレイさんは首を傾げた。
「なんでこんなによくしてくださるんですか?」
ただ通りすがっただけなのに。
「こいつらがお人好しなんだよ」
赤毛の男が言った。あごでクレイさんとパステルさんを指す。
「それもありますが、なんというか懐かしいというかですね」
キットンさんが言った。
マッチョな人は何も言わなかった。包み込んでくれるように微笑んでいる。
「なんだか自分たちと重なっちゃってね、ほっとけないっていうか」
パステルさんの膝の上ではエルフの子供が寝息を立てていた。
「先輩ヅラしたいだけなんだ」
クレイさんが苦笑いをする。
「そうそう、わたしたちもあったんだよ。高いホテルとっちゃってねー」
「あれはおめーが勝手にとことこ行くからだなー」
「あんたの情報が間違っていたんじゃない!」
パステルさんと赤毛男の言い合い。言い合ってはいるけど、それは決してとげとげしくなかった。
とっても自然で、パーティってこういうことなのかな? とぼんやりと思った。
笑い声。お酒を注文する声。はしゃぐ女の人の声。ひそひそ声。厨房の何かを炒める音。ジョッキをかちんと合わせる音。
「そういえば、あんときさー」
声が揺らいでいく。耳には聞こえてきているのに、会話が頭に入ってこない。
パステルさんが笑う。赤毛男も笑う。クレイさんも笑って、キットンさんが首を傾げた。キットンさんが何かを言って、マッチョな人がまぁまぁと手で制する。赤毛の人がキットンさんをこづいた。キットンさんが反撃しようとしたけど、赤毛の人は上手く避けてしまった。
冒険者になって、仲間を作っていって、僕はこんなふうになっていけるのかな?
クレイさんが笑う。マッチョな人が笑う。赤毛の人が笑う。キットンさんが笑う。パステルさんが笑う。……ノエルの声だけ聞こえてこない。
ここにいて、僕はどうなっていくんだろう?
僕はノエルとやっていけるのかな?
パコーン。
「いてーーーーーーーっ!」
僕は頭を抑えながら、ノエルを見た。
「何すんだよ?」
「呼んでんのに、無視しよるからやろ」
「聞こえなかったんだよ。なんだよ、思い切り殴って! いってー」
ちくしょう。涙がにじみ出るほど、強く殴りやがって。
「腹減った」
開いた口がふさがらないとはこういうときに使う言葉なんだと思う。
人の頭を殴っておいて、その理由が腹減っただなんて。
「なんだ、飯まだだったのか。ここのはおいしいぞ」
クレイさんがにっこり笑う。
「それじゃぁ、リタを呼びましょうか?」
キットンさんが気をきかせてくれた。
「まっときー。ミナト、いいんか? 食って」
ノエルは僕に承諾を求めた。
「腹減ってるんだろ?」
僕はあきれた気持ちでそう返した。
「むっちゃ減ってるに決まってるやんか。でも二人の金やからな。勝手に使うわけにもいかんし」
え?
「ほー、聞いた? トラップ! パーティってのはこうでなくちゃいけないのよ。この金10倍にしてやるぜなんてギャンブルに持っていくなんてもっての他なんだから!」
「パーティ!?」
僕はオウムのように聞き返した。
パステルさんは大きく頷く。
……僕とノエルがパーティ!?
「なんや、ねーさんも、そん人の管理者でっか。おれもミナトのアホの保護者なんですわ。このアホがバカにされたりしないように、見てないとまたいつどんなボケかますかわからんよって」
パステルさんがくすくすと笑う。
「ミナトも食うやろ?」
まったく悪びれてなく、ノエルはそう尋ねてきた。
ノエルってのはそういうヤツだ。
年下のくせに。お腹がすくと八つ当たりするくせに。自分が主導権握って、途中でいやになると僕にひょいと任せて。結局は僕が全部やっているようなものなのに、それなのに、自分がさも見守っているようにそんなこと言っちゃうやつなんだ。
なのに、どうして僕は嬉しくなっているんだろう?
どうして僕は不快じゃないんだろう?
「食うのか、食わんのか、はっきりしー」
「食う!」
大きな声で告げると、ノエルは口の端をあげて笑った。
大きい声でウエイトレスさんを呼ぶ。
1年後、いや2年後、3年後かな?
僕たちもこんなふうになれたらいいな。
あんときは参ったよなって二人で思い出を語れるのかな。
よくわからないけど、今日は今の時点では、思い出を一緒に語るヤツはノエルがいい。
そんで3年後にどっかのダンジョンで非常食の薬草入りチョコレートを食べながら言うんだ。
「目の前の飯屋を肴に食べるよりは、ずっと甘く感じるよな」
って。
パステルさんたちみたいに笑いながら。
パンのやけるいい匂いがする。ふわふわするものが目の前をちらちらした。
無意識に手でその白いものを取ろうとすると、その本体に手があたった。あったかくて、白くてふわふわしている、ちょっと変わった犬だ。
そうだ、ここはパステルさんたちのおうちで。僕たちはパステルさんたちの家に泊めてもらったんだっけ。
起きあがろうとして、ノエルの寝相の悪さにげっそりする。
僕たちはひとつのベットを借り、ノエルと二人で眠るはずだった。だけど、家についたらエルフの子供のルーミィちゃんがぱっちりと目をあけて、ノエルと仲良くなったんだ。二人と犬のシロちゃんは兄弟みたいにじゃれあって、そのまま一緒に眠ることになったんだ。
一人用にしては大きめのベットだけど、3人プラス1匹で眠るとベットはぎしぎしいった。同じ方を頭にして眠ったはずだけど。僕の目の前でしろちゃんが丸くなって眠り、そのふわふわの毛の向こうにノエルの足が見えた。逆さまになったらしい。ノエルのふくらはぎをまくらにしてルーミィちゃんが眠っていた。
下でなにやら話し声が聞こえる。いい匂いがしているから、もうみんな起きているのかもしれない。
「ノエル。ノエル。朝だぞ。起きようぜ」
無駄だとはわかっていたけど、一応ノエルを起こそうと試みる。
「んーーー」
ノエルは返事だけはするやつだった。
あんまりうるさくしてもルーミィちゃんやシロちゃんを起こしてしまう。こんな小さな子を巻き添えにするのもかわいそうだ。夕べは遅かったもんな。
僕はベットから起き出して、洋服に着替えた。
「おはよーございます!」
下に降りていくと、ノルさんが台所からこたえてくれた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい、ぐっすり」
ノルさんはにこやかに笑って、そしてやりかけの仕事に戻る。
あれ? これはどうみても朝食の準備をしている?
「おはようございます。あれ? ノル、パステルはまだですか?」
キットンさんが二階から大きなあくびをしながら降りてきた。
朝日も二階から降りてくる。昨日の夜は暗くてちゃんと見ていなかったけど、居心地のよさそうな家だった。古びたところと、まだ直したての新しい部分。朝日の中でその対比は神々しくさえあった。昔から大切にしてもらっている歴史と、新たに「家」を守るために補強されてと、とっても大切にされている家みたいだ。
「パステル、眠ってるみたいだから、おれ朝食作った」
ノルさんはにっこりと笑う。
「パンのやけるいい匂いで目が覚めましたよ」
キットンさんもうれしそうだ。
パステルさんの寝坊をだれも責めないんだ。それだけじゃなくって、朝御飯を変わりに作っちゃうなんて、ノルさんてすっげーいい人だ。
「きゃーー、おはよおはよおはよ! ごめん、寝坊しちゃった。ノル、ありがとう。作ってくれたのね」
慌てて2階から降りてきたのはパステルさんだった。昨日と違って、髪の毛はおろしたままだ。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れた? ルーミィとシロちゃん、大丈夫だった?」
「はい、ぐっすり。今もノエルと爆睡してます」
パステルさんは、僕と話しながら、髪の毛をくるっとひとつにまとめてしまった。
「わたしはルーミィたちと違うベットって久しぶりだったから、なんだか眠れなくて、って気がついたら寝過ごしちゃったのよ。ごめんね、お弁当作っておくつもりだったのに。ちゃんと届けるからね」
僕は慌てて手を振った。
「そんな、お弁当だなんて。泊めていただいて、ずいぶん助かっているんです。それに仕事も紹介していただいているし」
「紹介したのはわたしたちじゃないよ」
確かに仕事を紹介してくれたのは猪鹿亭のおやじさんだけど、そのおやじさんに僕たちを紹介してくれたのは、パステルさんたちだ。
本当だったら朝早くから役場につめて日替わりの仕事をもらうことをしなくちゃいけなかったのに。
僕たちは建設物を立てるお手伝いをすることになっていた。力仕事だから、基礎体力をつけるのにももってこいのバイトだ。朝から晩まで働けば、日給でお金を払ってくれるっていうし。
7時半までに猪鹿亭のおやじさんのところに行けば、連れていってくれることになっているし。
「そうだ、仕事!」
僕とパステルさんの声が重なった。
「ノエルくんは?」
「起こしてきます!」
「わたしはお弁当作らなくちゃ!」
僕はノエルを起こすという大仕事の前にしては、ずいぶんリラックスした気分でいた。
夕焼けこやけ#3「びすけっとエイジ(中編)」
「はよーさん」
僕が起こしにいこうとしたまさにそのとき、ノエルは2階から降りてきた。
後ろにはトラップさんがいて、大きくのびをしている。
そうそう、赤毛の長髪野郎、おねーさんの守り人はトラップさんといった。職業は盗賊。聞いたとき、僕とノエルはすっごい納得してしまった。だってあの性格といい、盗賊にぴったりじゃないか。ま、いい人ではあるんだけどさ。
「何、わたわたやってんだよ?」
「ああ、トラップ。ちょうどいいわ。この二人、猪鹿亭まで送ってきてよ」
パステルさんはそう言ってから、「朝食大急ぎで食べてさ」と付けたした。
それを受けてノルさんが、テーブルに豪華な朝食を並べだす。
「なんだよ、おめーがいきゃーいいじゃん」
トラップさんは、今にもはじけそうなぐらいパンパンになった熱々のソーセージに手をのばした。
その手を素早くパステルさんが叩く。
「わたし、おべんと作らないと。だからさー」
トラップさんが僕とノエルに目を走らす。
ん?
「やぁ、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
外から朝の冷たい空気と一緒に現れたのはクレイさんだった。
「おはようございます」
「おはよう!」
みんながかわるがわる挨拶する。
クレイさんは上着をぬいで、部屋の隅の上着かけにぱさっとかけた。
「なんでみんな立ってるんだい? 座って食べようよ。せっかくノルが作ってくれたのにさめちまう」
クレイさんの言葉で、僕たちはテーブルの上で湯気を立てている朝食のことを思い出した。
「そ、そうね! 特にノエルくんとミナトくん、早く食べないと遅刻しちゃうわ。みんな食べててくれる? 悪いけどわたしはお弁当作るから」
パステルさんが小首を傾げた。なんかかわいらしい人だ。
「弁当っておれたちの?」
ノエルが顔を輝かせた。
「あの、パステルさん。ほんとにそこまでしていただかなくても」
「パステル今更慌てなくても。弁当は昼までに作って届ければいいのではないですか?」
キットンさんと言葉がかぶってしまった。
そのとき僕はなりゆきでキットンさんの方を見たんだけど、僕はこの居間にいる人すべてが見わたせる位置にいたようだ。キットンさんの右斜め前にいるパステルさんがポンと手を打つのと同時に、トラップさんとクレイさんがお互いが目を合わせたのが見えた。
「そうだね。今作っても朝の出発にも間に合わないんだもんね。お昼までに届ければいいんだ。何もできたてをすぐ届けなくても」
パステルさんが照れたようにほっぺたをかいた。
「いや、早いうちに作ってくれると助かるな」
のんびりとクレイさんが言った。
「おれ、午前中に行くとこがあるから、ついでに弁当を届けるよ」
「そいじゃぁ、早く作れよパステル」
トラップさんに促されて、パステルさんは驚いたように頷いた。
パステルさんの不安そうに頷いた気持ちがわかってしまう。
どこも問題があるわけじゃない。だけど、なんか腑に落ちないっていうか。
上手くのせられたというか。裏に何かあるっていうか。
僕たちにすると、お弁当を作ってくれようとしている気持ちだけで十分嬉しいんだけどね。
ノエルが動いた。手作りの椅子に腰掛ける。そして僕を見てにんまりと笑った。
イヤな予感がする。あんな顔をしたときのノエルはろくなことをやらないんだ。っていうか、僕ばかりが迷惑を被る。
「ノエル、何……」
「我が儘やけど、おれはパステルさんに持ってきてもらえると嬉しいんやけど」
ばっ、ばかやろう。なんてずうずうしいことを!
「そいで、一緒にランチできたら、ますます幸せやなぁ。なぁ、ミナト!」
ノエルは「何ばかなことを言いだすんだ」と言ってやろうと駆け寄った僕の口を塞いだ。まるで僕と肩を組んでいるように見える上級のやり方で。
パステルさんのくすくす笑いが聞こえる。同時に不穏な空気が!
おそるおそる下からその空気の出所を見ると、彼は半開きの目で僕たちをにらみつけていた。
こっええええええええええーーーー。
「う゛ う゛ぉえる〜」
口が塞がれているのでくぐもった声しかでない。
ノエルはそんな僕を見てウインクをした。
こいつ確信犯だ。
こいつも気づいていたんだ。っていうか、あからさまだったもんな。
何故かわからないけど、トラップさんたちは。正しくは、トラップさんとクレイさんは、パステルさんにお弁当を届けさせたくないんだ。そう、お弁当を作らせるのがイヤだというわけではなく、パステルさんが届けに行くのを阻止したいようなんだ。
ノエルはちっぽけな会話だけでそれをつかみ、確信して、それで理由が知りたくなっているんだ。だからわざとパステルさんに届けにきてほしいと、言い出したんだ。
「わかったわ。OK! お昼に持って行くわね。一緒にランチを食べましょう」
すこぶる笑顔でパステルさんは言った。
「やったー!」
子供ぶった演技でノエルが喜び、僕はやっと解放された。
ノルさんはちょっと困ったような顔をしていて、クレイさんは少しまいったなぁという表情。トラップさんは、ノエルを敵視していた。
ひぇーーーーーーーーーー。
キットンさんだけが、何事もなかったかのように自分の席につく。
「それじゃぁ、みんなでいただきましょうかね」
「あ、ルーミィたち起こしてくる!」
パステルさんがパタパタと音をたてて2階に上がっていく。
居間の空気がツンと張りつめた。
「あ、二人は先に食べ始めてくれよ。猪鹿亭まで送っていくからさ」
クレイさんに頷いて、僕は椅子に座る。
「あ、うまいなーこれ。めちゃ、うまや〜」
ノエルは凄い勢いで食べ始めてるし。
僕も考えるのは後にしよう。目の前にごちそうがあるんだから。
「しっかり食べておいた方がいいぜ。あの仕事はおれたちも昔やったことがあるけど、すっげーきついんだ。ガキに耐えられるかどうか」
ごっくん。僕の喉がなる。
「トラップ。やめろよ、これから働きにいく子たちに向ける言葉じゃないだろ?」
トラップさんを軽く窘める。そして僕たちに言葉を添える。
「確かに最初はきつく感じるかもしれないけど、冒険者には何事も試練だからね」
「フォローになってませんよ」
キットンさんが派手に笑い出した。
そうか。きついのか……。
いや、きついのがなんだ。僕は冒険者になったんだ。これからどんなことが待ち受けているかわからない。辛いこともいっぱいあるはずだ。それはとうの昔に覚悟できていたはずだ。
僕が心の中で盛り上がったり盛り下がったりしている間に、ノエルは別のことを考えていたらしい。
ルーミィちゃんとシロちゃんを連れてパステルさんが戻ってきてテーブルについたとき、僕たちは食事は終わっていた。場所を交代する。クレイさんが送ってくれるというので、僕たちはみんなの食事の途中で失礼することになった。
「ま、がんばれよ」
トラップさんにノエルは答えた。
「はい。ガキなりに頑張らせてもらいますー」
ノエルは仕事がきついと聞かされたことよりも、ガキ扱いされたことの方が重大だったようだ。
「じゃぁ、お昼には行くから、頑張ってね!」
「頑張るだおー」
「わんわんデシ」
パステルさんもルーミィちゃんもシロちゃんも応援してくれる。
「パステルさんのためにやっるで〜」
ノエルは元気だ。よくそんな台詞を口にできるもんだ。でもパステルさんも悪い気はしないらしい。頬をちょっと染めて笑っている。
「パステルよかったじゃんか、ガキにもてて」
ぴき。
隣のノエルから音が聞こえたような気がした。
が、ノエルは満面に笑みさえ浮かべている。
「そうや。パステルさん、ねーちゃんって呼んでいいか?」
ノエルはパステルさんの腕をとった。
「え? ええ」
パステルさんが頷くと、ノエルはその腕にぎゅっとしがみついた。
「の、ノエル〜」
「おれ、ねーちゃん、大好きなんやー」
ノエルはさらりと告白をした。
「えっええ?」
「おれたち、二人で行けますさかい」
ノエルはいたずらっぽくパステルさんに笑いかけながら、ドアを開けた。
僕も慌ててついていく。ぴょこんと皆さんに一礼する。
「おい、ノエル待てよ!」
駆けだしたノエルに必死についていく。
「待てよ!」
振り向くと、トラップさんだった。
ノエルも止まる。
「送っていく」
トラップさんが僕を追い越した。ノエルを追い越した。
ノエルが僕の腕をとって駆け出す。
「二人で行けますさかい!」
トラップさんは「はいはい」とホールドアップのマネをした。
ノエルは深く傷ついたようだった。ノエルに捕まれたところがジンと痛かった。すっごい力だ。
僕はノエルの気持ちが伝わってきて痛かった。
僕たちがガキだとは思わないけど、そうじゃなくって、トラップさんたちがずっと上なんだもんな。
ノエルはかみついていったのに、向こうは追いかけてきてくれるんだ。面倒見て、心配してくれるんだもんな。ずっとずっと向こうの方が懐が広いってことだ。
「おれ、ガキやから突っ走るかもしれへんなー」
彼に挑まれたトラップさんはふっと笑った。
「それがガキの特権だからいいんじゃねー?」
完敗だ。僕はそう感じた。
負けたときに感じるほろ苦さは、ビスケットを食べたときのしょっぱさと似ていると思う。甘いお菓子のはずなのに。口に入れたときは確かに甘いのに、いつのまにかしょっぱいビスケット。なんでビスケットを連想したのか、僕にはわからなかった。泣きそうだったのかもしれないと、後で思った。
夕焼けこやけ#4「びすけっとエイジ(後編)」
休憩の合図の笛の音とともに、僕たちは倒れるように座り込んでいた。
年若い親方が僕たちに笑いかける。
「どーした、ぼーず。へばったか?」
ぼうずと言われて悔しくても、立ち上がる元気さえない。
ノエルと僕の息づかいだけが、反響している。
寒いなんて悠長なことを言っていられたのは、最初の一分だけだった。
入り口まで次から次へと運ばれてくる丸太を、作業場まで持っていくのが、今日の主な仕事だった。二人一組になって丸太を運ぶのだが、これまた重い! 腰に力を入れていないと、バランスを崩し相手方に迷惑をかけてしまう。いつも気を張って、相棒と気持ちを合わせ、働かなければならなかった。
「今、何時や?」
「さぁ、でも9時半ぐらいじゃないかな」
最初に一時間半ぐらいで休憩を入れるからと言われたことを思い出していた。
「まだまだ続くんやなー」
そういってノエルはごろんと横になる。
冷たい風が火照った体に気持ちよかった。
僕もマネをして、横にごろんとなる。そのまま目を瞑った。
急に日が陰る。雲の陰にでも入ったのかと目を開けると、のっぺりした男が僕をのぞき込んでいた。
足場を作っていた人だったことを思いだし、僕は慌てていった。
「休憩、もう終わりですか?」
ノエルがのんびり片目を開ける。
ぷるぷると左右にその人は首を振った。
「あのさー、君たち、クレイさんの紹介って聞いたんだけど本当?」
この人、顔のパーツが細いんだ。小さいんじゃなくて。だからのっぺり見えるんだ。僕は聞きながらそんなことを考えていた。
「ええ、そうです。クレイさんから猪鹿亭のおじさん経由で、こちらを紹介して頂きました」
答えたとたん、土埃がたった。ノエルが何事かと上半身を起こしたほどだ。
僕らの目の前には、のっぺりした人を先頭として、ちっちゃい人だの、がたいのいい人だの、のっぽな人や大きな人、働きに来ている比較的若い人たちが集まってきていた。
「な。なんでしょう?」
情けないことにどもってしまう。
「君たち、クレイの家に泊まったのか?」
僕はノエルを見た。
「泊まらせてもろーたけど、それが何か?」
ノエルの声は、歓声によってかき消された。
僕はもう一度ノエルを見る。ノエルはうるさそうに中に指を入れて耳を塞いでいた。
「じゃぁさ、クレイとパステルはつきあっているみたいだったか?」
は?
「パステルちゃんだよ、パステルちゃん。一人女の子がいただろ?」
「ちっちゃいエルフの子じゃないぞ。パステルだよ、わかるだろ?」
わかるだろって、そりゃ、わかるけど。
「何やにーさんたち、ねーちゃん狙ってるんか?」
ノエルの瞳がいきいきと輝き出す。
「狙うも何も、ガードがかたくてな。で、どーなんだよ、クレイと恋人同士なのか?」
ピーーーーー。二度目の笛がなる。作業開始の合図だ。
「ミナト、いくで」
ノエルに引っ張られる。僕はぶっちょうずらの面々に、ぺこっと頭を下げていた。
走りながらノエルが言う。
「何、頭下げてんねん」
「だって、中途半端になっちゃったから」
前を向いたまま、大きくため息をつく。
「あんなー。まぁ、でもそれがミナトだしなー。治るもんでもないしなー」
それから思わずこみ上げてくるみたいな笑いをもらして、ノエルは僕を振り返った。
「面白くなりおったな」
「何がだよ?」
「何か知らんけど、ねーちゃんは人気あるみたいやろ。こりゃーあの赤毛男も気が気じゃおれんな。それにどうやら、世間様の認識やとねーちゃんのお相手は違く見られてるし」
…………。
「ノエル、お前めちゃくちゃトラップさんに恨み持ってるだろ。すっげー嬉しそうだぞ」
「ああ、こんな面白いことあるかいな。愉快、爽快! 働くってスバラシイことやな!」
だめだ、もう完全に手のとどかないところに思考がいっちゃってる。
ほんの2時間前は、打ちのめされて、胸焼けしそうなほどしょっぱい気持ちだったのに、今はどうだろう。秒単位で気持ちが移り変わる僕たちは、すぐに忘れる「子供」だとか「ボウズ」だとそんなふうに言われてしまうけど、僕たちは忘れているんじゃなくて、泣きたくないだけなんだ。しょんぼりしたしょっぱい気持ちに、飲み込まれたくないだけなんだ。
負けたくないんだ、たった現在の自分自身に。
夕焼けこやけ#5「かりんとうレボリューション(前編)」
「あの団体なんやねん?」
「怒ってるパステルさんとその一行」
僕が答えると、ノエルは左隣の僕を見てそしてにこりともせず言った。
「お前、おもろいなー」
お昼休みは1時間。実をいうと2回目の休憩のときにはお腹がぐーぐーなっていた。そのときも同じくバイトをしにきている人たちに、パステルさんたちのことをしつこく聞かれて辟易したっけ。
ノエルと、そのパステルさんとランチをするなんてどんな騒ぎになるんだろうと話していたんだけど。
そのパステルさんが向こうから歩いてくる。
両手にバスケットを持って。ドスドスと足音をたて。
その横に女の子をやまほどはべらせた、トラップさんとクレイさんが見える。
「おい、クレイにトラップまで」
「護衛つきか」
バイトの人たちの呟き声に、僕は振り向く。でも誰が発した言葉なのかは、人が多すぎてわからなかった。
とにかくその団体は目立っていて、みんな身を乗り出すようにして大通りを見ていた。
「ノエルくん、ミナトくん」
パステルさんが僕たちに気づいて片手をあげた。
ちぇ、僕の名前の方が後だ。
「ごめんね、遅かった?」
僕たちは首を振る。
「いえ、たった今お昼休みになったところです」
「ねーちゃん、なんなんや? アレは」
ノエルが顎でアレ扱いしたのは、クレイさんとトラップさんを含んだ団体だった。
「何か知らないけど、あのふたり人気あるのよ。街に出てくると大変でさ。オオゴトになるから、だから街に用事があるならあるでも、別々に行くっていったのに」
パステルさんの頬が見事に膨らむ。
優しい影を落とした瞳がちろちろと揺れたような気がした。
あれ? 怒っているわけじゃないんだ。
「へぇー、にーちゃんたちも人気あるんかー」
ノエルが呟くと、パステルさんはちょっと複雑そうな顔をした。
僕は何かを言わなくちゃいけないと思って、頭の中で言葉を選ぼうとして。だけど思いつく言葉はどれも稚拙で、言っても意味のないことのような気がして、結局、声にはならなかった。
「それより、腹減った! ねーちゃん、お弁当作ってきてくれたんやろ?」
ノエルがパステルさんのバスケットにふさっとかけてあったナプキンをつまみ、中を見ようとする。
「あはは、うん、いっぱい作ってきたからね。どこで食べようか」
パステルさんがにこっと笑った。
「あそこがいいや。ロケーションもバッチリやしな。ささ、ねーちゃん!」
ノエルがパステルさんの片手をとって、大きな木の下の木陰へと引っ張っていく。
ーー敵わないな、ノエルには。
ちょっとだけ、悔しい気持ちと。
ーーよかった、ノエルがいてくれて。
ちょっとだけ、安堵感と。
コレダカラ、僕ハ……。
僕は、ツマラナイ人間だから、ときどきどう接したらその人が喜んでくれるかわからなくなっちゃうんだ。
パステルさんと楽しいランチが目的なのに、パステルさんの瞳が翳れば、何を言っていいのかわからなくなってしまう。
でも、ひとつ下のノエルは、きっとそんなことで困ることはないんだろう。
ノエルは人の心を掴むヤツだから。
ノエルはお調子ものだし、好戦的なところもあるし、きっぱりはっきりした物言いをするし、不快だと思ったらそれを態度に現したりもするけれど、でも好かれる。楽しいなって思うことが大好きだから、あいつと関わると、楽しいことに巻き込まれていく。だから、あいつと関わると最初に文句しか出てこなかったヤツも、いつの間にかアイツのことを好きになっている。
『お前、本とか読むの好きやろー』
初めてノエルに声をかけられたとき、僕はうろたえていた。
僕はノエルのことを知っていた。やたら元気なファイター志望は、ツンツン立たせた髪と一緒に目立っていたからだ。でもまさか、そんなヤツに声をかけられるとは思っていなかった。そしてその問いかけで、何を尋ねられているのか真意がわからなかったから、僕は躊躇っていたんだ。
『本を読むのは好きだけど、藪から棒に何?』
僕はおどおどしているのを気づかれないように、わざとつんけんどんな態度をとった。
彼はそんなことを少しも気にせず、僕の胸ぐらを掴む勢いで迫ってきた。いたずらっ子がいたずらを思いついたときみたいに目をキラキラさせて。
『じゃぁさ、お前、青い神父の話知らないか? 青いマントを着たファイターのめっちゃ強い神父でなー。相棒と街を救う話』
青いマントの神父? ファイターの神父?
『昔な、隣のねーちゃんから聞いた話なんやけどな、タイトルわからんと探せんて本屋のおっちゃんが言うねん』
僕が首を傾げていると、彼の友達からヤジが飛びはじめた。
『ノエル、そのねーちゃんの作り話なんじゃないのか? オレ青いマントを着たファイターの神父なんて聞いたことないぞ』
彼は勝ち気な瞳でその友達に食ってかかった。
『バカいえ。お前のしらんことがぎょーさんあるってことやろ』
『なんだと?』
その後ふたりは取っ組み合いの喧嘩を初め、周りのヤツをも巻き込んでの大乱闘になった。
先生たちに説教をされて、その日は終わった。
僕はその後にノエルのところに出向き、その物語に覚えがないことを告げた。彼は『そうか』と短く言った。
僕はその日から、本屋巡りをすることになった。本屋のおじさんに、青いマントを着たファイターでもある強い神父の話を聞いたことないかを聞いて回った。予備校の近くにある本屋には彼が足を運んだ後らしく、逆に流行っているならタイトルがわかったら教えて欲しいとまで言われた。
そうして最後の本屋を訪ねたときに、本のことは印刷屋にきくのも手だと教えてもらった。僕はその足で印刷屋に行った。
むっとした空気とインクの独特の匂い。機械がぐわんぐわんと大きな音で回っていて、話をするのに一苦労だった。でもそこの目がまゆげにかくれきったおじいさんがその話を知っていたんだ。
タイトルは『神父と羊飼い』神父さんと羊飼いが知恵と勇気で街を救う話だという。
あいにくどこの本屋にもその本は置いてなかった。僕はノエルにそのことを報告した。
ノエルは開口一番こう言った。
「お前、おもろいなー」
僕はふてくされた。バカにされていると感じたからだ。彼は言った。
「何、怒ってんねん? その話、めちゃ面白いんやでー。機会あったら読むとええわ」
僕は、これで尋ねられたことの責任は果たしただろうと考えて、ノエルに背を向けた。
彼は、何故か僕の後をついてきた。
『あんなー、そのラストが面白いんや』
ノエルは僕の背中に話し続ける。
『ふたりはなー、たまたま目的が同じ街を救うことだったんや。街を救って、ふたりの目的はなくなった。別にな一緒に闘おうと言ったわけでもないしなー。目的がなくなってなー、これからも一緒に旅しないかってお互い言いだしにくかったんや』
僕は足をとめた。
ノエルがまわりこんできて、僕を真っ正面に見た。
『乗り合い馬車のりばについてな。まだ馬車は一台もいなくて。そこはいろんなところに行く乗り合い馬車が集まってるターミナルでな。チケット売場んとこでな、神父が相棒に言うんや。一番先にくる馬車に乗らないかって。そいで相棒も親指を突き出すんや。ロマンやろ〜』
あまりに素直にノエルがうれしがっているので、僕も気持ちがほぐれてきていた。
『面白そうな旅のでかただね』
本心だった。
『じゃぁ、一緒に実践しよーやないか』
ノエルはにっかり笑った。まだ冒険者試験に受かってもいないのに、僕たちの旅立ち方だけは決まった。
「ねーちゃん、ミナトはな、あーやって考え深いふりをするけど、ろくでもないこと考えてるんやでー。ひっかかっちゃダメなんや」
ノエルのこそこそ耳打ちする声と、パステルさんのくすり笑い。
僕は慌てて現実に戻る。
「パステルさん、ノエルは無邪気を装うセクハラ大王ですから、気をつけた方がいいですよ」
パステルさんは一瞬驚いたように僕とノエルの顔を見てから、我慢できないというように笑い出した。
シチューだ、シチューだ、シチューだ!!
野菜とミケドリアの肉がたっぷりはいったシチューだ。
3つのマグカップに入ったシチューは、熱々ではないけれど、冷めてもいなかった。
「シチューを食べられるなんて、嬉しくておいしーです!!」
野外料理ならわかるけど、お弁当だよ? お弁当でシチューが食べられるなんて、しかもあったかい。なんて贅沢なんだろう。
「ミナト君はシチューが好きだったのね、よかった。後から二人の好きなもの聞いておけばよかったって思ったんだけど」
「ミナトはシチューフェチやから」
「せめてシチュー好きって言ってくれよ、なんか変態みたいに聞こえる」
僕が口を尖らせると、パステルさんは僕たちにコーヒーを入れてくれながら、くすくすと笑っている。
「この唐揚げもデリーシャスやな。ぴりっと辛くて上手い! ねーちゃん料理上手やな」
「サンドイッチもおいしいですよ。マスタードがきいてるのもいいけど、中の具も凝ってますね。すっげー、おいしいです」
「あはは、ありがとう。お料理するのは好きなんだ。唐揚げもサンドイッチも友達から作り方を教わったんだけど、なかなか作る機会がなくて。初チャレンジだったからちょっと心配だったんだけど、喜んでもらえて嬉しいわ」
パステルさんのお弁当は本当に何から何までおいしくて、僕たちは夢中で手をのばし、口に運んでいた。パステルさんはそんな僕たちの食べっぷりを、にこにこしながら見守っていた。
「仕事の方はどう? 頑張れそう?」
食後のコーヒーをフーフーやりながら、パステルさんが僕たちに尋ねた。
「今日が終わるまでには、コツを掴むんや。なぁー、ミナト」
ノエルの正直な告白に、僕も頷いた。
恥ずかしいことに、僕たちはまったく戦力になれていないのだ。
パステルさんがフフフと声に出して笑った。
僕たちの視線に気づいて、慌てて手を振る。
「ご、ごめんね。変な意味じゃないのよ。なんかね、すっごく男の子だなーって思って」
パステルさんは微笑みながらちょっと首を傾げて、そして僕たちに甘い吐息で言ったのだ。
「すっごく、かっこいいよ」
僕とノエルは顔を見合わせる。
心臓がドキドキと音をたてはじめる。
心臓がバクバクと暴れはじめる。
唇を噛みしめる僕の横で、ノエルは口を尖らせる。
「ねーちゃん、話ちゃんと聞いとんのか? おれたちコツも掴めてないんやでー。どこがかっこいいんや?」
パステルさんは微笑んだまま頷いた。
「うん、まだできてないけど、今日中にできるようになるんでしょ? かっこいいね」
ノエルの顔に火がついた。
ノエルははっとしたように僕を見て、そして指さす。
「ミナト、やらしーな、お前。何、赤くなってんねん?」
「ばっ、ノエルだって真っ赤だぞ」
僕たちはお互いに指でさしあう。
ひたすらクスクス笑うパステルさん。
「あのー」
仕事仲間の先輩だった。顔のパーツがいちいち細い、のっぺりした顔に見える人だ。
「はい、何か?」
パステルさんが小首を傾げると、その人は首の上から真っ赤になった。
「なんでっしゃろ? もう時間でっか?」
彼は首をふるふると横に振った。
「あの、パステル・G・キングさん、少しお話したいことが。こちらに来ていただけませんか?」
僕たちは顔を見合わせた。
「え、わたしですか?」
パステルさんが自分を指さす。
男はこくんと頷いた。
パステルさんは少しだけ躊躇して、僕とノエルをちょっと見て、
「ごめんなさい、途中で。ちょっと行ってくるね」
と立ち上がった。
「大丈夫かなぁ?」
男とパステルさんが歩いていく背中に、僕は溜息を落とす。
すくっとノエルが立ち上がった。
「どーしたの?」
「ほら、いくぞ、ミナト」
僕の腕をノエルが引っ張った。
「行くってどこに?」
「バカか、お前は。ねーちゃんと得体の知れない男を二人きりにさせてどーすんねん」
「そ、そりゃそうだけどー」
ノエルはもう走り出していた。僕も釣られて走り出す。
そしてすぐに木の陰に隠れた。二人に気づかれないように後を追う。
二人の歩みは、わりとすぐに終わった。
パステルさんより頭ふたつは飛び出たのっぺり男は、後ろから見ていてもわかるくらいのオーバーアクションで大きく深呼吸をした。
敷地内のあと数歩で大通りに面したところで、二人は時間に遅れてきた誰かを待っているように見えた。
実際パステルさんは、話したいことがと言われたのだから、男が何かを言い出すのを待っているのだろうし。男は何かを言いたいみたいなんだけど、誰かが通ったりして言えないらしい。
「バカやなー。人前で言いにくいことなら、人気のないとこ連れてけばいいのに」
僕は声に出さずに頷いた。
そりゃ、大通りに面してるんだもん、誰かは通るよ。
男は大きな声でパステルさんの名を呼んだ。
「パステルさん!」
パステルさんが一歩退く。
男はジャンパーのチャックを一気に下げた。
「な、何しよるん?」
木の影にしゃがみこんでいたノエルが腰を浮かせる。
男は自分の服にしまいこんでいた何かをパステルさんに突き出した。
「お、おれは冒険時代を読んでおりましてー、あなたのファンであり〜」
大きな声だった。
「おい、ファル、何抜け駆けしてんだよ。あ、パステルさん、僕はカインと……」
「うわー、本物? 今日は護衛なし?」
「冒険者怖くないの?」
ワラワラ、ギャアギャア、ヅンヅン、ドコドコ。
男たちが現れた。みんな自分をアピールしようとパステルさんにつめよっていく。
一斉にしゃべるので誰が何を言っているのか、まったくわからない。
僕たちがあっけにとられて口をぽかーんと開けていたときだった。
そのうちの一人がパステルさんに触れようとした。
その手を青い洋服を着た人が掴み、パステルさんは誰かの手によって、後ろに引っ張られた。
「サインはお一人様、1枚まででね」
そんな台詞であたりを水を打ったように静まり返らせたのはトラップさんだった。
……青い洋服でパステルさんの前に立ちはだかったのはクレイさん。
どっからか、クレイさんとトラップさんが湧いて出た。
「帰るぞ」
トラップさんが短く宣言する。
「というわけですので。すいませんが」
クレイさんがきびすを返す。
パステルさんは何がなんだかという表情でみんなを見てから、トラップさんの上着を引っ張った。
こそっと何かを告げると、トラップさんが露骨に顔をしかめた。
パステルさんは皆のところに戻って、そしてのっぺり男にぺこんとお辞儀をした。
「ファンだと言ってくれて、ありがとうございます。とても嬉しいです」
にこっと笑った。
パステルさんは『さよなら』と告げて、トラップさんとクレイさんに駆け寄った。
「過保護やな〜」
「過保護?」
「あの二人、ねーちゃんをもっと自由にさせてやんなきゃやろー」
「自由ねぇ」
素性のわからない男とパステルさんを二人きりにできないと後を追いかけてきたのに、そうくるかと僕はちょっとおかしかった。
「そうや、どっちかが永久にめんどーみるつもりならいいけど、もしかしたらねーちゃんはすっげーいい人と巡り会えるかもしれない。その可能性をあの二人がつんでいいわけないやろ?」
「だから、そうなんじゃない?」
ノエルがキョトンとした顔をしている。
「そうって何が?」
「え? だから永久に面倒を見るつもりなんだよ」
ノエルは目を大きくしたまま、問いかけてきた。
「どっちが?」
「……さぁ。どっちかかもしれないし、両方かもしれないし」
「なんでミナトは落ち着いてんねん?」
え?
「ミナトはねーちゃんをそんな好きなわけじゃないんか? それに何でんなにーちゃんたちの気持ちもわかってんねん? ときどきミナトがわからへんねん……悪ぃ、おれ、わからんこと言ってるなー。堪忍しー」
僕はノエルが何を言いたいのかよく分からず、そのうち作業開始の笛が鳴った。
お弁当の後かたづけはパステルさんたちが済ましてくれていて、僕たちに一声かけてから家に帰っていった。
おしゃべりなノエルがそれから一言も話さない。
僕もかける言葉がみつからず、それからだんまりを通した。
『ときどきミナトがわからへんねん』ノエルの言葉に、僕は何気なく傷ついていた。
僕だって、ノエルのことがわからないよ。そう、口を尖らせたくなる。
でも、あのとき、すごいヤツだなって思ったんだ。ノエルは『世の中には自分の知っていることと、知らないことのどっちかしかない』って言ったんだ。そう言い切った、僕よりひとつ年下の少年を、僕はすごいヤツだって思ったんだ。彼が容姿だけで目立っているのではないって、僕はちょっと誇らしかったんだ。
3回目だ。
きれいな夕焼けの中、ノエルが僕に話し掛けようとして、躊躇ってやめたのは。
『今日は疲れたな』
『一気に冷えてきたね』
『晩ご飯何かな?』
ノエルはおしゃべりなヤツだから、この沈黙がたまらなかった。僕の方から話し掛けよう。そう思ったけど、思いつく言葉は陳腐で、『そーやな』の一言で集結してしまう気がした。
だけど、さっきからノエルも話したいみたいだし。ここは……
「今日は……ぐっ、ぐしょん」
汗をかいたうえに、気温がぐんぐん下がったからだろう。僕は話し掛ける途中に大きなくしゃみをしてしまった。
ノエルが驚いたように僕を見た。
「お、おまえ、やっぱおもろいなー」
ノエルがこらえきれないように笑い出す。
「くしゃみひとつで、そこまで笑うことないだろう」
「おまえのタイミングがいかしてんやから、しょーがないやないか」
まだお腹を抱えている。僕は口を尖らせた。
「悪かったな、絡んで」
ノエルが謝った? 僕はマジマジとノエルを見た。
「なんや、謝っとるのに」
「いや、そんな真剣に謝ってもらわなくても。確かに今のタイミングはマヌケだったし」
「阿呆!」
阿呆?
ノエルはあきれたように僕を見て、大きなため息をついてから、それからぷっと吹き出した。
「誰もくしゃみの話はしてへんわ。昼間のこと言ったんや、昼間の」
ああ、そっか。昼間のことか。昼間って。
ノエルは急に真剣な顔つきになった。
「悪かった。完全に絡んでたわ」
チロリと僕を見る。
「なんの反応もなしか?」
僕は慌てる。
「あー、ひゃーー、うわーーー」
「なんや、それ?」
「僕の心の中」
ぷっとノエルが吹き出す、僕も釣られる。
「ミナトはオレよりひとつ上でな、オレよりなんでもわかってるやろ。クレイさんとかトラップの兄ちゃんとかにも全然敵わんよて。おれ一人だけ子供やと思ったら、情けのーなってどーしょもなくなっていたん」
ノエルは、なんて、素直なんだろう。
最初はびっくりした。僕をそんなふうに見てくれていたこと。僕の方が居たたまれない気持ちでいると思っていたのに。でも、それより。なんでノエルは自分の気持ちを婉曲せずに、そんなふうにみつめることができるんだろう?
僕はノエルに敵わないのは知っている。分かっている。ノエルと僕にはうんと差があって、あんな口げんかぐらいでこうして喋らない時間を持っちゃう僕たちは、仲間に向いてないのかもしれない。
でも、それを認めたくはなかった。
それが、僕のみつけた結論だった。
「僕なりに、ノエルから言われたことを考えてみたんだけどね。ノエルは僕をわからないって言っただろう? でもね、それと同じように僕もノエルがわからないことがいっぱいある。別に反対意見を言ってるわけでも、喧嘩をしかけているわけでもないんだ。ノエルからわからないって言われて僕はなんか哀しかった。どうしてなんだろう、どうすればいいんだろうっていろいろ考えてみた。それでね、やけになったわけでもあきらめたわけでもないんだけど、僕はそれでいいんじゃないかと思えたんだ。
僕はノエルに僕をわかってほしいし、ノエルをわかりたいって思う。でも、実際はわかりあえるってことは……あるかもしれないし、ないかもしれない。わかんないけどさ。僕はわかりあいたいって思っていることが全部でいいんじゃないかと思うんだ」
「やっぱ、お前、おもろいわ。……かなわへん」
僕は『おもろい』は、実は彼の中での最高級の褒め言葉なのではないかと思えた。
どんなに考えたって、僕の方がノエルにかなわないのに、ひょっとしてノエルもそう思ってる?
僕がノエルにかなわないって思っているように、ノエルも僕を認めてくれている?
「僕は、何度もノエルに敵わないなって思ってきたし。自分は子供だと思いしらされてばかりだ」
ノエルは顔をあげて、ゆっくり僕を見た。
立ち止まるから、僕も立ち止まる。
ノエルの口の端がゆっくりと上にあがった。
「なんや、ミナトもか」
負けじと返す。
「なんだ、ノエルもか」
僕たちはお互いそっぽを向いて、笑いをこらえた。ノエルがたまらなく吹き出したから、僕も声をあげて笑ってしまった。
ノエルが僕の頬に軽いうそっこパンチをしてくる。ぼくもノエルのお腹にうそっこパンチを繰り出した。
「何やってんだ、おめーら?」
「トラップさん」
「兄ーちゃん」
僕とノエルの声が重なった。
「どうしたんですか? これから街に行かれるんですか?」
「まぁな。ついでにおめーらが迷ってないか見てこいって言われてんだけど、わかってるみてーだな?」
パステルさんたちの家はここからもうまっすぐだ。
僕が頷くと、トラップさんは片手をあげてそのまま僕たちを通り越して行った。
「にーちゃん」
呼び止めたのはノエルだった。
トラップさんが振り返る。
僕はノエルを見た。
「ねーちゃん、すげー人気もんだったんやなー」
からかうというより、訴えかけるその様子に僕は驚いた。
トラップさんは、少ししてから答えた。
「そうみたいだな」
「にーちゃんは、ねーちゃんのこと好きなんやろ?」
うええええええええっ?
なっ、なんてことを聞くんだ、ノエル。
問うたわけでも問われたわけでもない、真ん中の僕が、慌てふためく。
僕はうろたえていたけれど、フォローするにもこの場を持たせるにも、そんな知識はどこにもなく。黙っていることが一番の得策だと、それしかわからなかった。
長い時間に思えた。ノエルもトラップさんも黙ったまま何も言わない。真剣な眼差しでお互いを牽制しあっているようにも見えた。
「あいつはいいんだよ。クレイがいるんだから」
小さく呟かれたのはそんな言葉。
え? パステルさんがクレイさんと?
僕は口を挟んでいた。
「パステルさんって、クレイさんとなんですか?」
「見てればわかるだろ?」
見てればわかるって……。
「兄ちゃん、男じゃねーや」
挑むようにノエルが言った。それはほめられたことじゃないけど、挑発にもとれた。
わざと怒らせようとしているみたいに。
「いんだよ、おれは何だって。あいつがよければ」
その台詞ってどういうこと?
トラップさんはきびすを返した。
小さく呟いた言葉の欠片が僕に突き刺さる。
ノエルには聞こえただろうか?
「絶対間違ごうてる!」
僕は頷くことができなかった。
「だって、やっぱあの答えって兄ちゃんも好きってことやろ? どーしてそんじゃぁ戦わないんだ? もしねーちゃんがクレイさん好きでも振り向かせばいいじゃんか。真っ向勝負や、違うか?」
ノエルは凄い勢いだった。怒っているみたいに。
トラップさんのことを本気で怒っているみたいだ。
「好きなら好きって言えばいいんや」
「……でも」
ノエルがぶすっと頬を膨らませたまま、僕を見た。
「確かにパーティくんでるとさ、その中で恋愛ごとって御法度なのかなとも思ったし」
「思ったし?」
「そんな好きになりかたもあるんだなって」
ノエルは驚いた顔をした。
僕の胸に今も突き刺さっている、トラップさんからでた、多分、本音。
『いいたくねーこと言わせやがって』
言いたくないこと、思っていたくないこと。
彼はそう思っていたくないんだ。
トラップさんは自分を持っている人だと思う。その自分が『思っていたくない』ことを変えていかずにいるって、変えずにいなくちゃいけないって、それなりの意味があることなんだと思うんだ。
「そこまで好きなんだって思ったんだ」
ノエルは大きなため息をついた。そしてしばらくの沈黙の後にぽつりと言った。
「かりんとうって知ってんか?」
「かりんとう?」
「お前、代表どころの菓子しか知らんやろ?」
今度は僕が頬を膨らませる番だった。
「そんな辺境地の特産物言われたってわからないよ。僕んとこはそんな裕福じゃなかったから、お菓子だってそんな食べられなかったし」
ノエルは僕の話を聞いてないふうに地面に絵を描きだした。
「それって犬のう○ち?」
ノエルは深く頷いた。
げっ! そんなの描くなよ。あてずっぽで言っただけなのに。
「恐ろしいことに、形も色も似とうてな」
「何が?」
「かりんとう」
僕は目をしばたいた。
「会話の流れからいくと、かりんとうってお菓子だと思ったんだけど、違うの?」
「ミナトにしては上出来や。その通り、菓子や」
「……お菓子の形や色が、その……似てるの?」
ノエルは真面目な顔をして頷く。
ひょえーーーーっ。何かイヤな形だぞ。
「で、うまいの?」
「これがかたくてな、上等でない砂糖の味しかしないんや」
「ノエル、そのお菓子好きだったの?」
「ばーちゃんが好きでなー。おれはばーちゃんが好きだったん」
ノエルはまっすぐ僕を見て言った。
「ばーちゃんがいくらこの菓子好きでも、おれはこんな不器用な甘さな菓子は食べとうなくてなー。でもばーちゃんのところに行くと必ずこれが出るんや」
ノエルは一呼吸おくと、また話始めた。
「最初は嫌いやったけど、だんだんこのくそまずい菓子を食べないとばーちゃんとこ行った気がしなくてな」
ノエルは遠くを見る。
僕はなんとなく、ノエルのおばあさんは亡くなったのかもしれないと思った。
「最初は見た形だけで食べとうなくて。もしかしたら食べてみたらうまいかもしれんし、くぞまずいかもしれんやろ。でもかりんとうみたいに、まずいけど食べられるようになるやもしれん。だからさ、くわず嫌いはまずいよな」
僕はノエルが何を言いたいのか、本当のところよくわからなかった。
でも、食わず嫌いはよくないと思ったので頷く。
「ああ、食わず嫌いは、まずいな」
「そうやな。見た目や形、言ってくれた言葉が全てとも限らへんしな」
ああ。
僕はやっとノエルの言いたいことがわかった気がした。
僕たちは見える気持ちしか、見てなかった。
僕たちは子供過ぎて、見える気持ちを大切にしてしまう。見えていないだけで、そこに在る気持ちの方がはるかにいっぱいあるのに。トラップさんたちぐらいになったら、もう少し見えるようになるのかな? おじいさんになったら、もっとわかるようになるのかな? かりんとうというお菓子を好きになれたら、わかるようになってるのかな?
僕はノエルが僕をなんでもわかると思っていてくれたなんて、ちっとも思わなかった。
ノエルは僕が、どんなに凄いヤツと思っているか気づいていない。
こんなに近くにいても。
こんなにいっぱい話していても。
「今度さ、食わせてやるな、かりんとう。ミナトは海のある街で生まれたんやろ? 菓子は何食ってたん?」
「こうなごとか岩のりとか、ワカメとか」
ノエルの目が点になった。
次の瞬間、ノエルは大爆笑を始めた。
「お前、おもろいなぁー。最高や」
ノエルが肩を組んできた。
「おれはかりんとう、お前はワカメ。おれは山で育って、お前は海で育った。同じぐらいな年やのに、そんだけ違うんだもんなー。おれたち二人でもそんな違うんだ。世の中もっといろんなヤツがぎょーさんおるぞ」
「みんながみんな違う考えなんだ。わくわくするな!」
「おー、楽しみやな」
「かりんとう食わしてやるよ」
僕も負けずに返した。
「こうなご食わしてやるよ」
「あんなー、こうなごはどう考えても菓子じゃないやろ」
「うちではそうだったんだ」
「ばっかやなー」
「噛めば噛むほど味がでてくるんだぞ。こうなごをバカにするな」
「バカにはしてへん。おやつやったかもしれへんけど、菓子じゃないっていっとるだけや。だいたいなー噛めば噛むほどって何回噛めば味がするんねん?」
僕はすまして返した。
「83回」
「ほんまに数えるんか!?」
「そうさ、海の街では常識だよ。世の中にはノエルの知らないことも山ほどあるんだ」
僕は心の中でもう一度呟いた。
そうさ、世の中には僕たちの知らないことが山ほどあるんだ。
「座るんだったら、僕の足の上に座ってよ」
ノエルはめちゃくちゃ嫌な顔をしてから、さもめんどくさそうに僕のつま先にお尻を移動させた。
「息があがらんよーになったら、今度は鍛錬でっか」
地面に寝転がり膝を立て、足の裏を地面にぺたりとつけたまま、お腹に力を入れてぐいと起きあがる。
そう。そうなんだ!
あんなに休憩時間が待ち遠しく、倒れこむようにへばっていたのに、今ではその空いた時間に腹筋なんかしてみようと思うくらい、こなれてきていた。
僕には目標ができたんだ。僕、ノルさんみたいになりたい。
ノルさんみたいな鍛え上げた体のクレリックなんてかっこいいじゃんか。
「ノエルも鍛えておいた方がいいよ。お金が貯まったら、冒険に出るんだからさー」
ノエルは僕に背中を向けたまま、へいへいと生返事をした。
「おめーらが冒険?」
いやに甲高い声。
声のした方を見るに及ばず、またかと思って、僕は腹筋を続けた。
「おめーらが外に出たって、モンスターにやられるのがオチなんじゃねーの?」
甲高い声というだけで嫌気がさした。僕は今までいきてきた14年間で、何故か甲高い声の主に絡まれることが多かったからだ。
「なんたって、あのレベルの低い冒険者んとこに世話になっているようなやつらだもんな」
「ノエル、相手にするなよ」
僕は普通の声でノエルに注意をした。
3日前、ノエルはこいつらと大喧嘩をやらかしている。この前は親方が大目に見てくれたけれど、2回目があるとは思わない方がいいだろう。
でも、ノエルの気持ちはわからなくない。ううん、実をいうとやってくれてすっとしたぐらいだ。
僕たちのことはいい。僕たちは冒険者のテストに受かったというだけで、まだ冒険者にさえなっていない。だから何を言われてもその通りだと思うんだ。
でもパステルさんたちを侮辱するのは、許せない。確かにレベルは高くはないけれど、彼女たちは間違いなく、僕たちの先輩で、数々の冒険をしてきた冒険者だと思う。
「あのへなちょこ冒険者な。モンスターに遭って逃げたらしいぜ?」
再び挑発するような高らかな声が聞えたとたん、僕の足の先から重みが消えた。
「ほんまかな?」
ノエルの顔はミミズ腫れやら、気の早い青痣が浮き出てきている。僕の顔にもいくつか傷があり、明日になったらさぞや腫れるだろうと予想ができた。
「あいつらのいいがかりさ」
僕はそうに違いないと思っていた。だって、モンスターに遭ったとき、冒険者が逃げ出すなんて、そんなことあるわけないじゃないか。
それより。僕たちは一日謹慎になってしまった、ひとまず。次はないと思えと、親方から審判を下された。
でも後悔はしようにも、できなかった。もう一度時が巻き戻って、結果がわかっていても同じことをしてしまうだろう。パステルさんたちの侮辱に黙っている自分の方が嫌だと思ってしまったからだ。
パステルさんたちの家に帰ると、たちまち質問攻めにあった。こんな時間に帰ってくるのもおかしいし、僕たちは顔に傷をおっていたからだ。
僕たちは喧嘩の理由は告げなかった。怪我の具合と成り行きを心配してくれたパステルさんたちに、喧嘩をしたので、明日謹慎になってしまった事実を言っただけだった。
そして世間話をするように、モンスターから逃げたことがあるのかを尋ね、予想は簡単に裏切られた。
「ああ、よく逃げますよね」
「冒険者なのに?」
「命あってですからね」
僕とノエルは顔を見合わせた。
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