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走り書き「新刊」読書メモ(61)


ここでは、比較的最近出版された本についての短い感想を載せています。
(例外のやや古い本には☆印をつけました)。
時々、追加してゆく予定です。


index・更新順(2014.5.17~2014.8.23)

岡野玲子「陰陽師 玉手匣4」ヤマザキマリ+とり・みき「プリニウス 1」桜林美佐「自衛隊と防衛産業」
宮脇淳子「かわいそうな歴史の国の中国人」香山リカ「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」倉山満「増税と政局・暗闘50年史」
萩尾望都「アウェイ 1」村上春樹「女のいない男たち」岩村暢子「日本人には二種類いる」
ジョージ・R・R・マーティン「七王国の玉座 上」宮台真司(監修)「オタク的想像力のリミット」養老孟司「「自分」の壁」
鈴木敏夫「仕事道楽 新版」津堅信之「日本のアニメは何がすごいのか」藤原智美「ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ」
秋田巌「写楽の深層」姜尚中「心の力」上野千鶴子「上野千鶴子の選憲論」
田原宗一郎+月尾嘉男「ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」香山リカ「弱者はもう救われないのか」春日武彦「「キモさ」の解剖室」
木内鶴彦「「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み」日経BP社出版局編「ジョブズの料理人」赤石千衣子「ひとり親家庭」
高橋昌一郎「小林秀雄の哲学」櫻井よしこ「迷わない。」原田曜平「さとり世代」
田原総一朗+西研「憂鬱になったら、哲学の出番だ!」磯田道史「歴史の読み解き方」興那覇潤「史論の復権」




岡野玲子「陰陽師 玉手匣4」(2014年8月5日発行・白泉社 850)はシリーズもののファンタジーコミックの第四巻。初出は「メロディ」13年8月号から14年4月号。大江山にすむ盗賊の親玉酒呑童子を退治にむかい岩屋の鉄門の前に到着した安部晴明と源博雅、さらに朝廷の命をうけた源頼光率いる6名の討伐隊が、後発で山伏に扮装して大江山にむかう、という展開で、後半には酒呑童子と安部晴明の対決シーンが描かれている。全体に淡いグレイの色調で鉛筆画のようなやわらかな描線が特徴で、見慣れてくるとその効果や意図がわかってきて味わいがます、という感じだ。作者が歴史知識やユーモアセンスをちりばめた独創的なファンタジーコミックの世界の創作を楽しんでいる感じがよく伝わってくる。



ヤマザキマリ+とり・みき「プリニウス 1」(2014年7月15日発行・新潮社 660)はシリーズものの歴史コミック。初出は「新潮45」2004年1月から7月号。シリーズ累計900万部をこえる大ヒットした長編コミック「テルマエ・ロマエ」の作者ヤマザキマリ氏とトリミキ氏(背景を担当とある)の共作コミックで、なんと「博物誌」で有名なローマ時代の博物学者カイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23から79年)が主人公となっている。この第一巻のストーリーは以後プリニウスの口頭筆記官として物語の進行役となる青年エウレクスとプリニウスの出会いからはじまり、時の皇帝ネロの召喚命令に応えてプリニウスがシキリアからローマに到着するまでのプロセスが全7回にわたって描かれている。地味でシリアスな歴史ドラマなのだが、毎回「博物誌」に記されている内容がエピソードにおりこまれているというマニアックな構成。



桜林美佐「自衛隊と防衛産業」(2014年8月1日発行・並木書房 1500)は自衛隊と防衛産業の現状についてのルポ。週刊誌「FLASH」に7回にわたって連載された「岐路に立つ防衛産業」をもとに再編集された本。自衛隊保有の国産戦車、護衛艦、潜水艦、輸送機などの搭乗体験を含む紹介と、それら自衛隊装備品の製造や整備に関わる国内の防衛産業の現状を写真入りで解説した内容で、大場一石、渡部龍太氏による7本のコラムが挿入されている。自衛隊装備品が国産品であることの重要性の主張がテーマとなっているが、10(ひとまる)式戦車や、「そうりゅう」型潜水艦、救難飛行艇「US-2」についてなど、具体的な装備品についての情報も盛り沢山。



宮脇淳子「かわいそうな歴史の国の中国人」(2014年7月31日発行・徳間書店 1000)は中国の歴史文化について講義録。著者自身の講義にからなるケーブルテレビで放映された教養番組「世界史はモンゴル帝国から始まった」シーズン2「中国人とは何か」計13回分の講義内容を書き起こし編集した本。現代の中国人の特質を中国の文化風土の歴史的な成立背景事情から解説されているほか、あまり知られていないチベット、新疆ウイグル、モンゴルといった中国国土の64%を占める地域に住む少数民族の歴史についてもわかりやすく解説してあるのが特徴で、とても興味深く読んだ。



香山リカ「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」(2014年6月30日発行・小学館 720)は社会批評。ツイッター、フェイスブック、LINEなど、いわゆる「ソーシャルメディア」の浸透によってもたらされた、さまざまな負の影響を考察した本で、「新型うつ」や「SNS疲れ」という形のストレス、「ネット・スマホ依存」といった病理や、「炎上」「ヘイトスピーチ」といったSNSに特有の集団心理的な現象についても考察されている。「私生活を自慢して、賞賛・承認しあう。その反対の、悪意に満ちたヘイトスピーチ....。SNSは社会と人間をどのように変えるのか?」(表紙カバー裏の言葉)



倉山満「増税と政局・暗闘50年史」(2014年7月15日発行・イースト新書 907)は消費増税の成立過程を主要テーマにした現代政治(政局)の分析。第一部で平成25年10月1日に安倍晋三総理によって発表された消費増税について、その発表に至るプロセスを野田佳彦内閣における三党合意の時期から検証し、第二部ではなぜ消費税と増税が大蔵省で伝統となり、財務省に引き継がれたか、という経緯を田中角栄内閣から野田佳彦内閣に至る時期を対象に検証する、という二部構成になっている。消費税増税というテーマについて、歴代総理と財務省・大蔵省官僚の権力闘争という視点から政党や官僚組織の内実に踏み込んで分析解説した本で、とても興味深く読んだ。



萩尾望都「アウェイ 1」(2014年7月15日発行・小学館 545)は長編SFコミック。小松左京のSF短編小説「お召し」を原案にしたというコミックで、その第一巻。ある日突然、18歳以上の大人が世界から消え去り(大人達は逆に18歳以下の子供達が突然消えたパラレルワールドに移行している)、残された子供達がこの不条理な危機に直面してどんなふうに対処していくのかが描かれている。こうした大災害後の被災地のような環境設定で、「どうやって人は生き残れるのか、考えてみてください。」というのが、あとがき(謝辞)にある著者からのメッセージ。



村上春樹「女のいない男たち」(2014年4月20日発行・文藝春秋 1300)は短編小説集。2013年から14年にかけて「文藝春秋」や「MONKEY」に掲載された五作品に書き下ろしの表題作を加えた6編からなる、著者9年ぶりという短編小説集。女のいない男が主人公というより、男の側の心理の物語として「女」との距離感を描いた作品集という印象で、そういういみで物語の枠のなかで「女」はいつも不在なのかもしれない。「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。」(表題作より)



岩村暢子「日本人には二種類いる」(2013年10月20日発行・新潮新書 720)は日本人論。1960年を境に、日本人の生活環境は一変した。著者はこの年以降に生まれた日本人を「60年型」とよび、新しいタイプの日本人として区別する。本書はこの「1960年の断層」を、35項目の視点から照射した日本人論。私的には60年頃からはじまる日本社会の生活環境の変化を、ちょうど少年期頃から「あたらしいもの」との出会いとして体験しはじめたことになり、そのほとんどは「生まれたときから」あったものではない。思えば、物心ついてからの子供の頃の記憶は「60年型」に重なっているが、幼少期の無意識体験は「旧型」に属しているのだった。



ジョージ・R・R・マーティン「七王国の玉座 上」(2012年3月25日発行・ハヤカワ文庫 1300)はファンタジー小説。2011年にスタートしたアメリカの連続テレビドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の原作小説で、2006年に翻訳出版された同書の改訂版。中世の英国を思わせるような架空の「ウィスタロス大陸」を舞台に七王国が覇権を争うというファンタジー小説で、複数の主要登場人物のそれぞれの視点から描かれた章からなる群像小説。ドラマを先に見て本書を読み始めたのだが、読んでいると登場人物の顔が俳優の顔として脳裏に浮かんでくるという、自分としては久しぶりの楽しい読書体験だった。



宮台真司(監修)「オタク的想像力のリミット」(2014年3月25日発行・筑摩書房 2500)はオタク文化に関する論文集。2012年に米国で出版された論文集の増補日本語版。11名の日米の執筆者による3部構成13本の論文の中には、東浩紀「動物化するポストモダン」、北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」、森川喜一郎「趣味の誕生 萌える年アキハバラ」といった既刊本の一部採録からなる論文も含まれている。鉄道マニア、コスプレ、格闘ゲームなど、個別テーマを扱った論や、オタク文化を総合的に分析した論など様々で、読み応え充分。



養老孟司「「自分」の壁」(2014年3月10日発行・祥伝社新書 820)はエッセイ集。著者の語りを編集部が起こしたものに手を入れたという本。生物学的な「自分」とは、地図に書かれた「現在位置の矢印」のようなものにすぎない、と著者は言う。脳の研究でも「空間定位の領野」が壊れると、身体の境界があいまいになり、液体化して感じられるという興味深い例があげられている。そうした視点から、「自分」とは何か、を考えるより、世間と折り合うことを身につけたほうがまし、というのが著者の主張。話題は多岐にわたり、世界のインターネットの書き込みのうち、70%が日本語だという話には驚かされた(日本語を話す人口の比率は2%)。



鈴木敏夫「仕事道楽 新版」(2014年5月20日発行・岩波新書 880)はインタヴュー集。スタジオジプリの専任プロデューサーとして数々のアニメ作品制作に関わってきた著者へのインタヴューをまとめて編集・構成した本。2008年に出版された本に新章「新 つねに現在進行形で考える」を加えた内容になっている。アニメ作品制作の裏話や、高畑勲、宮崎駿といったアニメ映画監督についての数々のエピソードなど、宮崎アニメファンにとっては嬉しい内容。「宮さんは全体の構成より部分にこだわり、そこからの連想ゲームでお話ができていく人で、起承転結などとは無縁。」(p207)



津堅信之「日本のアニメは何がすごいのか」(2014年3月10日発行・祥伝社新書 820)は日本のアニメについての解説書。「日本のアニメはすごい」と喧伝されているが、その実状はマスコミの伝えるところや一般的な理解と随分かけはなれたところがある、と著者は言う。本書は「その現状を率直に述べ」ると共に、今後どうすべきかという「著者なりの提言をした」という本。二章「アニメ=日本のアニメとは何か」では、ジャンル別に簡略な解説があり、アニメと言っても千差万別なのがわかって面白い。そのなかでスタジオジプリは「独立国」と評されているのだった。



藤原智美「ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ」(2014年1月30日発行・文藝春秋 1100)は「書き言葉」文化の変貌をテーマにした文化評論。ネットことばが中心になった現代についての考察「ことばから狂い始めた日本」、ことばの歴史をふりかえった「500年に一度の大転換」、将来訪れる日本語の終わりについての考察「消えていく日本語」、本や読み書きの意味についての考察「人も社会も変えるネットことば」の四章から成る。現代、500年に一度の「ことば」の大転換期がはじまっている、と著者は指摘する。「会話のようでありながら相手の顔も声もわからないというネットことばの特性を、ぼくたちはまだほんとうに体得してはいないのです。」(p64)。



秋田巌「写楽の深層」(2014年2月20日発行・NHK出版 1100)は美術批評。ユング派の分析家である著者が、写楽画を読み解いた試みで、美術批評というよりも、写楽作品の深層心理学的解釈の試みといったほうがいいかもしれない。著者は、写楽の絵画制作の流れ全般を「自己絵画療法」の成功例としてとらえることができるという。偶然とみなされそうな現象に象徴的な意味をよみとっていくユング派的な解釈が特徴的で、とくに代表作とされる「3代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」の「手」の表情の「絶対絶妙のアンバランス」についての熱のこもった考究が中心にすえられている。



姜尚中「心の力」(2014年1月22日発行・集英社新書 720)は人生論。著者は、ご子息に先立たれるという不幸のなかで、「この世に生きる者はみな、誰かに先だたれた存在であるはず」であり、亡くなった人々の記憶が「人生に意味を与える物語の支えになっている」ことに気づいたという。本書はそのような「過去」に目をむけさせ、「心の力の源へと遡る物語」として、夏目漱石の『こころ』とトーマス・マンの『魔の山』を取り上げ読み解いていく試み。二作の主人公が登場する続編小説の試みがなされているのが本書の大きな特色となっている。



上野千鶴子「上野千鶴子の選憲論」(2014年4月22日発行・集英社新書 740)は講演録。横浜市弁護士会主催の「憲法公演会」での講演内容をもとに書き下ろされた本。憲法の精神、自民党の憲法草案の検討、改憲論議をめぐる考察からなる。改憲か護憲かという論議に対して、著者は第三の選択肢として、憲法を国民が選び直す「選憲」という立場を主張する。しかしその内容は、一見現行憲法そのままの国民による選び直しという手続きに主眼をおいたもののようで、実質は天皇制を廃止して日本を共和制国家へと「つくりなおしたい」という思いをこめたラジカルな改憲論なのだった。



田原宗一郎+月尾嘉男「ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」(2013年12月6日発行・アスコム 1300)は対談集。フリージャーナリストの田原氏と建築デザイン・設計分野におけるコンピュータ利用の草分け的存在という元東大名誉教授で工学博士の月尾氏が「ビッグデータ」や「サイバー戦争」というテーマで対談した内容が収録されている。「ビッグデータ」とは近年膨張が加速しているデジタル情報を形容した言葉。「2012年に創出された情報量は2,7ゼタバイト。人類の黎明期から2003年までに創出された全情報量は、5エクサバイトとされますから、1年でその500倍です。15年には12年の3倍になると見込まれています。」(p91)



香山リカ「弱者はもう救われないのか」(2014年5月30日発行・幻冬舎新書 780)は社会批評。改正生活保護法の成立など、日本が「弱者切り捨て」の社会に移行しつつある、という問題意識にたち、なぜ著者が「社会的弱者を救済したいという思い」にかられるのかを自己分析した第一章、著者自身も含めた「リベラル派知識人の責任」を指摘した第三章、弱者を救うことの根拠を宗教や思想のなかに模索した第五章、六章など読み応えのある一冊。「日本の社会からリベラル色が薄れていった責任の一端は、「ポストモダンの時代」「物語も歴史も終わった」などと言い、言葉はよくないが浮かれていたリベラル派の読み違いにある。」(p93)。



春日武彦「「キモさ」の解剖室」(2014年5月22日発行・イースト・プレス 1400)は「キモい」という言葉の意味についての考察。「キモい」という言葉が最初に登場したのは1979年頃で、ここ20年くらい前から普通の形容詞として使われるようになったという。本書では、著者が若い頃の実体験の数々を例にあげながら、どんな情況で「キモい」という感覚を覚えたのか、体験に共通する要素とはなにか、などを分析検討していく。この本を一冊読んでも「キモい」という言葉がよくわからない、というか、語彙として使いこなせないような気がするのは、年のせいだろうか。先日、電車の車中で女子高生グループがしきりに「ウザい」という言葉を連発していた。内容は他人の中傷で、聞いていてひどいもんだなあと。



木内鶴彦「「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み」(2014年6月6日発行・晋遊舎 1600)は「臨死体験」を語った本。著者はアマチュアの天体観測家で、彗星探索家として著名な人。著者は、22歳の時「上腸間膜動脈性十二指腸閉塞」で、「三十分に満たない時間」脳波・心臓停止状態におちいり、その間に意識だけの存在として、時空を超えた体験をしたという。また55歳の時にも、冠静脈破裂で二度目の臨死体験をしたという。本書は、そのときの体験で得た宇宙や生命についての膨大な知見を、後年整理し、まとめた、という内容になっている。一万五千年前まで月はなかった、とか、意識とはミトコンドリアの集合体である、といった説が興味深い。



日経BP社出版局編「ジョブズの料理人」(2013年12月9日発行・日経BP社 1400)は回想録。シリコンバレーで和食店「桂月」を経営していた鮨職人佐久間俊雄氏が半生を回顧した内容が綴られている。表紙には序文の執筆者として外村仁氏の名前はあるものの、佐久間氏の名前はなく、最後に取材協力者として佐久間夫妻の記載があるだけだ。実質的に佐久間氏夫妻へのインタヴューをもとに編集者が「一人称で記述」した本だから、という理由のようだが、個人の回想録で著者名が表紙にないのはちょっと珍しい。アップルのCEOだったスティーブ・ジョブズ氏が「桂月」の熱心な常連客だった、ということで、シリコンバレーで和食店を経営する側から見た時代の風景が活写されている一冊。



赤石千衣子「ひとり親家庭」(2014年4月18日発行・岩波新書 820)はひとり親家庭についての解説書。現代日本のひとり親家庭の現状を、豊富な事例をを上げながら解説し、ひとり親家庭のかかえる様々な困難や問題点を指摘して解決への道筋を模索していく。母子家庭数は40年前の二倍(124万世帯)となり、「平均でクラス40人の中に4人程度ひとり親の子どものいる時代になってきている。」という。男性が妻子を養うだけの賃金を得ることが難しくなり、性別役割意識と結びついた男性稼ぎ主型システムは、「もう、今の日本社会に適合的なシステムとは言えない」が、一方で性別役割意識は逆に強まっている(とくに困難を抱える階層で)、という現状の指摘。



高橋昌一郎「小林秀雄の哲学」(2013年9月30日発行・朝日新書 780)は評論。小林秀雄の全著作から、その哲学的な言説にみられる論法を吟味して論評する、というのがテーマとしておかれているが、本書全体の構成は「小林の作品をまったく読んだことのない現代の読者を対象として」とあるように、それぞれの章の冒頭で小林の著作からの文章を引用掲載したうえで時系列的な章分けがされていて、当時のエピソードや証言などの記載も多く、コンパクトな評伝のように読めるのが特色となっている。著者によれば「ベルグソンの「哲学」が、そのまま小林の「哲学」になっているのである。」(P204)。



櫻井よしこ「迷わない。」(2013年12月20日発行・文春新書 800)はエッセイ集。日本テレビの報道番組「きょうの出来事」のメインキャスターを16年間つとめ保守派の論客としても知られるジャーナリストの著者が、「自分の歩んできた道を振り返る」ことをテーマに書き綴った回想録風エッセイ集。「家族」「お金」「健康」などをテーマにした章もあり、「現代社会を生きるアナタにとって、役立つヒントにあふれる21世紀版「幸福論」!」とカバー裏のコピーに。



原田曜平「さとり世代」(2013年10月10日発行・角川oneテーマ21 781)は現代の日本の若年層についての討論集。「さとり世代」(本書では1987年4月生まれ以下の世代のことをさすという「ゆとり世代」と同義)とは、二〇代半ばくらいまでの若者世代の「保守化、消費離れ、恋愛に淡泊」といった傾向を含めて評した言葉で、本書では、博報堂ブランドデザイン若者研究所に所属するこの世代の若者61人と研究所リーダーである著者が議論を重ねて「さとり世代の解明」という作業にとりくんだ様子が収録されている。番外編として、「バブル世代」の人たちとの比較討論も収録。若者世代のホンネがとびかうので、とても面白く読んだ。不景気の影響という分析もさりながら、ソーシャルメディアが関係心理に与える影響は多大だなあと。



田原総一朗+西研「憂鬱になったら、哲学の出番だ!」(2014年2月20日発行・幻冬舎 1000)は西欧哲学についての問答集。ジャーナリストの田原氏が哲学者のの西氏にインタヴューをするという形式で、毎回田原氏による簡略な哲学者とその哲学についての紹介文に続き、お二人の対話が収録されている。終章を含め7章からなる構成で、ソクラテス、プラトン、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェの哲学が取り上げられている。よみどころは、テレビのディベート番組などでおなじみの田原氏の率直な問いかけ。「頭をフル回転させながら必死になって答えようとした。」と西氏が終章に書かれている。生活のなかに哲学的な実践をみいだそうとする西氏の「プレ哲学」の薦めも興味深い。



磯田道史「歴史の読み解き方」(2013年11月30日発行・朝日新聞出版 760)は歴史をテーマにしたエッセイ集。初出は「小説トリッパー」や「一冊の本」など。「江戸期日本の危機管理に学ぶ」という副題がついているが、内容は武士団の戦術、忍者について、長州藩、薩摩藩の特色について、司馬文学についてなど、さまざま。静岡文化芸術大学准教授の著者はベストセラー「武士の家計簿」を書いた人で、史料調査に基づいた武家社会の様々な側面の探求の記述が新鮮。自ら「古文書探しの名人」と自負され、「私は日本最高水準の「古文書スーパーコンピュータ」(笑)です。」と書かれているのが楽しい。。



興那覇潤「史論の復権」(2013年11月20日発行・新潮新書 740)は対談集。「文藝春秋」や「新潮45」などの雑誌に掲載された対談ほか、7本の対談が収録されている。対話者は、中野剛志、中谷巌、原武史、大塚英志、片山杜秀、春日太一、屋敷陽太郎。いわゆるグローバル化は、1000年前の宋の時代の中国で実現されていたと指摘する著者の「中国化する日本」がきっかけで生まれた対談集という。対談内容は、日本のグローバル化(中国化)と政治、経済、社会問題との関連などの他、小津映画やNHK大河ドラマについてなど多彩。