江戸時代初期(1655年)川越藩主松平伊豆守信綱は、野火止台地の開発に伴い
生活用水を確保するため、玉川上水から分水して野火止用水を開削した。
現在の東京都小平市から平林寺を経て、埼玉県志木市の新河岸川に至る
全長役25Kmの用水で、平林寺周辺の野火止用水は、
史跡として良く保存されていて流れに沿って散策が楽しめる。
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■安松金衛門の墓 ※写真をクリックすると大きく表示します。 |
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野火止用水開削にあたり、信綱の家臣で土木技師の安松金衛門が工事の指揮監督をした。
工事は昼夜にわたり、全長約25Kmをわずか40日間で完成させた。墓は信綱公一族墓所の左手にある。
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松平家の菩提寺である平林寺に注ぐ支流。かつて流れは平林寺に入ると奥庭園と放生池に流れ込んでいた。
現在は共に地下水を利用している。
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本流は平林寺裏手の雑木林に沿って流れ、林野を潤した。用水は300年余りにわたり野火止台地に暮らす人々の貴重な飲料水、生活用水として使われてきた。
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用水路の完成により、水利に困窮していた江戸時代の開拓農民は武蔵野開発を成功させ、この用水に感謝し「伊豆殿堀」と呼んだ。このあたりの用水は昔のままの状態が残り、自然観察や野鳥観察ができる。
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桜並木と雑木林が続く緑道で、野火止緑道と共に昔ながらの風景が残る。野火止用水は都市化の進む中、保全悪化により一時、涸(か)れてしまったが再整備によって1987年に流れを復活させた。
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