読書感想


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 シオラン素描


 E・M・シオランは、パリ在住のルーマニア人で、通りのいい分類でいえば、エッセイストということになるかと思うが(日本で最初に紹介されたとき、訳者の出口裕弘氏が、「極めつきの風変わりなエッセイスト」と呼んでいた)、それでは未知の読者に誤解を招きそうだ。これまで、卓抜で辛辣なアフォリズムをちりばめた哲学的な散文、思索的なエッセイをまとめた書物を、数年に一度のペースでガリマール書店から刊行しているのだが、その内容は、昨今の「エッセイ」というイメージからは程遠い。法的には、無国籍者として、パリの屋根裏部屋に住み、亡命知識人にありがちな、ジャーナリズムとはかけはなれた場所で孤立した創作活動をしている。もちろん構造主義とかポストモダニズムといった華やかな思想潮流とも無縁で、どちらかといえば実存主義に近い古典的な知識人のタイプなのだが、類縁を求めるとすれば、私には、キルケゴールやニーチェといった、キリスト教の神概念と格闘した体系否定の思想家の系譜に属するように思える。
 こういう思索家が、現在、存在すること自体が、奇跡のようなものだと常々思ってきたが、ありがたいことに、私以上にそう思っているに違いない一群の熱心な読者がいるらしく、そのおかげで、彼の著作はほとんど翻訳されており、日本語で読むことができる。始めて日本に紹介されて以来、ほぼ四半世紀たつが、その間に、あまり売れるとも思えない彼の著作が10冊以上翻訳されているのだから、これも奇跡のようなことだろう。もちろん、私は原文も読めず、フランスでの実情も知らないので、翻訳者たちの受け売りで言えば、著者は「バルカンのパスカル」と呼ばれ、「ヴァレリー以後、フランス語散文の無二の書き手」ともくされているそうだが、それにしても、アカデミックな背景ももたず、死んで大作家たちの殿堂の仲間入りをしたわけでもない、市井のマイナーな「エッセイスト」の著作が、文化も伝統も異質な極東の島国で、ここ20数年の間に、ほとんど翻訳されつくされてしまうとは、それだけで、高度資本主義社会の存在意義もあろうかというものだ。
 91年に訳出された、『絶望のきわみで』(紀伊国屋書店)は、ルーマニア時代のシオランが、22才の時に書いた処女作である。長年の読者なら、訳者と同じように、本書の内容が「後年のシオランを予想させるものをほとんどすべて含んでいる」(金井裕)という感慨を抱くに違いない。また、この書物が、青年期のシオランの、過剰な自意識と不眠をめぐる、狂気すれすれの観念の劇の産物であったこと、その劇が、後年のシオランの著作に宿命的につきまとう「思想がそこに発する経験の<核>」(訳者)を象徴する体験であったこともみてとれる。要するに見たいなら、そこに、ニーチェや、ヴァレリーや、バタイユ、といった思想家たちの生涯に生起した、宿命的な特異体験といわれているものの類似を見いだすこともできる。だが、そういう比較は、いずれ、どこかの研究者がされるだろう。
 後に書きつがれた書物を通して振り返れば、シオランは、その若年期の狂気すれすれの「経験の<核>」なるものから、生涯、逃れようもなく、歩き通してきたのがわかる。その行程は、辛辣な皮肉や、洪笑や嘲笑をちりばめた卓抜な修辞に飾られているが、その底には、拭い切れない厭世的な世界観の影を宿した、きれぎれの断章の累積として残されている。なぜ、そんなに現世と人間を罵倒し、イデオロギーを憎悪し、生を呪うことばを吐きながら、あなたは書き続けていられるのか。そういう類の疑問に対して、旧著『崩壊概論』(国文社)に触れた文章の中で、シオランは答えている。

 「また2人の学生は、なぜ私が書き続け、本を出すのをやめないのかと尋ねた。人はたれでも夭折の幸運に恵まれているわけではない−これが私の答えだった。私は『絶望のきわみで』という大袈裟な表題の最初の本を、二度と再び書くような真似はしまいと誓いながら、二十一歳のときルーマニア語で書いた。次いでまた同じ誓いを立てながら、また同じ愚を犯した。喜劇は四十年以上にわたって繰り返された。何故か。書くことは、それがどんなに取るに足りぬものであれ、一年また一年と生きながらえる助けになったからであり、さまざまな妄執も表現されてしまえば弱められ、ほとんど克服されてしまうからである。書くことは途方もない救済だ。本を出すこともまた然り。出版された一冊の本、それは私たちにとって外的なものと化した私たちの生であり、あるいは生の一部であり、もうそれは私たちのものでも、私たちを疲労困憊させるものではない。表現は私たちを弱め貧しくし、私たち自身の重荷を私たちから取り除く。それは実体の喪失であり、解放である。たれかある人間を厄介払いしたいと思うほど憎んでいるなら、一片の紙を取り上げ、そこに×のバカ野郎、悪党め、怪物め、と何回も書きつけることだ。そうすれば、たちまち憎しみはやわらぎ、もう復讐のことなどほとんど念頭にないことに気づくだろう。私が自分自身に対し、そして人々に対してやってきたことはほぼこういうことだ。私は『崩壊概論』を私の最低部から引き出したが、それは生を、私自身を罵倒するためだった。その結果は? 生をよりよく耐えたように、自分の存在によりよく耐えることができた。人はそれなりにわが身を労るものである。」(『オマージュの試み』(法政大学出版局)所収「旧著再読」より)

 自分は、精神のカタルシスのために書いている。そういう答えならだれでももっているが、鬱屈から逃れるために書く、とうことと、世界憎悪や人間嫌悪を表白せざるを得ないほどの鬱屈に、宿痾のようにみまわれ続けることは違っている。しかし、これは憶面もない告白ではないのか。訳者(日本の読者)にあてた文章のなかで、シオランは、別の言い方で自らの生きがたさについて語っている。

 「別のところですでに述べたことですが、重ねていっておきたいことがあります。それは青年期以来、幸福のときも不幸のときも、私が「自殺」は唯一の解決策であり、私の一切の問いに対する完璧な答えであると思わずには、一日たりと過ごしたことはなかったということです。この観念、というよりむしろこの妄執が私の生きるよすがであったことを、私は一瞬たりと疑ったことはありません。望みのときに死ぬことができるという確信、ここにはなにかしら私たちの気持ちを奮い立たせ、くすぐるものがあり、そして、それが耐えがたきものを耐えうるものに変え、無意味なものに意味を与えるのです。幸か不幸かは知りませんが、生存を正当化しうる客観的理由など見いだすべくもないのです。にもかかわらず私たちが生き、かつ生きながらえてゆくことができるのは、日々の啓示と化した普遍的な無益さという明白な事実が、私たちの裡に存在する秘められた力を奮いたたせると信じているからであり、そしてまたこの事実が、虚無への挑戦、死に対する勝利であり、幻想などいささかもあずかり知らぬ勝利であると確信しているからなのです。
 私がどうしてもあなたにお伝えしておきたいと思っていたことは以上のことです。このメッセージは、だれであってもかまわないのですが、いまや滅びつつある人類の姿を目のあたりにしている人の、勇気への、あるいは歓喜への誘いにすぎないと思っております。」(『四つ裂きの刑』(法政大学出版局)所収「訳者への手紙」全文)

 自殺への想念が、逆に生に意味をあたえ、生存に正当生も根拠もないという認識が、逆に生きる力を奮い立たせるという、逆説的な確信が語られているが、このようにしてみると、シオランの、自殺する自由という観念についての意味付けが、書くという行為(「書くことは途方もない救済だ。」)の意味付けに、ほとんど重ねあわすことができることがみてとれる。「無限の反撥をそそる説得力、底の底まで宗教的な無神論」(出口裕弘)と評される所以である。

 とはいえ、シオランの書物はいつでも、斬新な思想や、論理的な構想で、目から鱗が落ちるような体験や、深い感動を読者に与えてくれるというわけではない。初期の『歴史とユートピア』(紀伊国屋書店)以来、同じような想念を、金太郎飴のように、呟き続けているといったタイプの思想家である。彼の現世嫌悪の秘密が『絶望のきわみで』を読めば解かれるわけでもない。ただ、熱中して読み続けると、体調が変になるという本があるとすれば、そういう類の本であることは間違いない。

 シオランの著作とのつきあいは、もう十数年になる。私にとって、疎遠ながら親しい読み方をしてきた作家のひとりである。彼の存在を忘れていることもあったが、ルーマニアで政変が起こったとき、真っ先に思い浮かべたのは、シオランは何を考えているだろうということだった。そういう思いにかられる作家がいるのは、悪くないことではないか?


91.6.20
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