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走り書き「新刊」読書メモ(37)


ここでは、比較的最近出版された本についての短い感想を載せています。
(例外のやや古い本には☆印をつけました)。
時々、追加してゆく予定です。


index・更新順(07.6.23~9.29)

 前野隆司『脳の中の「私」はなぜ見つからない』 西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』 多木浩二『肖像写真』
 レスリー・デンディ+メル・ボーリング『自分の体で実験したい』 ダイ・シージエ『フロイトの弟子と旅する長椅子』○ レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』
 多和田葉子『カタコトのうわごと』 多和田葉子『球形時間』○○ 筒井康隆『壊れかた指南』
 田中森一『闇社会の守護神と呼ばれて』 桜井さざえ『光りあるうちに』 諏訪哲史『アサッテの人』
 鈴木謙介『ウェブ社会の思想』 ヤスミナ・カドラ『テロル』 リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々オトン』
 平田俊子『さよなら、日だまり』 斉藤美奈子『それって、どうなの主義』 絲山秋子『ダーティ・ワーク』
 四方田犬彦『先生とわたし』  本上まもる『〈ポストモダン〉とは何だったのか』 町田康『真実真正日記』
 梶尾真治『悲しき人形つかい』 清岡卓行『随想集 偶然のめぐみ』 佐藤優『獄中記』
 スティーヴン・ミルハウザー『三つの小さな王国』 吉村昭『回り灯籠』 金原ひとみ『ハイドラ』
 石牟礼道子『花いちもんめ』 町田康『テースト・オブ・苦虫 3』 五木寛之『わが人生の歌がたり 昭和の哀歓』

前野隆司『脳の中の「私」はなぜ見つからない』(2007年9月1日発行・技術評論社 1600+税)は「意識」についての思想史。1章では、著者が自ら「受動意識仮説」と呼ぶ意識についての基礎的な考え方(心は脳のニューラルネットワーク(神経回路網)が作り出した「幻想」で、意識は、無意識のうちに自分のサブモジュールが決定した自律分散的な情報処理結果を追認し、その体験結果をエピソード記憶に転送する、という受動的・追従的な機能をを担うシステムである。等々)、が解説され、2章から4章にかけて、東洋思想(釈迦、老荘、中世日本思想等)、近代西欧哲学(デカルト、スピノザ、ヒューム。現象学、構造主義、等)、現代の心理学(精神分析学、認知心理学、複雑系、心の科学、等)などの分野における意識についての考え方が、著者の考え方と対照されながら簡潔に概説されている。また第5章では、著者と、斉藤慶典(現象学)、河野哲也(生態学的心理学)氏との対談が収録されている。本書は著者の前著『脳はなぜ「心」を作ったのか』の応用編・続編ともいうべき著作で、現代の脳の認識システムの理解から導かれた著者の意識の受動性についての考え方が、歴史的に人類の生みだしてきた様々な意識をめぐる諸思想(特に東洋思想)のなかに、多くの認識上の共通点が見いだせることを明らかにしていて、興味深く読んだ。専門の異なる哲学者の方たちとの対談もすれちがいもふくめてスリリングで面白い。知的な冒険の書という感じだ。

西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』(2007年5月22日発行・岩波新書 700+税)はIT(情報技術)に関する社会批評。第一章「そもそも情報は伝わらない」で、著者が基礎情報学の立場から「情報」という概念を、生命情報(生命にとって意味・価値のあるもの・最も広義の情報)、社会情報(言葉など、普通にいわれる狭義の情報・人間によって観察され記述されたときに生命情報が転化する)、機械情報(デジタル信号など、最も狭義の情報・記号内容が固定化した情報)という三つの概念に分類しているのが興味深かった。そううえで、著者は20世紀に起きた世界規模の思潮の変革「言語学的転回」に比して、現在起きている歴史的変革が機械情報の増大・氾濫をともなう「情報学的転回」であると規定し、「機械情報中心に生じている情報学的転回にストップをかけ、生命情報中心の情報学的転回に反転させること」を主張している。したがって本書では、第二章「いまウェブで何がおきているか」以下、いわゆる「ウェブ2.0」に代表される進行中のIT革命の解説とそのもたらす社会的意味の分析を通して、単純な「ウェブ礼賛論」を一貫して批判されている。

多木浩二『肖像写真』(2007年7月20日発行・岩波新書 700+税)は肖像写真論。ナダール(1820~1910)、アウグスト・ザンダー(1876~1964)、リチャード・アヴェドン(1923~2004)という3人の写真家をとりあげ、章別にその生涯や仕事ぶりを解説するとともに、3人の肖像写真の比較を通して「顔の歴史(=それぞれの時代が顔に対してどのような意味を与えてきたのかという歴史)」を考察する。著者は「この意味は写真を見ることで感じ取ることができるが、言葉にはならない。」と書いている。「同時代の歴史とは記述されうる歴史と、まだ言説にはならないマイナーな実践の二重の関係のなかで進んでいくものである。だからまなざしもこの関係のなかに巻き込まれ、写真は論証しないから、記述しえない歴史を語るようになるのである。言葉を換えれば、それは「記述される歴史」の無意識をなしているのである。」著者のいう歴史の無意識を感じ取るには、できればじっくり向き合えるような大判の写真が欲しいところ。もっとも本書には新書版ながら写真多数が掲載されていて、論旨に説得力をあたえている。

レスリー・デンディ+メル・ボーリング『自分の体で実験したい』(2007年2月17日発行・紀伊国屋書店 1900+税)は科学者列伝。人間の心身がどれだけの熱に耐えられるかを実験したフォーダイス、消化作用の原理やプロセスを解明するために、木筒や袋にパンや肉を入れて呑み込んだスパラツァーニ、麻酔の実験のために笑気ガスを吸飲して親不知を抜いてもらったウェルズなど、過去2,3世紀の間に、科学や医学の分野で自分の体を実験台に研究を進めた学者たちの10件の「なみだぐましい物語」が、それぞれ章別にこまかく描かれている。人間の体が、どれだけのGに耐えられるのか、隔離された洞窟の中で4ヶ月過ごすとどうなるか、といったことは、乗り物や宇宙滞在時の安全性の向上などに役立っているという。たしかになにごとにつけ誰か最初に試した人がいるのだった。原書はアメリカで子供向け書籍として出版され、2006年に「優れた子供向け一般科学書に贈られる賞」を受賞しているという。もちろん興味深い内容なので、大人が読んでも面白い。「良い子はけっして真似しないように。」とある。

ダイ・シージエ『フロイトの弟子と旅する長椅子』(2007年5月25日発行・早川書房 1800+税)は小説。主人公の莫(モー)氏は、先頃フランスから母国中国に戻ったばかりの駆けだしのフロイト派の精神分析医。政治的な理由で収監されている学生時代からの友人で憧れの女性でもあるフーツァンを救うために、裁判所で絶大な権力をもつディー判事に賄賂を送って取り入ろうとするが、判事の返答は「処女の乙女」をさしだせ、という難題。かくて莫氏は処女探しという目的をひめながら、さまざまな土地を探訪して夢判断の旅を続けるのだった。。。作者は在仏の中国人で映画監督でもある。フランスで40万部を超えるベストセラーとなった『バルザックと小さな中国のお針子』(映画化されたタイトルは「小さな中国のお針子」)につづきフェミナ賞を受賞した本作は、長編第二作目にあたるという。フロイト・ラカン派の精神分析医が現代中国の庶民を顧客にして夢判断を駆使する、という設定からもわかるように、ドンキホーテ的な風刺劇という感じもする作品。もっとも莫氏の精神分析の場面描写は小道具程度に使われているだけで、莫氏は行く先々で人々からは夢占い師のようにみなされてしまう。現代中国の社会風俗紹介という興味からも読めるパワーあふれる作品だ。

レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』(2006年7月10日発行・中央公論社 1100+税)は小説集。「レイモンド・カーヴァー全集第二巻」(90年刊)に収録されていた17編の作品からなる短編小説集の改訂版。村上春樹翻訳ライブラリーの一冊で、訳者による丁寧な解題がついている。男女が惹かれあい共に暮らし、何かの原因から不和が生じて別れる。この別れに至る理由も過程も様々だけれど、その様々ありうる生活のひとこまの情景を細やかに描くことで、男女の「別れ」にまつわる普遍的な感情体験の意味を問いかけてくる。怒り、諦め、悔恨、苦渋。。普遍的、とはいえ、描かれるのは現代のアメリカ社会でのことで、日本とは文化も個人のコミュニケーションの仕方も違う。そういう差異をことさら感じさせないのは、翻訳のたくみさ、ということと、登場人物の所作に語り得ない感情を語らせる、という著者の手法ということがあるように思える。いわずもがな、のことかもしれないが、この作者の作品には、酒がらみの出来事が登場する頻度がたかい。「飲酒というのは不思議なものだ。今になって振り返ってみると、我々にとっての重大な決定というのはみんな、きまって酒を飲んでいるときに下されている。」(「ガゼボ」)これは主人公、というより、どこか著者の独白めいた響きがある。

多和田葉子『カタコトのうわごと』(2007年4月1日発行・青土社 1500+税)はエッセイ集。本書は1999年に出版された本の新装版で、内容的には著者が「犬婿入り」で群像新人賞を受賞した1991年以降の、1999年までに書かれた様々な文章が収録されている。エッセイの他に4編の短い小説作品も収録されていて構成的にも工夫があり面白く読んだ。「最近は本ににおいがあると感じることがなくなったが、十代の前半は、なぜ本というのはこんなにどぎついにおいを付けてあるのだろうと不思議に思いながら読書した。」(「記憶の中の本」)。記憶にのこる本というテーマで書き初めて、こういうちょっと意外な導入部から「本」そのものの記憶にわけいっていく。そうした思考の回路や手法のようなものが、著者の文章のひとつの魅力的な特徴だと思う。「日本の方が若い女性はデビューしやすいが、それは「感性」というものが誤解されているからに過ぎない。感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。だから、ものをあまり考えず、世界を身体でとらえ、ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説、という腰巻きをつけられて小説が売られる。」(「ドイツで書く嬉しさ」)。

多和田葉子『球形時間』(2002年6月25日発行・新潮社 1500+税)は小説。初出は「新潮」2002年3月号。東京郊外の高校で教師をしているソノダヤスオ、彼の担任するクラスの生徒であるサヤ、カツオたちを中心に、彼らの微妙な心理状態や生活場面が描かれている。人はそれぞれ別の時間を生きていて、互いに別の視点から相手や世界をとらえている。これはあたりまえのことで、現実には誰もこの自分からみた世界、という視点の壁をこえられないけれど、小説は一時その壁をのりこえて世界を相対化してみせてくれる。ところで、相対化された世界という、一枚岩のような「現実」があるわけではない。この作品では、それぞれが乗り越えられない壁からなんとか他者に手をさしのべようとして、すれちがい、いきちがってしまう諸相を、複数の登場人物のそれぞれの心情にかろやかにテンポよく身をおくことによって語らせる、という手法がとられている。「ドジン」という言葉へのこだわりから、その言葉の由来への関心の無意識的な願望の実現のように、すでに死んでいるはずの19世紀の英国人女性旅行家イザベラ・バードに喫茶店で出会ってしまうサヤや、同学年で混血児のマックンを恋人にしている早熟な青年カツオ、極度の潔癖性で他人の体臭に異様に敏感なナミコ、太陽を崇拝している大学生コンドウなど、多彩な内面世界をかかえる登場人物たちの過剰な夢や独白が、それぞれすれちがいながら、からみあう不思議な「球形時間」の世界がつくられている。この作品は「ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説」がもてはやされることについて、「感性は思考なしにありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。」と書いた著者の、ひとつの解答のような青春小説の試みとして読めると思う。

筒井康隆『壊れかた指南』(2006年4月30日発行・文藝春秋 1571+税)は短編小説集。2000年から2006年にかけて諸雑誌に掲載された短編小説やショート・ショート、全30編が収録されている。書名になっている「壊れかた指南」というタイトルの作品が収録されているわけではなく、この書名は、いわば収録作品全体にみられる、小説の「壊れ方」をさしている、と想像できそうだ。壊れ方というのは、濃密な物語的な作品がとつぜんおちもなく終わってしまったり、作品後半でカタルシスを感じさせる絶頂場面のままに終わってしまったり、といった手法をさしているようだが、これはこの作者の往年の読者ならおなじみのこと。そういういみで新しい小説の方向性を実験的に指し示している、というより、なつかしい筒井ワールドを堪能できる、という感じの本だ。氏の作品は若い世代の柔軟な書き手に広範な影響を与えているように思えるけれど、どんなに残酷なこと、奇態なアイデアが描かれていても、しこりや不快感があとをひくようなことがない。それはたぶん作品を現実と分離する姿勢や作家の資質からきていることで、これを模倣するのはむつかしいことだろうと思う。

田中森一『闇社会の守護神と呼ばれて』(2007年6月25日発行・幻冬舎 1700+税)は自叙伝。「世紀のフィクサー許永中とともに逮捕された元特捜検事が、特捜検察の内情、国会議員、財界と裏社会の関係を綴った手記」(佐藤優)と帯にあるのが、簡明な紹介になっていると思う。昭和18年、長崎県平戸島の漁村に生まれた著者は、苦学して検事となり、大阪・東京地検特捜部で数々の事件を手がけるが、「身内からの妨害」に嫌気がさして40代半ばで辞職し、弁護士に転身、「2000年、石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕、起訴され、現在上申中。」とある。かっての「特捜エース検事」が、なぜ裏世界の住人たちの弁護を引き受けて「悪徳弁護士」と呼ばれるようになったのか、とか、貧しい漁村で育った男性が、7億円の自家用ヘリコプターを購入して、故郷に凱旋するまでになる、そういう個人のドラマチックな半生記として読んでも面白い本だが、体験者ならではの法曹界や裏世界の内情の一端がつぶさに語られている部分が特に興味深かった。本書のところどころに書かれている感慨の部分は、著者の特異な体験の重さを考えあわせると、とても説得力がある。「父親は働いても、働いても、豊かになれなかった。そんな姿を見てきた。一生懸命にやっている人は、金に縁がない。悪さをする人しか金をつかめない。金儲けイコール悪。検事でいるあいだは、ずっとそう思ってきた。妙な清貧の思想ではあるが、それが私の正義感の根底に流れる考えだった。僻み根性だったかもしれない。しかし、それもひとつの正義だろう、と、いまでもそう思う。」「法曹界の仕事は、しょせんドブ掃除である。人間の一番汚い部分の後始末をする。ならば、それにふさわしく、人間らしく、ときに汚く、リアルにやったほうがましだ、と考えてきた。ドブ掃除を綺麗事でやっても掃除にならないし、依頼人のためにもならない、という思いもあった。おかげで悪徳弁護士呼ばわりされたが、それでもいいと思っていた。」(文中より)。

桜井さざえ『光りあるうちに』(2005年7月1日発行・山脈文庫 1000+税)はエッセイ集。昭和6年、広島県倉橋島に生まれた著者は、10代半ばで学徒動員先の呉で敗戦を体験し、戦後23年に女学校時代の恩師だった先生の家に同居するかたちで上京し、洋裁学校に学んで服飾デザイナーへの道を歩み始める。やがて結婚し、3人の子息を育て、、。本書には、そうした著者の半生の軌跡を追想するかたちで、印象に残る数々の思い出が綴られている。「倉橋島の船主の長女として生まれ。働き盛りの両親の元でわりと裕福に育てられた」(「ふたたび此処から」)女性が、敗戦に遭遇し、「純粋な軍国少女だった私は、物心つく頃から抱きつづけていた愛国心をまるごと否定されて、何もかも信じられず、何処かに飛び出したかったのだ。」という思いにかられ、「まだ焼け跡が方々に残っている東京に」「服飾デザイナーになる夢を抱いて」単身上京する。戦前と戦後を隔てる、大きな時代の波。著者の半生記は、そうした波を若い時期に正面から受けて、逞しく潜り抜けてきた世代のひとつの貴重な証言になっているように思う。

諏訪哲史『アサッテの人』(2007年7月23日発行・講談社 1500+税)は小説。現在は失踪して行方知れずになっている幼なじみの叔父にまつわる話を、かねてから小説に書きたいと考え、これまで叔父に関する大量の小説草稿を書きためていた、という「私」が、そうした過去の経緯を含め、今の時点での叔父についての思いを手記風に綴る、という作品になっている。さらにいえば、文中では、かって「私」が書いた、という叔父に関する小説草稿の部分や、叔父の残した習作詩、三冊の日記の一部などが適時引用紹介されることで、この手記風文章という体裁をとった作品全体が、「叔父についての話」という「小説」になっている、という工夫がこらされた作品だ。語られている叔父についての話そのものは、叔父がときどき口走ったという意味不明ないくつかの単語についての考察(謎解き)が中心になっている。この一見ポストモダニズム風の趣向とみえるものが、後半では、その背後に隠されていた意味がしだいに明らかにされていくことで説得力を帯びていく。そういう物語りとしての工夫が印象にのこる作品。

鈴木謙介『ウェブ社会の思想』(2007年5月30日発行・NHKブックス 1070+税)は評論。「本書で「ウェブ社会」と言うときには、パソコンでクリックしながら閲覧するウェブの普及した社会ということだけでなく、人と街中にあるモノが、あるいはモノ同士がネットワークで情報を送り合う環境が普及した社会、という意味あいが込められている。」(序章)。そのうえで、著者は、そうした新しい社会の到来が、人々にどんな影響を与え、私たちはどう対応するべきなのか、といったことについて考える材料を提供する、というのが本書の目的だとしている。本書の興味深い中心テーマは、著者が「「宿命」の前景化」とよぶところのものだ。ひらたくいうと、情報社会では、個人の様々なデータ(何を好み、何を選択し、何を考えたか)が蓄積され、それを元手に、次になすべきことが、あらゆる場面で提示されるようになる(顧客情報を元手にしたサービスなど)。そのことは一面、利便性にかなうことだが、逆に個人にとって「前もって決められていた」こととして受け取られる面がある。これが、常に努力目標の達成を求められるような競争社会のなかで、自己の位置の根拠づけの欲求とあいまって、一種独特の「宿命」感をつくりあげるのではないか、といわれている(正確には本書をご覧ください)。本書の後半では「ウェブ社会」における民主主義の変質ということが、このことに大きく関連づけられて論じられている。未知の困難なテーマに筋道をつけたい意欲が伝わってくる感じで興味深く読んだ。。

ヤスミナ・カドラ『テロル』(2007年3月31日発行・早川書房 1800+税)は小説。著者は、元アルジェリアの軍の高官だったという人で、その将校時代から検閲を避けるため女性名のペンネームで作品を執筆していたという(のちにフランスに亡命後、帰化)。作品の主人公アミーン・ジャアファリは、テリアビブの病院に勤務する外科医師。アラブ系遊牧民の出身で、成人後にイスラエルに帰化したという経歴をもつ。病院には爆弾テロの被害者が毎日のように運び込まれて激務が重なる、という毎日だったが、ある晩ジャアファリは、電話によって起こされ、病院への呼び出しを受ける。彼が病院に行くと、そこには祖母の家に帰っていたはずの妻へシムの変わり果てた死体が安置されていて、さらに、彼女が死者19人(うち小学生11人)という犠牲者をだした凄惨な自爆テロの実行犯だったことを告げられたのだった。思いもしなかった現実をつきつけられたジャアファリにも周囲から猜疑や憎悪の目がむけられるなかで、彼自身は、愛していた妻が何故自爆テロを実行したのか、という真相を知りたい一心で、わずかな手がかりをたよりに事件前の妻の足取りを追いはじめる。。。自爆テロを実行した人の心情や論理の解明を、彼女の夫であり逆に人の命を救う立場にある医師という職にある人物(しかもアラブ人でありながらイスラエルに帰化した人物)に委ねる、というところにストーリーの巧みな構図が浮き上がってくる。イスラエルやパレスチナ社会の描写も説得力があり、緊迫感のある作品だった。

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々オトン』(2005年6月30日発行・扶桑社 1500+税)は小説。初出は(「en-taxi」01~09号)。書店で平積みにされているのを良くみかけた本だけれど、図書館で手にしたのは06年8月の発行で第30刷、200万部をこえる(扶桑社発表)というベストセラー小説だ。1963年に福岡県で生まれた「ボク」の幼年期の記憶からはじまり、地元の小学校、中学校に通った少年時代、東京の美術大学に合格して上京後、貧乏学生として過ごした青年時代、様々な仕事で食いつなぎながら、やがてほそぼそと続けていたイラストやライターの仕事がなんとか軌道にのるようになり、老いた母親を東京に呼び寄せて一緒に暮らす時期をへて、病院で母親の死をみとる(2001年)までの、「ボク」の半生の生活史が描かれている。とくに「ボク」と母親「オカン」との間の、濃密な母子関係の記述が印象的だが、「ボク」の生活史の様々な局面で生じた人々とのふれあいについて、印象ぶかいエピソードが人情味豊かに語られているのが特徴で、とても面白く読んだ。ひとりの人が自分の半生と家族の物語を自伝的に語ることで、その背景に大きな時代の流れや社会のあり方、そこで浮沈する様々な人の人生の在りようというものがみえてくる。田舎と都会、貧しさと豊かさ、家族の絆ということ、老いや病や死ということ。手放しの手記的な要素と、演劇的な要素が混淆した本書のこのスケール感は独特なもので、優れた文学作品になっているとおもう。

平田俊子『さよなら、日だまり』(2007年7月10日発行・集英社 1500+税)は小説。初出は「すばる」2007年4月号。結婚して7年、雑誌やPR誌に原稿を書く仕事をしている36歳の主婦、矢野律子は、知人の祝賀会で知り合った歌人のユカリと懇意になり、彼女からよく当たる「占い師」だという須貝という男性を紹介される。一度運勢を占ってもらったのがきっかけで、須貝たちは律子の夫とも親しくなり、夫婦ぐるみのつきあいがはじまるのだが。。。「占い師」をなのる怪しげな男女の巧妙な詐欺の手口にのせられて、しだいに崩壊してゆくひと組の夫婦の関係を、被害者となった主婦の目を通して描いたミステリータッチの作品。平穏な「日溜まり」にいるような日常を過ごしていた夫婦の関係が、ちょっとしたきっかけで崩れていく。日頃かかえていた相互の小さな不満が拡大されて、信頼が不信に、愛情が憎悪にかわっていく過程の描写に、なんともやるせない切迫感がある。友達、といい、恋人や夫婦といっても、どこか記号的に括弧でくくられているようで、感情の底につきあたるような実質感がない。互いにルールを守っているので歯車が回っているだけ、という現代風の感覚がよく伝わってくる。

斉藤美奈子『それって、どうなの主義』(2007年1月25日発行・白水社 1500+税)はエッセイ集。ここ10年ほどの間に書かれた文章のなかから「社会、報道、文化、教育など」に関わるエッセイを選んで、加筆したもの、とあとがきにある。状況にたいして違和感を感じたとき、「それって、どうなの」とつっこみをいれる「ささやかな効用」が書かれた「それってどうなの主義」宣言が巻頭におかれている。「右をみても左をみても」「日本のメディアは大丈夫?」「少数派の言い分」「子供と学校の周辺」「女と男の文化の行方」「雪国ならじね」というタイトルの6章からなり、論じられている対象は、新聞の社説やテレビ・雑誌の報道、政治、文化、教育問題全般に及んでいる。対象が硬いからといって、著者のつっこみは明快で、たてまえや、硬直した発想、逆に妙にくちあたりのいい言説にひそむうさんくささを、さらりとユーモラスに暴いてしまう。たとえば「子育て自慢」をする男性が増加している風潮を、「好ましい」ことには違いない、としながら、その過剰な自慢ぶりに、著者はつい冷笑的になってしまうと書いていている(「飛翔んでる男」)。「社畜」を降りた男達が、「行き着く先は、もしかして「家畜」?」、とあって、これには思わず笑ってしまった。

絲山秋子『ダーティ・ワーク』(2007年4月30日発行・集英社 1300+税)は小説。初出は「小悦すばる」(2005年10,12月号、2006年2,4,6,8,10月号)。帯に「初の連作短篇集」「初の連作群像劇」とある。収録されている7編の作品は、それぞれを独立した短編として読むこともできるが、全体を通して読むと、作品の語り手や登場人物たちの間に緩やかなつながりがみえてくる。一話目の主人公熊井望と、3話目の主人公遠井が、高校時代のバンド友達で、30歳になる二人が、とあるきっかけで再会する、という、あるいみ純愛の成就ストーリーが主軸になっているのだが、遠井の大学時代の友人で悪性リンパ腫で入院している神原美雪や、酒と博打(パチンコ)に溺れるような生活から抜け出せない遠井の弟、4年ごしの恋人(輸入車の広報の仕事をしている貴子)がいながら、他に3人の女性とつきあっている郵便局員の辰也、外食チェーンに務め、会社の事業展開の失敗から不当に降格され、会社をやめる決意をする高田(熊井の友人)、遠井の知人で花屋の辻森さんを兄のように思っている持田(辰也がつきあってる女性)など、さまざまな若者群像(といっても主に20代後半くらいの)が描かれている。仕事や結婚(恋愛)といったことに対する、若い人の生活感覚のようなものが、よくとらえられていると思う。とはいえ、熊井はスタジオミュージシャンとしてなんとか生計を立てているロックギタリスト。遠井は、元新聞記者で、さる企業に転職したのち離職して目下無職という状態。なにかと「世間」とのずれをかかえて生きる人への著者の眼差しは変わらない。

四方田犬彦『先生とわたし』(2007年6月20日発行・新潮社 1500+税)は評論。初出は「新潮」2007年3月号。本書は英文学者の由良君美(1929〜1990)について書かれた人物評伝的な長編評論で、学生だった著者と教師としての由良との出逢いについてふれた「第一章 メフィストフェレス」、由良自身の経歴やその学問的な業績にふれた「第二章 ファウスト」、由良の親族、とくに父親で哲学者だった由良哲次の生涯についてふれた「第三章 出自と残滓」、80年代の由良と著者の交流と別れを綴った「第四章 ヨブ」。師弟関係とは何か、ということをスタイナー、山折哲雄の書物を紹介しつつ考察した「間奏曲」、著者が由良との師弟関係をあらためてとらえ返した終章「第5章 ウェルギリウス」からなる。由良君美がどんな家庭にうまれ、どんな経歴をへて英文学者となり、どんな人柄の人物だったか。私的なエピソードや、複数の人々からのインタヴューでの証言などもをまじえて多面的に掘り下げられている。生前、ある時期幸福な師弟関係を結びながら、後年に遠ざかった巡りあわせに複雑な思いを抱いてきた著者が、由良君美の死後十数年の時を経て、「先生とわたし」という関係をみつめなおそうとした鎮魂の思いのこもった一冊。

本上まもる『〈ポストモダン〉とは何だったのか』(2007年5月30日発行・PHP新書 720+税)は評論。「1983年、当時20代であった浅田彰の『構造と力』がベストセラーになり、フランス現代思想を源流にもつポストモダン思想が日本でもてはやされた。しかし、ニューアカデミズムと呼ばれたその思想は、相対主義の烙印を押され、まもなく世間一般から忘れられてしまう。ニューアカは一時の流行にすぎなかったのか?」(カバーの内容紹介より)、ということで、「軽薄短小と揶揄されたポストモダン思想そのものを腑分けすることによって、日本の思想空間において失われてしまった重いもの、本質的なものを探求」(「はじめに」)しようとした試み。日本のポストモダン思想の再検討というアプローチが、そういう思潮を青年期にまじかに吸収した世代(著者は1970年生まれ)からでてきた、ということ、またこの世代がさらなる若い世代をどんなふうにみているか、というようなことも含めて興味深く呼んだ。

町田康『真実真正日記』(2006年10月31日発行・講談社 1500+税)は小説。「本』2004年7号〜2005年12月号に初出。「本当のことではないかも知れないが、その日にあったこと、その日会った人、自分が見たり聞いたりしたことをただ書いてみたくなったのだ。フィクションに疲れたマイナー作家のささやかな休暇として。」とは、5月19日(2004年)という日付のある日記の第一回目の中の言葉だが、この日記をやめる理由として「なぜならこんな嘘っぱちを書いたところでどうにもならないからで、」と、最後の10月18日(2005年)の章にある。ではこれはいわゆる日記なのかフィクションなのか、といえば、「日記」の形をかりた小説、というのが正しいのだと思う。いかにも「日記」らしく書くということが常に守られているわけでないが、微妙に事実をなぞっていると思しきところもあって、変幻自在というところ。日記内で順次あかされる執筆中の長編小説「悦楽のムラート」の進行中のあらすじや、他人の小説作品の書評、友人たちで結成したロックバンド「犬とチャーハンのすきま」の活動状況、不穏な町内の情勢など、やや毎回のパターンが定まったかな、と思えるところがあって、これを続けても連載小説として面白いなあと思ったけれど、やはりどんどんそれていってしまった。。。

梶尾真治『悲しき人形つかい』(2007年2月25日発行・光文社 1600+税)は小説。「ジャーロ』2005年秋号〜2006年夏号に初出。脳波を直接受信して使用者の動作をサポートする介護支援機器「BF」(ボディーフレーム)を開発した青年機敷埜風天(きしきのふうてん)とその親友中岡祐介の二人組が転居した町で、ひょんなきっかけから地元のヤクザ同士の抗争に巻き込まれて騒動をくりひろげる、という「痛快スプラスティック長編」(帯のことば)小説。味わいは筒井康隆風といえばいいのだろうか。読んだかんじでは、小説というより、もはや漫画やアニメーションドラマを見ているのに近い感じで、死体に介護支援機器をつけて遠隔操作で動かすという落語のようなアイデアにも罪がない。若い読者ならこゆみ(登場人物のひとり)の着装するBF初号機のフィギアが欲しくなるのかもしれない。

清岡卓行『随想集 偶然のめぐみ』(2007年6月15日発行・日本経済新聞社 2000+税)はエッセイ集。1987年から2001年にかけて、新聞雑誌、月報などに発表されたコラムや連載エッセイの他、巻末に清水哲男・平出隆氏との鼎談「日本人にとって野球とは何か」(初出「週刊読書人」1981年6月29日号)が収録されている。編者あとがきによると、本書は、『ひさしぶりのバッハ』、『断片と線』につづく3冊目の遺稿集とあり、「単行本未収録の文章のなかから編者が随意に選んだもの」によって構成されているむねが記されている。分量にして本書の3分の1以上を占める第一章「私の履歴書」(初出は「日本経済新聞」1999年2月1日〜28日)では、著者(1922〜2006)の半生の歩み(生誕から1975年まで)が丁寧に再現されていて、遺稿集として本書のひとつの特色になっていると思う。著者の小説といえば「大連」という都市が浮かんでくるが、実際、大連をなんらかの形で題材に取り入れている小説は、著者の小説の仕事全体のほぼ4割にあたる(1993年1月の時点で)という(「大連をなぜ書くか」)。「合計二十二年ほどは大連で暮らした」(「私の履歴書」)という青少年期の体験をもつ人が、そういう仕事をライフワークのようにされたことは、結果としてみれば一見順当な出来事のようにみえる。しかし、「四十代半ば」まで、「自分が小説を、それも大連にかかわる小説をさかんに書くようになるとは、まったく想像もしていなかった。」(「大連をなぜ書くか」)という。

佐藤優『獄中記』(2006年12月6日発行・岩波書店 1900+税)は日記・書簡集。外務省本省国際情報局分析第一課に主任分析官として勤務していた著者は、2002年5月、背任・偽計業務妨害の容疑で逮捕された(正確には逮捕は2002年2月に官房総務課外交資料室に異同の後)。本書は、著者が東京拘置所に勾留された512日の間に綴った獄中ノートの抜粋と、獄中から知友に当てた書簡集からなる。居住環境はウィークリーマンションより「少しだけマシ」(序章)という、この独房生活のなかで、「私はいったい今回の国策捜査が何故になされたのか徹底的に考え、それをできるだけメモにすることにした。学術書を中心に250冊近くの本を読み、四百字詰め原稿用紙五千枚、大学ノート六十二冊のメモをつくった」(「塀の中で考えたこと」)とあるとおり、著者は勾留中の自由時間の大部分をこのノート執筆と読書にあてている。日本の現在の政治や外交のあり方、また国際情勢について、第一線で活躍していた外交官としての経験をふまえて披瀝される見識も興味深いが、著者の、一個人としての世界観、思想・哲学・宗教思想への旺盛な探求心や情熱も伝わってくる。この探求心や情熱を支えるものが、キリスト教を普遍真理とする信念であることも書簡のなかであかされていて、味わいふかい記録文学に巡り会ったという感じだった。

スティーヴン・ミルハウザー『三つの小さな王国』(1998年4月30日発行・白水社 2000+税)は中編小説集。20世紀の初頭に生きたとされる職人気質の漫画家の架空の半生を伝奇風に描いた「J・フランクリン・ペインの小さな王国」、中世の頃のとある城を舞台に繰り広げられる王と王妃、客人となった辺境伯の物語「王妃、小人、土牢」、19世紀、ニューヨーク郊外の田舎で生きた架空の画家の生涯を、彼の残したとされる絵画作品の解説を通して綴った「展覧会のカタログ----エドモンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」、の三編が収録されている。いずれも独特の味わいをもつ幻想小説。「いわゆる写実的な映画に較べれば、アニメーション漫画の方が、映画の虚偽をずっと正直に表現していると言える。なぜなら漫画はみずからの虚構性に歓喜し、ありえないものに酔いしれるジャンルだからだ。、、、。アニメーション漫画とは、不可能性の詩にほかならない。そこにこそその高揚と、ひそかな憂鬱とがある。現実を故意に侵犯するこの作り物は、事物の締めつけからの胸躍る解放である一方、同時に、単なる幻影、死を出し抜こうとする悪あがきにすぎない。そのようなものとして、それはあらかじめ挫折を運命づけられている。それでもなお、現実の締めつけを叩き壊すこと、宇宙の蝶番を外して不可能なものを流入させることはどうしようもなく重要なのだ、なぜならそうしなければ----そうしなければ、世界などただの社説漫画でしかないのだから。」(「J・フランクリン・ペインの小さな王国」)このやや高揚したものいいは(主人公フランクリンにとっても、「いささかうさんくさげ」と評されているのだが)、そのまま作者の小説観をあらわしているといってもいいかもしれない。

吉村昭『回り灯籠』(2006年12月20日発行・筑摩書房 1400+税)はエッセイ集。「文學界」(2003年2月号)、「ちくま」(2003年5月一号〜2005年4月一号)に掲載された表題の連続エッセイの他、「新潟日記」(「新潟新報」(2004年1月14日一号 ̄2005年1月19日一号のうち12回分)、併せて「小説新潮」(1998年8月一号)に発表された城山三郎氏との対談「きみの流儀・ぼくの流儀」(城山三郎対談集『「気骨」について』(新潮社、新潮文庫)に既出)が収録されている。著者は昨年(2006年7月)に逝去されていて、「最後の連作随筆」を一冊にまとめたもの、と帯に記されている。内容的にはこれまでに書かれた作品にまつわる執筆時の思い出や、こぼれ話が多く、日常の所感や過去の追想記と共に、短い文章のなかに味わい深く綴られている。巻頭の表題エッセイによると、著者は東京の下町に産まれ育ち、戦争や病で兄姉をなくし、敗戦後ほどなく自らも「肺結核の末期患者となって死は確実と判断された」が、当時ドイツから導入されたばかりの手術によってかろうじて命をとりとめた、という。著者の青少年期が、かなり苛酷なものだったことが伺いしれるが、戦時中(十代なかば)には親に内緒で寄席通いをしていた、という下町っこらしい挿話(「志ん生さん」)もあり、ほっとひといきつけるところもある。小説執筆のための徹底した取材ぶりなどもふくめ、著者の真摯なものの見方や人柄がうきたってくるようなエッセイ集だった。

金原ひとみ『ハイドラ』(2007年4月25日発行・新潮社 1200+税)は小説。初出は「新潮」2007年1月号。有名な人気写真家新崎の専属モデルとして写真集を数冊だしているモデルの早希が、これまた一部に熱狂的なファンをもつインディーズバンド「セクシャルズ」のボーカル松木と知り合い、出逢ったその夜に一夜をともにする。早希は、数年前から新崎と同棲していて、そのことをふせたまま、いっときは松木と暮らしはじめるが、やはり新崎への思いをたちきることができずに、新崎のもとに帰るのだった。と、こんなふうに書くと、華やかなモデル業界の一線で働く若い女性のアバンチュールを描いた作品のようだが、読んだ印象はまったく違っている。作品には主人公の孤独な内面が描かれている、といってすましても違うような感じがする。主人公は拒食症になっていて新しい生活をはじめても、食べたものを吐き戻すということを強迫的にくりかえす。その他者と孤絶したシーンにだけ彼女の(生活)の真があるように描かれている、といえばいいか。「分かっているよ。俺のゆってることはみんな綺麗ごとだし、世の中が綺麗ごと肯定してるように見せながら否定してるってのも。」と語る松木、という男性も、「最初から感情が抜け落ちているもの」ではなく、「人が人の要素を失っていく過程」を撮影したがっているという新崎という男性も、また主人公自身にも、典型、というか、なにか現代の喩のような存在感がある。

石牟礼道子『花いちもんめ』(2005年11月10日発行・弦書房 1800+税)はエッセイ集。朝日新聞のリレーエッセイ「ちょっと深呼吸」(1999年5月2日〜2005年3月20日号)を加筆、再構成した本、とある。日々の雑感や子供の頃の思い出を綴った54編の短いエッセイが収録されている。熊本県天草に育った著者の子供時代(昭和初年頃)の思い出には、ご自身や人々と自然との豊かなふれあいがみずみずしく描かれていて、当時のさりげない出来事が書き留められることも、今では貴重な記録になりつつあるようにも思う。著者のエッセイでは、とくに人の生活と結びついた言葉、ということについて、たびたびはっとさせられることがあって、そんな個所にであうのも読む楽しみのひとつだ。本書には、昔、人が死んだとき、必ず二人連れで親戚に知らせにいく、という町内(天草地方)の風習があって、それを「無情の使い」と呼んだ、ということが記されている。「人が死んだ」とは言わず、「どこどこの家に、無情のござりました」と口上を述べた、という。こういう個所を読むだけで、思いが深いところに届いてくるような、長い余韻にみたされる。

町田康『テースト・オブ・苦虫 3』(2006年11月25日発行・中央公論新社 1700+税)はエッセイ集。初出は「ヨミウリウィークリー」(2002年7月7日〜2003年5月25日号)で、同名で出版されているエッセイシリーズの第三巻にあたる。ほとんどの文章が文筆家と歌手の兼業生活という著者自身の日常の出来事に材をとりながら、徹底して洒落のめしたような戯文調の短文は、エッセイというより、それぞれが落語の小咄や漫談のような雰囲気に近い。喜怒哀楽を誇張したり、造語や言葉あそびのかもしだす不条理な笑いをちりばめたり、常識的な感覚がどんどんデフォルメされていく芸談のようになっているにもかかわらず、同時代(現代)に書かれているという感覚がしっかり伝わってくるのは、そのデフォルメにみちびかれる発端の著者の感受性(気付き)が、とても繊細で鋭敏なのだと思う。今時の若い者は、、というテーマのエッセイ(「現代の若者を批判するパンク」)をとってみても、テーマ自体はたしかに「紀元前とかとてつもない昔」から繰り返されている年長者のくりごとでありながら、「今」の若者像がくっきり浮かんでくるところに、きれのいい批評性が含まれている。電車の中で読んでいて、久しぶりに笑いをこらえるのに苦労した本だった。



五木寛之『わが人生の歌がたり 昭和の哀歓』(2007年3月31日発行・角川書店 1500+税)は著者の思い出に残る「歌」を紹介しながらの回想録。「月刊ラジオ深夜便」(NHKサービスセンター)に2005年8月号から2007年1月号にかけて連載された「わが人生の歌がたり」を加筆編集したもの、と後付にある(たぶん番組として放送された内容をおこしたものだと思う)。本書は全三巻(刊行予定)のうちの第一巻ということで、著者がものごころがついてから大学時代までの青少年期の追想が、おりおりの歌の記憶とともに語られている。文中には曲名だけでなく、歌詞も収録されているので、そこで声をあげてうたったりしながら読んだ(^^)。著者は昭和7年に九州で生まれ、ほどなく父母とともに韓国に。教師をしていた父親の赴任地の関係で幾度か転校をくりかえすといった少年時代を過ごし、中学一年の時にピョンヤンで終戦をむかえる。難民となった一家は38度線をこえて脱出に成功して、引き揚げ船で帰国(この時期に母を失っている)。その後、家業を手助けしながら福岡の中学、高校と進学して東京の早稲田大学に入学する。。「うた」だけが心の支えであるような時代や情況というものがある、ということが、著者のひとつの体験的な確信として語られているのが、しみじみと印象ぶかい本だった。