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ROAD TO BRAZIL !!

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2000/10/22 地獄の黙示録
 今回、それと次回のお話は、本当にシリアスなお話です。ウソくさい話なのですが、全て実話です。しかし最初に断っておきますが、今では笑い話になっております(笑)。と同時に、自分にとってはとてつもなく恥ずかしい話なので、書こうかどうか迷ったのですが、この旅日記をリアルな日記として完成させる為に、書くことにしました。どうかみなさん、最後は笑って下さい(笑)。そしてご心配をおかけした関係者各位の皆様には、この場を借りてお詫びさせて頂きます。そして励ましの言葉を掛けてくださった皆様方、本当にありがとうございました。

 それが最初に起きたのは、ある日の午後、洗濯物を出しにランドリーへ向かっている道の途中でした。立ちくらみのようなめまいを感じたのです。僕はその場にうずくまって休みました。「何だろう?多分疲れてるんだな・・・」最初はこの程度にしか考えておらず、別段気にせずにその日は過ごしました。しかしこの出来事は、僕がこの旅で味わう最も過酷でシリアスな試練の始まりに過ぎませんでした。

 めまいは徐々にひどくなっていきました。これはおかしいと思いつつも、気のせいだと誤魔化し続けました。しかし歩くのが辛くなるほどになってきたのです。試合まで後少しなのに、妙な病気にかかってしまったなと焦りました。しかし僕の体に熱はなく、風邪薬を服用したところでこのめまいに効果は全く現れませんでした。次第に症状は増えてきて、強烈な頭痛、吐き気、腹痛、手足のしびれなどが起こり始めました。目の焦点がぼやけて物が見えずらくなりました。それは、今までの人生で体験した事の無い症状でした。

 謎の病気に不安を抱きつつも、それは誰にも口にしませんでした。練習を3日ほど丸々休み、家で十分に休息を取ってみました。しかしなぜか症状はさらにエスカレートしました。もうどうしていいか分からず、我慢も限界に達し、道場へ行きストリッチに今病気であることを告げました。ストリッチはその足で僕をイパネマの総合病院へ連れて行ってくれました。異国の地で医者にかかるのは初めてで、相当緊張しました。言葉も何も分からない連中に、異物を体内に押し込められるのかと思うと、やはり恐いです。しかしストリッチを信用し、医者に行かなきゃ治らないと自分で判断し、連れて行ってもらいました。

 病院では僕の不安を察してか、ストリッチがずっと付き添ってくれて、内科的な診察を受ける事が出来ました。そして注射を打ってもらいました。注射の時もストリッチは、「YOSHI、心配するな。全てクリーンで新しい物だ」と、ブラジル医療への僕の間違った偏見を打ち消してくれました。この病院では「おそらく疲れと、胃の痛みは食中りだろう」と言われました。それで安心したのと、注射が効いたのか、その日の午後は少し体調が回復致しました。その日は処方された薬を飲み、速攻で寝ました。試合まで後1週間しかありません。治ったら休んだ3日分の遅れを取り戻すぞ!と思いました。しかし翌朝起きると、めまいは元の通り、いや前以上の症状となって復活していました。

 この辺りから、この原因不明の病気のせいで、僕は本当に混乱し始めました。とにかく休息しなければならないので、家でじっとしているのですが、それが逆効果でした。考えることしかやることがないので、恐怖で頭がおかしくなりそうになりました。これだけ休息しても、病院行っても悪化し続けるとは、一体どこで誰に何をしてもらえば治るんだ?しかもここはブラジルだぞ?本当に試合に出られるのか?俺はどうなっちゃうんだ?一日中その事ばかり考えて、布団の中にうずくまっていました。不安が憶測を生み、悪循環にはまりました。自分はこのまま死ぬんだとさえ思いました。死んだらもう日本にいる父や母や兄弟、平さんや道場の仲間、そして愛する人にも2度と会うことが出来ない。そんな事を考えてしまうほどの極限状況でした。

 その後、異変を聞きつけた正道の赤木さんが調べて下さった、日本人医師の北村先生の病院を訪ねることが出来ました。地下鉄で3駅ほどの町、ラルゴ・ド・マシャードで開業しておられる、日系2世の先生です。日本語はほぼ問題なく話せます。僕はここぞとばかりに、これまでの経緯や自分の症状を、事細かに説明しました。先生は内科的な診察を僕に施してくれました。結果はまず問題なしで、「疲れによるストレスが原因だろう」と言われました。大きな病気ではないだろうと。しかしその日の午後も、全く症状はおさまらず、歩くのもしんどいままです。目の前がグワングワンと上下に揺れています。僕は自分の脳に何か問題があるのではないかと、内科的な問題ではないなと、どうしても疑わざるを得なくなりました。

 この時、もう試合まで3日を切っていました。めまいは全く治まりません。吐き気も頭痛も、何もかも治りませんでした。北村先生に処方された薬も効きません。練習はあれ以来一度も行っていません。飯は一切喉を通らず、体重はこの日までに3kgも落ちました。さすがにもうダメだと思いました。最後の最後まで悩みました、がんばって何とか出ようと思いましたが、これで試合出たら危ないと思いました。とても出られないと。この日までアレシャンドリに病気の事については一言も触れていませんでした。しかし遂に電話で告げました。

 「アレシャンドリ。ごめんなさい。僕はもう試合に出られません。」

 アレシャンドリは突然の事に驚きつつも、僕に思いとどまるよう説得してくれました。アレシャンドリは直接北村先生に病状を確認し、「先生も問題ないと言っている」と言われました。先生の話もアレシャンドリの話も分かる。すごく分かる。単なる疲れなのかもしれない。もう少しすれば治るのかもしれない。でも試合はもう2日後。現実に歩くことすらままならない状態で、脳に不安を抱えながら試合に出ることは僕にはとても出来ません。何かとてつもない病気だとしたら、ここで死んだとしたら、あまりにも悔しすぎます。日本に帰って検査を受けたかったし、何か起こったときにブラジルに居る事がたまらなく不安でした。僕のあまりに悲壮な相談に「試合なんていつでも出られる。健康が一番だ。帰って来い」と平さんにも言ってもらえました。家族や友人もそう言ってくれました。「そうだ、もう帰ろう」と、僕は何も考えずに飛行機に乗り込む腹を決めました。

 その日の夜、急いで荷造りしました。取り付かれたように荷物を押し込みました。そして航空券の変更手続きをしました。ちょうど僕が出るはずだった試合の日、20日の夜の便を取りました。試合にも出ず、修行も途中でやめ、アパートもそのまま、荷物もほとんどそのまま、道場の仲間に挨拶もせず、アレシャンドリに礼も言わず、何もかもそのまま、僕は文字通り、恥も外聞もなく逃げ帰ろうと決めました。まさかこんな形で僕のブラジル修行が幕を閉じることになるとは、夢にも思っていませんでした。
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