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走り書き「新刊」読書メモ(62)


ここでは、比較的最近出版された本についての短い感想を載せています。
(例外のやや古い本には☆印をつけました)。
時々、追加してゆく予定です。


index・更新順(2014.8.30~2014.11.29)

西村賢太「やまいだれの歌」岡田英弘「岡田英弘著作集 1」本川達雄「生物学的文明論」
佐藤優+中村うさぎ「聖書を語る」山本博文・監修「江戸っ子の二十四時間」三宅乱丈「イムリ 16」
井出洋一郎「「農民画家」ミレーの真実」土屋健「大人のための「恐竜学」」槇えびし「天地明察 7」
青山繁晴「死ぬ理由生きる理由」雲田はるこ「昭和元禄落語心中6」佐藤優「日本国家の神髄」
山口文憲「団塊ひとりぼっち」苫米地英人「「日本」を捨てよ」苫米地英人「テレビは見てはいけない」
小原慎司「地球戦争 04」手嶋龍一+佐藤優「知の武装」小室直樹「数学嫌いな人のための数学」
岡田英弘「歴史とはなにか」古井由吉「半自叙伝」陳破空「赤い中国消滅」
武田邦彦「タバコはやめないほうがいい」椎名誠「アイスプラネット」中島義道「生き生きとした過去」
谷川俊太郎「詩を書くということ」小池百合子+林修「異端のススメ」スーザン・ソンタグ「他者の苦痛へのまなざし」
東浩紀「弱いつながり」坂倉昇平「AKB48とブラック企業」渡邊哲也「ヤバイ中国」




西村賢太「やまいだれの歌」(2014年7月30日発行・新潮社 1500)は小説。初出は「新潮」2013年10,12月、2014年1月,3から5月号。著者初めての長編小説とあとがきにあって、ちょっと意外だった。連作もののイメージから、なんとなく長編の人という印象をもっていたのだった。もっとも私小説作家は、一編の長編小説を書いているといえるのかもしれない。本作では作者の分身である北町貫多の19歳の時の失意の体験が描かれている。心機一転を計り、横浜に転居して造園会社のアルバイトの職をみつけた貫多は、ようやく仕事にも慣れ職場の人間関係にもなじみ始めた頃、新規入社してきた女性事務員にひそかに心惹かれるのだが。(註・本書のタイトルは、「やまいだれ」が、漢字ですが、表示できないためひらがなで表記しました。)



岡田英弘「岡田英弘著作集 1」(2013年6月30日発行・藤原書店 3800)は歴史文集。2013年6月から刊行中の「岡田英弘著作集」全八巻のうちの第一巻。本書には「歴史とは何か」(文春新書・2001年刊)の結実に至るまでの時期に発表された講演記録や、同書からの部分転載、討論会における発言、論文エッセイの他、書き下ろしの「私の学者人生」という一文も収録されるなど、多彩な方向から著者の歴史理論や人となりに触れられる内容になっている。本巻のサブタイトルとしても「歴史とは何か」が選ばれており、著者は「はじめに」で、「私の歴史理論の原論でもあり、また総決算でもある。」と書いている。



本川達雄「生物学的文明論」(2011年6月20日発行・新潮新書 740)は生物学講義。NHKラジオ第二放送で連続講演されたときの放送原稿を、ほぼそのままの形で本にした、と「おわりに」にある。生物の多様性や生態系、形態や時間についてなど興味深い話題が全11章にわけて収録されている。とくに興味深かったのは、サンゴと褐虫藻の共生の話や、著者の専門であるナマコの生態について。ナマコには脳も心臓も感覚器官も筋肉もなく、ほとんど皮ばかりで砂を食べて生きているという。



佐藤優+中村うさぎ「聖書を語る」(2014年7月15日発行・文藝春秋 1286)は対談集。全三章のうち二章が「オール読み物」2010年9月号に初出、他は語りおろし。冒頭の、キリスト教の同じプロテスタントでもバプテスト派は自力本願で禅に近いのに対し、カルヴィン派は絶対他力で浄土真宗に近い、という佐藤氏による区別が面白い。話題は「聖書について」(第一章)のみならず、「村上春樹とサリンジャー」(第二章)、「地震と原発」(第三章)と、多岐にわたっている。



山本博文・監修「江戸っ子の二十四時間」(2014年6月15日発行・青春出版社 1180)は江戸の博物誌。青春出版社の新書版江戸学シリーズの一冊。江戸時代の庶民の暮らしぶりを、当時の不定時法による時刻区分にそって章わけして、それぞれの時刻にあわせて見開きの浮世絵のカラー図版入りで紹介した本。美麗な浮世絵をみているだけでも面白いが、井戸は地下水ではなく上水道から引かれていたとか、使用済みの各種和紙は回収され、再生紙(浅草紙)として漉きなおされ安価で販売されていた、といった豆知識も新鮮で楽しく読んだ。ふんだんな水の恵みと融合している文化。



三宅乱丈「イムリ 16」(2014年11月6日発行・KADOKAWA 650)はコミック。ルーンとマージという二つの惑星に住む三つの種族の支配権をめぐる抗争を、デュルクとミューバという二人の双生児の運命の変転を中心に描いた長編SFコミック。第92話から第97話まで収録されているこの巻では、ミューバが呪大師ディガロの陰謀を暴いて対決し最高権力を掌握、デュルクは宿敵カーマの北基地に乗り込んでいく。単行本化されてから読んでいるので固有名のとびかう世界に復帰するまでが大変(^^;。



井出洋一郎「「農民画家」ミレーの真実」(2014年2月10日発行・NHK出版 820)は美術解説書。名作「種をまく人」についての詳細な解説を含む第一章、ミレーの生涯と画業の変遷を解説した第二章、ミレー神話の形成過程や明治大正期の日本での受容のされ方を解説した第三章、現代画家としてのミレーの意味合いを論じた第四章からなる。日本では明治大正期以来「清貧の農民画家」として親しまれてきた画家ミレーの実像にせまる、という本で、肖像画、裸体画、歴史画、風景画など、時期によって様々なテーマに取り組んでいたことがわかって新鮮だった。今年は没後140年に当たるという。



土屋健「大人のための「恐竜学」」(2013年10月10日発行・祥伝社新書 780)は恐竜についての質疑応答集。インターネットで一般から恐竜についての質問を募り、それに解答する、という形式の58問に及ぶ質疑応答を並記した本で、「大人恐竜相談」とある(^^)。解答部分も簡潔にまとめられていて、恐竜豆知識集という感じの本だ。子どもの頃に覚えた恐竜についての知識がどんなふうに変わったのか、という興味を抱く年配者は多いと思う。たとえば子供の頃に巨大恐竜として覚えたプロントサウルスという名前をさっぱりみかけないと思っていたら、本書でその疑問が氷解した。アパトサウルスに変わっていたのだった。



槇えびし「天地明察 7」(2014年10月23日発行・講談社 600)はコミック。「アフタヌーン」2014念5月号から10月号に掲載された第三十幕から第三十五幕までが収録されている。江戸時代前期に改暦事業に携わった囲碁棋士にして天文歴学者、渋川春海の波乱の生涯を描いた冲方丁の同名時代小説を原作とした長編コミックで、この巻では、春海と妻こととの死別、寛文十三年に春海が幕府と朝廷に改暦誓願の書状を提出し、既存の大統歴から授時歴への改暦を巡って、蝕の予想の当否が焦点となった事態の推移がスリリングに描かれているのだった。



青山繁晴「死ぬ理由生きる理由」(2014年8月15日発行・ワニ・プラス 1600)は講演集。作家やコメンテーターとしても広範に活躍されている著者が、商船三井客船からの依頼を受けて2014年5月に行った「にっぽん丸小笠原・硫黄島クルーズ」での船上連続講演会「海から祖国が蘇る」(全三回)の内容が、講演とは別に行われた船内放送(講話)の内容や、この企画の実現に至るまでの解説なども含めて収録されている。政府によって着手された硫黄島の遺骨収集事業(予定では10年間で総費用500億円という)の決定には、戦死者たちの鎮魂に寄せる著者の官邸への強い働きかけがあったことが本書からうかがえる。著者の硫黄島訪問時の興味深い超常現象的な体験もふくめ、死生観というものを考えさせられるエピソードも満載されている。



雲田はるこ「昭和元禄落語心中6」(2014年8月7日発行・講談社 562)はコミック。昭和の名人と呼ばれていた落語家7代目有楽亭八雲に同日弟子入りした菊比古と助六という二人の青年が互いに切磋琢磨しながら芸の道にはげみ数奇な運命を辿るというストーリーと、時をへて8代目八雲となった菊比古のもとに弟子入りした青年与太郎の物語が交互に進んでいくという大河ドラマ風構成。主人公たちが古典落語を演じるシーンがセリフとともに絵入りで再現されているのが特徴で、こういう横断ができてしまうのがコミック文化の面白いところ。



佐藤優「日本国家の神髄」(2009年12月30日発行・産経新聞社 1700)は評論。初出は「正論」2008年10月号から2009年9月号。戦前に文部省教学局が出版し戦後はGHQによって禁書とされたパンフレット「国体の本義」(1937)を全文再掲しながら、そこに盛り込まれた思想・歴史・伝統観のもつ意味合いを現代の日本の状況と対比しながら独自の視点から解説する、という試み。著者は若い頃に、日本人であり、同時にキリスト教徒であるということはどういうことかいう関心から、本を読みあさっていて「国体の本義」に出会ったという。



山口文憲「団塊ひとりぼっち」(2006年3月20日発行・文春新書 890)はエッセイ。「本の話」に2004年6月から2005年11月号にかけて連載されたシリーズが初出で、新書化にあたり大幅に加筆、再構成された本とある。団塊の世代(広義には1946年から1950年に生まれた世代)の人々が、どのような共通な世代体験を経て現在に至っているのか、というテーマを、1947年生まれの著者自身の自分史をふくめ、様々な個別事例をあげ、また昭和史をひもとく形で、ユーモアを交えて綴った本。私は52年生まれだが、子どもの頃防空壕の跡があったとか、なぜか教えられないのに軍歌を覚えたとか、思わぬ共通体験が綴られていて楽しく読んだ。



苫米地英人「「日本」を捨てよ」(2012年3月29日発行・PHP新書 700)はエッセイ。日本や日本人をテーマにしたエッセイ集で、著者の「日本論」「日本人論」として読めるユニークな内容になっている。キーワードは「洗脳」や「抽象度」という概念。日本人の従順さや秩序正しさ、他者依存性や相互監視的といった様々な特性は、抽象度の低い儒教文化による洗脳の結果だと指摘し、抽象度の高い一神教文化との差異が指摘される。より高い抽象度から日本を見ようという提言がされていて、国家への帰属意識は近代人工的に作られたとする無政府主義の立場から、未来には道州制への移行をへて、最終的に個人が政府を自由に選択できるような状態が理想とされているのだった。



苫米地英人「テレビは見てはいけない」(2009年9月29日発行・PHP新書 700)はエッセイ。テレビは文字情報にくらべて圧倒的なリアリティをもたらす視覚情報であり、洗脳装置として政治利用されている、と著者は言う。またテレビ番組の企画をつくる数十人の構成作家たちによって、流行やお茶の間の話題、政治的な世論まで作られているという現状を指摘して、よりオープンな市場化の必要性を説いている。これが第一章で、残りの第二章「脱・奴隷の生き方」、第三章「日本人はなぜお金にだまされやすいのか」は、脳機能と心理の関係をベースにした自己啓発のすすめを説いた著者の人生指南という構成。



小原慎司「地球戦争 04」(2014年9月3日発行・小学館 552)はコミック。異星人による襲撃を受けた地球、英国のロンドンを舞台に、孤児院で暮らしていた少年少女グループが逃避行を続ける様子を描いたSFコミック(著者は「ボーイミーツガールのSFパニック物語、怪奇色少々」と書いている)で、月刊スピリッツに2014年3月号から8月号にかけて掲載された第18報から第23報に加え番外編が収録されている。この巻ではグループの旅先でのさまざまな人たちとの出会いと別れや、アリスがついに両親と再会を果たすまでが描かれている。



手嶋龍一+佐藤優「知の武装」(2013年12月20日発行・新潮新書 760)は対談。作家で外交ジャーナリスの手嶋龍一氏と、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏の「インテリジェンス」を巡る対談。本書でいわれる「インテリジェンス」とは、「膨大な一般情報を意味するインフォメーションから、きらりと光る宝石のような情報を選り抜いて、精緻な分析を加えたエッセンスをいいいます。それは、一国の政治エリートが誤りなき決断をくだす拠り所になるものです。」(対談冒頭の佐藤氏の言葉より)とあり、いわゆる知的な「諜報活動」というイメージで使われている。たとえば「東京オリンピック招致」をめぐって関係諸国がどのような思惑でのぞんだのか、といった話題や、「スノーデン事件」の背景や「TPP交渉」について、さらには各国の諜報機関の特質やその沿革についてなど、外交や国際ニュースに関する興味深い話題が交わされている。



小室直樹「数学嫌いな人のための数学」(2001年10月25日発行・東洋経済新報社 1600)は数学についての解説書。タイトルから想像して、教科書で習ったような数学の基礎が解説されている本かと思うと、大違い。数学の発生を古代宗教に遡って解説し、数学的思考法から生まれた論争技術や、形式論理学が西欧近代の様々な学問に与えた影響、とりわけ近代資本主義との関係に話は及び、終章では理論経済学の解説に導かれる、という広範な内容なのだっだ。先生と生徒の問答形式で明解に解説されているのだが、理論経済学を解説した終章などはさすがにむつかしい。しかし寄り道や考えさせるヒントが多く、数式などの解説はわからなくても、形式論理を骨子とした西欧的思考法の厳密さや迫力が伝わってくる本なのだった。



岡田英弘「歴史とはなにか」(2001年3月20日発行・文春新書 690)は歴史についての論考。歴史とは、文化的観念であり、直進する時間の観念、時間を管理する技術、文字で記録を作る技術、因果関係の思想の成立、という4つの前提条件が必要である、と著者は言う。一方で歴史は自分の立場を正当化する武器になるという性格をもつから、国民国家の発生いらい、「いまではあらゆる国で国史」を作りはじめている」が、18世紀までの世界では、自前の歴史をもつ文明は、中国文明と地中海文明の二つしかなかった、という。歴史という観念についての本質的な考察や歴史のまとう恣意的な文学性という限界をふまえて、「よりよい歴史」の必要性を説いたユニークな歴史論。



古井由吉「半自叙伝」(2014年3月20日発行・河出書房新社 1700)はエッセイ集。『古井由吉自撰作品集』(河出書房新社・全8巻)の月報に書かれた「半自叙伝」8編と、『古井由吉 作品』(河出書房新社・全7巻)の巻末に書かれた7編に、書き下ろしの「もう半分だけ」というエッセイが収録されている。「半自叙伝」シリーズには、1945年の著者8歳時の記憶から、2011年3月11日の大震災に遭遇した時期までのおりおりの追想がみずみずしく綴られていて、味わいぶかい。「見たことと見なかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる。」「、、、その言葉のほうが書いている本人よりも過去を知っていて、生涯を見通しているような、、、」(「もう半分だけ」より)



陳破空「赤い中国消滅」(2013年12月1日発行・扶桑社新書 800)は中国についての評論。おいたちから広州民主化運動のリーダーとして天安門事件に関与したとして投獄され、保釈後最終的に米国に亡命した著者自身の足跡を綴った第一章「私の物語 苦難を乗り越えた民主化の闘士」、現代中国の軍事政策や人民解放軍の内部事情、権力闘争や経済事情などの諸問題を扱った第二章「赤い中国 その落日」からなる。「利益集団。このキーワードだけがすべてを説明できる。」と著者は言う。江沢民、胡錦濤、習近平といった最高指導者でさえ利益集団の傀儡であり、「「党と国家の最高指導者」という「虚名を享受できるだけ」というのだった。



武田邦彦「タバコはやめないほうがいい」(2014年9月5日発行・竹書房新書 850)は煙草の肺ガン誘発説を批判した本。2012年に発売された同名の本に書き下ろしを加えた増補版。男性の喫煙率は1966年の83.7%から2005年の40%と年を追うごとに右下がりに減少しているのに、逆に人々が喫煙をやめ始めた70年代はじめ頃15000人程度だった肺ガン死亡者数は、現代では6−7万人程度に増加している、という。著者はこのグラフを指し示して「禁煙すると肺がんが増えた!」のだといい、その背景や副流煙の害といった問題などにも批評的解説を加えていく。愛煙家としておもしろく読んだが、嫌煙イメージの浸透は、健康への影響ということとは別に、関係意識の変化という要素が大きい気がする。。



椎名誠「アイスプラネット」(2014年2月25日発行・講談社 1200)は小説。2012年から光村図書の中学二年生用の教科書に連載されていたという同名短編小説の骨子をベースに編まれた長編小説、と、あとがきにある。内容は中学二年生の主人公の悠太「ぼく」と、悠太の家に同居している母親の弟ぐうちゃん(悠太にとっての叔父さん)とのふれあいが中心で、フリーのカメラマンや冒険旅行家として自由きままに生きているこの叔父さん(38歳という設定)から、悠太が世界中のさまざまな地域についての興味深い旅行体験談(土産話)を聞く、という構成。世界中とはいえ基本的に山岳地域や、酷寒、灼熱地域といった辺境地域での人と自然の関係にまつわる話がメインで、著者のこれまでの旅行体験のエッセンスを中学生向きに書き下ろしたという感じだ。大人、というか、老人が読んでももちろん面白い。



中島義道「生き生きとした過去」(2014年4月20日発行・河出書房新社 2400)は哲学批評。大森荘蔵(1921-1997)の残した哲学者としての業績をたどりながら、その初期の「立ち現れ一元論」から後期の「言語的制作論」への転回を批判的に解読する、という試み。「大森荘蔵の時間論、その批判的解読」と副題にある。かって「立ち現れ一元論」から「言語制作論」への転回を知り、「やっと、大森哲学がわかった気がした」という著者が、これが誤解であり、むしろ「立ち現れ一元論」こそが「大森哲学の要」であると考えるに至った、という著者自身の「ここ数年のうち」の認識の変化が、本書の執筆動機となったことが「あとがき」で明かされている。本書を貫く著者のそうした問題意識に沿いながら、現代の独我論をめぐる哲学的認識の諸相がおりおりに解説されていて、興味深く読んだ。



谷川俊太郎「詩を書くということ」(2014年6月17日発行・PHP研究所 1200)はインタヴュー集。NHKBShiで、2010年6月に放送された番組「100年インタヴュー/詩人・谷川俊太郎」をもとに構成された本。集中に小室等氏とのごく短い対談も収録されている。基本的に谷川氏への詩作や私生活、趣味などについての質問インタヴューと、谷川氏自身による自作詩の朗読がはさまれている。「実は「自分の中に言葉がある」って、ある時期から思わなくなりました。若い頃は考えもしませんでしたけども、それは言語......言葉を意識してからですね。」(p42)「言葉は意識の表面にある言葉よりも、意識下にある言葉のほうがおもしろい。」(P48)「社会内存在としての人間と、宇宙内存在としての人間っていうように、人間は二重に生きている」(P149)氏の親しみやすい答弁の中に、言葉や存在をめぐるさまざまな考察のヒントがちりばめられている。



小池百合子+林修「異端のススメ」(2013年12月28日発行・宝島社 1140)は対談集。環境大臣や防衛大臣を歴任した現役の政治家・小池百合子氏と、テレビCM・テレビ番組出演などで知名度が高いという予備校教師・林修氏の対談。もともとこの対談企画は林氏の要望で実現したもので、自分が全く触れたことのない世界の人、ということと、林氏が常々最近の女子学生の学力の向上(女性の能力の優位)を痛感していたということから、対談相手として女性政治家である小池氏を出版社に指名し、小池氏がその要請に応えるという形で実現したらしい。その結果対談内容では、女性の社会進出や教育改革といった政治的な話題の他、本書タイトルにあるように、おふたりに共通した「異端」的生き方についての興味深い話題が展開されている。実のところ、本書を読むまでCM等で人気という林氏についてまったく無知だった。最近はこういうことが多い(^^;。



スーザン・ソンタグ「他者の苦痛へのまなざし」(2013年7月8日発行・みすず書房 2000)はエッセイ集。主に「戦争写真」についての多面的な考察が7章にわけて収録されている。報道写真としての「戦争写真」のもつ、政治性の問題やその社会的機能、修正や捏造といった真偽性の問題、検閲の問題、特定の写真のみを保存展示する記録の問題、受容する側の感情の問題、過剰な写真=映像の提供によって生ずる陳腐化の問題など、多岐にわたった考察が展開されている。「本書は、戦争の現実を歪曲するメディアや紛争を表面的にしか判断しない専門家への鋭い批判であると同時に、現代における写真=映像の有効性を真摯に追求した〈写真論〉でもある。」(裏カバーの言葉より)。「暴力が野放しになった映像は、ほとんどの現代文化のなかの多くの人間にとって衝撃であるよりも娯楽である。」(p100)



東浩紀「弱いつながり」(2014年7月25日発行・幻冬舎 1300)はエッセイ集。2012年から2013年にかけてPR誌「星星峡」に連載されていた語りおろしエッセイを再構成した本。ネットには情報が溢れているといわれるが、実際は「見たいと思っていることしか見えない」(見せたいものしか書かれない)、と著者は言う。この限界をこえるために、著者は普段とは違う「検索ワード」を使うことの効用を説き、現実体験としての「旅」の重要性を提唱する。ネット社会は人間関係を深め、特定の階級に固定化してしまう。誰もそうした環境から逃れられない、という前提で、どうすれば「かけがえのない生き方」が可能か、という問題意識によって書かれた「挑発的人生論」(帯のことばより)。



坂倉昇平「AKB48とブラック企業」(2014年2月15日発行・イースト・プレス 860)は社会批評。2005年に結成された、作詞家・秋元康が総合プロデュースするアイドルグループAKB48のさまざまな音楽・広報活動の軌跡をたどりながら、その時々の過程でメディアに表出される構成員たちの個々のドラマと、作詞家・秋元康の手がける歌詞の数々との対応の中に、「日本の労働の現実に迫り、その改革を模索するワークソング(労働歌)」としての意味を汲み取っていく、という本。実のところ、さすがにAKB48というアイドルグループの名前程度は聞き知ってはいても、メンバー名もヒットした曲名も歌詞もほとんどまったく無知の状態でこの本を読んだのだったが、グループの歌う曲の歌詞の中にブラック企業の従業員のような現場感覚や心象を読み込んだ「ワークソング」的な意味合いを読み取るという著者の問題意識をとても興味深く感じた。しかもこの歌詞はひとりの作詞家によるものであるという意味で、現代の詩意識の問題として考えることもできそうな気がしたのだった。



渡邊哲也「ヤバイ中国」(2014年7月31日発行・徳間書店 1200)は経済評論。中国の経済が混乱期を迎えようとしているとして、その現状を分析解説した本。人口問題、環境問題、資産価格下落による経済問題が、それぞれ限界を迎え、これに政治体制内部の権力闘争の激化が混乱要因となっている、といった内情が詳細に解説されている。また著者は、世界情勢がグローバリズムからナショナリズムに回帰していく流れの中で、それぞれの国では工業においては地産地消、国民においては国籍主義が強まっていく、と近未来を展望する(p192)。著者はもし中国指導者だったらどうするかと問われて、共産主義革命を起こし、幹部の資産を没収し、環境汚染要因をすべて廃しし、国家モデルを農業型に切り替え人民に公平分配する、と答えた(あとがきより)とあって、なるほどと(^^;。