読書感想


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  生と死の時間

             江藤淳「妻と私」(「文芸春秋」99年9月特別号)について

「妻と私」は、筆者である評論家の江藤淳が、癌で入院した妻を看病し、その死を看取るまでの経緯を中心に書き記した看護体験記である。雑誌「文芸春秋」99年5月号に掲載されて後、単行本化されてベストセラーになり、7月21日の筆者の自死という衝撃的な事件報道を経て、再度「文芸春秋」誌9月特別号の特集「哀悼 江藤淳」に全文が再掲された。

 江藤淳の評論、エッセイ、対談集には、これまでにいくらか親しんできたつもりだが、それでも著者の全仕事からすると微々たるもので、穴だらけということになるのだと思う。ここでは、この「妻と私」という文章から受けた印象に限って思うことを書いてみたい。

 大変困難な時期についての記述であるにもかかわらず、社会的な生活と切り結ぶ通路がしっかり意識されていたものだなあ、というのが第一印象だ。知名度のたかい社会的な地位にあるということは、否応なく様々な社会的な儀礼や約束事にも縛られることで、そういう立場に身をおけば、誰でも大なり小なりこういうふうに振る舞う他はない、というだけのことかもしれないのだが。

 それでも、医者に即日入院を命じられながら「それは全く不可能だ。、、新聞の死亡記事にも、喪主として私の名前が明記されている。各界からの会葬者に対する儀礼からしても、告別式が終わるまではその場にいなければならない。」と応対して、結局四日間に及ぶ妻の葬儀を点滴を受けながら喪主として取り仕切ったり、葬儀に来た会葬者たちへの挨拶状を「どんなに快復感が不十分でも、これだけは自分で書かねばならない」と思い決めて、術後の病床でしたためたりという記述を読むと、どこか度をこえたかたちで社会的な慣習儀礼への配慮が優先されているように思える。

 そしてそのことは、私生活と社会生活のバランスが失調するところで、際だってみえることになる。著者がいつも社会的な生活に重心を傾けている分だけ、その部分に繋がりのない生活空間が、社会から切り離された寄る辺ない世界のように思われて、心がそういうふうに傾斜していくふうに見える。著者はそうした感覚をむしろ積極的に意味づけている。それは、ある意味で美しいし、またこの文章でいちばん言いたかったことかもしれないのだが、社会性と私性の中間にある緩衝地帯とでもいうべき、人が息をついたり、ほっとできるような生活感覚のある場所が、どうにも希薄な感じというのは拭えない。もちろんそんな場所が無かったというのではなく、きれいに刈り込まれている、という人工的な印象をうけるのだ。

 「妻と私」には、現実に起こった出来事の推移や、妻の病態の変化を綴った記述とは別に、著者が妻を看病する過程で生じた不思議な時間感覚の変遷が描かれている。そこでも明晰に社会生活と私生活の分離が意識されている。というより、それはそうした分離の意識が産みだした心のドラマとでもいったほうがいいのだが、その場所は最初、「生と死の時間」と呼ばれている。


「入院する前、家にいるときとは違って、このとき家内と私のあいだに流れているのは、日常的な時間ではなかった。それはいわば、生と死の時間とでもいうべきものであった。

日常的な時間のほうは、窓の外の遠くに見える首都高速道路を走る車の流れと一緒に流れている。しかし、生と死の時間のほうは、こうして家内の傍にいる限りは、果たして流れているのかどうかもよくわからない。それはあるいは、なみなみと湛えられて停滞しているのかもしれない。だが、家内と一緒にこの流れているのか停まっているのか定かではない時間のなかにいることが、何と甘美な経験であることか。

この時間は、余儀ない用事で病室を離れたりすると、たちまち砂時計の砂のように崩れはじめる。けれども、家内の病床の脇に帰り着いて、しびれていないほうの左手を握りしめると、再び山奥の湖のような静けさを取り戻して、二人のあいだをひたひたと満たしてくれる。」

「私は、自分が特に宗教的な人間だと思ったことがない。だが、もし死が万人に意識の終焉をもたらすものだとすれば、その瞬間までは家内を孤独にしたくない。私という者だけはそばにいて、どんなときでも一人ぽっちではないと信じてもらいたい。そのあとの世界のことについては、どうして軽々に察知することができよう?」
(「妻と私」より。以下同じく、引用箇所はゴチック体で記述)


 なぜ、この時間が甘美だと感じられるのかといえば、それは、煩雑な日常から離脱して、ただ純粋に妻のことだけを思い、その応答を確かめ続ける、という静謐な時間の持続にひたされているからではあろう。しかもそれは、他者から切り離された孤独な時間ではなく、「家内と私のあいだに流れている」時間であり、その共有を介して、妻と結びついているという確信をうながすような、逆に日常の生活には有り得べくもない特権的な時間の経験というふうに捉えられている、と言えるかもしれない。しかしやがて、この時間の持続のもたらす甘美さには、別の意味がもたらされることになる。そのとき、「生と死の時間」もまた、意味をかえる。


「・・・私はそれまで生と死の時間に身を委ねているのだと思っていた。社会生活を送っている人々は、日常性と実務の時間に忙しく追われているのに、自分は世捨て人のようにその時間から降りて、家内と一緒にいるというもう一つの時間のみに浸っている。だからその味わいは甘美なのだと、私は軽率にも信じていた。

だが、いわれてみればこの時間は、本当は生と死の時間ではなくて、単に死の時間というべき時間なのではないだろうか?死の時間だからこそ、それは甘美で、日常性と実務の時空間があれほど遠く感じられるのではないだろうか?たとえばそれは、ナイヤガラの瀑布が落下する一歩手前の水の上で、小舟を漕いでいるようなものだ。一緒にいる家内の時間が、時々刻々と死に近づいている以上、同じ時間のなかにはいり込んでいる私自身もまた、死に近づきつつあるのは当然ではないか?」


 この反転は、ひとつの気づきからきている。自分たちは共有された同じ時間の中にいる、という確信が深ければ深いほど、「時々刻々と死に向かう家内の時間」、という観念が違和を奏ではじめるからだ。だが、病者とむきあう看病人がときに感じる一種の甘美さが、実は「死の時間」がもたらす甘美さなのではないか、という逆説めいた反転は、むしろ病んだ観念だというべきではないのか。そういわせているのは、甘美で特権的な共有された幻想、つまりは閉じきった対幻想の領域に入り込んできた「時々刻々と死に向かう家内の時間」という想念だからだ。本当は、妻と自分を永遠に結びつけるように思われた特権的な時間の持続を、脅かし、うち消すように「死」の想念がやってきた。しかし、それは著者の場合、予めわかっていたことであり、そういう意味で、著者はその時間体験全体を「死の時間」と呼ぶより他なかった。

 このようにしてなかば実体化されはじめた「死の時間」は、妻も「私」もまきこむブラックホールのようなものとして、イメージされている気がする。ある者を「死」の重力圏がとらえる。すると、そのために死に行く者の傍らにいる親和的なものにも、この死の力は影響を及ぼさずにいられない。いうまでもなくこのイメージはとても情緒的で古典的なものだ。実質的に病人の生死に関わる治療や看護を行っている医療従事者にこのイメージを当てはめたら、とても現代医療など成立しそうもない。しかし人が人と情念として、また精神として繋がるという心の位相において、この死のイメージは現在でもすこしも古びていないし、また時にたやすく実体化されがちだということは言える。

 やがてモルヒネの投与が開始されて。昏睡状態が続き、たまに意識がもどると、ふたりは短い会話や笑みを交わしたりするという時期が訪れる。


「あるいは、家内はこの頃、私をあの生と死の時間、いや死の時間から懸命に引き離そうとしていたのかも知れない。そんなに近くまで付いて来たら、あなたが戻れなくなってしまう、それでもいいの?といおうとしていたのかもしれない。
しかし、もしそうだったとしても、私はそのとき、家内の警告には全く気付いていなかった。ひょっとするとそれは、警告であると同時に誘いでもあり、彼女自身そのどちらとも決め兼ねていたからかも知れない。」



 ここでは、「時々刻々と死に向かう家内の時間」がすでに「死の時間」の側に浸食され、そこに半ば溶解した「死者」の側から妻は著者に向かって語りかけているように描かれている。そういうヴェールを取り去って、憶測を交えて言うのを許してもらえば、死の淵で著者を見つめていた奥さんは、私のことを思っていつまでも付き添ってくれるのは嬉しいけれど、ほどほどにしないとあなたが倒れることになってしまうわよ、というような思いを諫めるように語りたかっただけのような気がする。端で見ていて、度をこえて自らを顧みずに看病に打ち込みすぎることと、「死」のそばに「そんなに近くまで付いて」行くことは、まったく意味が違う。しかし著者は、「死の時間」を実体化することで、自分をその殉教者のようにみなしている。病に冒されて死んでゆく妻が、仕事も生活も放り出して自分を手厚く看護してくれている夫に、一緒に死んでほしいなどと願うだろうか。では「誘い」とは何なのか。それは、むしろ著者の心にかって宿ったあの「甘美」な対幻想のなかに心身を閉じてしまいたいという望みの投影なのではないだろうか。


「おそらく家内の絶命とともに、死の時間そのものが変質したのである。それはいまや私だけの死の時間となって、現に生的に私の身体まで脅しはじめている。そういうほとんど絶望的な自覚が、今まで一度も感じたことのないこの深い疲労感の底には潜んでいた。」


 妻の絶命とともに、死の時間そのものが変質したと著者は書く。そこにはもう「時々刻々と死に向かう家内の時間」はない。対象を喪失して過労で衰弱した私の心身に「死の時間」が巣くったのだと著者はいう。ここではもう「死の時間」は、ときに人と共有されたり、またときに人にとりつくこともあるような、一種実存的な死への傾斜を誘う場所として実体化されている。私の心身の衰弱を深いところで規定している逃れがたい「私の時間」としかいえないものになっている。


「いったん死の時間に深く浸り、そこに独り取り残されてまだ生きている人間ほど、絶望的なものはない。家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである。」

「ついにここまで来てしまったよ、慶子、と脳裡に浮んだ家内の幻影に呼び掛けたのは、多分その頃だったに違いない。いつも一緒にいるということは、ここまでついて来るということだったのだ。君が逝くまでは一緒にいる。逝ってしまったら日常性の時間に戻り、実務を取りしきる。そんなことが可能だと思っていた私は、何と愚かで、畏れを知らず、生と死との厳粛な境界に対して不遜だったのだろう。」


 連れ合いが死の病に倒れたら、出来る限りの看病をつくし、臨終を看取ったら、やがては「日常性の時間に戻り、実務を取りしきる」という、誰もがやったり、またやらざるを得ずにやっていることが、ここでは否定されている。いわば連れ合いと本当に生死を共にしたいという思いが強ければ、「死の時間」の側から呼び寄せられてしまうことがありえるし、その不可抗な力に対して心は抗うことなどできないのだ。むしろ人の死への傾斜を、制御できたり、割り切って生きられると考えていた私(合理主義的な考え)は、生と死の厳粛な境界に対して、愚かしく不遜だったというべきではないのか。そういう声がおそらく著者の心情の最深部から発せられている。

 「ついにここまで、、」以下の引用箇所は、妻の葬儀の直前に急性前立腺炎と診断され、点滴を受けながら四日間の葬儀を取り仕切った後、即日入院して危篤に近い状態を体験した時の感慨を述べた箇所で、著者は、そんなうつつの状態のときに立ち現れた妻の幻影の、もう少しお仕事をなさい、という言葉に励まされる。


 「でも、あなた自身が崩れない限り、外からの力ではあなたは決して倒れない。前にもいった通り、あなたは感染症では死なないわ。もう少しお仕事をなさい。

 そうか感染症では死なないか、もう少し仕事をするのか。、、、」


 「妻と私」は、この臨死体験にあらわれた妻の幻影の言葉に励まされて、著者が、劇性の感染症のために壊死しかけている脇腹の皮膚を裁ち落とすという手術に臨む決意をし、「こんなところで、死んでたまるものか」と発奮して、懸命に「死神」とたたかい、という経緯を経て、退院後、ようやく著者が心身の快復に向かったところの記述で、終わっている。

 いってみれば、記述は臨死体験を契機に反転して、著者が深い死の淵から立ち直っていく過程が描かれて、この「妻と私」という文章は閉じられるのだが、記述にこめられた文の勢いからしても、どうしても、このエピローグを含む部分に重心がおかれているように思えない。

 どうしてそんなふうに感じるかといえば、最後のくだりは、ある意味で、「日常性の時間に戻り、実務を取りしきる」ことと同義の死の淵からの帰還を描いた文章であり、「そんなことが可能だと思っていた私は、何と愚かで、畏れを知らず、生と死との厳粛な境界に対して不遜だったのだろう。」という言葉自体を裏切っているように思えるからだ。それほどまでに、この言葉にこめられた衝撃力は強い。ではどういうことなのか。

 私の心身を死の傾斜に誘う「死の時間」が解消されたわけではないし、妻の死後、「ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである。」という感覚が癒されたわけでもない。むしろ癒されることなど不可能だという深い絶望の自覚が著者に訪れたのだと思う。そんな著者を生かしめたのは「もう少しお仕事をなさい」という妻の幻影の言葉だった。幻影は、著者がもう引き返せない不可逆的な死の時間に捕らえられてしまったことを否定しない。もとよりこの幻影とは著者の脳裡に映じた著者自身の無意識の形象化であるという理解をとるとすれば、このとき、死に瀕して、気がかりなこと、やりのこしたことへの執着が、死への傾斜の歯止めのように立ち現れているのであろう。

 著者は人ごとのように、反応している。というより、幻影の妻の言葉を「死の時間」の向こう側にいて、未来を見通している予言者の言葉のように受動的な状態で聞いている。この衰弱の底での徹底した受動性が、生きる力に反転する。とはいえ、それは留保なのである。「もう少しお仕事をなさい」と。

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 江藤淳の自殺は、吉本隆明が書いているように、一種の落ち込み自殺だろうと思う。そのときに死ななくてはならなかった必然のようなものは感じられない。たしかに残された遺書の自己限定ぶりは他の文学者に比べて水際だっている。しかし、それは、さほど驚くべきことではないのかもしれない。江藤氏は奥さんの死後、自らの病をおして、葬儀や、挨拶状や、三十日祭や、忌明けの挨拶や、墓所の手配、といったことをこなし、自らの手術に際しては遺言書もしたためていたことを「妻と私」は伝えている。そういう人が、新聞に公表されるであろう遺書に形式的な配慮をしないはずがない。現時点で「妻と私」を読むと、どうしても著者の自殺との関連を考えたくなってしまうが、私には、自らも重なる病に苦しんだ著者が、奥さんの死後、この世との区切りをつけるように、これだけはやっておこうとしてなされた仕事のひとつのように思える。ただその作品は、深い意味で、江藤氏と奥さんの心の絆の秘密を明かすものだった。

 私たちは誰も「ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである。」という感覚から自由ではない。それは「死の時間」と呼んで対象化する以前に、生きているそのことと分かちがたく結びついているのだ。そのことを忘れていられることが生を明るく、また軽やかにもするが、同時に愚かにも不遜にもする。江藤氏の生きた「死の時間」の本当の闇の濃さは伺いしれようもないが、他者との深い結びつきのなかで、そういう気づきがありえることを「妻と私」はそっと伝えている。


99.8.19 

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